桜並木・2
悪夢を見るユーリー。
意識を戻したユーリーは、フィオナに基地の現状を説明する。
「お前は私の後継者になれない」
そう言い捨ててユーリーを睥睨したアシュケナジの表情は、氷のように冷たかった。自分を見下ろす酷薄に光る藍色の双眸に、ユーリーは震え上がった。
無力な小動物のように身を竦ませているユーリーから視線を外すと、アシュケナジは靴音を響かせて部屋を出て行った。
一人残された部屋で、ユーリーはアシュケナジが去った自動ドアを、虚ろな目で見つめた。
「きれいって、言っただけなのに。アシュケナジ様は、桜の花がそんなにお嫌いなのか?」
そうではない。
ユーリーが初めてアシュケナジの意に反した言葉を口にしたからだ。
自分に隷属する為に生まれて来た少年が、反抗心を露わにした。
アシュケナジからすれば、それだけで切捨てる要因になるのだろう。
ユーリーは、幼い頃からガグル社の総裁候補として様々な教育を受けて来た。
特に、アシュケナジが拡張現実(AR)を使用する長時間の学習は拷問に近かった。それでも、アシュケナジの期待に応えようと、目の前に次々と浮かぶ難解な数式や化学方程式と必死で格闘した。
なのに。今迄の努力が一瞬で潰えた。
それほどまでに取り返しのつかない失態をしたというのか。
分からない。理解できない。だが、自分が不用になったというのは確信した。
ガグル社の帝王であるアシュケナジは、放った言葉は絶対に撤回しない。ガグル社の後継はユーリーから別の人物に委ねられたのだ。
自分がどれだけ脆弱な立場にいたのかを思い知って、怒りで身体が震えてくる。
あまりの悔しさに目の奥が熱くなったが、一粒の涙も出なかった。
「俺は処分されるのだろうか」
ユーリーは、三十平方メートルはある大きな部屋をぐるりと見渡した。
まず始めに、白い壁紙が目に入る。壁紙に目を凝らせば、百合の花の文様が曲線を描くように刻印されていた。
それからアシュケナジの座っていた椅子に目を落とし、その次に机へと視線を移動させた。
椅子と机はロココ調のデザインだ。装飾は繊細な唐草模様で彩られ、脚はどちらも優美な鷺足だった。
部屋には窓はなく、自動ドアは閉まれば壁と一体化する。天井には監視カメラが六台も取り付けられていて、勉強部屋と言うより牢獄だ。
「…花を見て感動したのは初めてだ。アシュケナジ様が何と言おうと、俺は桜の花が好きだ。だから…」
だから、権力者の言いなりになって自分の心を偽るなんて、金輪際ごめんだ。
ユーリーはスマートグラスのスイッチを入れると、目の瞬きで暗号化しておいた映像を復活させた。
アシュケナジに消去される前に、咄嗟に眼球をスライドさせて、スマートグラスのメモリに映像を記録しておいたのだ。
ユーリーの前に満開の花を咲かせる桜並木が現れた。
からりと晴れた空は雲一つない。舗装されていない小道の両脇に、ずらりと桜の木が並んでいた。
どれも見事な大木だ。空を覆い隠す程伸びた枝先に、薄桃色の花が咲き誇っている。
「きれいだな」
吐息を漏らしてから、ユーリーは細めた目で桜を愛でた。風に吹かれたのか、花いっぱいの枝先がふわりと揺れる。
そよいだ花が、一斉に花弁を散らした。
大量の花びらが吹雪となってユーリーに吹き付ける。その、リアルな映像に思わず目を瞑り、顔を手で覆う。
薄目を開けると、小道の数メートル先に自分と同じ年頃の少年が立っていた。
「ニコラス?何故、ここにいる?」
驚いたユーリーがニコラスの後ろ姿に呼び掛けた。
声が届かないのか、ニコラスは振り返ることなく歩き出す。慌てたユーリーはニコラスを追って走り出した。
「待てよ、ニコラス。おい、待てったら!」
ニコラスはゆっくりと足を進めている。
なのに、全速力でも追い付けない。ユーリーは繰り返しニコラスの名を呼んだ。
ユーリーの声がようやく耳に届いたのか、ニコラスは足を止めた。
振り返った少年は、大人の姿になっていた。
ユーリーは自分の身体も成人へと変化しているのに気が付いた。
「ユーリー」
ニコラスが笑みを浮かべて、ユーリーの名を口にした。
見たこともない寂しい笑顔に、はっと息を飲む。
「どうしたんだニコラス。何故、そんな顔をする?」
ニコラスは何も答えずに、目を伏せると悲し気に首を振った。
「ニコラス?」
ユーリーは数歩進むと、ニコラスに向かって手を伸ばした。
途端に花吹雪に襲われた。儚げな花びらが、狂ったようにユーリーの周りを舞う。あまりのリアルさに、映像とは分かっていても、反射的に顔を腕で覆う。
「これは、一体…」
渦を巻く桜の花びらに包まれるように消えていくニコラスの姿に、ユーリーは腕の隙間から覗かせた目を驚愕に見開いた。
「ニコラス!」
ユーリーは遮二無二足を動かした。だが、何故かニコラスとの距離を縮めることが出来ない。
それでも死に物狂いになって歩を進める。手を伸ばせば頬を掠るくらいに接近すると、肩が外れんばかりにニコラスに手を差し伸べた。
「ニコラス、こっちに来い!来るんだ!!」
必死の形相で声を絞り出すユーリーに、ニコラスは力なく頭を振った。
「どうした?ニコラス、俺の手を掴め」
「ユーリー、僕は君の…」
言い掛けた言葉はそこで途切れた。
ニコラスは今にも泣き出しそうな顔をして、ユーリーに手を伸ばす。
その手を掴む前に、ニコラスの身体が無数の花びらに変化した。ユーリーの目の前で千々に舞い、そして散った。
「ニコラ――ス!!」
絶叫したユーリーの手に、数枚の花弁がはらりと落ちてきた。
「ニコラス!!」
自分の放つ絶叫で目が覚めた。
(気を失っていたのか?!)
顔を上げると、額の焼けつくような痛みに飛び上がった。
歯を食いしばって堪えたが、唇の端から呻き声が漏れた。傷の痛みの所為であんな悪夢を見たようだ。
身体を丸めて額を押さえるユーリーに、四つん這いになったフィオナが下から覗き込むように顔を突き出した。
「ファーザ、大丈夫?」
「フィオナ?…すまん。心配を掛けたな」
不安と緊張に顔を強張らせているフィオナの頬を、ユーリーは人差し指で優しく撫でた。
胡坐を掻くように座り直すと、自分の額の傷を探った。幾重にも止血テープが張られているのが分かる。
「手当をしてくれたのか。ありがとう」
額を擦った指を見ると、乾いた血液が付着した。フィオナが上手く止血してくれたようだ。
「基地がガグル社に空から攻撃を受けた。恐らくあれは太陽光を利用した巨大なレーザー砲だ。グラフェン炭素の円蓋が破壊されたとなると、基地が機能不全に陥っている可能性が高い」
ユーリーはヘルメットを片手に持つと、足をふらつかせながら立ち上がった。すぐにフィオナがユーリーの脇に回って身体を支える。
「ファーザ、ニコ達は基地の外に避難しているよね?」
大きな瞳をくるくると動かしながら、フィオナがユーリーを仰ぎ見る。
「案ずるな。ニコラスは大丈夫だ。早くあいつを探そう」
力強い言葉とは裏腹に、ユーリーの胸の動悸が早くなった。
「ファーザ、まだ歩くの無理だよ。あたしに任せて」
フィオナはパワードスーツの背中と足に両腕を回すと、軽々と胸に抱え上げた。
「うわっ!フィ、フィオナ?」
「ちょっとだけ我慢して。この方が早いから」
驚きの声を上げるユーリーに構わずに、フィオナは洞窟を大股で走り出した。
少女特有の身体をしているが、パワーは大人の男の十倍以上ある。フィオナが重厚なパワードスーツを装着したユーリーを抱えて走る事など、造作もないのだ。
地面を引き摺りそうになる両足を揃えて持ち上げたユーリーは、不安定な重心を何とかしようとして、無意識にフィオナの華奢な首にパワードスーツの腕を回した。
自分達がどれだけ滑稽な格好をしているのか想像する前に、洞窟の入り口に到着する。フィオナはユーリーを下ろすと、入り口から身を乗り出して声を張り上げた。
「ニードーホーグ!」
すぐに大きな羽音がして巨竜が現れた。
ニドホグは巨大な目を洞窟に押し当てて、中を覗いた。
ユーリーを支えるようにして立っているフィオナを見つけると、左右の鉤爪を岩盤に突き立てて固定させて、己の上半身を洞窟の入り口に押し当てて胸嚢を開いた。
フィオナはユーリーの背に両手を当てると、縦長に口を開けているニドホグの胸に向かって強く押した。
「ファーザ、早くニドホグの中に入って。あたしはニドホグの背中に乗るから」
「ニドホグの胸嚢はお前専用に作られたコクピットだ。俺が背中に乗る」
「何、言ってんの」
フィオナは怒ったように頬を膨らませた。
「ファーザはさっきまで額から出血してたんだよ。そんなんじゃ、ニドホグの背中からすぐに落ちちゃうよ。パワードスーツだから身体はバラバラにならないけど、こんな広い森に墜落してまた気を失ったりしたら、あたしが探すの大変じゃない」
早口で喋り終えたフィオナがつんと横を向く。ユーリーはヘルメットの中であんぐりと口を開けた。
「お前、随分と、歯に衣着せぬ物言いをするようになったじゃないか。反抗期に入ったのか?それにしても感心しない言葉遣いだな」
「お小言はニコを見つけた後でいくらでも聞いてあげるから」
ユーリーを胸嚢の中に押し込んだフィオナは、ニドホグの腕に飛び乗ると大きな声で命令した。
「ニドホグ、基地周辺を旋回して、ニコとアメリカ兵を探すのよ!」




