フィオナ
誰もいなくなった病室で、フィオナはベッドに腰かけながら、白い壁を睨んでいた。
(ユーリーは、大丈夫って言っていたけれど)
ニドホグの収容された格納庫は、フィオナの病室からそれほど遠くない。
目を瞑り、深い呼吸をゆっくりと繰り返す。
フィオナは神経を研ぎ澄ますと、ニドホグに意識を集中させた。格納庫と病室を隔てるいくつもの壁を通して、彼の脈拍がフィオナの胸に伝わってくる。いつもの力強い鼓動が聞こえない。
(ニドホグ、ごめんね。あなたの身体に深い傷を負わせてしまった)
最初の攻撃は面白いほど順調にいった。
広い空から、地を這う敵の戦車を、兵隊を、虫を殺すように撃滅した。あの勢いのままに連邦軍の最新鋭の基地まで壊滅させていたら、ユーリーは手放しで自分を褒めてくれただろうに。
突如現れた連邦軍の新兵器にニドホグの両翼を破壊され、地上に墜落させられた。その屈辱を思い出して、フィオナは小さく歯噛みした。
兵器の中に人間が入っているのは分かっていた。
脈拍、心音、発汗から声まで、連邦軍の新兵器に搭乗する人間の生体反応をフィオナは捕らえていた。兵器から敵の人間を引きずり出してニドホグの強力な鉤爪で引き裂くのは造作もないと思った。
だが、兵器の内部から響いてくる声を聞いた途端、ニドホグの攻撃力が落ちた。
(あの少年)
アウェイオンの地で血塗れになりながら肩に兵士を抱え、フィオナに向かって目を見開いて必死に咆えていた。
彼の叫びを耳にしたフィオナは、瞬間的に少年兵士の身体からニドホグの弾丸を回避させていた。
何故そんな行動を取ったのか、自分でも分からない。
殺し損ねた少年は連邦軍の新型兵器を纏って、再びフィオナの前に現れた。一対一の戦闘状態の中で、何かのトラブルを起こして動かなくなった兵器を破壊する時間は十分にあった。
なのに。
少年の声が再びフィオナを惑わせ、ニドホグの動きを鈍らせた。
(あいつのせいだ)
ほんの一瞬、少年の姿を瞳に映しただけなのに。
フィオナは自分の指先を掌に握り込んだ。尖った爪が掌の皮膚を破り、血を滲ませる。少年の姿に、あの声に、身体を貫かれるような動揺が走った。
何だ、これは。誰だ、あいつは。
心の奥底で騒めく沢山のフィオナがいる。この感情が、怖い。恐ろしい。
(知らない。誰だっていい)
今、ニドホグは意識を失ったままだ。
少年の悲鳴に気が削がれていなければ、ユーリーがあんなに苛立った表情をニコに向けることはなかったし、ニコが苦しそうにユーリーから顔を背けるのを見ることもなかった。
フィオナは苛立たし気に顔を伏せ、両手を強く胸に押し当てた。
ここが、痛い、ここが、苦しい。
あんな二人の表情は、もう二度と見たくない。
(私に必要なのは、ユーリーとニコラス、二人だけ)
今度、会ったら、必ず、殺す。
(だから、ニドホグ、早く起きて)
フィオナは怒りに我知らず鋭く尖った犬歯を剥き出して、丸い瞳孔を縦に変形させた。
薄茶色の瞳が黄色に変化する。華奢な身体を震わせ、喉の奥から声なき声を絞り出す。
人間の耳には届かない声に呼応するものは、フィオナの半身だ。
ニドホグがゆっくりと瞼を持ち上げた。




