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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第二章  絶望のインターバル
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上官命令

 ケイの突然の質問に、ミニシャがぎょっとして、目を見開いた。


「何で、その名前を知ってるの?」


「俺を助けるとき、ダガー軍曹が、叫んでいました」


「あぁ、そうなのか」

 

 ミニシャがケイから目を逸らした。薄い瞼が伏せられて、黒い瞳を隠した。短く息を吐くのと同時に瞼は持ち上がり、再び強い視線がケイの両眼に当てられる。


「ここで隠したって、いつかは知ることになるだろうからね。教えてあげるよ。彼は、チームα(アルファ)、フェンリルの元パイロットだ」


「もと?」


「そう」


「死んだのですか?」

 

 思わず口から洩れたケイの言葉に、ミニシャは表情を変えずに頷いた。


「そうだ」


「何故、ですか」

 

 身動ぎしないミニシャの態度に声が震えるのを、ケイは抑えられなかった。


「アシュルは、フェンリルとの同期が深過ぎたんだ。ケイ、君も経験したから分かるだろう?フェンリルに深く意識を飲み込まれて、彼は、君のように帰ってこられなかった」


「どうしてですか?アシュルさんは、生体スーツのパイロットとして訓練を受けていたのでしょう?」


「そうだよ。それも、チームαの中で、彼が一番フェンリルのパイロットとして適していた。数値ではそうだった。でも、結果はそうではなかった。開発者としてあるまじき言葉かもしれないが、原因は今でも分からないんだ」


「は?」 

 

 ケイの顔から表情がなくなった。

 瞬きの回数だけがやたらと増えていくのを意識しながら、ケイは震える上唇と下唇の隙間から、やっとの事で小さな声を押し出した。


「アシュルさんは、フェンリルの実験台にされて、死んでいったってことですか?」


 ダンが、フェンリルを気狂いウルフと叫んだ意味が、ようやく分かった。怒りで身体が震える。目の前のミニシャは、表情一つ変えずに、ケイを見ているだけだ。耐え切れずにケイはミニシャから目を逸らした。


「無駄死にですか?酷い話だ」


 思わず吐き捨てるように口から言葉が出てしまった。


「うん、そうだよ。酷い話だ。結果的にそうなってしまった。ガグル社から与えられた人工脳という技術、脳科学の何たるかをよく理解していない我々共和国連邦軍の技術開発研究者が、生体スーツを手探りながら、開発しているんだ。仲間の命を犠牲にしてね。それでも前に進むしかない。このロング・ウォーの勝者となるためにね。だけど…」


 急にミニシャが立ち上がって、ケイに向かって上半身を屈めた。

 素早く伸びた右手がケイの兵服の胸元を強く掴む。大きく見開かれた目が、怒りを湛えてケイを睨みつける。

 息が掛かるくらい顔を近づけられ、ケイは思わず首を捻じって顔を逸らした。

 この人は頭に血が上ると、相手の胸元を掴む悪い癖がある。

 ケイは、ミニシャにフェンリルに乗せられた時のことを思い出した。

 これで二度目だ。


「アシュルは実験台なんかじゃない!味方の歩兵中隊を助ける為に危険を承知で、フェンリルに乗ったんだ!彼は戦士(ウォーリアー)だった。だから、決して無駄死にした訳じゃない。最初から怖気付いていたお前のような奴に、何が分かるっていうんだ!!」


「少尉、苦しいですっ!離して下さい」


 ミニシャの手を振り解こうとしてケイは身体を捩ったが、びくともしない。いくら上官とはいえ、胸元を掴んで揺さぶる横暴な態度に腹が立って、ケイは本音をミニシャに投げ付けた。


「だったら、どうして、ダガー軍曹じゃなくて、俺みたいな新米兵をフェンリルに乗せたんですか?」

 

 ダガーは凄い剣幕で自分をフェンリルから引きずり降ろそうとした。あろうことか、止めに入った上官のブラウンまで殴って。自分専用の生体スーツがあるのに、だ。だが、その疑問はこの際どうでもいい。


「どう考えたって、軍曹の方がフェンリルのパイロットに、適任だった筈です!」


「上官に口答えとはいい度胸だ、コストナー。君は顔に似合わず、気が強いんだね。いいだろう、教えてあげるよ」


 ミニシャはケイから手を放した。ミニシャの手の届かない距離まで後退りしたケイは、息を整えながらミニシャの様子を伺った。

 ミニシャの指が自分自身の両腕を掴んで爪を食い込ませていた。怒りを抑え込もうとしているようだ。

 ミニシャの口元が微かに震えているのに気が付いて、ケイは目を見開いた。

 瞼の奥で震える瞳が、怒りとは違う感情を溢れさせないように必死に堪えているように見えたからだ。


「そうだ。ケイ、君の言った通りだよ。ダガーはフェンリルとの同期率が頭抜けて高い。アシュルよりも高かったんだ。こんな数値はダガーの他には誰もいない。数値だけ見れば、彼が最もフェンリルのパイロットに適任だ。」


「だから、何故、軍曹に」


 操縦させないんですか。そう言葉を繋ぐ前に、ミニシャが恐ろしい言葉を放った。


「死ぬからだ」


「えっ」

 

 ケイは頬を強張らせた。


「数値が高過ぎるんだ。ダガーとフェンリルの同期率は、七十パーセントを優に超える。」


「……」


 ミニシャの顔が怖すぎて、開いた口から言葉が出てこない。激しい瞬きを繰り返しながら、ケイは無言でミニシャを見つめた。


「人工脳とパイロットの脳の同期率は五十パーセント前後が理想とされている。そのバランスが崩れると、動物の脳に人の脳が浸食され破壊されてしまう。原因は不明だが、推測するに、人間の大脳皮質が獣のものより容量が大きくて、繊細に造られているからなんじゃないかと思う。薄いガラス細工のようにね」


 両腕をきつく組んだまま、ミニシャは苦しそうに顔を顰めた。


「ダガーがフェンリルに搭乗すれば、恐らく、フェンリルの生体スーツとしての能力は凄まじいものになるだろう。だけど、同期し過ぎて、ダガーは死ぬ。フェンリルの人工脳に脳の神経を侵食されて、確実に彼は死ぬ。それを承知で、ダガーはフェンリルに乗ろうとした。私たちを、ヤガタ基地をドラゴンの攻撃から守る為にだ」


「……」


「これでダガーをフェンリルに搭乗させなかった理由が分かったろう?絶対に死ぬと分かっている兵士に、フェンリルを装着させることは出来ない。私だって、そこまで人間捨ててないからね」


 ミニシャは顎をぐいっと上げて、ケイを睨みつけながら言った。


「コストナー、私が君をフェンリルに搭乗させたのは、検査結果で、君がフェンリルと上手くシンクロする数値を出していたからだ。君さえ搭乗時間を守っていれば、戦闘の最中、無謀にもダガーを生身で君の救助に行かせることもしないで済んだし、ダガーを守る為に防戦に徹して敵に攻撃出来なくなったチームαを、危険な目に合わせることもなかった」


「俺は…」


(ボリス少尉の言いう通りだ。軍曹は、チームαは、誰の、何の為に戦っている?俺はどうだ?高揚した気持ちを抑えられずに、自分勝手な行動で、チームを危険に晒してしまった)

 

 俺は、愚かだ。ケイは力なく項垂れて、自己嫌悪に身を苛まれる思いでミニシャに頭を深々と下げた。


「少尉の言う通りです。俺は…俺の、浅はかな行動で、チームを危険な目に合わせてしまった。本当に、申し訳ありませんでした」


「素直に謝れる人間は、私は好きだよ、コストナー。それに今回、ヤガタ陥落という絶望的状況を回避出来たのは、君のお陰だ。多少の無茶も全て好しとしよう」

 

 ミニシャは表情を変えずに厳しい口調で、ケイに話を続けた。


「知っての通り、生体スーツは我が軍の最新兵器だ。上官命令と称して強引に搭乗させておいて、勝手な言い分だが、スーツの操縦方法を知ってしまった君を、今更、歩兵に戻すことは出来ない。スーツのパイロットとなることを拒否すれば、機密保護の為、君は刑罰対象となり、恐らく罪人として裁かれて、軍事刑務所に無期で監禁されてしまうだろう。」


「それは、俺には、何の選択肢もないという事ですね?」

 

 俯いたまま、ケイは自分の目の前に仁王立ちしている上官に問うた。


「そうだ」

 

 ミニシャは有無を言わさぬ強い口調で命じた。


「君は共和国連邦軍の兵士だ。今は停戦中だが、我々は軍事同盟軍の脅威の真っただ中にいる。どんなに恐怖しようとも、君はフェンリルのパイロットとして生きるしかない。覚悟を決めるんだな、ケイ・コストナー」


「分かりました」


 ケイは返事をした。それは自分でも驚くほど透明で落ち着いた声だった。


「ボリス少尉、俺はフェンリルのパイロットになります。だからもう、そんなに怖い顔で睨まないで下さい」


「え?」


 ゆっくりと顔を上げたケイが微笑んでいるのに拍子抜けして、少しばかり情けない声でミニシャは聞き返した。


「俺、夢の中でフェンリルに会ったんです。フェンリルは、とても大きな狼でした。銀色の毛が艶々していてとても綺麗で、目は金色に光っていた。大きな顔を、俺に近づけてきて、あいつ、俺に…」

 

 ケイは目を大きく開けて、ミニシャを真っ直ぐに見つめた。


「言ったんです!お前は仲間だって。だから、大丈夫。ボリス少尉が心配するような事は、二度とは起きませんから」


(夢の中での話だろう?獣の人工脳が、人間の言語を理解することなどない。ましてや野生の狼、フェンリルとの会話なんか…)


 だが、ケイの話を、敢えて口に出して否定する必要はない。


「そうか。君がそう言うのなら大丈夫だろう。期待してるよ、コストナー。君はもう、ダガー隊、チームαの一員だ」


「光栄です」


 ケイはミニシャに敬礼した。


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