極秘機密
「今から十年前、ガグル社から五人の若い科学者が失踪した。ガグル社の未来を背負う天才ばかりだ。ガグル社は、彼らを血眼になって探した。彼らの所在が確認された時、報告を受けたガグル社の連中は、唖然として言葉も出なかったと聞いている。何と彼らは、ガグル社と敵対関係にあるアメリカ軍に身を寄せていたからだ」
「五人の科学者が、ガグル社から造反したという事ですか?」
「有り体に言えば、そうだ。あの二足で走るロボットも、その五人の科学者のうちの誰かが開発した兵器だろう。我々同様、軍事同盟、特にアメリカ軍はガグル社に起きた内紛によって、思わぬ恩恵を受けたのだ」
ヘーゲルシュタインは、装甲車の鋼鉄製の床に視線を落とした。厳しい表情と共に、視線がブラウンに戻ってくる。
「問題なのは、五人のうちの一人が、超天才と称される人物だったという事だ。本名は明かされていないが、通称ユーリーという男だ。ガグル社ではクリスパーの魔術師と呼ばれていた」
「クリスパーの魔術師?何ですか、それは?」ブラウンがヘーゲルシュタインに鋭く聞き返した。「その男がドラゴンの創造者だと?」
「恐らく、そうだろう。軍事同盟軍はユーリーという科学者の頭脳を手中にして、ガグル社も連邦共和国軍も恐れるに足らずとなった訳さ。ウォーカーが、アシュケナジの身柄を引き渡せなどと言い出したのは、ユーリー達、五人の天才学者がアメリカ軍に身を置き、その保護を受けているからだと推察される」
「ウォーカーは、アシュケナジをユダと呼んでいました」
「アシュケナジは、元々がアメリカ人だからな。アメリカ副大統領から見れば、彼は裏切り者以外の何者でもないだろう。彼を捕まえて制裁を加えたいのに違いない」
「そうでしたか」
ブラウンはアシュケナジの名を口にする時、憎々しく歪むウォーカーの顔を思い出した。おおよその内容は分かった。だが、どうしても腑に落ちないことがある。
「お話の中で、少々理解出来兼ねる事があります」
「何だね。言ってみたまえ」
ヘーゲルシュタインが、うっそりと眉を顰めてブラウンに聞き返した。
「アシュケナジです。ガグル社創設から、どれだけの年数が経ってるのか、少将はご存知ですよね?」
「ああ。無論、知っておるよ」
「あの会社は、エンド・ウォー以前から存在しています。少なく見積もっても百五十年以上生きている人間が創設者だというのには、いくら何でも無理がある。ウォーカーは我々に、死んだ人間を探し出せと言っているのに等しい」
「それこそ興味深い話だよ。それを知りたいとは思わないかね?ブラウン中佐」
にやりと笑ったヘーゲルシュタインが、鋭い視線をブラウンの瞳に据え置いた。
「それ、とは?」
「終末戦争だ。何故、人類を破滅寸前にまで追いやるような戦争が起きたのか。君が手に入る資料を片っ端から集めているのは知っている。ガグル社の機密資料もな」
「……」
「ならば君は、中佐の地位で満足してはならんぞ。もっと上を目指したまえ、ウェルク・ブラウン。軍事同盟軍を叩きのめして、私を、共和国連邦軍の最上位に押し上げるのだ」
「少将、話が変わってきたように思われますが」
「いやいや、一つも変わっておらんよ」
意味あり気に目を細める上官をブラウンが見つめる。
「話は繋がっているのだ、中佐。連邦軍の最上層にいる人間が、勿体を付けて隠しているエンド・ウォー以前の極秘機密など、私が軍総司令部のトップになれば、君にいくらでも与えてやれるという話だよ。知りたいだろう?君はそういう人間だ。そして、我々で、貴族もラッダイトも必要ない世界を目指そうじゃないか。文明の後退を望む奴らよりも、我々の方が、世の中を有意義に回すことが出来るぞ」
(何という野心家だ)
喉を鳴らして含み笑いをするヘーゲルシュタインに呆れながらも、ブラウンは自分の頬が緩く持ち上がるのを止められずにいた。
同意したと受け止められるだろう。
構わないと思った。
軍事同盟軍を倒すという大義名分を隠れ蓑にして富と権力を求め、腹の探り合いをしている醜い世界に身を置いてしまったと気付いた時から、自分は後ろを振り返らないと決めたのだ。
ブラウンは、ヘーゲルシュタインが満足げに頷くのを、瞬きもせずに見つめた。
「共和国連邦軍、それもプロシアが窮地に陥っている現状に、さすがのガグル社も平穏ではいられないでしょう。ガグル社の中枢がある小国ルクセンブルクがプロシアに守られているのは周知の事実だ。まずは、彼らが牛耳っている農業や工業、化学技術を開示させて、我々の疲弊したプロシアに恩恵を与えよとの交渉から始めてみるのはどうでしょう?」
「それはいい考えだ。基本的な技術援助なら、彼らもそれ程出し惜しみはせんだろう。作物の化学肥料や車の初歩的製造技術くらい、我々の手の中にあって良い筈だ」
「それを手始めに、徐々にガグル社から技術の情報開示の枠を広げさせる。我々が弱っている今が、最大のチャンスです」
「ガグル社から施しを受ける為に尻尾を振るのは、もう、うんざりだからな。しかし、君の頭は本当によく回るな。たいしたものだ」
「光栄です、ヘーゲルシュタイン少将」
「随分と嬉しそうに笑う。ブラウン中佐、そんな君を見るのは初めてだ」
そうか、俺は笑っているのか。ブラウンの腹が僅かに波打った。
「幼い頃、私に少将と似たような話をした男がいたのを思い出しましてね。どんな人物だったのか、全く覚えていないのですが」
「君の卓越した能力を見抜いていたのだな、その男は。多分、私と同類だろうよ」
「そうですね」
しかし、全く違う意味で。
(上を目指せ、ウェルク・ブラウン。君が知りたいものの全ては、そこにある)
(上って、どこ?)
小さなブラウンは、首を傾げて男に聞いた。幼いブラウンに、その男は腕を突き上げ、力強く空を指差して言ったのだった。
(空の上、天空の上、宇宙だ)
宿からの帰り際、ウォーカーはソファに寛いだ姿勢のまま、ブラウンを呼び止めた。
「言い忘れたが、君の上官も、ただのメッセンジャーだ。彼に、アシュケナジをどうこう出来る力はないからね。今の私の言葉は、彼の耳には入れない方が賢明だよ。プライドの高いヘーゲルシュタインが聞いたら、真っ赤になって怒り狂うだろうから」
ひっそりと、ウォーカーが笑った。
「君も、君の上官も、勿論私も、この荒れ果てた世界の、パズルのピースでしかない。健闘を祈るよ、ブラウン中佐」




