使い勝手の良い手駒・2
「どうかなされましたか、ブラウン中佐?」
若い将校に声を掛けられたブラウンは、はっとして顔を上げた。
我知らず強く握り締めた拳をダガーがじっと見つめているのに気が付いて、ブラウンはそっと指を広げた。
「いや。ああ、そうだ。戦闘における作戦行動計画というのは熟慮断行だからな。絶えず不測の事態を想定しなければならない。この計画に君は疑問を感じる点はあるかね?」
ブラウンは目の前にいる青年を見つめた。
話を振ると、少尉になりたての若い貴族の青年は、いいえと慌てて首を横に振った。
次の開戦に備えて実戦経験豊富な平民下士官と傭兵上がりのプロシア兵が、他の基地から数多くヤガタに送られてきた。
その中に、財産を持たない下級貴族の子息が数多く混じっていた。
最初、軍事同盟軍の新兵器を熟知しヤガタの総指揮を担うブラウンに、ヘーゲルシュタインが使い勝手の良い人選をしてくれたのだと感謝していたブラウンは、彼らの姿を目にしたとき、自分の愚さを思い知った。
身分に限らず、貧しい若者が口減らしに入隊に追いやられるのは珍しいことではない。だが、下士官とは名ばかりで、彼らは大多数が戦闘経験のない新参兵だったのだ。
大隊指揮経験者の殆んどがヘーゲルシュタインと共に基地を去っていた。
戦域に残ったプロシア兵士と徴収した傭兵の寄せ集めの軍隊で、最新兵器の塊となったアメリカ軍を迎え撃たねばならなくなった事態に、また一つ難問が加わった。
ベテラン下士官の配属は有り難いが、彼のような実戦経験のない若い将校の戦闘配置をどうするべきか。
ブラウンは再び青年の顔を眺めた。子供のように丸い頬に散らばるそばかすの顔が、やけに幼く見える。時間は限られていて、各個人の資料に目を通している暇はない。
二度三度、目を瞬いてから、ブラウンは結論を出した。
戦闘に投入する事で、使える人材の選別を行うしかない。自分の上官のヘーゲルシュタインは常々、階級だけむやみに高くて能力のない貴族将校を罵倒し倒していたのだから。
彼はどうだろうか。今度の激戦に耐える能力はあるのか。
成人して間もないのだろう、あどけなさの残る若い少尉から、ブラウンは再び地図に視線を戻した。
少尉になり立ての青年は、熟練した傭兵部隊の一個分隊の隊長として最前線に配置することになるだろう。何故なら百戦錬磨の傭兵部隊は、戦闘で指揮官を失ってもすぐに隊を立て直し敵兵と戦える技量があるからだ。
「アウェイオンから約十キロ東に軍事同盟軍の前哨基地がある。情報によると、ウクライナにあるロシア軍の主力基地から重火器を積んだ輸送車と装甲車、戦車が続々と集結しているそうだ。軍事同盟軍が停戦を解除する可能性が高くなっている証拠だ」
「アメリカ軍の動きは?何か情報は入っているのでしょうか?」
ダガーの質問にブラウンは渋い表情をして首を振った。
「それが、全くといっていいほど入手出来ていない」
ブラウンは、テーブルに広げられた戦域地図に人差し指の先を置いた。
「トランシルバニア・アルプス。ルーマニアの一部はエンド・ウォー以後、ロシア領になったが、この山脈だけはアメリカが実質支配地域としている。この険しい山が連なる難攻不落の地のどこかに、アメリカ軍の要塞が隠れている。プロシアのものとは比べ物にならない、高度な技術の粋を集めて作られた大本営だ。現在の我々の斥候能力では、この基地の情報は何も掴めていない。我々はロシア軍の動向から、アメリカの動向を予測するしかない」
ブラウンは指を地図の上で滑らせた。
「戦闘再開となると、戦域の西、旧ハンガリー国境地帯が主戦場になる可能性が高い。ここを軍事同盟軍に撃破されてプロシア国境近辺に食い込まれると、戦域緩衝地帯の内側が戦場になる恐れがある。国際条約に則って、住民がいる区域での戦闘は必ず避けなければならない」
「緩衝地帯の内側にいる住民って、あの、“うち捨てられた地帯”(フォーローン・ベルト)の居住区の人間の事かね?」髭を撫でながら少佐がブラウンに聞き返した。眉間に皺を寄せて、フンと鼻を鳴らした。
「棄民や難民どもの貧困層が巣食う土地なんぞ、戦闘に巻き込まれても別に構わんだろう?ああ、そうだ、あの場所を戦闘区域として拡大させてしまえば、あそこのスラム街を我が軍の盾として使えるではないか。我ながら名案だ」
少佐が得意げに顔を輝かせた。
「そんな事をすれば、なし崩しに戦域が拡大してしまいますよ、少佐。一般人を戦争の盾として使うなど、人道的に許されない。第四パリ条約の人権条目に違反します」
ブラウンが少佐をやんわりと戒めた。
「人道的だって?」
少佐がさも軽蔑したように頓狂な声を上げた。
「あそこに住む永久難民どもに人権などあるものか。連中の殆んどが、エンド・ウォーで崩壊し、国として機能しなくなった土地から流れて来た人間だ。流浪の果てにプロシアに張り付いて生きる寄生虫じゃないか。第四パリ条約は、国家から国籍を与えられた人間にのみ、人道的権利を謳うことが許される。彼らは野良犬同様、どの国にも属していない。条約など当て嵌まらないだろう」
「最悪の場合、フォーローン・ベルトに接したプロシアの国土が戦禍に巻き込まれる可能性が出て来るのを憂慮して言っているのです。少佐、貴殿には、プロシアの一般市民を軍事同盟軍の砲弾の犠牲にする覚悟がおありか?」
低音だが、凛としたブラウンの声が作戦会議室に響いた。
「い、いや。そんな、自国民の犠牲など。それは、決してあってはならない事だ」
ブラウンの言葉を聞いた途端、少佐は顔を引き攣らせて大人しくなった。ブラウンは侮蔑を押し殺しながら少佐の顔を一瞥した。
この男は何も知らない。いや、分かろうとしないのだ。貴族軍人が軽視して止まない貧困地区で生まれた人間が、優れた兵士となってプロシアを守っていることを。
プロシアはエンド・ウォー以後、国を失った貧しい人間を絶対に入国させない措置を取った。
難民の停留地域を作り、さらには国境の境に背の高い頑丈な壁を建築して、自由にプロシアに出入りすることを禁じた。
国籍を大金で買えない彼らの殆んどは貧困層となり、“うち捨てられた地帯”と呼ばれるようになった地域で生活するしかなくなった。
それはプロシアにとって非常に好都合だった。国を取り巻くように貧困地区を形成させて、軍事同盟軍領の領域の間に戦域と二重の緩衝地帯を築かせ、尚且つ戦域で戦う傭兵を産出できるからだ。
(長い戦争が続く時代だ。誰も人権の話などしなくなって久しい)
エンド・ウォー以前、第二次世界大戦を経て南北統一が叶ったドイツ連邦共和国時代、この国は何人にも平等を保障したと聞く。その高潔な理念を何故、捨ててしまったのか。
(そういえば、昔、ラッダイトの原理主義的急進派が、いかなる人間も平等であると声高に叫んでいた時もあったな)
ブラウンがまだ士官学校に入りたての頃、究極の理想主義を唱える集団がいた。集団の中心は連邦大学の学生だったと記憶している。
身分も財産も文明も全てを捨てて、人は神の下に集まり、平等な原始共同体に戻るべきだと、街頭で派手にビラを撒き声高に主張していた。
神や原始的生活などという思想は受け入れられなかったが、平等という言葉には心動かされるものがあった。
彼らは危険思想の持主として、リーダー数人が扇動罪で逮捕された。原理主義の思想に染まった集団は国家と軍に強制解散させられた。プロシア国籍をはく奪され、戦域近くの荒地へ放逐されたと聞く。
あまりにも重い刑罰に、国民は震え上がった。それから、ラッダイト原理主義者の話題は、誰の口にも上ることはなかった。
ふと思い出してしまうのは、身分の低い貧しい人間の命を何とも思わない言葉が、貴族の口から吐き出される時だ
(それに、傭兵の生まれ故郷である地区を戦火に巻き込んでしまったら、どうなるか。金銭だけで共和国連邦軍になびいている傭兵団が、親兄弟を殺された恨みから離反して、軍事同盟軍と結託してしまう可能性だってある)
そんなことも分からない目の前の貴族将校に、ブラウンは嫌悪感を覚えた。無知な男を言い包める為に、今しがた口にした自国民優先の己の言葉にもだ。
決まりの悪さに思わずダガーに目を向けたが、彼は静かな表情でブラウンを見返すだけだった。自分の出自を汚す言葉を重ねて口にする思慮の浅い少佐になど、何の興味もないらしい。
(強い男だ)
この冷静沈着さがあるからこそ、幼い頃から傭兵として、戦域の前線で戦いながら生き残れたのだ。
だから。たった一回、口約束を違えたブラウンに激高して殴りかかってきたダガーに、彼も人間であると納得し安堵した。
それと同時に、ダガーの動揺が一抹の不安を生んだ。その感情が、今後自分が立てる軍事作戦に影響を及ぼすまいかと。
(いや、杞憂も甚だしいぞ。ウェルク、ダガーを信じないでどうする?)
ダガーの鳶色の瞳をしっかりと見つめながら、ブラウンは口を開いた。
「ヤガタの前哨基地が尽く破壊されている現在、我々に残された道は先制攻撃しかない。ドラゴンを再び阻止する為にもダガー部隊、チームαに先陣を切ってもらう」
「了解しました」
その揺るぎのない態度に、若い将校が畏敬の念を顔一杯に浮かべて、ダガーに目を向ける。
生命体起動スーツの劇的な登場、且つ活躍が、敵は元より味方の連邦軍に余すところなく伝わっているのは、ダガーの隣にいる青年将校の顔を見れば明らかだ。戦意高揚の道具になるなど、本人にとっては不本意でしかないだろうが。
「頼んだぞ、ダガー」
ブラウンの、上官としての在り来たりな餞の言葉に、何の躊躇もなくダガーが頷く。
いつものように。




