恋する兵器
キャサリンは自分が生まれた場所を知らない。
父も母も覚えていない。育った環境も、通った学校、友人も。
自分がどんな人間だったのかも。
目覚める前の記憶は全てなくなっていた。市街戦に巻き込まれ、大怪我を負った後遺症だと医師からは説明された。
キャサリンの脳波のデータを取っている研究員から教えて貰ったのは、二つ。
年齢は十八。それと、手足を失った身体でアメリカ大陸からヨーロッパの山奥に輸送されたということ。それだけがキャサリンに残された過去だった。
だけど、自分はマクドナルドと同じアメリカ人で、最初は協力的だったヨーロッパの国々が、今はアメリカ軍の宿敵だという現状は十分に理解している。
彼らの軍隊、共和国連邦軍と戦う為に、キャサリンは冷凍保存の眠りから解き放たれたという事も。
人工冬眠から一緒に覚醒した七人の兵士と一緒に、キャシーは訓練を受け続けた。
訓練は言葉に表せないほど過酷だった。脳内アームを思うように動かせない仲間が一人、また一人と練習場から姿を消していった。
彼らは生きてはいないだろう。
武器として使い物にならない手足の無い人間を、軍が生かしておく理由があるだろうか。
たった一人になった時、キャサリンは泣いた。
遅かれ早かれ、自分も死ぬのだ。
絶望し、打ちひしがれているキャサリンの頬を伝う涙を拭ってくれたのは、マイク・マクドナルド大佐だった。
キャサリンはそのあとに起こった奇跡を思い起こすと、歓喜に身を震わせた。
一人で泣いている憐れなキャサリンに、彼は自分の故郷の話をしてくれた。
広い大地。どこまでも広がるトウモロコシ畑。そして、美しい馬の話を。
馬の名はレイバントといった。
<レイバント。何て素晴らしい響きでしょう!>
キャサリンは涙で濡れた瞳を見開いて、マクドナルドを見つめた。
<私もその馬を見てみたい。どうか見せて下さい。マクドナルド大佐、あなたもレイバントの走る姿を見たいでしょう?あなたの脳内にある馬の記憶のほんの一部を取り出して私の脳に移植すればいい。改造された私の脳で映像化して見せます。あなたの目の前にレイバントが甦るの!>
最後は叫び声に近かった。
マクドナルドの口が半開きになった。キャサリンの突拍子もない話に驚き呆れかえったのだろう。半球のレーザースコープを両眼に装着したサイボーグの恐ろしい顔が、間が抜けたように見える。
<お願い。お願い!>
縋りつく腕がないキャサリンは、ただマクドナルド大佐の顔を車椅子から目を逸らさずに見上げて、頼み込むしかなかった。
<分かった>
そう言って大佐が頷いてくれた時は、飛び上がるほど嬉しかった。
キャサリンにマクドナルドの脳一部を移植することに、キャサリンの主治医は難色を示して取り合おうとしなかった。キャサリンの脳に負荷がかかり過ぎるというのが理由だった。
必死で訴えるキャサリンに同情してか、傍で二人のやり取りを聞いていたララ・メイという外科医が、自分が手術をすると請け負ってくれた。
大丈夫、簡単な手術よ。
ララは美しい紫色の瞳でキャサリンにウインクした。
後で聞いた話だと、彼女だから可能な手術だと聞いた。外科手術の技能はガグル社一の天才だからだと。
キャサリンの脳に移植されたマクドナルドの記憶がホログラムで映像化された。
レイバントの駆ける姿はたった五秒だった。
それでも、漆黒の毛並みが光る馬の躍動は息を飲むほど美しかった。
大地を掛ける漆黒の馬。その背中に誰か乗っている。
<父だ。マクドナルドの声が震えた。私の父、ロイ・マクドナルドだよ>
場面が変わった。レイバントとロイがこちらを見ている。瞬きすらない、ほんの一瞬の画像。それも画が小さくて表情までは分からない。
キャサリンは画像を戻して、ロイに焦点を当てアップする。くたびれた中年の男の顔が大きく映し出された。
目を細め、何か一点を凝視するその表情が、ありったけの慈しみと悲しみを浮かべている。
その目が語る言葉は、一つしかない。
<父さん>
マクドナルドが喉を震わせ唇に刻む言葉を、キャサリンは静かに見つめていた。
<ああ。父さん。父さん、愛している。僕もあなたを愛していたよ>
サイボーグになったマクドナルドの人工眼からは涙は出ない。それでもキャサリンには彼が泣いているのが分かった。
<これは、この映像は、2065年の、エンド・ウォーが起こる十年前の記憶なんだ>
嗚咽を漏らしそうになるのを堪えながら、マクドナルドが潤んだ声で囁くようにキャサリンに説明する。
父との最後の記憶だと。自分の脳に、こんなに鮮明に残っているなんて思いもしなかったと。
<それはあなたが、あなたの脳が、お父さんのことを決して忘れまいと記憶の奥深くに焼き付けたからですわ>
冷静な口調とは裏腹に、キャサリンは不安に襲われていた。
自分が余計な事をしたのではないか。マクドナルドが誰にも見せたくなかった記憶を、自分の脳に植え付けてしまったのではないかと。
額にキスされて、それが杞憂だったことを知った。
<ありがとう。君は私のかけがえのない宝物を掘り起こしてくれた。お礼に何か出来ることはないか。何でもいい。言ってくれ>
キャサリンの頬をマクドナルドの機械の義手が優しく包んだ。そんな風に触ってもらえるのは、初めての体験だった。
<私と結婚してください。マイク・マクドナルド大佐。私には、あなたが必要です。私の愛情を受け取って下さい>
自分でも信じられない言葉が口から溢れ出た。言葉にしてから、それが、キャサリンが唯一渇望するものだと気が付いた。
<いいのかな、お嬢さん。君はまだ十八才だろう?私は君より一回りは年上だよ?>
マクドナルドが笑った。楽しそうに、嬉しそうに。その声は誰よりも人間らしかった。
<構いません。私もあなたも、見た目は、年齢不詳でしょう?>
キャサリンはマクドナルドの突き出た義眼から目を逸らさずに必死で訴えた。
<私はとても醜い。冷凍保存の副作用で十八とは思えないくらい肌は皺だらけだし、頭には髪の代わりに電極のチューブを垂らしている。こんな不格好な女の子なんてどこにもいやしない!それでも、お願い。貴方と結婚できるなら、エンゲージリングも何もいらない。だってもう、一番大切なものを頂いているから>
キャサリンは勇気を出して一言一言を口から絞り出した。
<君は美しいよ。キャサリン、君は世界一綺麗な女性だ。貴女のような女性を妻に出来るとは、私は果報者だね>
マクドナルドは車椅子ごとキャサリンを抱き締めて、その唇にそっと口付けた。
だから。
だから、私は、世界で一番愛する人の為に戦うの。
キャサリンはマクドナルドの飛び出た眼球を見つめながら不敵な笑みを浮かべた。
「任せて頂戴。私は今、ドローン戦闘機を手足のように動かせるのよ。いいえ、手足以上だわ。それで連邦軍の新型兵器を全部やっつけてやる」
「勇ましい奥さん。期待してるよ。スイートハート」
「ダーリン、あなたさえいれば、私は何処にだって飛べるのよ」
天国にも、地獄にも。




