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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第二章  絶望のインターバル
46/303

戦闘訓練・1


「い、痛てってててっ!」


 自分に向かって振り上げられた足を避けようとして、身を屈めた。そこを狙い撃ちされたかのように、リンダの踵落としがケイの左肩に見事に決まった。

 ケイが前のめりに倒れて床に額を打ちつける前に、リンダはケイの身体から素早く足を跳ね上げて、その肩から踵を外した。肩に受けた激痛に耐え切れず、ケイは背中を丸め、両膝を床に落として(うずくま)った。


「大丈夫、ケイ?」


「は、はい、大丈夫です」


「ごめんなさいね、病み上がりなのに」


 リンダは肩で荒々しく息をするケイの背中に手を添えて、その身体を優しく起こした。

 チームαの特別訓練と聞いた時には、すぐにでもフェンリルに搭乗するのかと思っていた。まさか、こんな派手な対人戦闘術を初っ端から仕掛けられるとは。


「何が病み上がりだっ!あの野郎、わざと弱ったふりをして、リンダさんに甘えているだけじゃないか!」


 リンダに助け起こされるケイの姿に、ダンがこめかみに青筋を立ててぎりぎりと音を立てて歯ぎしりしながら、握り拳を震わせる。


「別にコストナーの肩を持つわけじゃないけどさ、昨日まで病室のベッドで点滴打っていたんだから、調子悪くても仕方ないじゃん」


「何だとっ。エマ、お前もあいつの味方かよ?」

 

 眼を剥いて食ってかかるダンの後ろに、いつの間にかビルが鬼の形相で立っていた。


「こら、お前ら、何を無駄話してるんだ!手を抜くな!」

 ビルの叱責が飛んだ。仁王立ちした巨体が割れ声で怒鳴る姿に、エマとダンが震え上がる。


「あんたのつまらないお喋りのせいで、私まで伍長に怒られちゃったじゃないの!」


 盛大に舌打ちしたエマが、身を低く落として床に両手を突いた。全身を捻じり、揃えた両足で弧を描く鋭い足技で、ダンの上半身を狙う。


「リンダさんとケイの格闘に気を取られたのは、そっちが先だろ?」


 僅かに後ろに身を引いたビルの顎のすぐ下を、エマの爪先が掠めていった。

 エマのキックをかわしたダンが反撃に出る。攻撃を封じ込めようと、体勢を低く保っているエマに飛びつき、背中から抑え込む。

 ダンの身体を振り払おうと、エマが肘でダンの鳩尾を狙う。その肘を捻じり上げて床に叩き付けようと、ダンが腕を伸ばした瞬間、エマの身体が空中に跳ねて、ダンの顔の側面に膝頭をめり込ませた。


「うっ、ぐ!」


 鈍い音を立てて、ダンの身体が真横に吹っ飛んだ。すぐさま起き上がったダンの鼻から血が滲んでいる。


「ダン、あんた今、手加減したでしょう?だからそんなに痛い目に遭うのよ」


 高笑いするエマに、ダンが真っ赤になって捨て台詞を吐いた。


「そうだよ、くそっ。お前が口の悪いお転婆猫だからって、一応女の形をしているからな!」


 悪態が終わらないうちに、エマが鬼のような形相をしてダンに襲い掛かっていく。


「あの二人、いつにも増して激しい格闘してるわねぇ」


 リンダがニコニコしながら、ダンとエマの取っ組み合いを眺めている。エマの鋭いキックとパンチに押されて、ダンの身体がじりじりと後退していく。


「ヤコブソン二等兵、あんなに華奢な身体なのに、ダンを圧倒している」


「どうなんだろう」

 

 リンダが小首を傾げて、大きな瞳をくるくると動かした。


「彼が準貴族出身のお嬢様にどれだけ本気を出しているか、私には分からないから」


「ええっ!」


 リンダの言葉をケイは驚いて反芻した。


「エマが、準貴族の、お嬢様!?」 


「そう。だから、身分に遠慮してダンが大技を仕掛けてこないのが、エマにはとっても歯痒いんでしょうね。彼女は自分を生体スーツのパイロットを務める兵士として扱ってほしいのよ」

 

 少し困ったように眉尻を下げるリンダに、ケイは激しく同意した。


(ダン・コックス。お前、ホントに、人の気持ちを理解しない奴なんだな)


 喧嘩にしか見えない二人から少し離れた場所では、ジャックとハナの格闘戦が披露されていた。


 見事な手技と足技が、静かに空を切る。突き出した二人の手足が瞬きするよりも早く、元の場所に収まっている。

 頭と身体に防具を装着していても、あのパワーとスピードで繰り出す技が相手の急所をダイレクトに捕らえたら、致命的なダメージを受けるのは必至だ。それを表情一つ変えずに互いの攻撃を紙一重で避けていく。

 そのしなやかな動きは、まるで古式ゆかしい舞踊のようだ。


「すっげえ」

 

 思わず口から出た言葉を聞きつけて、リンダがケイに、くるりと大きな瞳を向けた。


「驚いた?歩兵だって対人格闘戦の練習はするでしょう?」


 生体スーツのインナーに装着されているプロテクターは驚くほど薄くて、体形が意外と露わになる。リンダの魅惑的な曲線に見惚れてたケイは、慌てて目を逸らした。


「はい。でも、機関銃の台座を使った対面格闘がメインですから、全然違います」


 ただの歩兵が青の戦域の平地で機関銃を撃てないくらいの近距離で敵と戦うなど、全くの想定外だ。だからあまり熱の入った練習はしていない。


「生体スーツの人工脳と同期(シンクロ)するのは、普通では考えられないくらいの脳性疲労を伴うの。でも、戦闘中は、疲れたから休みますなんて、言ってられないでしょう?長時間生体スーツで戦い続けるには、自分の体力で自分の脳の疲労を補う他ないのよ」


「だから、無駄な動きで余分な体力を消耗する訳にはいかない。それに身体の動きは、スーツにも連動するからな。攻撃力を上げる為にも対人格闘戦は重要だ」


 近寄って来たビルが、大きな手でケイの肩を掴んだ。その握力の強さに、ケイの身体がびくりと竦んだ。


(そういえば…)


 この人の生体スーツは熊だった。即座にケイは思い出した。


「リンダに蹴りを入れられたくらいで、生体スーツのパイロットがそんな情けない声を上げてちゃ困るんだ。コストナー、今度は俺が相手をしてやろう」


「えぇっ!!」


 伍長との対人格闘って!ケイは恐怖に顔を歪めてビルを見上げた。

 筋骨隆々とした体格。身長はケイより三十センチは高い。自分のものとは比べ物にならないリーチの差を考えれば、ケイの拳はビルには絶対届かない。それに伍長のみっしりと筋肉の付いた長い足で蹴られたら、自分の身体は何処まで吹っ飛ぶのか。

 生体スーツに搭乗する為の訓練を嫌だといって逃げる訳にはいかない。ぼこぼこにやられる自分の姿を想像し、ケイは一瞬涙目になった。


「は、はい!宜しくお願いしますっ」


 泣きそうな表情を左右に大きく一振りし、どうにか元の状態に戻してから、ケイはビルに一礼した。


「よし」


 頷いて、ビルはケイの肩から手を放した。

 数歩下がって距離を置き、胸の前に拳を作って攻撃の構えを取る。ケイも後ろに下がって攻撃体勢を整えた。


「いくぞ!」


 掛け声と同時に、ビルがケイに容赦ない回し蹴りを見舞う。

 先程リンダに踵を叩きこまれた同じ場所にビルの大きな足が襲い掛かってくるのを、ケイはプロテクターが装着してある両腕で必死に受け止めた。

肩への攻撃は防げたが、巨体のビルが回転を掛けた足蹴りは重く、破壊力充分だ。足蹴りの攻撃を直接受けたケイの腕の骨が悲鳴を上げた。

 痛みを堪えてビルの足をどかそうと腕を跳ね上げると、僅かに体勢が崩れた。ガードが開いたケイの腹目掛けてビルの拳が間髪入れずに打ち込まれる。今度は避ける間もなく見事にヒットした。


「うっ」 


 激痛に息を詰まらせたケイは、がくがくと両膝を震わせて床にへたり込んだ。

 ぽたぽたと床に落ちる透明な液体は自分の汗だ。プロテクターを付けていてこの有様だ。無ければ内臓が破裂しているのだろう。


「おい、もう降参か?」


 痛みで捩れる腹を抑えながら、声の主を仰ぎ見れば、身長二メートル近いビルが怖い顔で、ケイを上から覗き込むように睨んでいる。


「い、え…ま、まだ、です!」

 

 ケイは必死で声を絞り出した。蹴りを一発食らったくらいで降参とは。ここにいるチームαの皆に笑われてしまう。


「ならば、早く立て。立って体勢を整えろ。そのくらいは待ってやる」


 うう、と呻きながら立ち上がるケイを、ビルはじっと見つめた。

 足元が見事にふらついている。必死で息を整えようと、肩で荒い息を繰り返す。

 痛みで噴出した汗で顔を濡らしながらギラリと光る両の目が、まだ闘争心を失っていないと告げている。

 ふう、と息を吐いて呼吸を整えてから頭を低く保ち拳を前方に突き出した基本的な構えが、ようやくビルに向けられた。


(ふむ…)

 

 ビルは無防備に左腕を垂らしたまま、右手の指を揃えてケイから攻撃を仕掛けるように合図した。表情を引き締め、瞳を鋭く変化させたケイがビルにパンチを繰り出した。

 的確に打ち込んでくるのは兵科で一年みっちり仕込まれたからだろうし、まじめに訓練を受けて来た成果であろう。基本は出来ている。だが。

 ケイの拙い格闘技を軽くいなす度に、ビルの胸裏が疑問符で溢れ返る。


(何故、こいつなんだ?)

 

 自分に向かって必死で手足を振り回しているケイ・コストナーは、どこを取っても普通の少年だ。アウェイオンでドラゴンの直接攻撃を受けながら、奇跡的に生き残った十六才の新米歩兵。

 ボリス大尉がケイを無理矢理フェンリルに搭乗させ出撃させた時、ビルはヤガタはもう終わりだと、誰にも気付かれない様に胸の上で十字を切った。

 全く期待していなかったケイの奮闘は素晴らしく、ドラゴンを空から叩き落した。

 確かにあれは凄かった。誰もが想像出来ない快挙をケイは成し遂げた。

 だがそれは、冷静に考えてみれば、アシュルが生きていてフェンリルに搭乗していればケイ以上に戦果を出したという事だ。

 あの狂った狼が、同期した兵士の脳を浸食し、破壊するような恐ろしい行動を取らなければ。

 自分よりも身体能力が高かったアシュルが、フェンリルにうまく同期出来て搭乗していたなら。

 アウェイオンでの戦いで、軍事同盟軍に大躍進され、ヤガタまで追い詰められた連邦軍が、生体スーツを纏った自分たちが、戦局を逆転することは十分に可能だった。

 生体スーツの人工脳と人間の脳が同期(シンクロ)する原理など、ビルにはさっぱり分からない。ダガーを差し置いて、ケイのような平凡な新兵がフェンリルを纏って戦うなど、もっと理解不能だ。


(しかし、フェンリルを装着した兵士は、どうなった?)


 フェンリルに搭乗するべく選ばれし兵士達は皆、連邦軍屈指の身体能力の持ち主で、心身ともに屈強な兵士ばかりではなかったか。

 なのに、その兵士達は尽くフェンリルに脳を喰われた。この少年、ケイ・コストナーだけが、脳のどこにも損傷もなく生還した。


(奇跡なのか?それとも、フェンリルがこいつを選んだってことなのか?)


 一年。ケイ・コストナーの、兵としての訓練を受けた期間はあまりにも短い。

 基本しか身に付けないまま実戦に出される兵士は、悪く言えば消耗品だ。

 ケイは、年端もいかない頃から傭兵として戦場を生き抜いた自分やダガーとは違う。

 長年の正規兵で実戦を経験し、生き残って来たジャックやハナ、リンダは勿論、ダンとエマでさえ、三年の訓練を要している。

 スーツの操縦の腕ではない。兵士としての精神力が養われているかどうかが、問題なのだ。


(だとしたら、俺がやるべきことは)


 自分の胸元から上腹部の辺りに突き出されるケイの拳を避けるのを止めて、ビルは掌で軽く受け止めた。


「なんだ、その対人格闘技は。子供の遊びか?お前は兵科で何を教わって来たんだ?」


 そのまま強く握り込んで動きを奪ってから、もう片方の手でケイの身体を宙に持ち上げ、振り払うように床に投げ捨てる。


 拳をビルの掌に鷲掴みにされ、しまったと思った次の瞬間、床に転がっている自分の身体にケイは呆然とした。

 辛うじて受け身を取れたのは「伍長、ケイに怪我させないで下さいねぇ」と、リンダがケイの拳を握り上げたビルに叫んだからだった。

 リンダの声と同時に握力が弱まり、ビルが手加減したのが分かった。


「くそっ」


 ケイの口から思わず悪態が漏れた。

 自分が半人前なのは十分承知している。それだけに、訓練でビルとリンダから情けを掛けられるのが悔しかった。床から飛び起きようとするのをビルに足払いされて、再び床に転がった。

 強かに顔面を打ち、痛みで涙が滲んだ。ひれ伏した状態のまま、目だけを上げてビルの視線を捕らえる。


「上官にその言葉遣いはどうかと思うが」

 

 自分を睨みつけるケイを見て、ビルはにやりと笑った。中々、いい目になってきた。


「いいぞ、コストナー、その調子だ。リンダの言う通り、怪我しない程度に鍛えてやる」


 そうだ、ケイ、闘争心を呼び起こせ。次の戦闘までに己の心を鍛え上げろ。

 ビルは立ち上がったケイ目掛けて、己が習得した全ての格闘技(かくとうわざ)を繰り出した。


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