大げんか
ヤノシュとハインラインの口論に、ケイとダンが困惑する。
「なあ、ケイ。俺達、どうすりゃいいんだろうな」
肩に機関銃の銃身を乗せたガルム2が後ろのフェンリルを振り向いて、夜の闇に溶け込んでいく黒塗りのバンに親指の先を向けた。
「さあ…」
苦り切ったダンの声をイヤホン越しに聞きながら、ケイもフェンリルから十メートルほど離れた場所に停車しているバンと、煌々と輝くライトの前に立って口論している二人の男を、バイザー越しに眺めた。
日没はとうに過ぎた。それでもバンがエンジンを掛ける様子はない。
「あいつら、いつまで言い争っているつもりなんだ?元首相の護衛なんて、随分と損な役回りを仰せつかったもんだぜ」
「…そうだね」
ダンが文句を言うのも無理はない。フェンリルの頭部にある集音器が、バンの外で怒鳴り合う男達の声を実況し始めてから、三十分が過ぎていた。
言い争うというよりは押し問答だ。ヤノシュという小男が計画通りにヤガタに向かうと言い張り、ハインラインという背の高い男はベルリンに戻ると言って聞かない。
「早く出発したいけど、俺達が口を割り込ませていい相手じゃないからなあ」
「確かにな。プロシアの元首相とやらが乗った大型のバンに鉢合わせしちまったのが、運の尽きってか。どっちに行くにしろ、早く決めて欲しいぜ」
ダンが腹立たしそうに荒い息を吐く。ケイは激しい口論の只中にある二人を困ったように見つめてから、フェンリルが手に持っている機関銃を抱え直した。
一刻も早くチームαに追い付こうと、幹線道路を必死で爆走して来たのに。
(何でこうなる)
ダンにつられるよにして、ケイの口からも溜息が漏れた。
ケイとダンは西へ移動するダガー隊と合流を果たし、武器の運搬と補給の役も無事に終えた。
四足走行で隊列を組んで中佐の元へ向かう途中、対向車線を走って来た一台の黒塗りのバンが、隊の進路を遮るように車線の中央に停車した。
「敵か?」
先頭を走るリンクスが人型に戻り、脚から引き抜いた銃を箱型の車に向けた。スライドしたドアの内側から、丸腰の男が一人飛び出して来た。
「おお!君達がチームαの諸君だな?私はエルミア・ヤノシュ。プロシア国の平民代表として州から選出された国会議員だ」
小男は感極まった声を上げながら、至近距離から自分に銃口を向けているリンクスに大きく手を振った。
「国会議員だと?」
驚いたダガーが、リンクスの銃を脚のホルスターに差し込んだ。
「戦域での君達の活躍は国会でも随分話題になっているよ。ところで、私は今、プロシアの元首相であるハインライン伯爵とヤガタに向かう途中でね。我が国の守護神たる生体スーツ隊のリーダーは、ヴァリル・ダガー軍曹だと記憶している。君がそのダガー軍曹とお見受けしたが、当たっているかな?」
小男の前に、ダガーはリンクスを跪かせた。
「はい。私がダガー軍曹です」
「軍曹、スーツから降りて話を聞いてくれないか?ちょっと頼みがあるんだが…」
揉み手をしながらリンクスに近付いて来るヤノシュと名乗った小男にいかがわしさを感じたダガーは、話を遮り鋭い声で詰問した。
「その前に尋ねたいことがある。本当にハインライン元首相閣下がご乗車していらっしゃるんですか?」
「ああ、本当だ」
バンの後部座席から、すらりと背の高い金髪の男が現れた。
「あの顔は…」
「本物かよ」
ハインラインを目の当たりにした隊の全員がざわめき立った。
それもその筈。ヤガタ基地で兵士が使用する食堂の壁に歴代の司令官の肖像画がずらりと並ぶ左端に飾られている絵と、目の前にいる男の顔が同じだったからだ。
「ハインライン閣下!」
元首相の姿を目にしたダガーはリンクスから降下してバンに駆け寄った。背の高いハインラインとヤノシュという小男と三人で会話を始めた。
(軍曹、随分と真剣な顔している。何を話しているんだろう)
戦闘バイザーを外して興味深げにモニターを覗き込んでいたケイの瞳が、ダガーの剣の切っ先のように尖った視線とかち合った。
「こわっ」
思わず座席で仰け反ったケイに、ダガーから通信が入った。
「コックス、コストナー、こっちに来い」
ダガーに指名されたケイとダンが、スーツをバンの近くに移動させてから降下した。
「ハインライン閣下とその従者達は、火急の要件でヤガタに向かっている。二人に基地までの警護を頼む」
「えっ!あ、はい。了解です」
突然の任務に戸惑を隠せない。だが、上官の命令は絶対だ。ダガーに敬礼するケイの隣でダンが嫌そうに顔を顰めた。
「えええ~。護衛って、そんな、突然言われても…」
「コックス二等兵、俺の命令に異存があるのか」
「い、いえ、全くもって何もないです。要人の護衛は俺に任せて下さい!」
ダガーに睨まれたダンは、背筋をぴんと伸ばして最敬礼した。
「ダン、ケイ、護衛、頑張れよ。リンダさんによろしくな」
事の成り行きをビッグ・ベアのコクピットから顔を出して眺めていたビルが、二人に手を振っ
てから疾風の如く走り出した。
「よろしくね、お二人さん」
「ガンバレよー」
キキとガルム1がビッグ・ベアの後に続く。
「ダン、ケイ、必ず任務を完遂せよ。戦域戦は終わったが、まだどこかに敵が潜んでいる可能性がある。慣れた土地だからといって気を抜くな」
そう言い残すと、ダガーはリンクスに搭乗し、西に向かって走り出した。
小さくなっていくスーツ隊の後ろ姿を見送りながら、ダンが気落ちしたように呟いた。
「またしても置いてけぼりかよ。俺って、そんなに頼りないかな?」
「まさか。でも、ダンの気持ちは分かるよ」
軍から造反したヘーゲルシュタイン少将が、ガグル社の手先となってプロシアを攻撃すると、ノイフェルマン中将から情報があった。
だが、たった一人で大軍勢に謀反を起こせる筈もない。ガグル社がヘーゲルシュタインに最新兵器を使用させているのは間違いなかった。
反逆者となったヘーゲルシュタインと対峙すれば、必ず戦闘になる。戦いから外された悔しさは、ケイにもあった。
(でも、軍曹のあの視線は)
ダガーの鋭い視線を目の当たりにしたケイは、ハインライン達の護衛が容易い任務ではないのだと悟った。
(軍曹の言った通り、土漠のどこかに敵の残存兵が隠れているかも知れない)
戦域戦が終わったとはいえ、ほんの数日前まで、土漠は戦闘地帯であったのだ。
それに、朝まで待たずに進むとなれば、闇の中の土漠を縦に突っ切ることになる。いくら赤外線感知レーダーで敵の動きを感知出来るとはいえ、暗闇の中では、それが精緻な情報だとは限らない。
「スーツのパイロット君達、こっちに来たまえ。自己紹介といこう」
呼ばれたて顔を上げると、ヤノシュと名乗った小柄な平民議員が、ケイとダンに手を向けて、おいでおいでを繰り返していた。
二人はハインラインとその隣のヤノシュまで足を進めると、右腕を上げて敬礼した。
「ダン・コックス二等兵です」
「ケイ・コストナー二等兵です」
「ハインラインだ。宜しく頼む」
目の前に出された手入れの行き届いた手に、ケイは恐る恐る自分の手を添えた。握手を終えると、ハインラインの後ろから、戦闘服を着た年の若い女が音もなく現れた。
「ミア・ヤノシュです。ヤノシュ議員の妹で、ハインライン様の護衛を務めています」
ほっそりとした手を二人に向かって差し出して美しく微笑むミアに、ケイとダンが頬を赤らめながら手を伸ばした。
「こりゃまた随分と女性に免疫のない兵士さん達だな」
ミアに手を握られて照れまくっている二人の様子に、ヤノシュがふんと鼻を鳴らした。
「すぐに護衛を開始します」
ケイとダンは一礼してからフェンリルとガルム2のコクピットに戻った。
ヤガタに向かう為、アスファルトで舗装されている幹線道路から道なき道へと進路を変えたバンの前後に、ガルム2とフェンリルを配置し走行させた、二時間後。
とっぷりと日の暮れた土漠に立ち往生して、ヤノシュとハインラインの喧嘩が収るのを辛抱強く待っている。
「いい加減にしてくれよ。これじゃ、任務もあったもんじゃない」
ダンが恨めしげに呟いた。
彼らの果てない口論は、夜空から謎めいた巨大な火球がいくつも大地に落下したのが原因だった。
「何だ、あれは!」
「隕石か?」
「違う!ガグル社かアメリカ軍が空から発射させた新型ミサイルだ!」
一斉に夜空を仰いで、巨大な火の玉を目で追った。火球が落ちた場所をフェンリルの人工脳で測定すると、ヨーロッパの主要都市との結果が出た。ベルリンに火球が落下したと知ったハインラインが、首都に戻るべきだとヤノシュに主張し始めたのだ。
「ヤノシュ、君は、ミサイル攻撃を受けた首都を放ってヤガタに向かうと言うのか?それは為政者としてあるまじき行為だ。戦火の中の国民を救うのが、我々の使命だ!」
声を荒げるハインラインに、ヤノシュが皮肉を込めて言い返した。
「クーデターで命からがらベルリンから逃げて来たっていうのに、お前の高潔さには頭が下がるよ、ハインライン。この少人数で火消しをするってのも、えらく斬新なアイデアだ。だがな、俺達が火の海になったベルリンに戻る頃には、どこもかしこも焼け野原だ」
ハインラインも負けじと反論する。
「首都爆破となれば、政治家や役人もかなりの被害に遭っている筈だ。誰が国の舵取りをする?」
「強情な奴だ。さっきから何度も言っているだろ?!ヤガタに行かないと、空からの攻撃が続くことになるんだぞ!もっと犠牲者が増えるんだ!」
「ならば、なおの事、戻って対策を立てないと」
「聞いたか、ケイ。あの平民議員、クーデターって言ったぞ」
「うん、はっきりと言ったね」
聞かれる筈もないのだが、ヤノシュの衝撃的な言葉に、ケイとダンはひそひそ声で通信し合った。
「おかしいと思ったんだよ。国会議員が何故こんな土漠に車を走らせているんだろうって」
(この二人、政敵から命を狙われて、ヤガタに逃げようとしていた所だったのかな)
さすがに口にしてはまずいと、ケイは言葉を飲み込んだ。
「ヤガタが鍵なんだ!絶対にヤガタに行く!」
「いいや、ベルリンに戻る!」
周りが困惑しているのもお構いなしに、ヤノシュとハインラインは怒鳴り合いを続けている。
堪り兼ねた様子でミアがバンから飛び出した。闇夜で怒鳴りあっているヤノシュとハインラインに大股で近づくと、二人の頬に張り手を食らわせる。
「いい加減にしてください!」
ミアは、夜の静寂を裂くような甲高い怒声を張り上げた。




