使い勝手の良い手駒・1
「クーデターだと?!」
作戦会議室のテーブルに広げている青の戦域地図から顔を跳ね上げると、ブラウンは伝令の兵士に強い口調で聞き返した。
「はいっ!たった今、軍中央から伝達がありました!プロシア連邦議会の最中にノイフェルマン中将とその配下の者によってハインライン首相が拘束され、政権の中枢にいる要人全員が更迭された模様です!議会はただちに解散となり、以後、ノイフェルマン中将を中心に、共和国連邦軍プロシア上級将校が、国民防衛軍のトップと共同で軍事政権を樹立するとのことです!」
「了解した。直ちに持ち場に戻れ」
兵士はブラウン以下、作戦会議に出席している将校と下士官に敬礼してから、急いで部屋を退出していった。テーブルを囲んで頭を突き合わせ、ブラウンの立案した軍事作戦を聞いていた軍人達の顔が、驚愕から困惑へと変わっていく。
「停戦中とはいえ、軍事同盟軍次第でいつ戦闘が再開されるかも知れない危うい状況の中で、クーデターを起こすとは。ノイフェルマン閣下は、一体何を考えておられるのだ?」
隣の将校が、不安げに声を漏らしてブラウンを見た。ブラウンは自分より年嵩の、白髪の目立ち始めた少佐の顔を一瞥してから戦地図に視線を戻しながら返答した。
「今だから、中将閣下は行動に出たのでしょう」
「は?」
さっぱり理解出来ないといった顔をして、少佐はブラウンを見た。ついこの間まで自分より階級が上だった貴族の男で、その地位は子爵だ。
だからだろう、軍の規律などお構いなしに、上官になったブラウンに対してかなりぞんざいな態度を取ってくる。
軍議中、余計な波風を立てる訳にもいかないから、説明するのにも自然と丁寧な言葉遣いになる。
「政治経験が全く足りていないハインラインが首相では、老獪なロシアの将軍と渡り合えないと決断して、中将閣下は政権を奪取したのでしょう。アウェイオン敗戦で軍事同盟軍の脅威に直接晒されているのはプロシアの領土ですからね。それが分かっているからこそ、議員達も抵抗せずに政権を軍に渡したのだと思われます」
「ふぅむ、なるほど。首相は議会でどれほど非難されようとも、軍事同盟軍の休戦の条件を全て飲んで、ポーランド全州をロシアに移譲すると言って聞かなかったらしいからな。無能な指導者には大国プロシアを任せられん。確かに、我等のような有能な貴族軍人がプロシアの政権を担うべきだ。ノイフェルマン閣下も苦渋の決断をされたのであろう」
綺麗に揃えた口髭を、親指と人差し指で愛おしそうに撫で上げながら、少佐は満足げに幾度も頷いた。
ブラウンは無言で地図に視線を戻した。
ノイフェルマンは近々発起しようとしていた行動を今、起こしたに過ぎない。
ポーランド全州移譲というウォシャウスキーの無茶な要求をうまく利用して、混乱している議会から素早く権力を奪い取り、連邦軍大敗という不都合な真実をも一時的であるにせよ、国民から隠す事に成功した。
(共和国連邦軍上層部が、軍事同盟軍の新型兵器の情報を軽く扱った所為で、アウェイオン敗戦の大失態を犯した。作戦立案及び実戦指揮を執ったヤガタ基地所属のイギリス貴族将校の責任も大きい。敵前逃亡した将校どもを牢に繋いでオークランドを切り捨てても、イングランド出身の上級将校が共和国連邦軍内部から糾弾されるのは免れない。ウルバートンは自分に責任追求が及ぶのを回避する為に、ノイフェルマンに加担するしかなかったのだろう)
それはヨーロッパ大陸における大国イングランドの影響力を削ぐという特典付きだ。ノイフェルマンの悪魔のような狡猾さに感心すると同時に背筋が薄ら寒くなる。
憐れなのはハインラインだ。
信用していた軍の上層部に踊らされた挙句、裏切られ、首相の地位を追われたのだから。軍事同盟の脅威に屈してロシアに自国領土を譲渡しようとしたとの汚名を背負わされてだ。
だが、それよりも、第二次世界大戦後に発足してエンド・ウォー以後も続いてきた旧ドイツ、現在のプロシア議会制民主主義が、軍に奪取されたのを憂慮しなければならない。
どの時代においても、真っ先に国民の自由な言動を奪うのが軍政権の常だからだ。
(貴族制が復活したとはいえ、プロシアは曲がりなりにも、共和制、民主国家の体裁を取っていた。国家が、人民が、軍の力に支配されるなど、本来あってはならない事だ。軍に所属する自分がそれを危惧するのは、本末転倒ではあるが)
何より今は、軍事同盟軍の動向が最優先だ。いつ停戦合意を破ってヤガタに侵攻してくるのか、全神経を集中しなければならない。
(次の戦争で軍事同盟軍に負ければ、我々は青の戦域領を完全に失う。そうなれば、ロシアと国境を接するプロシアの国土が戦禍に巻き込まれるのは必至だ。ポーランドがロシアに合併されるだけでは収まらない。最終戦争以後プロシアの領土となった旧東欧諸国が軒並み軍事同盟軍に占領されて、独立国家として成り立たなくなってしまう可能性が高い)
ノイフェルマンと盟友で、ブラウンの直属の上官であるヘーゲルシュタインは全てを知っていた筈だ。彼はヤガタに着くなり中央でプロシア軍の統括統制の再構築を宣言して、とんぼ返りでベルリンに戻って行った。
ヤガタ基地の総大将の行動の理由など、ここにいる人間の誰一人として知る術はない。
ブラウンを除いて。
だから。ヘーゲルシュタインに全幅の信頼を置かれた腹心の部下を自認していたブラウンにとって、軍事クーデターは青天の霹靂だった。
「ヤガタ基地の全権をここにいるブラウン中佐に託す。中佐の命令は少将である、このヘーゲルシュタインの言葉と肝に命じよ」
将校達の目前で指揮権の譲与を宣言してくれたヘーゲルシュタインに感謝と忠誠を誓う言葉を口にしつつ、ブラウンはその重責に人知れず身震いした。
「そして、この最新鋭のヤガタ基地に配属された兵士達よ。君達は、共和国連邦軍の最高指揮官となられたノイフェルマン中将閣下が認める精鋭中の精鋭、選ばれし戦士である。その使命は、残された連邦軍の戦域領土を死守し、輪が戦域領土を侵そうとする憎き軍事同盟軍を撃退しすることだ。我が兵士よ。勝利せよ!勝利せよ!」
ヘーゲルシュタインは基地に残される僅かな将校と、寄せ集めの兵士に拳を振りかざして士気を鼓舞し、上級将校と共に装甲車で基地を後にした。
その一行を、ブラウンを筆頭に基地に残った将校全員が最敬礼で見送ったのは数時間前。ブラウンは走り去る装甲車が見えなくなるまで敬礼を続けた。
(なるほど、そういう事か。俺の立案した作戦に大して異議を唱えるでもなく承認したのは)
何と言う皮肉だろう。
ブラウンの作戦が、ヘーゲルシュタインを軍中央に帰還させる格好の口実になってしまったとは。ノイフェルマンが軍政治を円滑に行う手駒として、有力貴族出身の上級将校がプロシア本国に必要なのだと、今になって理解した。
彼ら貴族に身を挺して守るものがあるとすれば、己の家名と財産だ。
戦域で唯一残ったヤガタ基地など、無論、その中には含まれていない。上級貴族出身の将校をいつもは能無しと口汚く罵っているヘーゲルシュタインも、そこは利害が一致して、同じ行動をとったのだ。
(俺も利用されたということか。だとしたら、少将、あなたは大した役者だ)
冷徹なノイフェルマン中将と長年同朋をやっているだけの事はある。
戦域で功を上げ、上官の出世に少なからず貢献してきた直属の部下を切り捨てるのに、いつもと変わらぬ態度で接することができるのだから。
ブラウンは戦地図の上に置いた両手をゆっくりと握り締めた。
次の戦闘に勝利できれば、プロシアは独立共和国連邦の覇者となり、名実共にヨーロッパに君臨することになるだろう。
しかし、現実にはその確率は無きに等しい。
万に一つ、共和国軍が勝ったとしても、イングランドとフランスはプロシアが共和国連邦の覇権を握ることを許さないだろう。
プロシアという防波堤は己の国土を侵略者から守る為には必要だが、これ以上力を付けられても困るというのが彼らの本音だ。
プロシアを生かさず殺さず。
それがプロシアに次いでの大国、イングランドとフランスの描く理想だからだ。
特に隣国フランスは、エンド・ウォー以後のプロシアが国家崩壊した東欧諸国を次々と併合したことに、今でもかなりの不信感を示している。
オランダ、ベルギー、スペインなどの国も然り。共和国連邦軍の戦域領が消滅しても、国土防衛が最優先の共和国連邦の権力者達の目には、もはや損失とは映らない。
その証拠に、共和国連邦の同盟軍に軍事援助の要請をうけても、どの国も財政難だ、派兵要員不足だとの言い訳ばかりで、全く動く気配がない。
プロシアだって同様だ。ロング・ウォー終戦後を睨んで動き出した軍の最高機関は、ヤガタ基地などに用はない。残った兵士共々捨て駒にするつもりだろう。
だが、突出したテクノロジーの新兵器を保有したアメリカ軍の恐ろしさを共和国の首脳陣は誰も完全には理解していない。空飛ぶドラゴンに、自国の国防軍が瞬く間に撃滅されるとは夢にも思わないだろう。
(我々、連邦軍が青の戦域で全滅するか、それとも)
別の考えが、ブラウンの脳裏を過ぎる。
(ガグル社が、重い腰を上げてくれるか)
とにかく、このヤガタ基地を、プロシアの国家権力を掌握したノイフェルマンやヘーゲルシュタインの踏み台にさせてはならない。絶対に。




