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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第六章 エンド・ウォー
275/303

足の悪い男

乾燥した戦域地帯に小さな村を発見して驚くケイ。

喉の渇きを押さえられないケイは、一人の男を見つけて呼び止めるが…。


 限定戦域に村があるとは聞いたことがなかったので、正直驚いた。

 フェンリルの情報によると、ここにはエンド・ウォー以前にグラーツという町があったという。荒れ地だが、畑が作られているくらいだから、人が住めるように開墾したのだろう。


(フォーローン・ベルトから流れて来た人が住み着いて、村を作ったのかな。それにしても、暮らしが豊かだとはとても思えない)


 ケイの声が聞こえたのだろう。

 男は足を引き摺るようにして歩くのを止め、俯き加減だった顔を上げてケイを眺めた。

 自分に気が付いた男に向かって手を振りながら、ケイは雑草が点々と生える乾いた斜面を滑るようにして駆け下りた。

 土埃を上げながら丘を走り降りて来るケイに、男が緊張した様子で身構えた。視線を尖らせて、腰の右側に差している鎌の柄に手を置く。


「誰だ、お前は?」


 男が眉根を深く寄せた。日に焼けた顔の額と目尻に、深い皺が刻まれる。ターバンを巻いている頭からはみ出した髪は真っ白だ。レリックよりも一回以上年上に見える。

男は背負った籠を地面に落とすと、腰に差している鎌を抜いた。


「どこから来た?」


 男の痩身の身体に只ならぬ殺気が漲る。ケイは敵対するつもりはないとの意思を示そうと、両手を肩まで上げた。


「俺はプロシアの兵士です。敵ではありません」


「兵士だと?お前のような少年が、か?それに随分と奇妙な格好をしている。本当にプロシア兵なのか?」


 男はケイを睨みながら、腰から抜いた鎌の先を突き出した。


(このおじさん、ダガー隊の面々から戦闘訓練を受けている俺を、ボロ鎌で倒せるとでも思っているのか?)


 呆れたケイは、自分より頭一つ高い男をじっと見た。

 男は痩せこけていた。栄養失調でも起こしているのか顔色が悪い。足を引き摺っているのは戦地で負傷したからではなく、慣れない農作業で痛めたものだろう。

 そんな男と争うつもりは毛頭ない。ケイは手を上げたまま、話を続けることにした。


「確かに普通の軍服とは違います。それは特殊な任務に就いているからです。だけど、ほら」


 ケイは黒いインナースーツの腕を男にそっと突き出し、左手で紋章を指差した。


「二の腕のマークを見て下さい。共和国連邦プロシア軍、装甲騎兵とダガー部隊所属の符号が入っているでしょう?」


「見せてみろ」


 男は足を踏み鳴らしてケイの正面に立つと、その腕を乱暴に掴んで自分の顔に近付けた。

 視力がかなり悪いらしい。男は自分の鼻先を紋章に押し付けるようにして目を凝らした。


「なるほど。嘘ではないようだ」


 紋章を検めた男の口元が少し緩んだように見える。だが、険しい目付きはそのままだ。


「だが、何故、プロシアの兵士がこんな所にいる?さては逃亡兵だな。見ての通り、極貧の小さな村だ。金目の物など何も持っていないぞ」


 男は生育の悪い畑に尖った顎をしゃくってから、自分の薄汚れた古着を指差した。


「逃亡兵ではありません。連邦軍と交戦中に自分の所属する部隊と離れてしまったのです。隊と合流する途中に村を見かけたので、立ち寄らせて頂きました」


 両手を上げたまま、ケイは男に正直に答えた。


「立ち寄った?何の為に?」

 

 男が不審に満ちた表情をする。


「水を飲ませて貰いたくて寄り道しました。水筒の水を飲み干してしまって、喉がカラカラで、どうしても我慢できなくて」


「そうか。この気温では喉も乾くだろう」


 男はケイの説明に納得したのか、鎌を腰に戻した。


「井戸はあるが、水が豊富というわけではない。乾燥した土地だからな」

「ただで飲ませて貰おうとは思っていません。軍から支給された非常食を持っています。それと交換できませんか?」


 ケイは腰のポーチから乾パンの入った袋を三つ取り出した。男が袋にちらりと視線を送る。


「物々交換か。いいだろう。その代り、水を飲んだらすぐに村から出て行ってくれ」


「分かりました」


 頷くケイに、男が憮然とした表情のまま一番近くにある家に顔を向けた。


「私の家はすぐそこだ。付いて来い」


 地面に置いた籠を背負うと、男は足を引き摺りながら歩き出した。ケイは少し距離を取ってから男に続いた。


「入れ」


 男が隙間だらけの小屋の扉を開けた。

 蝶番(ちょうつがい)が息も絶え絶えの呻き声を立てるのを聞きながら、ケイは小屋の中に入った。

 板を張り合わせただけの粗末な家に床はなく、乾いた砂が敷き詰めてある。家の真ん中にテーブルと一脚の椅子、左端にベッドが置いてあった。右端にある小さな棚には生活に最小限必要な食器が伏せてある。

 男は棚からブリキのコップを取り出すと、棚の横に置いてある大きな瓶の木蓋を開けた。柄杓(ひしゃく)で水を汲んで注ぎ入れて、小屋の中を興味深げに見渡しているケイに手渡す。


「飲め。朝に汲んだ水だから、腹は壊さんよ」


「あ、ありがとうございます」


 男に礼を言ってから、改めて水瓶とへこんだブリキのコップを繰り返し眺める。


(井戸の水を飲むのって、初めてだ。大丈夫かな…)


 躊躇したが喉の渇きに耐えられない。ケイは意を決してコップの端に口を当てた。

 意外なことに、水は冷たく美味しかった。喉を鳴らして飲み干したケイに、男はコップに水を継ぎ足した。


「水は貴重なんですよね?二杯も頂いてしまって、いいんですか」


 戸惑うケイに、男が指を三本立てた。


「この村では、乾パンは貴重品だ。君が持っている三袋と交換出来れば十分に元が取れる。遠慮なく飲みたまえ」


「はい」


 二杯目の水に口を付ける。十分に喉を潤したケイは、男に礼を言ってコップを返した。


「もういいのかね」


「はい。もう大丈夫です」


「それは、よかった」


 男は椅子に腰かけると小さく頷いた。その目は始めに会った時とは別人のように穏やかになっている。


「随分と疲れた顔をしているな。少し休んで行きなさいと言いたいところだが、村から少し離れた畑を耕しに行っている仲間がもうすぐ帰って来る。彼らは…私を含めてだが、プロシアを毛嫌いしていてね。君を見つけたら大変な騒ぎになる。早くこの村から離れてくれ」


 男はケイの砂で白くなったインナースーツをじっと見つめた。


「君はジープに乗って来たのだろう?生身の人間がこんな広い土漠を歩いてこられる筈ないからな」


「ええ、移動手段は確保してあります」


(確かに長居は無用だ。この人がフェンリルを見たら腰を抜かしてしまう。すぐ立ち去らないと)


「水、ありがとうございました」


 乾パンの小袋を三つテーブルに置くと、ケイは男に一礼して扉に向かった。古びた取っ手を掴む前に、勢いよく扉が開いた。


「え?」


 驚いたケイの前に数人の男が(くわ)(すき)を手にして立っていた。皆、殺気立った顔をしてケイを睨んでいる。一番前に立っている男が口を開いた。


「畑から戻ったら、あんたの家で知らない声がするじゃないか。不審に思ってノック無しで開けさせてもらった。エヴァレット、この黒装束のガキは誰だ?」


 男は身長が二メートル近くある。右手に持った鍬の柄の先で掌を軽く叩きながら、不躾にケイを眺め回した。


「この少年はプロシア軍の正規兵だそうだ。自分の部隊と合流する途中でこの村を見つけて、喉の渇きを癒やそうと立ち寄った。それで、コップで水を飲ませてやった」


 エヴァレットと呼ばれた男が大男を見上げながら、ブリキのコップを持ち上げる。


「こんなガキが兵士だって?プロシア軍は余程人材が枯渇しているのだな。それにしてもエヴァレット、あんたが憎悪するプロシア兵に俺達の貴重な水を飲ませてやるとは、どういう風の吹き回しだ?」


 レッグホルスターの中身がないのに気が付いた大男が不敵な笑みを浮かべながら、ケイに向かって足を進める。大男との間合いを取ろうと、ケイはゆっくりと後退(あとずさ)りした。


「タダで飲ませるものか。乾パン三袋と交換だ」 


 エヴァレットがテーブルの上の乾パンの袋を指差した。


「プロシア軍の正規品だ。コップの水との交換なら、悪くない取引だろう」


 扉の前に屯する男達が小さな歓声を上げた。大男を押し退けて、我先とテーブルに駆け寄っていく。


「久しぶりに乾パンが手に入ったぞ!」


 皆が目を輝かせて乾パンの袋を手に取る。仲間の様子に大男が忌々し気に鼻を鳴らした。


「お前ら、乾パンなんかで喜んでいるんじゃない。それで小僧、お前はエヴァレットのブリキのコップで、何杯の水を飲んだのかな?」


「二杯です」


 正直に答えたケイに大男がにじり寄った。


「そうか。この村では、水は大変貴重なんだ。コップ一杯の水なら、乾パン三袋の価値はあるかも知れん。だが、二杯となると、乾パンだけでは足りないな。それで、お前は、どうやってここまで来た?」


「……」


 口を閉じているケイの顔の前に、男が三つ又になっている鍬の刃を突き出した。


「答えなくたって分かるぞ。灼熱の太陽に焙られながら土漠を歩いてみろ。それも水なしときちゃあ、どんなに屈強な男でも一時間と持たない。大方、ジープか軍用の小型トラックにでも乗って来たんだろう?」


「移動手段はありますが、トラックやジープではありません」


「ふうん?それじゃあ、戦車にでも乗って来たっていうのか?」


 大男がけらけらと笑った。


「小僧、鍬で殴り殺されたくなかったら、そいつを俺達に寄越すんだ。本当に戦車だとしたら、フォーローン・ベルトの連中が言い値で買ってくれるだろうよ」


 腹を揺すって笑い続ける男の隙を見て、ケイは目の前に突き出されている鍬の根元を掴んだ。力を込めて引っ張ってやる。大男はケイに鍬を奪われるのを阻止しようとして、慌てて手にしている柄を引っ張り返した。

 読み通りに動いた男に、ケイは鍬からぱっと手を離した。


「うわっ」


 反動で、男の身体fが後ろに倒れる。その手から素早く鍬を奪い取ると、ケイは空中でくるりと鍬を一回転させて、男の喉仏に鍬の柄の先を強く押し付けた。


「グゲッ」


 仰向けになった大男が、潰された蛙のような声を上げる。


「ハンス!こいつ、やっちまえ!」


 あっという間に形勢が逆転したのを見て、慌てた男達が怒鳴り声を上げながら、手に持っている鍬や鋤の刃を突き出してケイを取り囲んだ。


「よせ!もう止めろ!」


 どん、と、テーブルを叩いたエヴァレットが、椅子から立ち上がって声を張り上げた。


「この少年は、戦闘訓練を受けている兵士だぞ。それでもやり合うというのなら、大怪我を覚悟するんだな」


 エヴァレットの忠告に、男達が手に持つ農器具の先を下ろして、ケイから離れた。


「俺は、あなたたちと戦うつもりはありません」


 そう言うと、ケイは仰臥したまま目を剥いているハンスの喉元から鍬の柄を持ち上げた。

 身体が自由になったハンスが上半身を起こすと尻で膝行(いざ)りながら仲間の方へと逃げて行く。


「すまんな、坊や。我々はラッダイト原理主義者だ。十二年前、プロシアの国家に反逆者の烙印を押されて、この荒涼とした土地に追放されたのだ。極貧の生活を続けていると、どんなに崇高な思想を貫こうとした人間でも精神がささくれ立ってしまうのだ」


 エヴァレットがケイに深々と頭を下げた。


「すぐに出て行きます。だから…」


「分かっている。誰にも手出しはさせない。いいや、出来るものか。ハンスの巨体がいとも簡単に転がされたのを見た後で、君に戦いを挑もうとする愚か者はいない」


 エヴァレットは足を引き摺りながらケイに近寄って来る。

 ケイの瞳を見つめながら、握りしめている鍬の柄に手を伸ばした。

 ケイは男に鍬を渡すと、扉に向かって踵を返した。扉を開け放して小屋の外に走り出る。

 ハンスが立ち上がって大声を上げた。


「お前ら、ガキの後を追え!奴の乗ってきた車を奪えば、俺達はこの忌まわしい土地からおさらばできるんだ!」


 ハンスの言葉に煽られた男達が、ケイを追って外に飛び出した。

 自分の後を追ってくる男達に、ケイはイヤホンのスイッチを入れて叫んだ。


「フェンリル、来てくれ」


「了解シタ」


 丘の斜面に隠れていたフェンリルが、四肢を伸ばして起き上がる。

 丘の頂上から頭を出して様子を窺うと、斜面を駆け上がるケイの数メートル後ろから、数人の男達が追い掛けて来る様子を人工眼が捉えた。

 フェンリルは一気に跳躍すると、ケイと男達の間に身体を割り込ませるようにして立ち塞がった。


「うわあああっ!化け物だ!化け物が現れたぞ――!」


 男達は悲鳴を上げながら逃げ惑い、次々と丘を転がり落ちていった。



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