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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第七章 創造者たち
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エリカと親友を失った過去の記憶に苛まれたブラウンは…。



 漆黒の夜空を彩っていた火球はふつりと姿を消した。

 紅蓮の炎に染まった大地が煌々と闇を照らすのを、ブラウンは呆然と眺めていた。





「ゼムンに行くだと?!あそこは今、戦域戦の最前線なんだぞ。ベルガー少尉、君の任務はチェース大佐の護衛だろう?そう私が決めた筈だ!一体誰が任務変更の許可を出した!」


 怒りに任せて机に拳を叩き付けるブラウンの前で、ヨナスは直立不動で答えた。


「チェース大佐です。昨日(さくじつ)、ゼムンで激しい戦闘が展開されて多くの死傷者が出たので、急遽兵士補充の通達があったのはご存じですよね?前線で戦闘指揮する下士官が不足しているので、お前が行けと大佐に推挙されたまでです」


「バカな!」


 ブラウンはもう一度、拳を机に叩き付けた。


「奴は君の直属の上官ではない!私だ!上級貴族だからといって、意のままに規律を変更されては作戦もあったもんじゃない。今から命令を撤回させて来る!」


 椅子を倒す勢いで荒々しく立ち上がったブラウンの肩に、ヨナスは手を置いて制した。


「中尉、行く必要はありません。私が自ら志願したのですから」


 思いがけない言葉に、ブラウンは唖然とした表情をヨナスに向けた。


「何故だ、ヨナス?君が死地に行く必要はない。エリカは妊娠中なんだぞ。君は三番目の子供の顔を見たくないのか?!」


「子供の顔、だって?」


 ヨナスはまるで血を吐くように口から言葉を吐き出すと、絶望に満ちた目でブラウンを睨み付けた。


「ヨナス?」


 掴まれた肩に激痛が走る。ヨナスは骨も砕けよとばかりに五指に力を込めて言い放った。


「エリカが妊娠しているのは、君の子じゃないのか?」


「…君は、何を、言っているんだ?」


 親友で義理の弟のヨナスから衝撃的な言葉を投げつけられたブラウンは、荒い息を吐きながら、蒼白になった顔をヨナスに向けた。


「えらく動揺しているな」


 ブラウンの狼狽えた様子に己の言葉を確信させたヨナスは、自虐の窮まった悲しい笑みを浮かべた。


「とぼけても無駄だ。エリカが愛しているのは、ウェルク、君だ」


 大きく息を飲んだブラウンを見て、ヨナスは勝ち誇ったような表情をした。それから絶望し切った掠れ声を喉から絞り出した。


「僕は見てしまったんだ。エリカは居間にある君の写真立てに、そっと口付けしていたのをね」




 

 暖炉の上に、ブラウン家の家族の写真が飾ってあった。

 祖父母、父と母。エリカと自分。飼い犬の写真。ずらりと並ぶ家族写真の中から、おそらくブラウンが士官学校を卒業して一時帰宅した際に、記念だと言って父が撮ってくれたものだ。


(にい)さまの軍服姿って、素敵。とても格好いいわ」


 女学生だったエリカが、はしゃぎながら真新しい写真立てにキスをした。


「よせよ。みっともないぞ」


 ブラウンは苦笑しながら、エリカから写真盾を奪おうと手を伸ばす。


「何よぅ。士官学校って男ばかりだから、女の子にキスされたこともないんでしょ?だから私が兄さまにキスしてあげてるの」


 ブラウンの手から逃れようと、エリカが笑いながらしなやかに腰を捩じる。艶やかな長い黒髪がドレスの裾と共に一回転した。


「写真にかい?ここに実物がいるっていうのに?」


「私はもう十六歳よ。兄さまに抱き付いてキスするなんて、恥ずかしいじゃない。私はもう子供じゃないのよ」


 赤くなって唇を尖らせる妹に、ブラウンは優しく目を細めながら微笑んだ。





「ヨナス、君は勘違いしている。エリカが愛しているのは君だ。自分の夫だよ」


 弱々しげな口調で否定するブラウンを、ヨナスは真っ赤になった目で凝視した。


「そうじゃない。ウェルク、君は、エリカの想いを知っていながら彼女を僕と結婚させたんだ。何故って、僕があの黒髪の美女にぞっこんになって結婚を申し込んだからさ。そして、養父母が死んでエリカの親代わりになっていた君はすぐに承諾した。理由を言ってやろう。手足纏いになった義妹を体よく押し付けられるからさ」


「違う」


「オーストリアの上級市民とはいえ、エリカは商人出身だ。貴族の女と結婚しなければ、軍での出世はない。いくら優秀でも、平民ではせいぜい大尉止まりだからな」


 渡りに船だったろうと、ヨナスは呻いた。


「ヨナス。誤解しないでくれ。義理とはいえ、エリカは、あの子は私の妹だ。君が想像するような感情で彼女と接した事は一度もない!それだけは信じて欲しい」


 だが、不信感の塊となったヨナスが、ブラウンの言葉に耳を傾けないとは端から分かっていた。何故なら。


「だったら、何故、君と僕の身長と背格好が同じなんだ?そして、この髪の色も」


 ヨナスは自分の胸を叩いてから砂色の髪を指差した。


「それは…。ただの偶然だよ。本当だ」


 違う。ずっと前から気付いていた。エリカの兄を想う感情が肉親の情を超えていると。

 エリカはブラウンを男として愛していると。

 その気持ちに応えてやれないから、自分の外観と似たヨナスを紹介した。

 賢いエリカはすぐにブラウンの真意を見抜いた。だから、優しいが煮え切らない義兄ではなく、自分を心から愛してくれる男に鞍替えしたのだ。


(そうではなかったというのか?)


 ブラウンへの想いを胸に秘めたまま、エリカはヨナスを夫にしたのか。


「誤解だ。ヨナス、ありもしない想像で自分の心を痛めつけるのはよしてくれ。生まれてくる子供は君の子なんだぞ」


「子供…」


 虚ろな表情でブラウンを見たヨナスが苦しげに呟いた。


「ウェルク、君は、本当に、本当に、(むご)い人間だ」


 そう言い残すと踵を返し執務室から出て行ったヨナスの背中を、ブラウンは呆然と見送った。

それがブラウンの親友であり、エリカの夫、ヨナス・ベルガーと交わした最後の言葉となった。




 地平線が燃えている。

 おそらくはドイツの都市全域だ。

 怒りと恐怖で全身から汗が吹き出す。心臓が破裂するかと思う程、激しく波打つ。激しい動悸に身体が軋む。身体がアスファルトに沈み込みそうになるくらいに重い。


(エリカ…)


 ブラウンは肩で大きく息をしながら、遥か彼方の大地に延々と連なる炎を凝視していた。


「中佐」


 後ろから声を掛けられた。

 ゆっくりと、首を回す。見慣れた人影が闇の中に立っていた。


「ダガー、か…」


「中佐のご心痛は、お察します」


 ブラウンは何も答えずに、燃える地平線に視線を戻した。背後から足音近付いて来て、肩に手が置かれたのを感じた。


「指揮を続行してください。チームαが中佐の命令を待って待機しています。私は今からリンクスでアムシュッテンに向かい、エリカさんと子供達の安否を確認します。ですから…」


「その必要はない」


 ブラウンは立ち上がると、後ろのダガーを振り向いた。


「個人的な問題にスーツを使用するのは軍規に反する」


「しかし」


 暗闇で表情は見えないが、ダガーの戸惑った声が彼の心境を物語っていた。


「私は越権行為を犯すつもりはない。それに、エリカは賢くて強い。今頃は子供達と安全な場所に非難しているだろう」


 ブラウンは、シャツの胸ポケットにしまってあるエリカの手紙を、軍服の上からそっと撫でた。ヨナスを埋葬した時のエリカの表情を思い浮かべる。身重のエリカは真っ直ぐに前を向き、涙ひとつ零さずにブラウンに告げたのだ。

 


 私は罪を犯しました。

 私の無邪気さが、ヨナスを死に至らしめたのです。

 夫が死んだと知るまで、私は自分の愚かさに気が付きませんでした。

 だからこれは神から与えられた罰なのです、と。



 ブラウンの写真に口付けするエリカを見てしまったヨナス同様、エリカも、自分の浅はかな行動に傷付き絶望した夫の姿を目にしていたのだ。


(エリカ、ヨナス、お前達に罪などあるものか)


 自分の曖昧な態度が、愚かしい企てが、エリカとヨナスを最悪の結果に導いてしまったのだから。


(エリカ。ヨナスの、最愛の人の子を守れ。私はお前を信じている)


 アムシュッテンの方向を一瞥してから、ブラウンは鋭い口調で命令を出した。


「我々はヤガタに戻る」


「ヤガタに?何故ですか?」


 ダガーが身動ぎするのが分かった。唐突な命令に聞こえたようだ。


「ダガー、アメリカ副大統領の話を覚えているか?」


「はい」


 凜とした声が闇に響く。


「彼、ウォーカーは、私にアシュケナジを探せと言った。そして我々はパズルのピースであるとも」


「記憶してます」


「これはヘーゲルシュタインから聞いた話だ。空から火球を売らせたのは、ガグル社の元総裁であるアシュケナジ、通称ゼウスだ。彼はこの世界を破壊しようと、二度目のエンド・ウォーを画策しているらしい。アシュケナジを止めなければ、世界が滅ぶのは確実だ」


「しかし、どうやってゼウスを見つけるのですか?彼の所在は雲を掴むようだと、ウォーカーは言っていた」


「そうだ。ゼウスの居場所は誰も知らない。だが、ヘーゲルシュタインはヤガタが鍵を握ると言った。ヤガタに戻れと。ならば、少将の遺した言葉に掛けるしか道はない」


「了解しました」

 

 ダガーが敬礼したのだろう、左右のブーツがぶつかる音がした。ブラウンはコホンと軽く咳をした。


「それと、軍曹。いつまで照明を付けないつもりだ?もしかして私が涙を流していると思って遠慮しているのなら、それはとんでもない勘違いだ。戦闘車に戻るから早く照らしてくれ」


「承知しました。これをどうぞ」


 決まり悪そうな返事をしてから、ダガーは腰に装着しているアーマーポーチから小さなペンライトを取り出してブラウンに渡した。


「ところで、戦闘前から気になっていたんだが、ガルム2とフェンリルの姿が見当たらない。彼らはどうしたんだ?」


 途端にダガーが困り顔になる。どうしたと、訝しげに見つめるブラウンに訥々と説明を始めた。


「ここに来る途中で、元首相のハインライン閣下を乗せた大型車に出会いました」


「誰だって?」


 想像もしない名前がダガーの口から飛び出たのに驚いて、思わずブラウンは聞き返した


「元プロシア首相、ハインライン伯爵様です。従者らしき小男が車から出てきて、スーツ二体を護衛に寄越せと言い出しました。断ろうとしましたが、ベルリンの国会議事堂が攻撃され、ノイフェルマンや議員の所在が不明となった今、国家を束ねるのは元首相の務めであり、その直命を無視するのは反逆罪に匹敵すると小男に捲し立てられまして…。僭越な判断だとは思いましたが、後方にいたガルム2とフェンリルを護衛に付けました」


「それで、彼らは、どこに行くんだ?ベルリンに戻るのか?」


「いえ、ヤガタに向かうそうです」


 ダガーの突拍子もない話に、ブラウンは手に握ったペンライトを地面に落としそうになった。



登場人物一覧を入れて、今回で三百話になりました。

起承転結の「結」が見えてきたところです。

あともう少し、かな?(^^;)

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