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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第二章  絶望のインターバル
53/303

クーデター


 五日目も六日目も、十日経っても議会は荒れ続けた。

 どの議員も領土分割など論外だとの一点張りで、その先に話は進まない。ハインライン政権の要職者たちは連邦軍に口を封じられているので、何も答えることが出来なかった。

 逃げの一手でその場を凌いでいる有様に、大臣たちでは話にならないと、ハインライン一人に質疑が集中した。


「ロング・ウォーで、軍事同盟軍と数多くの休戦条約を結んで来たが、今度の条件は明らかに譲歩し過ぎている。異常だ!」


 貴族議員が口々に声を荒げる。


「確かに軍事同盟から無理な条件を押し付けられて困っています。だが、我々は民主国家だ。どんなに理不尽な条件でも、ウィーン会合の最中に私の一存で一蹴する事は出来ない。だからこうしてプロシア国の連邦議会で議題に挙げて、皆さんと議論しているのです」

 

 己の言葉に虚しさが込み上がる。それでも前をしっかりと見つめながら、ハインラインは応答した。プロシアを守る為だ。そう自分に言い聞かせる。挫けるなと。


「首相、詭弁も大概にして下さいよ!あなたはロシアの要求を飲めと我々に提案しているだけじゃないか!何が議題に挙げるだ、ふざけるな!」


 怒った議員たちが一斉に喚き立てた。広い議事堂が、ハインラインを責める文句で埋め尽くされる。

 味方はいない。ハインラインは口汚い罵声を、ただその身に受けるばかりだ。


「今迄は、青の戦域内の基地で休戦決議が幾度も結ばれてきた。それなのに今回に限って、何故、ウィーンで休戦協定の会合を開いたのですか?ロング・ウォー始まって以来の国辱だ」


「国辱ではない。進展したのです。我々の美しいウィーンの街に軍事同盟軍のトップを招き入れ、ヴェルベデーレ宮殿の内外を観覧させることによって、いかに我が国が戦争を乗り越え発展しているか、彼らに知らしめることが出来た」


「進展だと!そんな馬鹿な!」

 

 深い溜め息が、議席のあちらこちらから洩れる。

 軽蔑に包まれた空気の中で息をするのがどれほど辛いか、誰にも分るまい。ハインラインは胸の中で独り言ちた。


「彼らもウィーンを見て、平和とは何かを感じた筈です。そして、軍事同盟の条件を飲めば、休戦がいつまでも続く可能性を、私は、ウォシャウスキー将軍から提示されたのです。ヨーロッパ侵攻しか頭になかった彼の心境の変化を感じませんか?」


 違う。

 何が進展だ。連邦軍がアウェイオンで大敗したからだ。

 ハイラインは危うく喉から迸りそうになる叫びを飲み込み、唇を噛み締めた。

 今、連邦軍は総崩れで軍事同盟軍に反撃する余力は残っていない。だから軍事連合軍に脅しを掛けられているのが実情だ。

 事実を伏せたまま、こんな絵空事の話をいつまでも続けているべきではない。差し迫った危機を脇に押しやって議論を続けているのは愚の骨頂だ。


「ヨーロッパに平和が訪れるのならば、大国である我が国が、率先して痛みを受け入れるべきではないかと思うのです」


 違う!違う!

 平和だと?虚言も甚だしい。

 アウェイオン敗戦の危機が、真っ先にプロシアに押し寄せようとしているのに。


(愚かなのはこの私だ)


 ハインラインの胸は恥辱で張り裂けそうだった。ヨーロッパ一の強国と言われるプロシアの首相は、国家が直面した危機に何の策もない。

たった今、口にした嘘が痛みで贖えるのならば、自分の舌を切り取ってしまいたい。


「都合の良い一人語りをいつまで続ける気ですか?」


 一人の議員が議席から突然立ち上がってハインラインに鋭い声を浴びせた。

 耳障りな喧噪が消えた。

 突然訪れた静寂に、ハインラインは僅かに身を竦ませた。議員は立ったままでハインラインを睨んでいる。ハインラインは議員に目をやった。


(…若い)


 青年といって良いくらいの顔立ちだ。青年もハインラインから視線を動かさない。彼の射貫くような瞳に、流暢に言葉を並べていたハインラインの口がぴたりと止まった。


「あんたの妄言虚語を聞かされるのにも飽きました。単刀直入に聞きますよ、首相。連邦軍はアウェイオンで敗戦したのでしょう?それも、かなりの痛手を負って。連邦軍は休戦に応じるしか道がない。だから、ロシアからポーランド併合という無茶な条件を出されても、突っ撥ねることが出来ない」


「き、君は、何を!」


 ずばりと言い当てられて、ハインラインは息を飲んだ。

 そうだ。大敗したのだ。だが、それは口が裂けても言えない。

 呼吸が荒くなり、腋下に冷たい汗が流れた。


「君は?君の名前を教えてくれ」


「エルミア・ヤノシュです。ポーランド州ゴレニュフ選出の平民議員です。以後、お見知り置きを」

 

 ヤノシュと名乗った青年はハインラインに軽く会釈をした。


「ヤノシュ君」

 

 ハインラインは軽く咳払いしてから、落ち着いた口調で話を再開した。


「連邦軍が敗戦したですと?世迷い言も甚だしい。先に休戦を持ち掛けて来たのは軍事同盟なのですよ」


「敗戦でない?」


 ヤノシュがハインラインの言葉を遮った。


「敗戦でないのなら、何故、軍事同盟軍の休戦に合意するのにポーランド全州をロシアに移譲するという話が出てくるのですか!戦争に負けていないのであれば、こんな理不尽な条件を飲むべきではない。我々にこの条件を飲めとおっしゃるあなたの真意が分からない。それならば…」


 若い平民議員は顔をくしゃりと顰めてから、不敵な笑顔をハインラインに向けた。


「綺麗ごとを並べて、我々に国土分割を認めさせようとする本当の理由をお聞きしたい」


「本当の、理由?」


(片田舎出身の無礼な平民議員め!)


 ハインラインはヤノシュの舌鋒に虚勢を剥ぎ取られないように必死で怒りを堪えながら、落ち着いた態度で聞き返した。


「それは、さっきからずっと話をしている…」


「ウィーン会合の裏で、あなたに利するような取引が、軍事同盟軍から持ち掛けられたのではないのですか?」


 思いも寄らぬ質問を叩き付けられて、ハインラインは言葉を失った。ざわめきが起きた。風向きが変わった。非難をかわすだけでは済まされなくなった。


「裏とは?取引とは?どういうことですかな」

 

 ハインラインは努めて冷静を装った。慌てた態度を少しでも見せたら、平民党の若い議員の思う壺だ。


「言葉通りですよ、首相」


 ヤノシュが口角を歪めた。怒りを帯びた表情に、憎悪が見て取れる。ハインラインは青年を改めて見回した。

 痩せた小さな身体。ぼさぼさの砂色の髪に、上等ではないスーツ。

 度の強いレンズが重いのだろう。細い鼻梁からずり落ちた丸い眼鏡が滑稽だ。

 しかし、その丸眼鏡の奥に光る鉄色の瞳から放たれる強い光は、ハインラインを真っ直ぐに見据えて離さない。

 彼が貴族に迎合するラッダイト派の裕福な平民出身でないのは明らかだった。


(これは拙い)


 ハインラインは焦った。 


「あなたの奥方の一族の領土は全てポーランド州にある。その土地を、貴族であるあなたが、軍事同盟軍に大人しく渡そうとする理由が知りたい。私には、あなたが個人的に敵と密約でも結んだ様にしか思えないのですが」


「私は、プロシアの首相だ。国家の公僕である私が、私欲に動いて敵と条約を結ぶとでも?」


「私は、そう言っているのです」


「断じてそのような事はない!!」


 ハインラインは思わず声を荒げた。

 野次を飛ばしていた議員全員が押し黙り、ハインラインに冷たい視線を注いだ。広い議事堂が疑心で満ち溢れ、重い空気がハインラインを圧迫し始めた。

 のらりくらりと議会を引き延ばすだけの戦法の筈が、自分の痛くもない腹を探られる方向に向かうとは。


「公僕ですと?我々の食糧生産地の要であるポーランドをロシアに与えよと戯言を述べるあなたの口が、何を仰る。国賊の間違いでは?」


「違う、断じて違う!わ、私は」

 

 反論する言葉が見つからない。


「違う?違うって言うのなら、やっぱり、連邦軍が軍事同盟に負けたってことじゃないですか?だからプロシアの貴重な国土を敵にぶん捕られるっていう話に…」



「その若い男をつまみ出せ」


 広い議事堂に威圧感のある声が響いた。ノイフェルマンだ。


「その男は議会を混乱させようとしている。我が軍がアウェイオンで敗戦したとの暴言は許されない。退出させろ!」


 ノイフェルマンの命令で、議事堂の扉が大きく開いた。室内に入って来た兵士が二人、素早くヤノシュの両側に立って、その腕を左右からがっしりと掴んだ。


「何をする!俺はプロシアの連邦議員だぞ!議会の質疑応答中に、こんな暴挙があっていいのか!?軍の介入など、甚だしい越権行為だ!」


 ヤノシュは叫びながら足をばたつかせた。激しく暴れる男を、上背のある兵士が事もなげに押さえつける。屈強な兵士に両脇から軽々と貧弱な身体を持ち上げられたヤノシュが、抵抗虚しく扉の外へと消えていった。

 あっという間の出来事だった。

 ハインラインは放心したまま、ヤノシュが強制的に退席させられるのを呆然と眺めていた。

 突然の出来事にざわついていた他の議員が次第に大人しく口を閉ざしていく。

 怖いもの知らずの若い平民議員が核心を突いてしまった事に、今更ながら気付いて恐れをなしたらしい。

 

(いや、違う)


 ハインラインは小さく(かぶり)を振った。

 そうじゃない。ここにいる議員は全容を熟知している。連邦軍がロング・ウォーで負けたことを。敗戦国の宿命として、自国の領土が敵国に削り取られてしまう事を。

 知っていて、アウェイオン敗退の責任を誰も軍に追求することも出来ずに、恐怖と怒りをハインラインにぶつけるだけの不毛なやり取りを延々と繰り返しているのだ。

 連邦議会の最上席に居並ぶ高級将校を面罵する勇気など、この議場の席に座る人間にある筈もない。非力な議員は、非力な首相に非難の矛先を向けることしかできない。


(それはそうだ。ここにいる政治家全員、軍人が怖いからな)


 滑稽だ。ハインラインは掌で顔を覆った。自分も、議員も、この議会も。


(私の、この国に尽くす政治家としての、真意はどこにある?)


 これ以上の欺瞞はご免だ。ハインラインはノイフェルマンを見た。視線がぶつかり合った。赤毛の男の鷲のように鋭い目がハインラインを瞠目して離さない。


「ノイフェルマン中将。議事堂から追い出したヤノシュ議員を戻して頂きたい。軍が関与した連邦議会の強制退出は、彼の言う通り、明らかに越権行為だ」


「私に命令するのかね?首相。議会を混乱させるような戯言を吐く、あの無礼な田舎者の若輩議員に、さっきの質疑応答を続けさせろと?」


「そうです」

 

 ハインラインはノイフェルマンに向かって叫んだ。


「プロシアは民主国家だ。国を代表する議員の質問に答える義務が、私にはある」


「義務だって?」


 ノイフェルマンが眉を吊り上げた。威圧感が増して、ハインラインは恐怖で息が詰まった。


「では責任と言い換えましょうか?貴方に議会の進行を止める権限はない」


「そうかね」


 ノイフェルマンは恐ろしいくらいに歯を剥き出して笑った。


「それで君は、我々の前で、あの生意気な若造と一体何を語り合おうと言うんだね?」


「何をって、それは…」


 ハインラインは唇を強く噛み締めた。恨めし気に自分を睨み付けるハインラインの表情を、ノイフェルマンは満足そうに眺めている。


(もう限界だ)


 ハインラインはノイフェルマンを睨み続けながら、一つの言葉を口にした。


真実(ヴァールハイト)、を」


「真実か。ふむ」


 ノイフェルマンが頷いた


「そろそろ、潮時のようだ」


 唐突とも思える言葉がノイフェルマンから出て来た。


「しおどき、とは?」


 意味が分からず、ハインラインは思わずその言葉を反芻した。


「君が首相の座にいることが、だよ。エーベルト・フォン・ハインライン」


 ノイフェルマンは両眼を鋭く光らせて、残忍な笑みを唇に浮かべた。


「休戦協定を結ぶのに、一方的に領土分割を迫る軍事同盟の言いなりになっている君に、これ以上プロシア国の舵取りを任せておけない。国益を損なう議会運営をされては、国が混乱するばかりだ」


(何を言っているのだ、この男は)


 ハインラインは動揺して目を激しく瞬かせた。


「それは、この議会の進行は、軍が、あなた方が望んだ通りの筋書きではなかったの、か」

 

 ハインラインの掠れた声は、ノイフェルマンの呼号に飲み込まれて虚しく掻き消えた。


「もっと能力のある者にその地位を譲るべきですな、首相。例えば、彼のような男に」

 

 ノイフェルマンは自分の隣に座っている軍人の男の背を押した。男は立ち上がり、ハインラインに軽く敬礼をした。その男はハインラインも知っていた。一にも二にも、ノイフェルマンの命令に従う人間だ。殺人も厭わないくらいに。


「中将、貴方は、自分が何を言っているのか、お分かりになっているのですか?」


「勿論だ」

 

 ノイフェルマンは頭をゆっくりと右から左へと移動させた。


「よく、分かっている」


 ノイフェルマンの視線の先を追って、ハインラインは議事堂を見渡した。呼吸が荒くなり、冷たい汗が全身から噴き出す。


 いつの間にか、議事堂の要所要所に、兵士の姿があった。

 その手にはライフル銃が握られている。誰かの息を飲む微かな音が、ハインラインの耳の奥に響いた。議員席に身を固くして座っている政治家たちは貝のように口を閉じて、怯えた視線を泳がせながら、成り行きを見守っている。

恐怖に支配された空気の中、言葉を失ったハインラインを含め、誰もがノイフェルマンの次の言葉を待っていた。


「エーベルト・フォン・ハインライン。我々軍部は、君から首相の地位を剥奪する。これは、クーデターだ」 



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