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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第二章  絶望のインターバル
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ウィ―ンにて



「休戦というのは軍事同盟軍が言い出した話だが、前線で数多くの兵士と戦車、重火器等を失った我々としては、敵から施しを受けるに等しい。いつものように青の戦域内ではなく、彼らがここ、プロシア第二の首都であるウィーンで休戦協定の会議を開きたいと言えば、我々共和国連邦は唯々諾々で出迎えるしかないのが実情だ」

 

 石造りの荘厳な建物の五階にある大きな窓の中央から外の景色を眺めながら、ヘーゲルシュタインは窓の左端に立っているブラウンに言葉を掛けた。

 エンド・ウォーで破壊尽くされたヨーロッパ有数の古都は、百五十年の歳月を経て、完全とはいかないまでも歴史的建造物はある程度、元の状態に戻っている。

 それでも壊滅的な戦争破壊からここまでの復興を遂げたのは、数多くあるヨーロッパの都市の中でも唯一と言っていい。

 しかし。中心街の大通りを走る車の数は激減し、馬が意気揚々と馬車を引いているのを見ると、ウィーンのような大都市でも燃料が支配階級の富裕層にしか行き渡っていないのが窺える。


「暫く見ないうちに、女性の服装が随分と古めかしくなったな。大尉、あの若い女を見たまえ。ドレスの裾を道に引き摺るようにして歩いているぞ!これが今時の流行なのか?恐ろしいほどの時代の逆行だ!女性の美しい足を、あんなやぼったい服装の下に隠してしまうとは、何と嘆かわしいことか!!」


「反テクノロジー(ラッダイト)がプロシアの第二首都、このウィーンにまで、幅を利かせているという事ですね。」


 ブラウンは大通りを行きかう人々の姿に視線を落とした。

 戦場の風景に馴染んでしまった自分の目には、祖国がどこか遠い異国の様に映る。

 色とりどりの服を着て歩いている集団の中で一人、美しい純白のドレスに身を包んだ女性が目を引いた。

 高価そうなチュールを巻き付けた帽子に日傘を差して優雅に歩く姿はまるで、エンド・ウォーの戦火で焼け残った貴重な絵画を見るようだ。


「あのような服装の女性を描いた十九世紀の画家の複製画を見たことがあります。古典派の。モネと言いましたか?」


「それは君、印象派の大御所だよ。人物よりも風景画の方が多かったのではないかな。代表作は睡蓮だ。確かに彼女たちの服装は、あの時代の絵画を見ているようだ。まるでルノワールのね。中産階級の婦女子が描かれた絵は、それはまあしっかりと、布に身を包んでいるからな。若い娘の服装がナポレオン三世の時代まで遡るのであれば、私としては大歓迎だぞ。腕と胸元を剥き出しにした、ひらひら透け透けのドレスが流行する分にはな!」


 がはははっと大口を開けて派手に笑うヘーゲルシュタインに引き摺られて、ブラウンも思わず苦笑してしまう。

 これを純粋に貴族的な豪放磊落さが魅力と言えば魅力だが、堅物の集合体である軍事同盟軍にこの手の会話が通用するかどうかは疑問府が付く。


「冗談はさて置き、ウィーンの目抜き通りを敵国の軍隊が罷り通るというのは、エンド・ウォー以後始まって以来の大事件だ。これにはプロシアは勿論のこと、独立共和国連邦の要人も、少なからずショックを受けている」


 ヘーゲルシュタインは額を手で撫で擦りながら深い溜息を吐いた。


「二十世紀最大の世界大戦で、彼らが一時期同盟を組んだことがありますが、それ以降は敵味方に分かれていた。今のように長い期間同盟を組むのは、ロング・ウォー始まって以来の事ですからね」


 窓の外の美しい街並みを眺めながらブラウンが言った。


 ウィーンはプロシアでも一、二を争う裕福な街だ。

 必然的に富裕層が多くなる。上級貴族の館があるのは勿論のこと、この街の中心街に住む一般人も上級市民として、プロシアの他の土地に住む平民よりも身分が上だ。

 だからだろう、小奇麗に着飾り柔和な表情で表通りを歩く人々には、戦争の暗い影など欠片一つも落ちていない。

 彼らの命と財産を守る為には、エンド・ウォー以後打ち捨てられた地を戦域として利用するのは、多分、間違ってはいないのだろうが。


「そうだな。最終戦争で世界が崩壊する前の時代の人間が、もしこの時代にタイムスリップして来たら、ひっくり返るほど驚くだろうよ。全てが退行して行く世界にな。特に婦女子の服装にね」


 派手な身振り手振りをしてから、ヘーゲルシュタインが皮肉そうに笑った。


「とにかく、あの二つの大国の生き残りが同盟を結んでいるというのが、この世の男女の仲より不可解だ。今の時代の我々にだって、到底理解出来んのだからな」


「体制の全く異なる国家の生き残りが同盟を組むのは、多分な利益の共有があるからなのでしょう。ですが…」

 

 どうしてそうなったのか。ブラウンは忙しい時間を割いて、手に入る資料を隈なく調べたが、どの文書にも納得した説明は見当たらなかった。

 ヨーロッパ東北部とユーラシア大陸を一人の軍人が統べる独裁国家と組む体制が、エンド・ウォー以前は世界のリーダー的存在の超大国で、ヨーロッパ共同体の同盟国だったと知れば、尚更知りたい欲求が膨らむ。


「奴らにどんな利害の一致があるというのだ?これから始まる停戦会議で、是非聞かせて貰いたいものだな」


 窓下の風景を眺めていたヘーゲルシュタインがブラウンに視線を移した。


「そういえば、君はどこの出身だったかね?」


「ここです。このウィーンの街中です」


「おやおや、土地っ子か!羨ましい限りだな。私なんか、フランス国境に近いど田舎だ。森に囲まれた親父の領土を馬で移動していたよ」


「ヘーゲルシュタイン男爵家は、広大な土地を所有する有力な領主ですから」


 改まった言い方で、ブラウンは右手を自分の胸に当ててから自分の直属の上官に頭を下げた。

 この時代の平民出身の軍人が、貴族を敬う時の所作だ。


「有力でも何でもない。だだっ広い土地を持っているだけの田舎貴族さ。それも、祖父が見栄の為に貧乏貴族から金で爵位を買った、ただの成り上がり者だ。あんな田舎で貴族として威張り腐っている親兄弟の心情が、私にはまったく理解出来なくてな。だから若い頃に家を飛び出して、軍隊に入ったのだよ。でもまあ、立っている者は親でも使えというのが私の理念でね。このつまらん爵位が役に立つことも、多少はある。ウェルク・ブラウン。君を、中佐に昇格させた。二階級特進だ」


「大佐、それは!!」


 驚きのあまり目を見張るブラウンを手で制して、ヘーゲルシュタインはさらに言葉を続けた。


「君の指揮がなければ、ヤガタは敵の手に落ち、我々は軍事同盟軍に白旗を上げなければならなかった。平民出身というだけの理由で、多大なる功績のあった士官の階級を上げないのはおかしな話だと、司令本部にねじ込んでやったのさ。ゴネたついでに、私も階級を上げてもらったよ。フォン・ヘーゲルシュタイン少将だ」


「おめでとうございます」


 ブラウンはヘーゲルシュタインに向かって最上の敬礼をした。


「少将閣下の実力が上層部に認められるのが、遅すぎる嫌いはありますが」


「大勝利を疑わないでアウェイオンの前線に出向いた貴族出身の中堅将校たちが、ドラゴンの攻撃を受けて大分死んでしまったからな。その大多数が功を焦ったイングランド貴族将校だ。それで今、参謀総長殿は大変気弱になっておられる。お陰で、私のような身分の低い新興貴族にも少将というお鉢…いや、身分が回って来たというのが真相さ。この地位を得たお陰で、私もこれから連邦司令本部の連中と、直接渡り合えることが出来る」


 強面を崩してヘーゲルシュタインは心底嬉しそうに笑った。

 溜まりに溜まった鬱憤を一気に晴らしたからだろう。少しの間、声を出して笑ってから、ヘーゲルシュタインはいつもの顰め面に戻った。 


「昇進したからって、戦局を考えると浮かれていられんがな。これからヤガタがどうなるかが、一番の課題だ。あの戦域は大勝した軍事同盟軍に渡るかも知れん。ハイランド、カトボラ、それにもしヤガタまでが占領されるとなると、我が連邦軍の戦域が随分と狭くなる。そうなると、プロシアの領土を削って、戦地と居住区域の緩衝地帯を広げなければならなくなるぞ」


「プロシアの領土を削るとして、イングランドやフランスなどの独立共和国連邦を統べる大国が、それに見合う軍資金や正規兵を我が国に出してくれるかどうかが、問題ですね。どの国も増大する戦費で頭を痛めていますから。戦争税が上昇して、国民の負担は馬鹿にならない。共和国の国々は軒並み景気が低迷して、治安が悪くなっているとも聞いています。他の独立共和国が、プロシア一国に痛みを押し付けることになれば、同盟に亀裂が入るかも知れません。そんなことになれば、政治的不安も増すでしょう。我々の国家の屋台骨が揺らぐことになる」


「軍事同盟だって、我々と同じく、軍費がかなりの負担になっている筈だ。奴ら、共和国連邦にどんな揺さぶりをかけてくる気か…。もしかしたら、戦域領の拡大なんかではなくて、プロシアの領土そのものの分割を求めて来る気かも知れんぞ」 


 そこまで喋ると、ヘーゲルシュタインは口をへの字に結んで再びウィーンの街並みを見渡した。

 上官の不安を一掃するような上手な言葉がどこを探しても見つからず、ブラウンも追従するように無言で眼下の街を眺めた。

 ヨーロッパ全土を支配下に置く野望を持つ国と、自国の領土を失った強大な軍事集団。

 この同盟軍が青の戦域内でなく、ウィーンに凱旋してくることを考えれば、答えは明確だ。


 エンド・ウォー以後、塵にも埃にも、ましてや死にも塗れることなく平和に暮らしてきた人々は、この美しい古都にどんな思いで軍事同盟軍を迎え入れるのだろうか?


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