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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第六章 エンド・ウォー
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ユーリーの涙

ニコラスの死を目の当たりにしたユーリー。

ララはアメリアとの計画を実行に移すとユーリーに伝える。

ユーリーはララと別行動を取る事を決意し、ニドホグである場所に向かう。


作者の都合で二日ほど早い投稿となりました。ご了承下さいませ。


「死んだ?ニコラスが?」


 ユーリーは呆然とした表情で簡易ベッドを見つめた。ニコラスの目を伏せた横顔が目に映る。その、蝋のように白い顔を目の当たりにして、ユーリーの足が膝から崩れ落ちた。


「まさか、そんなこと…」


 あるわけない。

 ユーリーは地面に着いた両膝を必死に持ち上げた。鉛のように重い脚に、息が荒くなる。パワードスーツを装着した身体がこれほど不自由だとは、今まで感じたことはなかった。


「くそ、邪魔だ」


 ようやく立ち上がったユーリーは、その場でスーツを脱ぎ棄てた。抜け殻となったパワードスーツが、ガシャンと派手な金属音を立てて、薄いリノリウムのシートを敷き詰めた地面に転がる。

 音に驚いたフィオナがニコラスの胸に突っ伏していた顔を上げた。


「ファーザ!」


 よろよろとした足取りでベッドに歩を進めるユーリーに駆け寄ったフィオナは、今にも倒れそうな身体を脇から支えた。


「ニコラス」


 フィオナに支えられて歩いている自分に気付かずに、ユーリーは夢遊病者のような表情でニコラスだけを見つめ、右手を伸ばした。


「ニコ…」


 指先が、ニコラスの頬に触れた。

 はっとするほど冷たい感触に手を引っ込める。ユーリーは両手をニコラスの枕元に置いて、ニコラスを真上から覗き込んだ。

 ユーリーは瞬きするのも忘れて、ニコラスの顔を食い入るように凝視した。

 幸いなことに、顔にはかすり傷一つ負っていない。

 だが、頭の後ろには分厚い止血帯が当てられている。ユーリーはニコラスの首をそっと持ち上げて後頭部を覗き込んだ。


「頭の後ろに大怪我を負ったのか…」


「ええ、そうよ。後頭部の損傷が致命傷になってしまった」


 ユーリーの隣に並んだララは、力なく嗚咽しながらベッドの下へと崩れていくフィオナの身体をパワードスーツの胸に抱えると、ニコラスの顔に視線を落とした。紫色の美しい瞳が、涙を堪えるようと、何度も瞬きする。


「教えて下さい、メイ博士。ニコラスに何があったのですか?」


 口元を震わせるユーリーに、ララは至極穏やかな口調で話し始めた。


「超高出力レーザーの攻撃を受けた基地は、大規模な内部爆発を起こして手の付けられない事態に陥ったわ。ニコラスは基地内に取り残された兵士の避難誘導に率先して当たっていた。それで、運悪く、天井から剥落したコンクリートの下敷きになってしまった」


 ララはがっくりと肩を落として「アメリアが生きていれば」と、悔しそうに呟いた。


「アメリアが死んで、パワードスーツの開発が大幅に遅れてしまった。起動できるものは、あなたの装着したものの他に、これ一体しかなかったの。私は司令官補佐を預かるニコラスに装着するように勧めたのだけど、彼はこのパワードスーツはアメリアが私と娘のアレクサンドラに残したものだからと、頑として聞き入れなかった。…あの時、私がニコラスの言葉に同意しなければ、彼は死ななくて済んだのよ」


 ララの目から大粒の涙が落ちた。泣き疲れて寝てしまったフィオナの頬に当って弾ける。


「ニコラスは正しい。そのスーツは、あなたの夫であるアメリアが、妻と子の身を守る為に遺したものです。あなたが装着するのは当然だ」


 ユーリーはララのパワードスーツの肩に両手を置くと、フィオナごと自分に引き寄せた。


「だから、ニコラスの為にも、後悔しないでやってくれませんか。あなたが泣いている姿を見たら、ニコラスの奴、すぐに心を痛めてシュンとしてしまう」


「そうね、ユーリー。あなたの言う通りだわ。優しいニコラス。あなたの笑顔を曇らせることはしたくない」


 ララが泣き笑いの表情で何度も頷く。

 ユーリーは、ララのパワードスーツの腕の中で寝入っているフィオナに手を差し伸べた。ララがフィオナをユーリーの腕に預ける。抱き抱えたフィオナに、ユーリーは優しく頬ずりした。

 フィオナが泣き腫らした目を薄く開けた。涙に濡れた瞳をユーリーに向ける。


「ファーザ、お願い。あたしをニコの隣に寝かせてくれる?」


「…分かった」


 フィオナの華奢な身体をベッドにそっと乗せる。細い腕でニコラスの亡骸を自分に引き寄せるたフィオナは、深い息を吐いて目を閉じた。


「ニコ。あたしのママ。誰よりも愛しているわ」


 一筋の涙がフィオナの頬を伝って首に流れ落ちた。すぐに、規則正しい寝息が聞こえてくる。


(甘やかし過ぎだと怒っていたのに、な…)


 二人のいつもの寝姿に、ユーリーは慈しむように目を細めた。


「笑っているように見える。ニコラスは即死ではなかったようですね」


「手当している時には、まだ息があったの。ユーリー、ニコはね、あなたの名を口にしてから息を引き取ったのよ。まるであなたが目の前にいるような表情をしていたわ」

 

 ああ。だからか。


「博士、ニコラスは、手を…」


「?」


 ユーリーの言葉にララが首を傾げる。


「あいつは、手を、こんなふうに、誰かに差し伸べて…」


 そこで言葉が詰まった。

 長く伸ばしたユーリーの手の先が微かに震えているのに、ララは気が付いた。


「ええ、ユーリー。確かに、ニコラスは、右手を上げていたわ」


 今わの際にありながら微笑むニコラスを、ララは驚愕の思いで見ていた。


(ニコラス、あなた、ユーリーに会いに行ったのね)


 激痛と出血のショックで急速に意識が失われていくのに、何故、笑っていられたのか。

 その理由が、今、分かった。


(ニコラスは想いを伝えられたのかしら)


 そうであって欲しい。ララは包帯に覆われたニコラスの頬を指先で撫でた。


「残念だけど、これ以上ニコラスに哀悼の時間を費やしている暇はないわ」


 ララが面を上げてユーリーを見た。別人かと思うほど厳しい表情をしている。


「見ての通り、モルドベアヌ基地はお終いよ。私達とアメリカ人は、今後の身の振り方を考えなければならない」


「そうですね。基地が崩壊したモルドベアヌに残って軍の再起を図るのは不可能だ。連邦軍に捕虜として下るか、フォーローンベルトの流民となるか、それとも、未開の土地に移住するしか手はないですね」


「私はアメリアを殺した共和国連邦に下るつもりも、娘の身を流民に落とすことも絶対にしない」


 ララは即座に言い放った。眼光の強さが、ララの決心をユーリーに伝える。


「これからアメリアの意志を継いでアメリカに向かいます。準備は全て整えた。黒海に隠してある船に、少し無理をすれば生き残った兵士を乗せられる。ユーリー、あなたもフィオナを連れて私達と一緒に来て欲しい。先祖の住んでいた大陸に渡るのも悪くない選択だと思うわ」


「申し出には感謝する。でも、俺が行くのは日本だよ、ララ」


 息絶えたニコラスを抱きしめて眠るフィオナにユーリーは目を落とした。フィオナの頭に手を置いて、茶色の髪を指で優しく梳いていく。


「…。出発までには、まだ時間はあるわ。気が変わったらいつでも言ってね」


 そう言うと、ララはテントから出て行った。後に残されたのはユーリーとフィオナ、それに、物言わなくなったニコラスだ。


「アメリカ、か…」


 ニコラスと誓い合った。春に桜の咲くあの列島で、大いなる実験を開始するのだと。


(人類を頂点とした世界を変える為に、今までの生物進化を根底から覆す)


 だが。ニコラスを失ったユーリーに、迷いが生じ始めていた。

 目の前で眠る少女が今の姿で十四歳を迎える事はない。

 何故ならフィオナは、アシュケナジを超えるようとするユーリーが、己の野望の為に創り出した合成生物だからだ。


(フィオナにこれ以上過酷な試練を与えるのは、ニコラス、お前は望んでいなかった)


 ニコラスの時折見せる悲しそうな表情が脳裏に浮かぶ。ユーリーの胸がキリリと痛んだ。


(そうさ。分かっていて無視した。この世界に君臨するアシュケナジの鼻をへし折ってやりたかったからだ)


 ユーリーはフィオナの肩を揺さぶって起こしてから、耳元に顔を近付けた。


「フィオナ、お前に頼みたいことがある」


 フィオナが目を擦りながらベッドから上半身を起こした。

 泣き腫らした目元が膨れて、酷い顔になっている。


「俺はガグル社に用がある。ニドホグでプロシアの国境まで連れて行ってくれ」


「プロシア?」


 フィオナの顔色が変わった。


「ファーザ、あの国に行くのは危険だよ。メイ博士からプロシアはガグル社に空からレーザー砲で攻撃されて、複数の街が滅茶苦茶になっているって聞いた。いつまたレーザーを撃たれるか分からないんだよ」


 大量の涙を吸って厚ぼったくなった瞼を持ち上げたフィオナが、ユーリーの顔に目を据えた。薄茶色の瞳が困惑で揺れている。


「ニコはどうするの?ファーザが側にいてあげなくちゃ可愛そうだよ」


「ニコラスはメイ博士に任せる。俺はどうしてもガグル社に行かなければならない理由がある。ニコラスに関わる重大な事なんだ」

 

 嘘を付いた。ばれないようにと、わざとらしく語気を強める。


「うん、…分かった」


 鋭い眼光を当ててくるユーリーに抗えなくて、フィオナは不承不承頷いた。


「ありがとう、フィオナ。すぐにニドホグを呼んでくれ」


 項垂(うなだ)れた様子でフィオナがテントの外に出ていく。ユーリーはララ宛に走り書きの手紙を書いてニコラスの枕元に置いた。

 シートの上に脱ぎ散らかしたパワードスーツを装着していると、テントの外からニドホグの羽音が聞こえてきた。

 テントの幕を開け放つ。森の奥にニドホグの姿があった。

 テントから飛び出そうとしたユーリーは、ニコラスを振り返った。


「ニコラス、俺はアシュケナジを倒す。お前なら、俺を、理解してくれるよな」


 ユーリーの目から熱い涙が溢れ出した。

 頬を濡らす涙をそのままにして、ヘルメットバイザーを下ろし、テントを後にした。ニドホグに向かって全速力で走り出す。

 人々の叫び声が背後で飛び交う。

 その中にララの声を聞いたユーリーは、速度を緩めずに後ろを振り返った。果たして、ぽかんと口を開けたララの姿が視野に入る。


「メイ博士、ニコラスの元に手紙を残した。後の事はあなたに一任します!」


 そう叫びながらララに手を振って、ユーリーは森の中に入った。待機しているニドホグの前足を駆け上がり、首へと飛び乗る。


「ニドホグ、ガグル社に向かって飛べ!」


 ユーリーが号令を掛ける。巨大な翼で針葉樹を薙ぎ倒しながら、ニドホグは上空へと舞い上がった。





 ニコラスの枕元にある置手紙に目を通したララは、長々と溜息を付いた。


「アメリア、あなたはユーリーを、わからずやのトントンチキだってよく言っていたわよね。スーパージーニアスに向かって何て言い草だって、あの頃は思っていたけど…」


 今なら、アメリアの嘆き節がよく分かる。


「彼、本当に大バカ者ね」



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