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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第二章  絶望のインターバル
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悪夢・1

 疲れ切った身体を寝具に横たえてから意識を手放すと、フェンリルが軽い足音を立てて近づいて来た。

 彼の大きな背中に跨り身体を伏せて自分の身を預ける。大狼の背中から吸い込まれるように己の意識がフェンリルと同期(シンクロ)した。狼の体力が全身に漲ると、慣れ親しんだ暗い森の中を四本の脚で走り出す。

 長い時間、獣道を駆けていると、森の中にぽっかりと開いた空間が現れた。

 その真ん中にケイの育った養護院が建っていて、狭い庭の片隅で一匹のモンシロチョウが赤い花の蜜を吸っている。

 誰かが身を屈めて小さな白い蝶を見つめている。

 後ろの二本足で立ち上がると、ケイは人間に戻って歩き出した。


「ほら、ケイ。見てごらん」


 蝶を指差して、懐かしい顔がケイに優しく笑い掛ける。


「クリス」


 ケイはクリスの隣にしゃがみ込んでモンシロチョウを見つめた。そっとクリスに視線を戻すと、彼の顔面は色とりどりの蝶で埋め尽くされている。


「クリス?」


 思わず叫ぶと、たくさんの蝶が目の前で一斉に羽ばたき出した。

 白、青、黒に緑。それから橙。最後に黄色。

 眩暈を起こすほどの色が乱反射して四方八方にまき散らされる。あまりの美しさに瞬きもせずにいると、クリスの身体は全て蝶になって飛び去って行った。

 後に残るのは空っぽになった漆黒の闇である。前後左右、頭の上も足の下も黒く塗り潰された空間に、ケイは一人で立っていた。


「どこだ、クリス!!」


 自分の声だけが黒い空間に響く。ぼんやりと白く浮かぶ細い手が、突然ケイの目の前に浮かび、細長い五本の指が自分に突き出される。闇の恐怖の中で、ケイは縋るようにして優し気に招くその手を掴んだ。

 掴んだ途端に、その白くて美しい指の皮膚が分厚い灰色の鱗で覆われる。

 指先の淡い桜色をした小さな先端がすっと伸びた。

 伸びた爪が見る間に黒く鋭い鉤爪に変わり、力を込めてケイの手を握り潰し始めた。


「わあぁっ!」


 必死で振り解こうとしても、がっちりと掴まれた手は離れない。闇から黄金色に光った二つの瞳が浮かび上がって、ケイの姿を捕らえる。


「お前は、誰、だ?」

 

 しゃがれた声が、黒闇に響き渡った。


「クリス!フェンリル!」


 悲鳴がケイの喉から迸る。その瞬間、ものすごい唸り声と共に大きな口が飛び出してきて、ケイの脇を勢いよくすり抜けた。

 大きく裂けた真っ赤な口にずらりと並ぶ鋭い白牙が、ケイを掴んだ鱗の手首にがぶりと噛みつく。

 ぎゃあ、と、人間の声には程遠い獣のような叫び声が上がり、ケイの手を離した。



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