思いもよらぬ提案
「初めまして、ではないな。ウェルク・ブラウン独立連邦軍プロシア国大尉。ああ、失礼。中佐に昇進したのでしたな」
ケビン・ウォーカーが、静かな笑みを湛えて言った。
従業員に勧められた一人掛けのソファにブラウンは腰を下ろした。
テーブルを挟んでウォーカーと差し向いになる。アメリカ副大統領の目が真正面からブラウンを見据えた。
「そうですね、アメリカ副大統領閣下。先日の休戦会議でお会いしたばかりだ」
「ああ、あの寸劇ね。えらく退屈だったよ。君はどうだった?」
ウォーカーの問いには答えずに、ブラウンはダガーに目を向けた。
ダガーは微かに頷くと、ブラウンが座っているソファの脇に立った。ブラウンが死角から撃たれるのを防げる位置だ。鋭い目つきでぐるりとラウンジを一瞥する。少なくとも四人は隠れていますと、ブラウンに告げた。
「君の護衛は、かなり腕の立つ男のようだな」
ダガーにちらりと視線を投げて、ウォーカーが言った。
「私は君に危害を加える為に呼んだのではない。そこは君も、重々承知しているだろうがね。念の為に言っておくが、私も用心深い男でね。さっきの従業員もこちらの兵士だし、この小さな宿も、君を呼ぶ為に貸し切りにしておいたよ。万が一、私の身に不測の事態が起こったとしたら、君達は我々のスナイパーによって、即座に頭を撃ち抜かれてしまうから、変な気は起こさないで貰いたい」
「さすが、エンド・ウォー以前、世界一の諜報活動を誇った国ですね。驚くほど準備万端だ」
ブラウンが皮肉にも取れる追従を述べた。
「それで、どうやって私の妹の存在と彼女の住所を、こんな短時間で調べたのですか?」
「なに、簡単な事さ。君の姓だよ、ブラウン中佐。君は知らないだろうが、君の苗字は英語の綴りから、旧ドイツ国の綴りに変更されたものだ。君の先祖はアメリカからの移民なのだよ。それもエンド・ウォー以後の、我々アメリカ軍の生き残りだ。君の高祖父は、海兵隊の優秀な技術兵だったようだな。アメリカ軍から袂を分かち、民間人に戻ってヨーロッパのあちこちに住み着いた兵士の一人だ。我々は裏切り者の兵士のデータを全て保存してあるから、すぐに調べが付くのだよ」
「兵士であっても、戦争で祖国を追われた不幸な人間には変わりない。それも百五十年以上も前の話ですよ。これだけ世代を重ねれば、彼らをもう、アメリカ人とは呼べないでしょう。それに…」
ブラウンは、少し間を開けてから言葉を繋いだ。
「私は養子でしてね。ブラウン家とは血の繋がりがないのです。両親は何も言わぬまま他界してしまったので、自分の血がプロシア人か、あなたの言うようにアメリカ人のものなのかも分からない」
「だからといって、妹が全くの他人だとは、君自身思っていないだろう?」
冷酷な目付きでウォーカーはブラウンを見やった。
「君に会いたいから、ちょっとだけ利用した。我々は中佐の妹さんに危害を加えようなどとは、これっぽっちも思っていないから、安心したまえ。一般市民、それも女子供に手を出すほど、ヤキは回っていないよ」
「信頼する上官に嘘を付いてまで、私はこの宿に足を運んだのですよ。ちょっとどころか、随分と妹を利用してくれたもんだ」
「最初で最後だ。嘘はつかない」
そう話しながらウォーカーは、怒りで険しい表情になったブラウンの顔を、穏やかに眺めた。
「実を言うとね、中佐。我々はロシアとの軍事連合でなく、アメリカ軍単独で、共和国連邦軍と直接取引がしたいのだよ。勿論、極秘でね」
「取引?」
ブラウンは驚きを抑え切れずに短く叫んだ。
「私は連邦軍の中枢にいる高級将校ではないのですよ!アメリカ軍の最高司令官である副大統領の貴方が、一介の中佐であるこの私に、何の取引を持ち掛けようというのですか?」
「人には役割というものがあるのだよ。君にはメッセンジャーになって貰いたいのだ」
「メッセンジャーですって?」
ブラウンはウォーカーの言葉を再び繰り返した。
「そうだ」
ウォーカーはゆっくりと頷いた。
「会議で君は書記を任されていたね。上層部の将校にかなり信用されての事だろう?だから君に私の伝言を頼みたい。我々の話を、君の信頼する上官殿のヘーゲルシュタイン少将に伝えて欲しい」
「それで、何を伝えろと言うんです?」
ブラウンの、ウォーカーを見る目が鋭く光った。
「ファン・アシュケナジという男を見つけ出して、我々に引き渡して頂きたい、と」
「ファン・アシュケナジ?」
ブラウンは怪訝な顔をした。
「誰です?それは」
「君の年齢では彼の名を知らないのも致し方ない。我々アメリカ軍の人間は、彼を裏切り者と呼んでいるが」
ユダと、吐きてるように口にしたウォーカーの目元が険しくなる。憎悪がはっきりと見て取れた。
「あなた方の諜報活動を以ってすれば、その、裏切り者の男一人ぐらい、造作もなく見つけることが出来るのではないのですか?」
「アシュケナジという男は、隠れるのが非常に上手くてね。西ヨーロッパ地域に潜んでいるのは分かっているのだが、何処をどう探しても見つけ出せないのだよ。一匹の鼠探しに無駄な時間ばかり費やしているもんだから、忍耐強い私も、さすがに痺れを切らしているところだ」
ウォーカーはブラウンに向かって身を乗り出すように顔を近づけた。
「彼の身柄を拘束できれば、我々は、直ちにロシアとの同盟を解消するつもりだ」
「ロシアとの同盟解消?!」
ブラウンは息を飲んだ。
「貴方は本気でそんなこと言っているのですか?副大統領!!」
「本気も本気」
ウォーカーは唖然とした表情のブラウンを面白そうに眺めながら、口の両端を持ち上げて笑った。
笑ったのとは対照的に、ウォーカーの瞳が酷薄に光る。
「でなければ、アメリカ副大統領が自ら、こんな小さな安宿にわざわざ出向いて来ると思うかね?正直言うとね、私もこの“長い戦争”には飽き飽きしているのだよ。私の思いは、戦争を愛して止まないウォシャウスキーとはかけ離れたところにあるからね」
「ならば何故、ロシアと軍事連合など組んでおられるのですか?」
ブラウンは語気を強めた。
「言葉には出さないが、誰だってロング・ウォーにはうんざりしている。あなた方アメリカ軍が、ロシアとの同盟を破棄すれば、すぐに戦争は終わりますよ」
「我々が何故、ロシアと同盟を組んでいるかだって?」
ウォーカーの顔に沈鬱な色が浮かんだ。
「それはね中佐、沢山の出来事が色々と複雑に絡み合った末に、今の時代があるからだよ。過去とは本当に恐ろしいものだ。いつまでも未来を支配するのだから」
「貴方が何をおっしゃりたいのか、私にはさっぱり分からない」
「それは君が何も知らないからだよ、中佐。答えを探すといい。過去が白日の下に晒される時、君は全てを理解する筈だ」
再びソファに背を持たれ掛けさせながら、物憂げな表情でウォーカーは言った。
「まるで謎掛けみたいな話をされるのですね」
「私の言葉を、どう受け取って貰っても構わない。話を元に戻そう。
ファン・アシュケナジを、我々アメリカ軍に引き渡して欲しい。彼の引き渡しを拒むのであれば、取引はなかったことにする。我々に一匹の鼠を渡すか、ロシアにポーランド州を奪われるか、どちらかを選べと言ったら、プロシアとしての答えは決まっているだろうがね」
とんでもない展開になったもんだ。ブラウンは頬を引き締めて、ウォーカーに頷いた。




