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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第二章  絶望のインターバル
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故郷



「海軍士官学校に入学するだと?」


 マイクの言葉を聞いたロイが、愛馬に鞍を掛ける手を止めた。

 大袈裟に眉をはね上げて、額に幾筋もの皺を作る。馬から息子に向き直った顔は長年太陽に晒されて染みだらけだ。若い頃は盛大に渦巻いていた輝くブロンドも年と共に薄くなり、艶のない白髪が増えてきた。

 だらしなく開いた父親の口元を眺めて、本気で驚いているのだとマイクは思った。

 自分が父親の顔をこれだけ長い時間眺めるのも久しぶりだ。互いの目を見つめ合ってから、父親の青い目が先にマイクの青灰色の瞳から外された。


「そうか。そりゃあ、凄いな。海なんか見たこともないお前が、海兵隊希望とは」


「見たことあるよ」

 

 マイクは笑いながら言った。


「子供の頃に一度だけ。母さんに会いに行ったとき。デートナ・ビーチを案内してもらった」


「ああ、そうか。あの女の生まれ育ったのは、海に近い場所だったな。それでこの、退屈極まりないオクラホマの土地には向かなかったってことで、お前を生んで二年で逃げ出したっていうのが、二十年前の話だ」


 父親の愛馬、レイバントが、ブルルッと口元を震わせた。

 丁寧にブラシを掛けられた黒いサラブレッドの毛は艶やかで、とても美しい。その色はマイクの髪の色と同じで、癖のないマイクの髪質と色は、母親から受け継いだものだった。


「兄ちゃん、おかえり!」


 家から飛び出してきた弟がマイクに飛びついてきた。

 年の離れた弟は父親そっくりの癖毛のブロンドとブルーアイだ。母親も同じ髪と瞳の色だから、厳密にはどっちに似たのか分からないが。太っているのは、母親の家系からの遺伝で間違いなかった。

 マイクは、居間に飾ってある写真を脳裏に浮かべた。

 十年前に再婚したマイクの父親。ロイ・マクドナルドと、歳の食った初婚の花嫁、その家族が勢ぞろいしている記念写真だ。

 豪華なフリルのドレスで太った身体を倍に膨らませた花嫁。その兄弟と妹。両親。叔父や叔母。祖父母。全員が金髪、赤ら顔で、肉付きの良い身体をしている。

 背が高く、肩幅の広い父親の隣に不安げな表情で寄り添う痩せっぽちの黒髪の少年がマイクだ。

 あの写真がリビングに飾られてから、マイクはずっと己に言い聞かせてきた。

 自分はこの家では異分子になったのだと。


「まあ、頑張れよ。軍隊の特訓っていうのは、ほら、あれだ。しごきが半端じゃなく凄いんだろ?泣いて帰ってくるんじゃないぞ」

 

 ロイは再び馬の鞍を点検し始めた。愛馬に向けられたその目はもうマイクを見ようともしない。腰にしがみ付く弟を優しく離し、マイクは背中のバックパックを揺すり上げた。


「じゃあ、俺は、行くから」


 ロイはレイバントの方を向いたまま、無言で馬を撫でていた。

 長年の農作業で節くれだった大きな手で、優しく馬を撫でている。


「ロイ、お茶の時間よ。ハントは?あの子が何処にいるか知らない?」

 

 玄関から姿を現した中年の女性が自分の名を呼ぶ大きな声を聞いて、マイクの傍にいた弟が自分の母親の元へと弾けるように走り出す。


「家に入って頂戴。クッキーが焼けたわよ。マイクも一緒にどうぞ」


「すいません。時間がないので、次の機会に」


 家から出て来た義理の母親に手を上げて挨拶すると、マイクは踵を返した。

 次の機会が訪れることは二度とない。

 四年前、奨学金を貰って州立大に進学した。年に一回、クリスマスには義理で帰郷していたが、それも今日が最後だ。

 この家に残しておきたくない数少ない思い出の品は、全て背中のバックパックに入れた。


 乗って来た年代もののハーレーに跨るとエンジンを掛け、グリップを回して派手な排気音を立てた。

 乾燥した空気に爆音が響く。家の敷地から一本線の道路にハーレーを乗り入れて、マイクはバイクのスピードを上げた。

 刈入れが終わって久しい広大な畑がどこまでも続く。トウモロコシに栄養を吸いつくされた畑の土は再び春に甦る為に、冬は死んだように眠るのだ。


(故郷も今日で見納めだ)


 運転するハーレーから後ろを振り向くと、ロイがいつの間にかレイバントに跨り、マイクに自分と馬の顔を向けていた。

 馬はその場に佇んで、優雅に尻尾を振っている。

 黒い馬。引き締まった体を持つ、美しいサラブレッド。

 高速で後ろに流れていく広大で単調な景色に埋もれて、父と馬はすぐに見えなくなった。

 馬。美しい、黒い馬。レイバント。優しく、愛おしげに撫でる父の手。


(レイチェル…)


 一年前、マイクの母は、愛してやまない故郷フロリダの海の見える自宅で病死した。

 その瞬間、マイクは思いもよらぬ感情に身を貫かれた

 この場所には、二度とは帰らない。

 その決心が揺らいだ。いつかは故郷に戻って、ロイに心の内を聞いてみようと思った。

 母の思い出を。父の、本当の想いを。


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