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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第二章  絶望のインターバル
33/303

無理難題

 

「現プロシア州になっているポーランドを我がロシアの領土として戴きたい」


 共和国連邦と軍事同盟のトップ同士が直接集まっての休戦会議というのがどうしても腑に落ちない中、案の定、ロシアの将軍が開口一番放った言葉がプロシアの領土分割だった。

 記録係としてヘーゲルシュタインに会議室に連れてこられたブラウンのタイプを打つ手が止まった。

 誰も気が付くことのない、ほんの一瞬だ。

 タイプライターのキーの上で再び指を躍らせながら、ブラウンは上官達の顔にそっと視線を走らせた。

 ウォシャウスキーの言葉にかなりの衝撃を受けたプロシアの首相は、愕然とした表情で呆けた様に薄く口を開け、椅子から腰を浮かせている。

 ヘーゲルシュタインは表情を変えぬまま、目だけを怒らしてウォシャウスキーを凝視し、ノイフェルマンは一文字に口を結んで腕組みを崩さずにいる。

 ウルバートンとオークランドは会議の始まる前と変わらぬ表情のまま、面前に居並ぶ軍事同盟軍の代表者の顔を見詰めているだけだった。

 軍部は全てを承知していた。

 何も知らされていないのは、哀れ、プロシアの首相だけだ。


「休戦協定会議だというから、このウィーンで、あなた方と会見してみたら…」


 ハインラインが真っ青な顔でウォシャウスキーに嚙みついた。


「我が国の領土が欲しいだと!私は、そんな話は、どこからも、一切聞いていない!」


「それはそうだろう、今、ここで初めて、私が口にしたのだから」

 

 ウォシャウスキーが椅子に踏ん反り返った格好でハインラインの顔を見た。


「貴殿の軍が、我々の休戦の呼びかけに応じたのは、負け戦を認めたからではないのかね?ここに並んで座っている味方の将校達に聞いてみたまえ、ハインライン首相。彼らは、私が言い出した領土分割の話など重々承知の上だと。それに今は協定を結ぶ前の停戦状態だという事をお忘れなきよう。こちらからはいつでも解除出来るのですよ」


「そうなのかね、参謀総長。我が共和国連邦軍は軍事同盟軍に負けたのか?ロング・ウォーの敗者になったのか?」


 ハイラインは驚愕した表情でウルバートンに顔を向けた。


「アウェイオンの戦いでは負けましたが、青の戦域全てを失ったわけではありません」

 

 ウルバートンが苦虫を噛み潰したような顔で答えた。


「軍事同盟軍が新ジュネーブ議定書を破ったから、この様な戦局になった。国際法を無視した汚いやり方だ」


「議定書は違反していませんよ」


 ウォーカーが薄笑いを浮かべながら言った。


「我々は、戦闘機を飛ばしたのではない。あれはエンド・ウォー以前の戦闘機とは全く異なる、我が軍の最新兵器ですからね。何にせよ、共和国連邦軍は総崩れ状態だ。ロング・ウォーの勝敗はほぼ着いたも同然です。休戦に合意しないで、このまま戦い続けますか?そんなことをすれば、あなた方は戦域領土の大半を失うことになる。プロシアの領土を少し削るだけでは済まなくなりますよ。ここは、ロシア軍総司令官の言うことを聞いて」


「休戦会議と偽って言う事がこれですか?」


 ハインラインはテーブルを叩いて、ウォーカーの言葉を遮った。


「ロング・ウォーは、あなた方軍事同盟軍が、ヨーロッパを手中に収めるべく始めた侵略戦争だ。ポーランド州をロシアに併合することなどありえない!」


「世迷い言も甚だしい」


 ウォシャウスキーが呆れ顔で首を振った。


「あなた方がプロシア領だと騒いでいるポーランドが、エンド・ウォー以前は我が国の領土だったことをお忘れではないのかね?この地、永世中立国であったオーストリアもそうだ。それを現在、自分の懐に入れて自国の都市として支配している。あの戦争のどさくさに紛れて領地拡大を図ったのは、プロシア、旧ドイツ国ではないか!」


 雷鳴のような大声のウォシャウスキーの威嚇に負けじと、ハインラインも声を張り上げた。


「エンド・ウォー以前、東西ヨーロッパ諸国は独立国家だった。エンド・ウォー以後の過酷な世界を生き延びる為に、彼らは自ら民主国家のプロシアに併合されるのを望んだのだ!」


(とんだ茶番劇だ)


 ウォーカーは欠伸を噛み殺そうとして、いきり立つプロシアの首相から顔を背けた。


 向けた先に、タイプを打つ鋭い眼光の男と視線がかち合った。男は素早くタイプに視線を戻して、軽やかな音と共に再びキーを叩き始めた。


「君の歴史認識は間違っているよ、ハインライン首相。エンド・ウォーより遥か昔、我々が強大な帝国を築いていた時代には、あの地域は我々のものだった」


 鼻で嗤いながらウォシャウスキーが応答する。


「エンド・ウォー以後、歴史を遡って領土を主張するのは無意味ですよ」


 吐き捨てるようにハインラインが返した。


「私はそうは思わんがね」


 ウォシャウスキーがハインラインを嘲笑うように、鼻から息を短く吐き出した。


「この場で大声を張り上げたところで戦局が覆るわけでもない。大人しくこちらの言うことを聞いた方が良いのではないかな、ハインライン殿。このままロング・ウォー敗戦となれば、重税を課している国民に何と言い訳するのかね?」


「あなた方の腹は読めてますよ。休戦にしておけば、いつでも解除可能ですからね。ポーランドを併合した途端、またぞろ我々に戦争を吹っ掛けるつもりでしょう?」


「まだ、自分の置かれた場所がお分かりにならないようだな、首相殿」


 ウォーカーが愉快そうに肩を揺すった。


「プロシアの上空を、我が軍の飛行兵器が飛び回るのをお見せしましょうか?刺激的な見世物になりますよ。特にここ、ウィーンの中心街に住む平和ボケした住民たちにはね。怪物を空に飛ばしてはならないとの条約は何処にもないのですから」


(あのドラゴンが、プロシア上空を飛ぶ?)


 ハインラインはウォーカーの皮肉めいた恫喝に、恐怖と怒りで身体が震えるのを止められなかった。


「ハインライン殿、貴殿の腹一つで、ロング・ウォーが終わると考えてみたらどうかね?」


 ハイエナのような狡猾に光る目で、震えるハインラインを眺めながら、ウォシャウスキーが宣うた。


「崖っぷちの停戦状態でいるよりは、我々の提示する協定条件を飲んだ方がプロシア国民の為になると思うが、如何かな?思いの外、休戦が続くかも知れんぞ。いや、もしかすると、そのまま終戦になるかも知れん。将来のことは誰にも分らんからな」

 

(これまでだ)

 

 ハインラインは奥歯を噛み締めた。平行線でしかない言い争いを、このまま続けても、何の進展もない。


「領土分割など…プロシア連邦国始まって以来の、こんな重大な案件は、ベルリンに帰って連邦議会に掛けないことには…。私の一存では、決められませんので」


「議会制民主主義とは厄介なものですな。何事も即決できない」


 傲慢な笑みを浮かべながらウォシャウスキーは言った。


「私は気が短いので、あまり待っていられませんがね。朗報をお待ちしておりますよ、ハインライン首相閣下」

 

 尊大に言い放つと、ウォシャウスキーは椅子から立ち上がった。

 ウォシャウスキーの後から、ウォーカーも無言で立ち上がる。

 挨拶もそこそこに、軍事同盟の最上位の人間が護衛の兵士を引き連れて豪華な部屋から退出していった。



 


 ハインラインは、紳士の話し合いに応じたと思った男達が、実は無礼極まりない泥棒だった事に今更ながら気が付いた。腹の底から怒りが沸き上がってくる。

 

(これが会議と呼べるだろうか?)


 ハインライン一人が、ロシア軍総司令官の独壇場に付き合わされただけだっだ。

 

(それに、だんまりを決め込んだ連邦軍の高級将校の無能ぶりと言ったら!)

 

 そのまま崩れるようにして椅子に座ると、ハインラインはテーブルに両肘を突いて頭を掻き毟ったまま動かなくなった。


 どのくらいの時間が経っただろう。

 顔を上げると、宮殿の大広間には連邦軍の人間の姿も見当たらず、ハインラインの隣に座る偉丈夫な老人を一人残すだけになっていた。


「これはどういうことですか?ウルバートン元帥」


 やっとの思いで声を絞り出して、ハインラインは自分の横に座っている連邦軍の総司令官を睨みつけた。


「あなた方、連邦軍の軍人は全てを知った上で、私を、このプロシアの首相を、あんな屈辱の場に放り込んだというのか?」


「お気持ちはお察しします」


 ウルバートンは小さく頭を下げた。


「ウォシャウスキー将軍のあのような話は、我々にも寝耳に水でした」


「あのロシアの熊男は、そうは言ってはいなかったが?」


 ハインラインは、慇懃な態度を崩さないイングランドの元帥を殴ってやりたい衝動に駆られた。もし、本当に、この老人の顔を殴って立派な鷲鼻をへし折ったら、プロシアとイングランドの国際問題に発展してしまうのだろうが。

 ウルバートンの顔を殴る代わりに、ハインラインはテーブルに拳を叩きつけた。


「ただ、我々もロシアの熊男の与太話をぼんやりと聞いていた訳ではない」


「と言うと?」


「確かに我が軍はアウェイオンの戦いで大敗して、総崩れの状態にあります。立て直しには時間が必要です。首相がプロシア連邦議会でポーランド併合を議題に挙げれば、軍事同盟はこちらがかなり戦意喪失していると確信するでしょう。ポーランドが自分たちのものになると本気で期待して、議会が開かれている間は戦争を仕掛けてこない筈です。それで、少しでも停戦解除を遅らせることが出来れば…」


「戦局を逆転できる可能性があるというのですか?」


「うまくいけば、ですが」


「うまくいけば、か!何とも頼りがいのある言葉だ!!ポーランド州だけで奴らが満足するものか。我が国プロシアが弱体化することになったら、元帥、あなたの祖国イングランドが軍事同盟の脅威に晒されるのも時間の問題ですぞ!」


「分かっております。我々は一蓮托生だ」低い声でウルバートンは答えた。


「その言葉、信じましょう」


 ハイラインは怒りで充血して真っ赤になった目で、ウルバートンを睨みつけた。


「今日の話をベルリンに持ち帰ったら、プロシア連邦議会は上を下への大騒ぎだ。国中が蜂の巣を突いたようになる。だが、それで時間を稼げるのなら、どんな芝居でも打ちますよ。絶対にポーランドをウォシャウスキーにはやらない。ヨーロッパ全土が戦渦に巻き込まれないように、青の戦域領も奪還して下さい。これは独立共和国連邦の長官を兼務するプロシア首相の命令だ。参謀総長!肝に銘じてくれたまえ!」


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