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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第一章 長い戦争(ロング・ウォー) 
6/303

壊滅



「逃げるって、どこへ?」


「だから、強力な弾除けの後ろにだよ」


 言い終わらないうちにレリックはケイの腕を鷲掴みにして、引っ張った。


「で、でも、曹長たちが」


 ケイは、死に物狂いで空に向かって機関銃を撃ち放ち弾幕を張っている小隊の兵士達とレリックを交互に見た。


「無駄だ。あんな化け物と正面から渡り合おうっていうのが、正気の沙汰じゃねえっ!コストナー、お前、こんなところで死にてえか!」


 投げるようにケイの身体を岩の陰へ放りこんでから、レリックはケイの隣に飛び込んだ。

 直後、先端が鋭く尖った弾丸のような物体が、不気味な機械音を発しながら無数に飛んで来た。それが、ケイのすぐ脇の岩を、がりがりと音を立てて削り取っていく。


 両腕で頭を抱え、身体を固く縮めて、ケイは必死で身を隠した。誰かの悲鳴が聞こえたが、恐怖で顔を上げることが出来なかった。


 狂気の音が止み、震えながら顔を上げて様子を伺った。

 辛うじて岩に守られたケイのすぐ横で、ガスが機関銃を握り締めたまま物言わぬ肉の塊となって息絶えていた。頭が半分抉られ、腹に大きな穴が開いている。


「うぁぁ、曹長がぁ!」


「構うな。もう死んでるっ!」


 レリックは、思わず手を伸ばして岩の陰から這い出しそうになるケイの胸座を掴んで、揺さぶった。


「ここらの岩はあらかた削られちまってて、次に攻撃されたら持たない。ダガー軍曹の隊に駆け込むぞ。あっちには分厚い鋼鉄製の特殊防護壁が装備されている」


 恐怖で気を失いかけているケイの頬を叩きながら、レリックは怒鳴った。


「しっかりしろ!正気を保て!今なら大丈夫だ。行くぞ!」


 ケイの腕をしっかりと掴んで岩の陰から飛び出した。刹那、どすっと鈍い音がして、レリックの身体が後ろに吹っ飛んだ。


「レリックさん!」


 慌てて駆け寄ると、レリックの左肩が大きく抉られて大量の血が噴き出していた。レリックの鮮血は、からからに乾き切った地面にあっという間に吸い込まれていく。


「レリックさん!!」


「ばか、早く、逃げ、ろ」


 レリックは助け起こそうとするケイの手を弱々しく振り払った。


 誰かが大声で叫んでいる。

 ケイを呼んでいるようだった。声のする方向に顔をゆっくりと向けると、分厚い鋼鉄の防護壁から一人の男が大きく腕を振って手招きしている。

 

(あの人が、ダガー軍曹なのか?あそこまでレリックさんを連れて早く逃げなくちゃ)

 

 銃を放り出して、ぐったりしたレリックを背中に担ぎ上げようとした時、ケイの頭上に大きな影が落ちた。 


 息を詰めて顔を上に向けた。


 自分の真上に、あの黒い飛行兵器がいた。

 飛行体を覆った黒い影が薄くなっていて、姿形が露わになっている。


 およそ機械とはかけ離れた滑らかな曲線で繋ぎ合わされた漆黒の巨体だった。

 体長の数倍はありそうな羽を細かく振動させて、宙に浮いている。兵器の胴体の先から太くて長い首と頭部のようなものが突き出ていて、それがレリックを担いだケイに向けられていた。

 

 こいつは俺を見ている。

 

 ケイは、はっきりと感じた。

 この兵器には意思がある。宙に浮かんでいる化け物の兵器は、どうやってこの無力な人間を屠ってやろうかと考えている。

 恐怖で足の力が抜けて、ケイはその場にへたり込んだ。


 ぎぎぎっと、化け物は、不気味な音を立てた。

 巨大な翼を羽たかせて上空に舞い上がる。戦う術のない獲物を前にして遊んでいるように見えた。


 踊るように一度旋回してから、飛行体はケイに向かって滑空を始めた。

 前線の一撃で、敵が相手にならないほど脆弱だと分かったからだろう。やけにゆっくりとした速度で向かってくる。

 

 早く逃げろと、誰かが叫んでいる気がした。遠くから、近くから、ケイに向かって叫ぶ声が聞こえる。

 背負ったレリックなのか、生き残っている兵士か、ダガー軍曹か。それとも、自分の本能が叫びとなって聞こえる幻聴か。

 

 大合唱の渦巻く中、それでも身体は動かなかった。

 ぶん、と音がして、飛行体を取り巻く影が粒子となって弾けた。その一つ一つが、さっき自分達に降り注いだ鋭利な凶器だと分かった。


 戦車の鋼板を尽く貫き、重迫撃砲も破壊し、兵士の身体を砕いて前線を全滅させた無数の凶弾が、凄まじい勢いでこっちに向かって飛んでくる。辛うじて生き残った味方の反撃の銃声が、空しく響く。

 

 自分はここで死ぬのだと、ケイは悟った。

 ガス曹長は死んだ。ロブ通信兵も、ハンクも死んだ。小隊の他の兵士も、自分の背中で動かないレリックも死んでいるだろう。百戦錬磨のダガー部隊だって、あの弾丸に当たって砕け散るのだ。

 もう、皆、ここで死ぬ。

 

(嫌だ、死にたくない。死にたくなんかない!)

 

 何の抵抗する術も与えられず、ただの虫けらのように殺されるなんて。そんなのまっぴらだ。憤怒でケイの両眼から涙が溢れた。


「いやだあぁぁぁっ!」


 全身から絞り出した声でケイは絶叫した。無意味な足掻きだとしても、諦め顔で死んでいきたくなかった。残虐な運命に少しでも抗う意思を見せたかった。

 目の前まで迫っていた巨大な弾丸が、突然、角度を変えた。

 弾丸は、レリックを抱えたケイの身体をわずかに避けて、後方に流れていく。

 その直後、頭のすぐ上を、ゴオッと音を立てて飛行体が通り過ぎた。巨体が生む風圧で吹き飛ばされながらも、ケイは瞬きもせずに飛行体を目で追った。

 

 飛行体の、胴体の胸の中央部分に、人の顔があった。

 大きく見開かれた淡い色の瞳が、ケイを見つめていた。瞬きを忘れて、ケイもその瞳を見つめた。


(人間?)


 飛行体はものすごい速さで上体を起こし、高度を上げて飛び去って行った。弾丸がその後を追って浮上した。さっきの殺戮が嘘のようだった。生き残りの兵に後方から撃たれても、何の反撃もせずに、飛行体に追い縋って姿を消した。

 助かった。地面から体を起こし、震えて力の入らない足で、ケイは何とか立ち上がった。

 少し離れた場所に倒れている古参兵を見つけて、ふらつきながらも駆け寄ると、その身体を抱き起した。


「レリックさん!」


 恐る恐る揺さぶって声をかけるとレリックは薄く目を開けた。


「レリックさん。敵は攻撃を止めています。今のうちに逃げましょう」


「いや、俺は動けない。もう…ダメだ」


 荒い息の下からレリックは声を絞り出した。視線を宙に漂わせている虚ろな瞳には、もう何も映っていないようだった。


「コ…ストナー、お前、助かって良かった…な」


 はあっと深い息を吐いたのを最後に、レリックは動かなくなった。


「レリックさん。何で、何でっ?!」

 

 ケイは古参兵の身体を必死に揺さぶった。誰かがケイの肩を強く掴んだ。


「無駄だ、もう死んでいる」

 

 驚いて顔を上げると、目の前に強化外骨格パッドを装着した兵士が片膝を付いて屈み込んでいた。この装備を付けている隊は一つしかない。ダガー隊の兵士だ。

 

 ケイは砂埃で霞みそうになる目を必死で瞬いた。兵士が自分の首の脇を触れると、顔と頭部を覆っていたヘルメットが真ん中から上下に割れた。ヘルメットの中から、端正な男の顔が現れた。鳶色の鋭い瞳が、射貫くようにケイの顔を覗き込んでいる。


「随分出血しているな。どこを撃たれた?意識はしっかりしているようだが」


 男が矢継ぎ早に声を掛けながら、兵服のポケットから血液凝固剤と止血帯を素早く取り出し、受けたであろう傷を確認する為にケイの身体を探った。


「あの、俺は、大丈夫です。これは、そこに倒れている兵を担いだ時に」


 レリックの血を大量に浴びたのだ。


「怪我は、ないのだな?」


 男が繰り返しケイに尋ねた。


「は、はい。ありません」


 レリックの血で汚れてはいるものの、自分でも驚いたことに、擦り傷で済んでいた。


「分かった。すぐに撤退の準備に入る。お前もついてこい」


 男は、瀕死だったレリックを背負うときにケイが投げ出した自動小銃を拾い上げて、手渡した。


「戦場で自分の次に大切なのは、携帯した武器だ。今度こんなことをしたら、確実に命を落とすぞ。味方も巻き添えにしてな」


 静かな口調だった。返ってそれが失態の大きさをケイに宣告しているように聞こえた。


「はい。すいませんでした」


 身を竦めて、やっとの思いで声を絞り出す。


「謝ることではない。この小隊の生き残りはお前だけか?」


 ダガーの言葉に顔を上げたケイは、虚ろな目で辺りを見渡した。

 レリックの遺体は綺麗な方で、ガス曹長を含め、他の兵はあの飛行体の武器に打ち抜かれてほとんど原形を留めていない。血まみれの肉塊がいたるところに散乱していた。


「名前と配属隊名、階級をいえ」


「ケイ・コストナー。新兵です。ガス小隊の小銃手…でした」


 ケイは、胃からせり上がってくるものを堪えながら必死に答えた。


「コストナー。俺はヴァリル・ダガー一等軍曹。特殊機械化歩兵部隊の分隊長だ。すぐに俺の隊に合流するように」


 言い終えると、ダガーはケイの返事を待つことなく踵を返した。


 ダガーが自分の指揮する隊に戻るのを見届けるや否や、ケイはその場に突っ伏した。

 強烈な吐き気に襲われ、震える両手で身体を支えて、胃の中のものを地面にぶちまけた。吐くものなど殆んどなかったが、胃が痙攣して何度も胃液を喉元に押し上げてくる。

 

 一人の兵士が駈け寄って来て、地面にぐったりと這いつくばっているケイの背中を撫でてくれた。


「大丈夫?」


 ヘルメットの中から聞こえてくるのは、高音の柔らかい声だ。はっとして面を上げると、兵士はダガーと同じく耳朶の下にあるボタンを押した。


 ヘルメットの中から現れたのはおよそ戦場に似合わない優し気な女性の顔だった。



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