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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第二章  絶望のインターバル
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 レンガや石造りの古風な建造物が並ぶ大通りを、何台ものリムジンがゆっくりと走行する。


 二十世紀の街並みの再現に成功したウィーンの都を、セルゲイ・ウォシャウスキーは締め切った車の窓から驚いた表情をしつつも熱心に眺めた。


「エンド・ウォーで粉々になった建物を、よくまあここまで作り直せたものだ」


「その忍耐強さには感服しますな。我々も見習いますかね?」


 ケビン・ウォーカーが皮肉めいた顔でウォシャウスキーを見た。

 体格の良い男二人が足を組んで向き合っていても、リムジンの中は驚くほどゆったりとしている。ウォーカーとウォシャウスキーの他に護衛の兵士二人が乗っても、窮屈さを感じない。

でこぼこの石畳の道路を滑るように走っていくリムジンのサスペンションにも驚愕だ。


「この贅沢極まりないクラシックカーは、エンド・ウォー以前の代物かね?あの絶望的な終末戦争のなか、一体、どこに隠していたんだ?人類がどんな思いをして生き抜いてきたと思っているのか、この車の所有者に聞いてみたいものだな」


 苦々しさを隠そうともしないウォシャウスキーの表情のどこが面白いのか、ウォーカーは、くっくっと喉を鳴らして笑った。


「我々はいつも座席の堅い軍用車で移動していますからね。メルセデスのスーパーリムジンか。こんなに乗り心地の良い車のシートに座ったのは生まれて初めてだ。窓の外の風景を見ても分かる通り、ウィーンの中心街は随分と贅沢ですな。アウェイオンで我が軍が勝利した理由がこれで分かりましたよ。奴ら、戦争は二の次で、豪奢な暮しを楽しんでいたからだ。この都市に掛ける金を戦費に回されていたら、我々はとっくの昔にヨーロッパ攻略を諦めなければならなかったでしょう。プロシアの貴族主義には感謝しなければなりませんね」


「感謝も何も」


 ウォーカーの言葉に、ウォシャウスキーは増々嫌そうに顔を顰めながら毒づいた。


「腐った貴族趣味なんぞ、俺は反吐が出る程嫌いでね。こんな尻のむずむずするシートの車なんざ、すぐにでも爆破してやりたいくらいだ。プロシア国を手始めに、独立共和国領土の全域を制覇した暁には貴族と名乗る輩は皆、シベリアに強制移住させてやるつもりだ」


「この地の貴族たちは、将軍のお沙汰を恐怖して待っているようですな」


 ウォーカーは、歩道に溢れる見物人を眺めながら楽しそうに言った。


 えらく古風な服装の人々が目立つ。

 ヨーロッパのそこかしこ、特にプロシアで反テクノロジー運動と懐古主義が起きているという噂は耳にしていたが、まさか本当に十九世紀に流行したドレス姿の女性を目撃しようとは。


(戦争中だと言うのに愚かな思想が流行っているもんだ)


 ウォーカーは呆れた。だが、自分達には好都合だ。

 テクノロジーの進化を糾弾するヨーロッパの要人、文化人を煽って内部工作すれば、ここ、プロシアを筆頭に、独立共和国連邦はあっけなく崩れるかもしれない。

 その後、この地に住む人間がどうなろうと、自分にはどうでもいいことだ。

 北の大陸から来た軍人の乗った豪華なリムジンに、物珍し気な視線を向ける暢気な顔の人々に、ウォーカーは侮蔑の視線を投げた。

 戦争など、これっぽっちも関係ないと思っていられるのも、今のうちだけだ。

 休戦協定の会議は、ヴェルベデーレ宮殿で開かれることになっている。美しい庭園に挟まれた荘厳な建物は、エンド・ウォー復興の象徴として執念で再建されたと聞いている。

 ホーフブルグ王宮の方が良かったなと、ウォーカーは思った。

 あっちの建物の方が豪奢だ。物見遊山の軽い気分に浸って、こちらから王宮を会議の場所に指定することも出来た。

 心血を注いで再建させた王宮に軍事連合軍が乗り込んでいったとしたら、ウィーンの街の人々も、さすがに物珍し気な態度だけで自分達を見る事はないだろうに。

 プライドの高いプロシア側からしたら、屈辱に歯噛みしながらウィーンで会議を開く条件を飲んだに違いないのだから。

 

 再興しているウィーンの街を、ウォーカーは純真に羨ましいと思った。


 ウォシャウスキーもそうだろう。

 老境に差し掛かってているが、それを塵も感じさせない屈強な大男の顔はいつにも増して憎悪に歪んでいる。

 美しいウィーンの街並みを目の当たりにしたからだ。

 ウォシャウスキーの生まれ故郷は、偉大な城も歴史ある街も、跡形もなく消滅してしまっていて、未だ再建の目途は立っていない。


 自分の祖国はどうなっているのだろう。

 

 ウォーカーは軽く目を閉じた。

 まだ見ぬ祖国。

 自由の女神は?マンハッタンの摩天楼は?

 人の手に管理されなくなって一世紀以上が経つニューヨークは、大昔の湿地帯に逆戻りしているだろう。

 アメリカの象徴は、形を残して存在しているだろうか。ロッキー山脈は雄大な姿のまま、そびえ立っているのだろうか。

 数少ない写真の四角く切れた風景しか、ウォーカーの脳裏に浮かばない。

 それもそうだ。

 ヨーロッパの地で生まれ育ったウォーカーには、自由の女神も摩天楼も、写真の上での存在でしかないのだから。

 ホワイトハウスがエンド・ウォーの攻撃で消滅したと、今の自分と同じ地位にある父親から教わったのは、随分と幼い頃だ。

 モスクワ、北京然り。

 遠く離れたオーストラリアや南米の国々はどうなっているのだろう?世界に点在する沢山の国々が、あの終末戦争でどれだけ崩壊され、消滅したのか。

 

 だから。

 

 ウォーカーは、エンド・ウォーからいち早く復興を遂げたヨーロッパの国々が憎かった。

 攻撃の座標が偶然にも少しずれたお陰で、消滅する筈だった国は、文明を残したまま生き残った。

 標的ではなかったのに、エンド・ウォーの攻撃をまともに受けて消し飛んでしまった国は現在、青の戦域として、ロング・ウォーの開始から死者を弔う暇もない遺棄地へとなり果てている。

 理不尽な話だが、それも仕方がない。戦争とはそういうものだ。

 誰かが泣き、誰かが笑う。誰かが死んで、誰かが生き残る。

 大昔に起こった大惨事を恨んだところで、どうしようもない。

 呪われた過去から脱出して、未来を切り開かなければならないのだ。

 エンド・ウォー以後託された使命を遂行する為に、ケビン・ウォーカーという男が、自分が、ここに存在している。

 

 庭園を抜け宮殿の正面に近づくと、リムジンは速度を下げた。

 

 ゆるゆると止まった車の脇には、幅の広い赤い絨毯が宮殿まで長く伸びている。両開きのリムジンのドアが、共和国連邦の正装した軍人によって恭しく開かれ、ウォーカーとウォシャウスキーは同時に絨毯の上に降り立った。

 宮殿を背にして二人の男が並んで立っていた。

 一人はスーツ、もう一人は軍服の正装姿だ。エーベルト・フォン・ハインライン、プロシア首相と、ジョン・ウルバートン参謀総長という共和国連邦のトップに迎えられ、ウォーカーは感慨に目を瞬いた。

 ウォシャウスキーと同盟を組んで、ロング・ウォーに参戦してから、十年以上が過ぎた。胸の奥に熱いものが込み上げてくる。いや、まだだ。ここから全てが始まるのだ。


「ようこそ、ウィーンへ。お待ちしておりました」


 待機していた二人が、慇懃な態度で握手を求めてきた。

 アウェイオンの戦いで大敗した相手に、自分から手を差し出す行為にどれだけ屈辱を感じているだろう。

 そんな考えがウォーカーの頭を過ぎるよりも早く、隣のウォシャウスキーは共和国連邦軍の元帥を睥睨しながら、その手をむんずと掴んで、振り回していた。


「セルゲイ・ウォシャウスキー、ロシア軍総司令官だ」


「ジョン・ウルバートン独立共和国連邦軍参謀総長です」

 

 握手を交わしながらお互いを睨みあう軍人の殺気に圧倒されて、ウォーカーは少しばかりプロシアの首相との握手が遅れた。

 差し出されていた相手の手を慌てて握り締める。意外と華奢な手だ。プロシアの貴族出身なのだろう、何の苦労もしたことがないと、白くて長い指が物語っている。合わせた掌が冷たく湿っていた。

 生まれて初めての試練を抱えて、独立共和国連邦を率いるプロシアの指導者が酷く緊張しているのが分かった。

 

 今、自分たちが相手よりずっと優位な立場にいることを再認識して、ウォーカーは不敵な笑みをプロシアの首相に向けた。


「お逢い出来て光栄です。ハインライン、プロシア連邦共和国首相殿」


「私もです」

 

 ウォーカーより一回り以上若そうなプロシア首相が、一呼吸置いてから、緊張し切った表情で口を動かし始めた。


「初めてお目にかかります。アメリカ合衆国副大統領、ケビン・ウォーカー殿」


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