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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第二章  絶望のインターバル
42/303

ユーリーとニコラス ※

 報告を受けると、仕事を放り出して実験室を後にした。

 実験はどうするのですかと、配下にある研究員の困惑する声がニコラスの後を追う。


「そのまま続けてくれて構わない」


 そう言い捨てると、ニコラスは自動ドアのスイッチを押した。

 ドアの開く僅かな時間も、もどかしく感じる。廊下に飛び出すと、勢い余って通路を歩く人の肩に思い切りぶつかった。驚き、迷惑そうな顔に謝りながら走った。


「ユーリー!フィオナは!」


 病室に息せき切って駆け込むと、ベッドの上に上半身を起こした少女が、ニコラスに顔を向けた。

 眼窩から零れ落ちそうなほどに大きく見開いた薄茶色の瞳が、ニコラスを捕らえる。色素の薄い柔らかい頬にさっと赤みが差し、小さな口が、ニコラスの愛称を刻んで柔らかく動いた。


「ニコ!」


 ニコラスは可憐な声で自分を呼ぶ少女の傍に歩み寄ると、身を屈めて、その柔らかな頬を両手で包み込んで優しく撫でた。


「フィオナ、良かった。急に意識を失ったから、すごく心配したよ」


「大袈裟だな。少しの時間、気絶していただけだ」


 呆れたような声が、屈んだニコラスの頭上から降ってくる。顔を上げると、無表情にフィオナを見下ろす長身の男が自分の背後に立っていた。


「気分はどうだね?フィオナ」


  無表情な顔を崩さず、男は少女に容体を訪ねた。


「私は大丈夫です。…ニドホグは?」


 フィオナが不安一杯に瞳を震わせて、ユーリーに聞き返す。


「そうだな、お前よりは怪我は多いが、問題はない」


 ユーリーは頬の筋肉を一片も動かさずに、早口でフィオナに答えた。


 ユーリーの言葉に小さな微笑みを返しながらも、ころころと動く大きな目が安堵とは程遠い色を浮かべて、ユーリーとニコラスの顔を行き来している。

 そんなフィオナの表情を、ニコラスは複雑な思いで眺めた。


「意識を戻したばかりだからね、フィオナ、もう少しベッドで寝ていなさい」


 大人しく頷くフィオナに優しく微笑んでから、ニコラスはユーリーと一緒に病室を出た。

 連れ立って向かうのは、ニドホグが収容されている格納庫だ。


「それで、ニドホグの状態はどうなんだ?」


 どんな言葉の言い回しも、ユーリーには無駄と映る。不機嫌にさせると分かっているから、ニコラスは単刀直入に尋ねた。今回、それが逆に良くなかったようで、途端にユーリーの眉間に皺が寄った。


「フィオナには問題ないと言ったものの、実は、あまり状態は良くない」


 ニコラスを見るユーリーの顔には、相変わらず何の表情も見当たらないが、声が尖っている。かなり機嫌が悪いらしい。


「俺としては、君にはフィオナよりも、真っ先にニドホグの状態を気にして欲しいのだが」


「そうだな。済まない」


 ユーリーをこれ以上苛立たせたくなくて、ニコラスは即座に謝った。ニコラスが謝ったところで、ユーリーの不機嫌さがそう簡単に収まる筈もなく、二本の短い縦皺は、そのまま形の良い二本の眉の間に張り付いている。


「ニドホグは、フィオナを庇って満身創痍だ」

 

 ニドホグの状態は、ニコラスが想像するより、ずっと悪いようだ。


「ニドホグが連邦軍の新型兵器に両翼を破壊されて、空中から地面に落下したのも全くの想定外だったが」


 そこで言葉を切って、ユーリーは忌々し気に息を吐いた。


「尻尾にブレードを串刺しにされたのが、致命傷になった」


「尻尾の先端の損傷は、大したことなかったけれど」


「見た目はそうなんだが、ブレードの切っ先が、ニドホグの神経線維の束を掠ったんだ。激烈な痛みがフィオナに届かないように、ニドホグは自ら神経の伝達をシャットダウンした。フィオナの身体が、激痛に耐えられないと判断したからだろう。急激なシャットダウンが、ニドホグの全身に負荷をかけ過ぎた。機械で言うところのショートだ」


「ニドホグは自分を犠牲にしてフィオナを守ったのか」


 ニコラスは感慨を覚えた。ドラゴンの感情を司る人工脳は、自分が想像していたより高度に発達してるようだ。思わず漏らしてしまった言葉に敏感に反応したユーリーが、足を止めて不愉快そうに口元を歪めてニコラスを睨みつけた。


「そんな、耳に心地の良いだけの言葉は必要ない」


 ユーリーはニコラスに冷たく言い放った。


「単なる甘やかしだ。お前がフィオナを甘やかし過ぎるから、連邦軍の新型兵器にあっさりやられるという、無様な状況に陥ったんだ」

 

ユーリーの物言いにさすがに腹が立って、ニコラスは言い返した。


「僕はフィオナを、君の言うようには、甘やかしているつもりはないが」


「俺からすれば、大甘だ。現にフィオナが激痛に慣れていないから、あのような大失態を犯した。マクドナルドの大芝居で難を逃れたが、あと少しで、ニドホグは連邦軍の手に落ちるところだったんだぞ」


 激痛に慣れている人間なんかいるのか?

 危うく出そうになった言葉を、ニコラスは口を引き結んで飲み込んだ。

 怒りで熱くなった頬をユーリーに見せたくなくて、ニコラスは顔を伏せてリノリウムの白い床を睨んだ。


 ユーリーには、何を言っても無駄だと分かっている。


 自分を含め、ユーリーに従う科学者の知能を全て合わせたとして、それを遥かに超える頭脳と才能を持つこの男の琴線に触れる言葉を持つ人間など、何処にも存在しないからだ。


「フィオナは、まだ十三才だ。精神も肉体も、未完成の少女なんだ」


「もう十三年も、教育している。まだフィオナに時間を掛けろというのか?」

 

 それでも言い募ってみれば、案の定、抗議は容易く一蹴された。

 ユーリーの侮蔑を含んだ視線から逃れたくて、ニコラスは目を閉じた。

 歩を止め、口を閉じて項垂れたニコラスに構わずに、ユーリーは足早に格納庫に向かった。通路に取り残されたニコラスが慌てて追い縋って来るのは、数秒後の事だろう。

 

 案の定、後ろから小走りして来るニコラスの足音を聞きながら、ユーリーは振り返りもせずに話を続けた。


「ニドホグで、戦況が一挙に逆転したのは予想通りだったのだが…」


 ユーリーは格納庫に入り、天井から伸びる大量のワイヤーで宙に吊り下げられた状態のニドホグの下をぐるりと一周した。両翼を失った巨大な体は、ピクリとも動かない。 

 ワイヤーと一緒に天井から伸びた無数のチューブで覆われて、ニドホグの体は巨大な黒い繭のように膨らんでいた。

 チューブは、点滅する光を傷付いたニドホグの神経に流し込んでいく。

 黒い管を通る電気信号の白い光は一見乱雑に見えて、すごく規則的だ。

 姿を現したと同時に消える淡い輝きの一つ一つは儚いが、集合すればまるで生命体の脈打つ力強いリズムそのものになる。そんな特殊な光を大量に目の当たりにすれば、剥き出しの生命を感じずにはいられない。


「何て、綺麗なんだろう」


 ニコラスの唇から溜め息が零れた。見開かれた瞳は、ニドホグを向いたまま、縫い止められたように動かない。

 ユーリーはニコラスの高揚した表情から視線をニドホグに戻して、チューブを通る光のリズムをじっと見つめた。

 目に映る光はユーリーの頭の中で七つの音階に変化する。光は音の階段を駆け上がり滑り落ちて、また飛翔する。


 強く、弱く。長く、短く。ビブラート、ビブラート、ビブラート。


 (ソング)だ。

 

 それは、幼い頃に偶然耳にした女性の歌声だった。

 ユーリーが認めた、世界でたった一つの美しい音。

挿絵(By みてみん)

 ニドホグの神経は人の声音で構成されている。

 普通の人間達には一生かかっても理解し得ないだろう、ユーリーだけの芸術作品だ。原理を理解してドラゴンの開発に関わったニコラスだって、光が紡ぎ出す歌声を目や耳を使って感じる能力はない。

 それでも、この光を心から美しいと思う人間が傍にいるのは有難い。

 全くの孤独を感じなくて済むからだ。


「…すごいな…」


 視野を圧倒する光の律動から目を外そうともしないニコラスの意識を自分に向けようと、ユーリーは咳払いをした。


「神経を回復させている最中だが、時間が掛かりそうだ」


 チューブの中で胎児のように身を丸めているニドホグは、ピクリとも動く気配はない。



「まさか連邦軍が、人型ロボットの新兵器を所有しているとは夢にも思わなかった。俺たちに対抗する為に、ガグル社が最先端の軍事技術を連邦軍に提供したのだろう。甘く見ていたよ」


「ガグル社が、連邦軍に技術提供したって?じゃあ、あの兵器は」


 ニコラスの驚いた顔を平淡な表情で眺めながら、ユーリーは頷いた。


「マクドナルドの記憶データと二足兵器の映像の分析をした。あれは、我々がニドホグと並行して開発する予定だった技術の応用だ」


「ガグル社に保存してあった肉食(アルファ)系哺乳類の脳と神経線維を使った生命体系起動スーツを、共和国連邦軍が開発したっていうのか?!」


「そうだ。ガグル社のメイン量子コンピュータに厳重にブロックされていた、S(スーパー)クラスの技術データだ。暗号コードが複雑で、持ち出す時間がなかったからな。しかし、あれをまさか連邦軍に渡すとは。超最先端の極秘技術だぞ。ガグル社も随分と思い切ったことをしたものだ。さすがに奴らも、俺たち五人が離反したことに危機感を覚えたのだろう」


(あの男の差し金に違いない)


 ユーリーは己が一番嫌悪する人物の顔を思い浮かべた。

 世界の混乱を、ただ傍観しているだけの男だと思っていたが。


「フィオナを二足兵器と戦わせる」


「何、だって」


 ニコラスは耳を疑った。


「フィオナに何をやらせるつもりだ?」


「肉弾戦を経験させる。生命体スーツの中にいるのは、連邦軍の兵士だ。肉体も精神力も、戦争する為に鍛え抜かれた奴らだぞ。並の人間とは身体能力が格段に違う。次に来る戦いに備えて、フィオナを改造するんだ」


 ユーリーの言葉を聞いて、ニコラスの顔が色を無くした。


「それは、フィオナを完全に兵器にするってことか?そんなことしたら、本来の目的を大きく逸脱してしまうじゃないか!」


「仕方ないだろう?今は戦争中なんだぞ」


 ユーリーは悲痛な顔をして自分に異を唱える男を驚きの表情で見つめた。


 ニコラス・スタングレイ。


 この男の言葉は、ユーリーの思考の範疇をいつも軽く超えていく。そこが、意を同じくしてガグル社から離反した他の三人とは全く違う。

 ニコラスはフィオナの事となるとすぐに感情が先走り、優先順位も物事も何もかも見えなくなる。

 不愉快だ。

 ユーリーは眉を吊り上げた。

 非常に不愉快だ。ニコラスも、ニコラスの稚拙な言葉に反応して苛立つ自分も。

 人間の感情とは、何故こんなにも、扱い難いのだ?


「空を飛ぶドラゴンの姿は、否応なく人間を恐怖に陥れる」

 

ユーリーはニコラスから顔を背けて淡々と説明を続けた。


「神話の時代からその異形を子孫に伝承し、連綿と記憶に焼き付かせてきたからな。本能的に畏怖し恐れるんだ。だから、ムカシトカゲの遺伝子を初期化し、恐竜遺伝子を発現させて、あれだけ恐ろしい姿にニドホグを作り上げた。地上を闊歩する恐竜に羽を生やし、飛行させるまでの骨格と筋肉の形成には多大な頭脳労働が必要だった。俺がどれだけ苦労したか、ニコラス、お前も知っている筈だ。我々の計画遂行の為にも、軍事同盟軍、いや、アメリカ軍に勝利して貰わないと」


「だけど、完全機械の二足兵器と生身のフィオナを戦わせるなんて狂気の沙汰だ!」


「お前がフィオナに痛みを覚えさせなかったから、こんな事態を招いたんだ。お前のせいだ」


 ユーリーが少しだけ声を荒げた。


 はっと目を見開いて、ニコラスがユーリーを凝視する。悲し気に揺れるニコラスの薄茶色の瞳を冷たく捕らえたまま、ユーリーは再び口を開いた。


「生身とは言ったが、何も素手で機械兵器と戦わせるつもりはない。ちゃんとプロテクターは装着させるさ。それに、あんな華奢な姿をしているから、お前はつい忘れてしまうのだろうが、フィオナの身体能力は、成人男性の平均の十倍はあるんだぞ」


「…忘れた訳じゃないが」

 

 フィオナの身を過剰なほどに心配するこの男の感情に、名前を付けるのは簡単だ。だがそれは、フィオナにもユーリーにも、まして当の本人のニコラスが、一番必要ないものだ。


「次の戦いで、ロング・ウォーの決着がつくだろう。残された時間は少ない」


 ユーリーは項垂れて立っているニコラスの肩を叩いた。びくっと肩を竦めるニコラスの顔を覗き込むように、強い視線を当てる。有無を言わずに服従せよと、ユーリーの青い目が鋭く光った。


「フィオナを戦士に作り替えろ。そうすれば、ニドホグはフィオナの無敵の盾となり剣となる」


 ニコラスの肩を強く掴んで強く揺さぶった。 


「いいか、ニコラス。フィオナを、あの子を、普通の人間だと思うな」


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