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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第二章  絶望のインターバル
49/303

ラッキーガール ※




 果てしない荒地は所々が砂地で草木一本生えていない。巨大な空間に広がる荒涼とした映像は、本物と区別がつかない緻密さだった。

 キャタピラから砂土を噴き上げながら目の前に迫ってくる複数の戦車の立体映像は、かなりリアルだ。

 空中にふわりと機体を持ち上げて戦車の装甲を狙う。相手に攻撃される前に敵を破壊するのは、今のキャサリンには簡単な作業になっていた。

 とにかく最初は大変だった。固定した的に拳銃の弾丸を打ち込むことから始まったトレーニングは、全てがバーチャルで行われるのだから。

 銃を扱うのはキャサリンの手ではない。脳だ。

 仮想空間に浮かぶ銃の映像の引き金に、これまた映像の指を掛けて、キャサリンは撃つぞと頭で念じる。実際の動作ではなく、あくまでも頭の中での行為だ。

 自分の脳から直接手が生えて、それを動かす感覚が当たり前になるまで、どれだけ苦労したことか。

 上手に銃弾を当てられるようになると、次は右から左へとスライドする的に変わった。

 訓練の末、百発百中の腕になった途端、また難易度が上がった。

 バーチャル銃の銃口を右から左、左から右、そして上から下へと振り回す。

 最後には三百六十度回転させながら弾を連射し、不規則に動く的の中心にまで打ち抜いた。

 どのくらいの時間を費やしたのか、キャサリンは覚えてない。

 同じ訓練を受けていた仲間は、一人、また一人と姿を消して、今ではキャサリンだけになっていた。

 バーチャル空間で銃が上手く扱えるようになると、本物の銃で現実の的に銃弾を撃ち込む練習に切り替わった。

 脳から銃に電気信号を送り、シューティングを繰り返す。実物の銃はバーチャルの銃と違って操縦が難しい。朝から晩まで練習を繰り返した。

 果てしない努力の結果、戦車の大型砲弾も自由自在に撃てるようになった。

 疲労困憊し、血圧が急上昇して鼻血が頻繁に出た時もある。МRI画像で脳を調べると、ごく僅かだが内出血の後が見られたと医師に伝えられた。文字通り、血が滲んだわけだ。

 思いのままに銃火器を扱えるようになると、今度は空中からの機関砲やミサイルを発射する作業に移った。

 兵器を搭載したドローン戦闘機を飛ばし、映像に移る敵の戦車や重機関銃、兵士に照準を当て、模擬弾の詰まった機関砲を発射する。

 映像の戦車の鋼板を撃ち抜けば、赤い煙が出て破壊したことをキャサリンに知らせる仕組みになっている。外れれば白煙が上がり、自分の操縦するドローンが撃たれれば、黄色い煙が噴き出す。

 ドローンを飛行させる訓練を行うようになってから、キャサリンはいつも軽い眩暈に襲われた。

 眩暈が酷いと吐き気も起こる。キャサリンはそのことに人知れず悩んでいた。


(だけど、誰にも言わない。身体の不調を知られたくないから)





 永い眠りから目が覚めた時、キャサリンは両腕と両足を付け根から失っていることに気が付いた。

 戦闘に巻き込まれたからだと、キャサリンは医師から説明された。命に係わる大怪我をして、人工冬眠で命を繋いで来たのだと。


「君は手足を失ったが、決して不運とは言えない」

 

 医者は神妙な顔で言った。


「祖国を脱出できずに火の海の中で死んでいった大勢の同胞を思えば、キャサリン、君はとんでもないラッキーガールだ」


 確かに、生きたまま地獄のような大火に焼かれることを思えば、両手両足を失うくらいで済んだのは、運が良い方かも知れない。

 そう自分に言い聞かせて、キャサリンはベッドにごろんと横たわって日々を過ごしている。

 百五十年もの間、生命装置の中で生かされていたことに感謝して。

 ベッドから起こされて車椅子に固定されるのは、食事を取る時と射撃練習の時間だけだ。

 ドローンを操縦する時に必ず起きる浮遊感には、いつまで経っても慣れなかった。自分の手足の無い身体の状態を正確に認識している脳が、本能的に恐怖するからなのだとキャサリンは考えている。

 脳内アームというバーチャル空間だけで動かせる手で、実物の兵器を操縦するのはかなり難しい作業だった。空中に浮くドローンを墜落させないようにする為には、桁外れの集中力が必要になるからだ。

 それに、小さな異常を訴えたところで身体的機能障害からの副作用だとか、単なる脳性疲労とか、心配な表情一つ浮かべようとしない医師や研究者に言われるのが嫌だった。

 素早く的確に相手を倒せば、この苦手な感覚から短時間で逃れられる。

 攻撃。攻撃。そして破壊。

 眩暈を堪えて、ドローンを宙に回転させながら、キャサリンは映像の戦車を紅煙で染め上げた。

挿絵(By みてみん)



「素晴らしい、パーフェクトだ。また腕が上がったね、キャシー」


 後ろからの声に、キャサリンは宙に浮くドローンを床に着陸させて、車椅子を回転させた。


「マイク!」


 キャサリンはゆっくりと瞬きをした。

 目を閉じると、脳内で理想化された自分の姿がいつものように動き出した。

 栗色の長髪を風に泳がせた空色の瞳の美しい少女はキャサリンだ。

 長い足で地面を蹴って、すらりとした美しい姿態をマクドナルドに飛びつかせる。マクドナルドの長身で鍛え抜かれた逞しい腕がキャサリンを難なく受け止める。

 艶のある美しい黒髪。ブルーグレイの瞳。粗削りに見える顔立ちだが、よく観察すれば鼻梁や顎が繊細な線で覆われている。女性なら誰もが放っておかないナイスガイだ。

 その太い首に自分の細い両腕を優しく絡め、愛しい夫の唇に自分のそれを重ね合わせる。

 瞼を持ち上げると、美男美女の抱擁は一瞬で消えた。

 現実のキャサリンは、頭蓋骨の天辺を切り取られ脳に埋め込まれた電極の束を垂らした髪のない頭と胴体だけの身体だ。

 目の前にいるマクドナルドは、辛うじて人間のものと分かる頭部を機械の身体に装着したサイボーグで、その恐ろしい風貌は安易に人を寄せ付けない。

 それでも、キャサリンには目を閉じた時の二人が本当の姿だった。

 マクドナルドの姿は過去の写真から寸分違わず脳内で映像化したものだし、自分の顔の造作とスタイルは美化はしているが、眉毛の色から自分の髪が栗色だったと分かる。

 そして、空色の瞳は本物なのだから。

 車椅子に固定されて、眼球だけしか動かせないキャサリンに覆いかぶさるように屈みこんで、マクドナルドは妻の唇にそっとキスを落とした。


「無事で良かった。ニドホグは連れ戻せたの?」


「ああ」


 マクドナルドが頷いた。


「ミッションは成功だ」


「あなた一人でヤガタ基地に乗り込むと聞いて、生きた心地がしなかったわ」

 キャサリンの声が小さく震えた。涙声だ。自分がどれだけ心配していたか、愛しい夫に伝わるだろうか。


「あのくらい、どうってことないさ。連邦軍の奴ら、まんまと私の口車に乗ったよ。すぐ後で暫定停戦になったから、連中、それは悔しがったろうな」


 ははっと声を立ててマクドナルドが笑った。


「だが、連邦軍の新型兵器は要注意だ」


「新型兵器?」


「そうだ。ニドホグを撃墜したロボットスーツだ。一体は確認済みだった。だが、まさか、あんな強力な兵器がその後六体も開発されていたとはな。情報収集を怠っていた」


 マクドナルドは口を一文字に引き結んだ。夫の唯一感情が現れる場所を、キャサリンは瞬きもせずに仰ぎ見た。


「連邦軍の新兵器は、随分と高性能なのね」


「二足走行兵器があっという間に破壊された。スピードが違い過ぎる。あれは厄介だ」

 

 かなり俊敏に動く兵器らしい。だけど、自分の操縦するドローン戦闘機だって高速度で飛ぶ。それも自由自在に空中を移動して。ドラゴンのように大きくはないが、自律型ミサイルを満載すれば破壊力だって十分だ。


「停戦はいつまで続くのかしら?」


「ニドホグの修理が終われば、すぐに解除される。その為の一時停戦だ」


「そう。だったら、私の出番もあるのね」


 キャサリンの声が嬉し気に跳ね上がった。


「これだけ訓練して来たんだもの。連邦軍の新型兵器を叩きのめすのなんて、造作もない事だわ」


「そうだね、キャシー。勇ましいお姫様。期待しているよ。次の戦いで、君のその力で敵軍を殲滅させてくれ。ロング・ウォーの決着が付くだろう。ガグル社の連中から我々の技術を奪い返す機会がやっと訪れるんだ。そうしたら…」


 そうしたら…。

 マクドナルドの唇の動きがそこで止まった。

 キャサリンには分かる。マイクの、自分の夫の口から放たれなかった言葉が。

 キャサリンはその言葉を心の中で撫でるように反芻した。


 そうしたら、我々は、故郷に帰れる。


 彼の故郷。マイク・マクドナルドの生まれた国、アメリカへ。


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