ウィザード・オブ・クリスパ― ※
ミニシャさんの遺伝子工学の説明がちょいと長いです。
大したこと書いてないので、さらっと読んで下さい。
「ドラゴンの解析結果が出たから、報告に来たんだけど」
ミニシャは、豪華な会議室の椅子に腰かける面々を見渡しながら、戸惑いを隠さずに言った。
ブラウンが座り慣れた格好で、大きなテーブルの上の書類をめくっているのは見慣れた光景だとして、ダガーとロウチが将校専用の部屋にいるのは初めて目にするものだ。
彼らも、いかにも場違いといった表情で、立派な椅子に遠慮がちに腰かけている。
この三人がいるだけで、他の将校の姿がない。
「これから今後の戦いを左右するかもしれない重大な事案を説明しようっていうのに、会議室に士官がブラウン一人ってどういう事さ?オークランド司令官とヘーゲルシュタイン少将は出席しないの?この人数じゃ、会議にもならないじゃないか」
「今は停戦締結直後で、軍と各国政府は上を下への大騒ぎの最中だ。少将はヤガタ基地と司令本部の指揮監督の統括に忙しくて、こっちまで手が回らない。
オークランド司令官は、アウェイオンの敗戦の責任を取って辞任したよ。彼は軍から引退して故郷に帰るらしい。チェース准将らは、逃亡罪で連邦軍に身柄を拘束されている。
今後、ヤガタの司令官はヘーゲルシュタイン少将が担うことになる。少将の命を受けて、ヤガタにおける軍事作戦の総指揮は全て私が行うことになった。大隊本部への司令伝達もそうだ。
だから、他の士官がいなくても、何の問題もない。君の解析報告書は私が要約して、後で少将に渡しておくよ」
「ああ、そうなの…」
資料に目を通しながら、つらつらと事もなげに話すブラウンに半ば呆れながらも、その言葉の意味を、ミニシャは瞬時に理解した。
軍の中で大きな権力の移動があったのだ。
無能のオークランドと彼を取り巻くイギリス上級貴族将校達は、戦域の中核基地であるヤガタからは勿論の事、共和国連邦軍からも放逐された。
彼らの大失態に、母国イギリスは勿論、どの国も大きな声で異を唱えることが出来ないのを良い事に、ヤガタ防衛の功績を立てたヘーゲルシュタインは共和国連邦軍内部で、より一層の権力を得たに違いない。
生体スーツや次世代の武器の研究開発はヘーゲルシュタインの庇護の下、順調に進むだろう。
そして、ヘーゲルシュタインの片腕以上の存在となったブラウンは、連邦軍の要衝的人物となるべく立身出世の階段を上り始めたのだ。
権威を誇張したいだけの為に何かと無駄口を挟みたがる貴族将校が失脚していなくなるのは胸のすく思いだし、ブラウン直属の部下のミニシャにとっては上官が昇進するのは喜ばしい話だ。
(それなのに…)
何故か、薄ら寒い違和感が肌に纏わり付いて離れない。
ブラウンが初めてミニシャに見せたものに、戸惑いを感じてしまったせいだ。
(野心だ)
研究室の部下も実戦で率いる兵士も対等に扱い、癇癪持ちのヘーゲルシュタインが命令する無理難題を文句も言わずに淡々とこなす器用な男の姿しかミニシャの目には映っていなかった。
(能ある鷹は爪を隠すって言うんだよな)
気が付かなかった自分は馬鹿が付くほど暢気だ。
そんなことで狼狽えて、人の表裏を図る器量のない己にミニシャは呆れ、腹を立てた。
「…あんた達だけに説明するんだったら私の研究室で良かったのに。それに、貴族将校じゃない人間がこの部屋使用したって後で知れたら、怒られるんじゃないの?」
この不穏な気持ちを誰にも悟られぬようにと、普段の口調を装って口元を尖らせるミニシャにブラウンがにこやかに返した。
「その貴族将校が、ヤガタから粗方いなくなってしまったんだよ、ミニシャ。この無駄に広い豪華な会議室を我々が少しの時間使ったところで、どこからも苦情は出ないさ。ダガーとロウチはヤガタ防衛の立役者だ。誰にも文句は言わせんよ。特に無能な貴族どもには」
「うわー!最後のその言い方、ヘーゲルシュタイン少将そっくりだよ、ブラウン中佐!親に似ずとも舅に
似るって諺知ってるかい?」
ミニシャはわざと大袈裟な声を出した。ダメ出しで嫌味を付けたのは、ケイとフェンリルの件が、まだ心に燻っているからだ。
「気持ちの悪い例えは、よしてくれないか。ボリス大尉。少将に対して不敬な物言いはよくないぞ」
ブラウンは、ミニシャの嫌味などどこ吹く風の表情だ。
(気持ち悪いって、その言葉の方がよっぽど不敬じゃないか)
ブラウンに、そう言い返そうとしたミニシャはダガーと目が合った。
もうその辺で終わりにしてくれと、哀願を帯びた目で訴えている。
確かにこの辺で止めないと話が先に進まない。ミニシャは、コホンと、軽く咳払いをした。
「申し訳ないね、ブラウン中佐。先程の言葉は撤回するよ。親に似たのは私で、どうも口が悪いのが治らない。さて、本題に入るとするか」
「そうしてくれ」
多少はミニシャの言葉が気に障っていたいたようだ。憮然とした口振りで、ブラウンがミニシャに催促した。
「了解しました、中佐殿。じゃあ、この画像を見て貰おうか」
ミニシャは、鉱物の結晶のような形の黒い破片を壁のスクリーンに映して拡大した。
「これは、ダガー隊がアウェイオンから持ち帰ったドラゴンの表面の物質の破片だ。ドラゴンがヤガタに落としていった砲弾と一緒に分析した。成分解析の結果、どちらも生物系百パーセントの有機物だと分かった。これはドラゴンの皮膚なんだ」
「皮膚だと?」
ブラウンが資料から目を離して顔を上げた。
「あれだけ硬質なものが、有機物だけで出来ているっていうのか?戦車の特殊鋼板を軽く突き破ったんだぞ?」
「私も、軍事同盟軍が開発した合成金属だとばかり思っていた。まさかドラゴンが、私たちと同じような素材で出来ているとはね。本当に驚いたよ。いまだに信じられない」
ミニシャはスクリーンを別の画像に切り替えた。小さな球体の集合が映し出される。それは密着しながら絡み合い。細長く捻じれていた。
「これはドラゴンの皮膚の遺伝子解析の一部分を映像化したものだ。そして、これ。あんまり時間がないから、ざっくりと説明しちゃうね」
映像が切り替わり、画面には二本のリボン上の紐が現れた。
リボンは互いにもたれ合うように優雅な曲線を描いている。曲線の膨らんだ中に横たわる細長い四本の線を、ミニシャは一つ一つペン先で差した。
「アデニン、チミン、グアニン、シトシン。この四つの塩基に、生物のあらゆる遺伝子情報が含まれている。これをデオキシリボ核酸、略してDNAという。そしてこの四種類の遺伝子配列のユニットを染色体という。我々人間から目に見えない微生物まで、地球上の生命体を構成する設計図だ。これが細胞の中に一つ一つ入っていて、生物の形を成しているって話なんだが…」
早口で喋りながら、ミニシャはスクリーンを眺める三人の男達の顔を見渡した。
(何だかんだ言ったところで、この基地内で自分の話の内容を正しく理解してくれる人間は、研究員を除いたらブラウン一人しかいないんだよな)
ぽかんと開いたビルの口と彼の虚ろな目を眺めながら、ミニシャは思った。
全く理解出来ない言葉を聞かされて困り切っているダガー軍曹の顔というのも、なかなか拝めないから、ちょっと興味深くはあるが。
「ドラゴンは、DNAの特定箇所を人工的に変異させ、新しい遺伝子を発現させた細胞から創造された生命体だ。まさしく怪物だ。詳しい説明は省略するが、RNA、リボ核酸という別の遺伝子情報を使ってDNAを切断し、そこに別のDNAを挿入する技術を使って、軍事同盟軍がドラゴンを誕生させたのは間違いない」
「なるほど。それが、クリスパーという技術か」
思わずブラウンの口から洩れた言葉を、ミニシャが聞きつけた。
「んん?ブラウン中佐、ガグル社から提出された資料をもう読んだの?さすがだね」
「いや…。ああ、そうだ。ざっと目を通しては見た。ミニシャ、説明を続けてくれ」
慌てた口調にならないように、ブラウンはゆっくりと答えた。
「正式には、クリスパー・キャス9(ナイン)という。二十世紀後半に大腸菌から発見された塩基配列を使って、二十一世紀初頭に開発された遺伝子操作技術、ゲノム編集が開発された。
クリスパーは、衝撃的な遺伝子改変技術だった。最初は実験用マウスの生産や農畜産物の改良、それから先天性遺伝疾患の患者の治療が目的だったらしい。
クリスパーを改良した技術がプライム編集、それを改良したのがサプリ―ム編集と、当時の科学者は競うように技術の改良を重ねていった。
彼らは、二百年後の科学者が、自分達の作り出した技術でドラゴンのような禍々しい生物兵器を開発するとは、夢にも思わなかったろうね」
そう言ってミニシャは首を振った。
「じゃあ、その、クリスパーという技術を使えば、共和国連邦軍もドラゴンを造り出せるってことですか?」
右手を上げたビルが嬉しそうな顔でミニシャに質問した。
「そうしたら、共食いさせて、あの巨大トカゲをやっつけられますよ?」
「それが出来たら、どれだけ有難いことか…」
ミニシャは深々と溜息をついて腕を組んだ。
「クリスパーというのは割と簡単な技術なんだよ。
少しばかり手先が器用な人間なら、訓練さえすれば誰でも習得出来るんだ。
螺旋状の遺伝子の階段部分を、ハサミの役割をする酵素で切ったり貼ったりするだけで、腐りにくい果物や、早く成長する牛の遺伝子なんかを作り出せる。
だけど、異種混合遺伝子を複数結合させた細胞で、生命体を生み出すとなると、これはもう神業に近い。いくらドラゴンの遺伝子を解析したところで、我々では到底真似できる技術ではないんだ」
「異種混合遺伝子とは何だ?」
ブラウンがミニシャに聞き返した。
「説明するのが難しいんだけど」
ミニシャがうーんと唸って頭を搔いた。
「ドラゴンは一個の生命体を遺伝子操作して作られたものではない。
あの怪物からは、クラゲ、魚、鳥、トカゲ、昆虫などが持つ固有の遺伝子がいくつか検出された。恐ろしい事にヒト遺伝子も入っている。
異なる生物の細胞を同時に、それも正常に増殖させて、一個の生物として作り上げるとなると、我々連邦軍の技術では不可能だ。だけど…」
そこまで話すと、ミニシャは顔を曇らせて口を噤んだ。
いつになく深刻な表情をするミニシャにブラウンが眉を顰め、ダガーは目を鋭く細めた。ビルも緊張した面持ちでミニシャに視線を注いでいる。
「どうした、ミニシャ。話を続けてくれないか?」
ブラウンが静かな口調で促した。
「これは私の憶測でしかないのだけれど、あのアメリカ軍が、こんな“超”の付く高度な技術を、今まで隠し持っていたとはとても思えないんだ。何らかの理由で、ガグル社の技術が彼らに渡ったとしか考えられない。或いは盗まれたか。それも、この技術を使い熟せる人物と、丸ごと一緒にね。ずば抜けた天才なのは間違いない。会えるものなら、会ってみたいよ。その人物に」
スーパージーニアス。クリスパーの魔術師。
ヘーゲルシュタインの言葉がブラウンの頭を巡る。ユーリーという男。
「遺伝子の話はさっぱりなんですが、すんげぇ天才が、アメリカ軍にいるってことは分かりました!」
ビルがまた手を上げて発言した。
「それから大尉の話だと、ドラゴンは、そう簡単には作れないってことっすよね?」
「そうなんだよ!ロウチ伍長」
ミニシャは強張った頬の筋肉を、瞬く間に弛緩させた。
「これだけ巨大で複雑怪奇な人工生命体を創造するには、どんな天才でも、かなりの時間と労力が必要になる筈だ。私が推測するに、アメリカ軍が造ったドラゴンは、あの一体だけだと思う」
「だろうな」
ブラウンがミニシャの言葉に頷いた。
「そうでなければ、あと一歩でヤガタを陥落させられた軍事同盟軍が暫定停戦と引き換えにドラゴンを回収に来るわけがない。ところで、あのドラゴンは死んだと思うか?」
「高い上空から地面に落ちても何ともなかったドラゴンが、尻尾の先にブレード突き刺されただけで死んでしまうとは思えない。だけど、糸が切れたマリオネットのような状態になったのは、まさしくそれが原因だ。その直後に、ドラゴンの弾丸も、地面に落ちてたり突き刺さったりしていた。ドラゴンが動かなくなって制御不能になったんだ」
手元のスイッチを押したミニシャが、スクリーンの映像を変えた。
「基地の前に落ちていた弾丸で状態のいいのを回収して、レーザーで二つに割ってみた。中々上手くいかなくてね、苦労したよ。で、中身を傷つけないでうまく割れたのが、これだ」
映像を拡大すると、黒い弾丸の中央部分に白っぽい線が現れた。
「神経だ」
「神経?」
ブラウン、ダガー、ビルの三人の裏声が不協和音となって会議室に響いた。




