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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第二章  絶望のインターバル
29/303

落としどころ

 


 ウェルク・ブラウンはゼロ・ドックの研究室に隣接する部屋で、無心にタイプライターを打っていた。

  それほど広くない空間は地下にあるから当然窓もなく、地上の執務室から移した書類と資料が、薄く光る壁に寄り掛かるように無造作に山積みになっていて、恐ろしい圧迫感を生み出している。

 昨日まで使っていた仕事部屋はドラゴンの攻撃で破壊されて使い物にならなくなった。

 壁にいくつもの穴が穿たれて崩れ落ちそうな部屋に、大切な書類を収めた本棚が無傷のまま残っていたのは、奇跡と言っても過言ではない。


 最悪の事態は、数時間前に免れたものの、基地内は混乱の只中だ。

 

居心地は悪いが、喧騒の中で資料作りをするよりは集中できる。アウェイオン敗退から満足に睡眠をとっていない身体には、この静けさは有り難かった。

 ドラゴンから受けた空からの攻撃で、ヤガタ基地の地上部分の建物は見るも無残に半壊した。

 幸いにも、地上より地下に重点的な設備を置いた最新基地だ。上物の損傷があっても、致命的な痛手にはならない。

 だが、カトボラのような通常の基地は、壊滅的な打撃を受けてしまった。

 たった一機の飛行兵器ドラゴン(一匹と数えるべきか?)の登場で、戦局は瞬く間に暗転し、共和国連邦の戦域領土は著しく縮小した。

空で戦う術のない共和国連邦軍が生き残るには、一体、どうすればいいのだろう。


(第四パリ国際条約、新ジュネーブ議定書を持ち出して、戦闘機使用の違法を問うたところで、空飛ぶ竜が条約の解釈に当てはまるとは到底思えない。当然、軍事同盟軍は突っぱねるだろう)


 頼みの綱は生体スーツだ。あれでドラゴンを撃ち落したから、軍事同盟軍が停戦を持ちかけたのは明白だった。

 あれほどの大進撃を止め、全滅寸前の敵にわざわざ停戦を提示してまで地上に墜落したドラゴンを回収していった様子を見ると、飛行兵器はあの一体だけなのかも知れない。

 それも、軍事同盟軍にかなりとってかなり貴重な代物だ。

 

 もし、自分の考えが的を射ているとすれば…。


(こちらにも勝利の女神が微笑む確率は、ゼロではないという事か)

 

 軍事同盟軍との休戦を結んだ直後に、オークランドとヘーゲルシュタインに同行してブラウンも、プロシアにある総司令本部へと赴くことになった。

 それで今、夜を徹して、アウェイオンからヤガタへと大躍進して来た軍事同盟軍の飛行兵器「ドラゴン」及び二足走行兵器の詳細な資料と、負け戦となる戦果の報告書作りに追われている最中だ。

 何の希望的観測もない、この書類に目を通す中央の官僚軍人とプロシアの政治家達の慌てふためく姿を想像しながら、ブラウンは書類を作成していった。

 

 突然、扉をノックする音が響いた。


 扉の向こうに立っている人物が誰なのか、ブラウンには察しが付いている。

 そして、どんな表情をして扉の前に佇んでいるのかも。


「入れ」

 

 扉を開けて、ダガーが入って来た。


「コストナーの意識が戻りました」


「そうか。分かった」


 声の様子は変わらない。だが、ブラウンがタイプライターから少し目を上げてみると、思った通りダガーは悄然とした顔をして立っていた。


「ご苦労だった。作戦は上手く遂行された。いや、これ以上は望めない。目の前に迫っていた敵の機械兵器の大群を撤退させたのだからな。アウェイオンからずっと休みなしで疲れているだろう?自室に戻って早く休息を取りたまえ」


 ブラウンはタイプライターを打つ手を休めずにダガーに言葉を掛けた。

 忙しさを誇張するブラウンの真意を知ってか知らずか、ダガーは俯き加減で、まだ机の前に立っている。タイプに差し込んだ紙の上から見上げると、苦悶した表情のダガーと目が合った。

 忙しなく動かす指をキーの上から外して、ブラウンはダガーを見つめた。


「ゼロ・ドックでの無礼を謝りに来ました。大尉を殴ってしまって、本当に申し訳ありませんでした」


 そう言って、ダガーはブラウンの前で頭を下げた。


「そうか。了承した」


 ブラウンは短く返事をすると、再びタイプを打ち始めた。


「懲罰を受けに来ました」


「謝ったのだから、もういいだろう」


 タイプのキーの上で指を躍らせながら、ブラウンはそっけなく言った。


「上官を殴ったとあれば、謝っただけで終わりという訳にはいきません。軍の規律を遵守しなければ」


「原理原則ってやつかね?君は本当にくそ真面目だな」


 ブラウンはタイプを打つのを止めて、腕を組んで椅子に背を預けながら、再びダガーを見た。


「そんなに独居監房室に入りたいのかね、ダガー軍曹?あそこの冷たく湿ったベッドの上で、激戦で疲れた身体を休めたいと、休息を取りたいというのかね?」


「いえ、そういう訳では…」


 困ったように目を逸らすダガーを睨みつけながら、ブラウンは言った。


「確かに、激情に駆られて手が出たのは感心しないがな。だが、そのくらいの事で、私が君を懲罰すると思わないでくれ。ヴァリル、君には辛い思いをさせている。君に一発殴られただけで済んだのだから、随分と軽い償いだと思っているよ。それも私が倒れることのないよう手加減した、弱いパンチでね」


 ブラウンは少し切れた口元と、薄い紫色に内出血している顎を右手で擦った。


「寝不足でふらついて、扉にぶつけたと言い訳出来るくらいの小さな傷だ」


「それは!…俺が殴り方を加減したからではなくて、大尉が倒れないように、足を踏ん張ってくれていたおかげです。それに、償いなど、大尉がする必要はない」


 ダガーは顔を歪めて、苦しそうに言葉を吐き出した。


「あれは、一年前のあれは、誰のせいでも、ありません」


(本当にそう思っているのか?)


 悲しみが深いほど、不幸の底に落ちた者ほど、人は誰かに罪を負わせたくなるものだ。

 所詮人間は弱い生き物で、憎しみは己の心を救う特効薬となる。

 それはブラウン自身が十分に経験して来て、痛いほど身に染みて分かっている。


「でも、まあ、君に殴り倒されなくて本当に良かったよ。実際、私は見た目以上に血の気の多い男でね、もしそうなったらヴァリル、君に十倍は殴り返していたと思うよ。君は生体スーツに乗る状態ではなくなっているだろうし、ヤガタ基地は敵の攻撃を受けてぺしゃんこだ。懲罰云々どころの話ではなくなっているな」


 ダガーは呆れた顔をしてブラウンの話を聞いていたが、堪り兼ねた様に口を開いた。


「何故あなたはそうやって、話を茶化してうやむやにしようとするのですか?」


「別に茶化しているつもりはないさ。君が罪と感じている程、私は君を罰したいと思っていないだけだよ。どうも我々の会話には齟齬が生じるようだ。これは由々しき事態だな。今後、対処せねばならん。それに軍曹、君がどうしても懲罰を受けたいというのなら、私は構わないのだよ。階級の付いた兵士の懲罰となると、ヘーゲルシュタイン大佐へ始末書を提出しなければならないのだが、見ての通り、今、私は休戦の資料作りでとても忙しい。その件は別途で検討しよう」


 厳めしい顔でブラウンがきっぱりと言い放つと、ダガーは蒼白になって押し黙った。


「本当は懲罰なんて受けたくないだろう?だからもう、部屋に戻って休んでいたまえ。疲れたままだと、軍事同盟軍に停戦が突然解除されたら使い物にならないぞ」


 つい、諭すような口調になる。


「それは大尉も同じでしょう?私で良ければ、資料作りを手伝います」


 項垂(うなだ)れていたダガーがおもむろに顔を持ち上げた。


「そうか?だったら頼もうか。実は、人手が足りなくて困っていた所だ」


「喜んで」


「では、机の上で山になっている報告書の分類から始めてくれ」


 今度は、感情の行き違いはなかったようだ。お互いに落とし処を探って和解するというのは気持ちのいいものだ。


(誰もがそうであれば、戦争など起きようもないのだが、な…)


 考えても仕方のない思いを頭から振り払おうと、ブラウンはタイプライターを猛然と打ち始めた。


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