エンド・ウォー秘話・1
ケイとダンはハインライン達の乗ったバンの警護に当たる。
ヤノシュは己が知る秘密をハインラインに語り始める。
「いつまでぐだぐだと言い争いをしているつもりなんですか!」
激しい叱責に、ハインラインとヤノシュの身体が一瞬で硬直させた。
「女性に頬を叩かれるなんて、初めてだ…」
突然平手打ちを食らわされたハインラインは、叩かれた頬を手で押さえながら、呆けた表情でミアを凝視した。
「兄を引っ叩くなんて!ミア、俺はお前をそんな乱暴な子に育てた覚えはないぞ!」
立ち竦んでいるハインラインの横からヤノシュが猛然とがなり立て始める。
「うるさい」
ドスの効いたミアの声に、身に危険を感じたヤノシュとハインラインは後退りした。バンのライトの光を背に受けて仁王立ちしているミアが、怒りも露わに肩を震るわせているのに気付いたからだ。
「ミアさん、そんなに怒らないで」
ハインラインが取り繕うとする。ミアに睨まれて口を閉じ、亀のように首を竦めた。
「いいですか?さっきの火の玉が二度三度と降って来きたら、ヨーロッパは、私達の世界は壊滅してしまうんですよ!」
「だったら、ハインライン一人を殴って黙らせれば済むことだ」
ヤノシュが果敢にも、怒れるミアに食って掛かった。
「こいつがプロシアに引き返すと言って聞かないから、俺達はこんな夜の土漠の真ん中で立ち往生しているんだぜ?」
「ハインライン様は正義感がお強いのです。プロシアの為政者として正しい職務を全うしようとしている。兄さんが説明を怠ったったから、このような状況になっているのです。ハインライン様に責任を押し付けないで下さい」
「それは否定出来ないな」
ミアにぴしゃりと言われて、ヤノシュは渋面で頭を掻いた。
「アガタ因子の説明を先延ばしにしてしまったのは確かだ。何故って、こいつの頭で理解できるようにどう説明すればいいのか、悩んでいる最中だ」
「兄さん、なんてこと言うの!」
眦を吊り上げたミアが掴み掛らんばかりの勢いでヤノシュに近付いた。
「ミアさん、ヤノシュを責めないでくれ」
右の頬をミアの掌の形に赤く腫らしたハインラインが二人の間に割って入った。
「ヤノシュは大怪我でずっと意識を失っていたんだよ。意識が戻った直後はパイパーソニックミサイルで大騒ぎだ。アガタ因子とやらの説明どころじゃなかったのは、君だって承知しているだろう?」
「そうであっても、ハインライン様を引き返すことが出来ない場所までお連れしてしまっった以上、兄には責任があります」
「ハインラインの前では、どうしたって俺が悪者になるよな、ミア」
ヤノシュは妹に叩かれた頬を手で擦りながら自虐的な笑みを漏らした。嫌味っぽい兄の言葉に、ミアがぷいと横を向く。
二人が仲違いした原因が自分にある。責任を感じたハインラインはヤノシュとミアに謝り出した。
「すまない、私が意地を張り過ぎた。君達兄妹を喧嘩させるつもりなんてなかったんだ。冷静に考えれば、ヤノシュ、君の言う通りだ。プロシアに戻ってとしても、今の私には何の権限もないのだからな」
悔し気に項垂れたハインラインの脳裏に、ビューラーの顔が頭に浮かんだ。
(そうだ。ベンハルトがいるじゃないか。彼ならこの難局を切り抜けることが出来る筈だ)
ハインラインは、自分が唯一信頼を置く首席補佐官の無事を切に願った。
「さあ、ミアさん。すぐにヤガタに向かおう」
「了承して頂けたのですね、ハインライン様」
ミアが胸に手を当てて嬉しそうに目を瞬かせた。
妹の軟化した態度に、ヤノシュは不機嫌極まりない表情で鼻を鳴らしてから、荒々しくバンのドアを開いて助手席に乗り込んだ。ハンドルの脇にある無線機のスイッチを入れて受信機を取り上げると、バンの前後に立っているガルム2とフェンリルに通信を行った。
「スーツパイロット諸君、待たせて済まなかった。これからヤガタに向かうので、護衛を宜しく頼む」
「う、うん?はい!了解しました!」
突然のヤノシュの声にケイは飛び上がった。すぐに応答したものの、声は自分でもびっくりするほど掠れていた。
戦いの連続だったせいで、プロシア議員の言い争いすらも子守唄に聞こえてしまうほど疲れていた。幾度となく睡魔が襲ってくるのに必死で抗っていたが、立っているだけの状態に、ケイの緊張の糸が遂に切れた。
瞼の重さに耐え切れなくなって、コクピットに座ったまま、こくりこくりと上下に頭を揺らしていたところに、ヤノシュの尖った声が喧々(けんけん)とコクピット中に響き渡った。
ケイは眠気を振り払おうと、フェンリルの狭いコクピットの中で器用に上半身を左右に捩じって深呼吸を繰り返し、肺と脳に酸素を大量に取り込んだ。ヘルメットを被り直すと両眼にバイザーを下ろして、赤外線スコープモードに切り替える。
バンの前方に機関銃を肩に抱えたまま微動だにしないガルム2の全身が、中央モニターに浮かび上がった。
「あいつも居眠りしてるな」
バイザーに映った映像を見ながら、ケイは送信音声を最大量にしてダンに無線連絡を入れた。
「起きろ、ダン!バンが移動するぞ。行先はヤガタだ」
「ふがっ?りょ、了解だぁ」
ダンの寝ぼけた声がイヤホンから聞こえた後、ガルム2が大きく伸びをする姿が緑色の線となってケイのバイザーに映った。
機関銃を構えた二足走行の生体スーツに挟まれて、バンが走る。
太陽の下で見れば見渡す限り砂礫が広がる大地も、今は、夜の帳に包み隠されていた。
ガルム2の人工脳が、砂だまりや岩を回避しながらバンの走行ルートを確保して、足跡を残しながら一定の速度で走っていく。
このまま走れば、ヤガタに到着するのは五時間後だ。
(ヤガタに帰れる。今度こそ、エマに会える)
ケイは胸が躍るのを抑え切れなかった。小走り程度の速度しか出せなくて歯痒いが、ダガーからハインライン達の護衛を仰せ使っている身としては、バンより先に行く訳にもいかない。
(もう少しスピードを上げて走ってくれないかな)
ケイは時速六十キロを超えない速さでフェンリルの前を走るバンを眺めた。
戦闘車の特殊タイヤなら砂だまりに突っ込んでも問題なく続走出来るだろうが、箱型の乗用車のタイヤでは恐らく身動きが取れなくなるだろう。車が故障でもしたら一大事だ
(どうかエマの意識が戻っていますように)
ケイは願いを込めるように、天空に散らばる星を仰いだ。
遥か彼方に微かな光が一つだけ揺らめいているのを見つけたハインラインは、興奮して声を上げた。
「明りが灯っているぞ!凄いな、こんな土漠の真ん中にも、住んでいる人間がいるんだ」
「それは、どうかな」
感心しているハインラインに、六人乗りのバンの中央と後部座席を向かい合わせにして座って地図を開いているヤノシュが肩を竦めた。
「この一帯は戦域戦に使われた砂漠地帯だ。おそらくは、破壊された戦車や戦闘車内を漁ったり、解体して売っぱらおうとしている連中だろうよ」
「盗賊の可能性もあります。彼らが長距離ロケットランチャーを携帯していないことを祈りましょう」
銃に手を置いて助手席に座るミアからも、物騒な言葉が飛び出す。
ハインラインは不安な表情で窓の外を眺めた。さっき見えたオレンジ色の光は、どこにも見当たらなくなっていた。
「さてと。遅くなったが、これからお前に、俺達の知っている秘密を聞かせてやろう。お前が理解できるかどうかは別問題だがな」
「ああ。頑張って理解するつもりだから、包み隠さず話してくれ」
六人乗りのバンの中で膝を付き合わせるようにして座っているヤノシュに向かって、ハインラインは身を乗り出した。真剣な表情のハインラインから視線を逸らさずに、ヤノシュが語りを始める。
「話を始める前に、ハインライン、君に問題だ。最終戦争が起こったのはいつだ?」
「歴史の教科書で百五十年前と教えられたよ。全世界に大量の最終兵器が使用され、人類は滅亡寸前まで追いやられたと。最終兵器って、さっき見たハイパーソニックミサイルとやらが、そうなのか?」
「そうだ。もっと破壊力のあるミサイルも使用された。だが、百五十年というのは半分誤りでな。実は、最終戦争は三百年前に勃発したんだ」
「なんだって?」
疑いの表情になったハインラインに構わずに、ヤノシュは淡々と話しを進めた。
「この話はガグル社最上層部の地位にある三人の人間と、俺達のグループしか知らない極秘機密なんだ」
「……」
「最終戦争で使われたミサイルの影響で、地上は大量の放射能に汚染された。大多数の人間が死滅し、多くの国が消滅した。エンド・ウォー以前からの多国籍巨大企業だったガグル社は、偶然と幸運が重なって大量のミサイルを撃ち込まれなかったヨーロッパの各地から生き残った人々を集め、人類世界を再構築するべく地下深くに彼らの住む街を建設した」
「じゃあ、君の家の地下にあった、あの空洞は…」
ハインラインは分厚いコンクリートで固められた巨大な地下空間を思い出した。
「そうだ。あそこはガグル社が放射線除去装置の設備を作って人間を住まわせた居住跡だよ。人類は百五十年間という長い年月を地下で過ごし、次の百五十年で地上に文明を再建させた。実はあんな地下空間がヨーロッパ中にいくつもあるんだ。俺達が地下空間を根城に出来るのは、知る人間が誰もいなくなったからだ」
ハインラインは口を薄く開いたままヤノシュを凝視した。喋ろうにも言葉が出てこないらしい。
(まあ、仕方ないよな。こんな突拍子もない話を聞かされれば、誰だって固まっちまう)
苦笑しながら肩を竦めるヤノシュに、ハインラインは漸く言葉を吐き出した。
「それが真実だとして、エンド・ウォーとアガタ因子、一体どんな関係にあるんだ?」




