神の如き人工知能
宇宙ステーションに存在するムゲンの説明をするアシュケナジ。
ユーリーはムゲンの覚醒に、己が関わっていると知って愕然とする。
「神の如き人工知能だと?長生きし過ぎて頭がおかしくなったようだな、アシュケナジ」
ユーリーが嘲笑う。挑発と分かっているのか、アシュケナジは冷静そのものだ。
「いいものを見せてやろう。信じるかどうかはお前の勝手だがな」
アシュケナジがユーリーから刀の切っ先を外して天井に向けた。
ナノ粒子の合成金属がアメーバのようにぐにゃりと変形した。アシュケナジの手の中で、ユーリーが見たこともない形状を作り上げていく。
(隙だらけだ。今、ブレードで攻撃すれば、アシュケナジを倒せるかもしれない。だが…)
戦うよりも人工知能への好奇心が勝った。
ブレードの構えを解いたユーリーの様子に、アシュケナジがさもありなんとヘルメットの中で満足そうに口角を上げる。
「これは」
振動が収まらぬ中、ユーリーはアシュケナジが完成させた模型を見上げた。
「見ろ、これが宇宙ステーションだ。今は消滅してしまった超大国アメリカ、国家体制が変わる前のロシアが主導して、ヨーロッパ、カナダ、日本等の国家が協力して宇宙に建設した超大型の人工衛星だ」
三角形を集合させた構造体を繋ぎ合わせたその両端に、巨大な太陽電池パネルが右舷と左舷に八枚ずつ対となっている。
トラスを中心としてその下弦に円筒形のモジュールが複数連結し、上弦には巨大な車輪を頂いていた。
「これはエンド・ウォー以前の姿。そして、これが、現在の宇宙ステーションだ」
アシュケナジの掌の上で、ナノ金属が細かな網目状の球体になる。
「こんなものを人工知能が作ったというのか?」
繊細なオブジェと化した球体に、ユーリーは思わず見入ってしまった。
「そうだ。ムゲンは、エンド・ウォーで滅亡した、日本という国が作った「きぼう」という名の実験モジュールに付属して連結された実験棟で、一人の天才科学者によって開発された人工知能だ。奴は、長い時間を掛けて自分の機能に適合するように、ステーションを改造していったのだ」
アシュケナジが球体を掌で包めるくらいに小さく圧縮する。
ナノ金属はまるで種から萌芽する植物の如く蔓を伸ばし、網目の一部を拡大した。
(まるで毛細血管のようだな)
ユーリーは目を鋭く細めて網目を凝視した。網目の金属の中に光ファイバーが通っているようだ。所々に四角い金属が見え、網目を形成している金属繊維が極めて細い管となり、集積されている。
「これは…量子変換機か?」
ユーリーの見立てが正しければ、ムゲンという人工知能は複数の量子コンピュータと接続しているらしい。予測は当たったようで、アシュケナジが頷いた。
「その通り。当時は世界の覇権を握るべく、米中が量子暗号・通信の技術競争でしのぎを削っていたからな。ハードの実験を含めて、量子科学実験衛星を随分と打ち上げていた」
(だとすれば、アシュケナジがムゲンと言う超知能の存在を口にするのも、まんざら嘘ではないかも知れない)
天空より上に何があるかなど、気に留める事など全くなかった。
(ムゲン。汎用型人工超知能か)
エンド・ウォー以前の高度技術が未だ宇宙に存在している事実に、ユーリーは衝撃を受けた。
(宇宙とは、どんな場所なのだろう…)
久しぶりに目の覚めるような感覚が全身を駆け巡る。
好奇心に支配されるがまま、ユーリーは宇宙に思いを馳せた。
「どうだ、ユーリー。我々の頭上に超知能が存在すると知って驚いただろう」
囁くような低い声に、我に返った。
「そんな荒唐無稽な作り話を信じて肝を潰せというのか?俺は自分自身の目で確かめなければ、納得しない主義でな」
「私から離反しなければ、お前はエンド・ウォー以前の全てを知ることが出来たのにな。今となっては、真実を前にしてもそんな減らず口を叩く事しか出来ない。残念だ」
皮肉めいた口調でアシュケナジが肩を竦めた。それと同時に、宇宙ステーションを模っていた掌の上のナノ金属が溶けるように形を崩していく。アシュケナジのパワードスーツの右腕をコーティングするように覆った。
「ユーリー、お前が、ムゲンを覚醒させてくれた。だから真実をお前に話した」
「俺がムゲンを覚醒させた、だと?」
アシュケナジの思いもよらぬ言葉に、ユーリーは眉を逆立てた。
「きさま、何を言っている?」
「お前はロング・ウォーを終焉させようとして、超大型キメラ生物兵器を戦域戦に投入した。だが、プロシアの新兵器、生体スーツに返り討ちにあってしまった。傷付いて動けなくなったキメラを救出する為に、条約を破って輸送機を空に飛ばしたな。エンド・ウォー以来禁止されてきた飛行機をだ」
「…それが、どうした」
動揺を隠そうと腹に力を入れる。それでも語尾が震えた。
「だから、あの時なのだよ!ムゲンが宇宙から、輸送機のジェットエンジンの熱を感知して、地球に向いている監視カメラを起動させたのは!私はその一部始終を、モン・ブラン山の宇宙観測基地で見ていたのだ!」
アシュケナジは興奮したように声を弾ませた。
「エンド・ウォー以来の飛翔体を発見したムゲンは、瞬時に兵器データと照らし合わせただろう。そしてロケットエンジンの放熱量を分析して、輸送機はミサイルではないと結論付けた。監視システムをスリープモードにしてしまったのか、以前と変わらぬ状態に戻った」
躍動していたアシュケナジの声のトーンが落ちた。
「戦域で次々と新兵器が投入されて激しい戦闘が起こっても、ムゲンは動きを見せなかった。私は限定戦域から戦闘を拡大させて、大陸間弾道ミサイルを飛ばしてみた。それでもムゲンは反応しない。新兵器同士の激しい戦闘を監視カメラで探知している筈なのに、ムゲンは空と地上で続く激戦を無視し続けた。何故だ?」
振動で軋む岩壁の音に負けじと、アシュケナジが声を張り上げた。
岩盤に埋め込まれた大型ディスプレーの薄型パネルから嫌な音がしたと思うと、壁から滑るように床へと剥落した。
くの字に折れ曲がったパネルの上に、空中で振り子のよう揺れる天井のライトの光がランダムな曲線を描く。
天井に亀裂が入っているのを見つけたユーリーが叫んだ。
「これ以上揺れが続けば岩盤が崩れる。これでは非常用発電機が動かなくなるのも時間の問題だ。蓄電池だけだと基地の電力は三十分も持たないぞ」
「そんなに慌てるな。年長の者の話は最後まで聞くのが礼儀というものだ」
非常事態が迫っているにもかかわらず、アシュケナジは落ち着いた様子で喋り続けた。
「思考を巡らせているうちに、私はムゲンが、宇宙ステーションを破壊するほどの高出力エネルギーにしか反応しないのではないかとの考えに至った。それで最後の手段として、モルドベアヌ基地とガグル社で相撃ちになるようにレールガンを作動させたのだ」
失望の声が期待に満ちたものに変化する。
「予測は当たった。ムゲンはレールガンを宇宙ステーションを攻撃可能なミサイルと認識した!奴はエンド・ウォーで集積したデータで、地上を攻撃するだろう。恐らく、ある一定の熱量を出す物は兵器と認識して、光電子攻撃で破壊し尽くす筈だ」
「まさか。そんな話、信じるものか!」
「さすがのお前でも恐怖を感じるのか。まあ、人間なら当然の反応だ」
思わず大声を上げたユーリーに、アシュケナジが軽く手を振る。ユーリーは目を怒らせてアシュケナジを睨み付けた。
その顔はユーリー同様、ヘルメットに覆われているので表情は分からない。
それでも、アシュケナジの高圧的な視線が自分に注がれているのは容易に想像できた。
「あのレーザービーム照射は、ムゲンが、エンド・ウォーで頓挫した月開発に利用する宇宙配備型太陽光発電システムを完成させた証明なのだよ。お前ならすぐに理解しただろう?光の速さと凄まじい破壊力を併せ持つ遠距離型兵器を地上から発射するのは不可能だとな」
(確かにその通りだ)
ユーリーは悔し気に唇を噛み締めた。
「宇宙からビーム攻撃が繰り返されるだと?本当にそうなったら、この世界はどうなる?」
「文明は滅ぶ。人類も滅ぶかも知れない。だがそれも宇宙から見れば、取るに足らない些末な出来事だ」
「アシュケナジ、きさまも人類の端くれだぞ。滅ぶなどと、よくも軽々しく言えたもんだ!」
「ムゲンだ。人間を凌駕する超知能が出現した時点で、人間の頭脳は猿と同等になった。人類の絶滅は決まったも同じだろう」
恐ろしい言葉に声を失う。アシュケナジの笑い声がイヤホンに響き渡った。
「ユーリーよ。お前のお陰で、私は天空を仰いだまま朽ち果てる運命を回避できた。感謝するぞ」
ドンという音が床下から響いた。
返す言葉を失っているユーリーの足元で、突き上げるような激震が始まった。
異常事態を知らせる音や光を発している計器類が次々とシステムダウンしていく。
アシュケナジがスクリーンセイバー状になっているコンピュータを起動して文字と数字を打ち込むのが見えた。手元のパソコンはまだ動くらしい。
「太陽光パネルに塵芥が大量に降り積もっている。モルドベアヌ基地がブラックアウトして機能不全になるのは免れない」
アシュケナジがそう口にした途端、パソコンが床に落ちた。
「すぐに基地から脱出しないと死ぬぞ」
足元から不気味な破壊音が聞こえてくる。それと同時に今までにない振動が発生した。天井から岩盤が剥落して、レールガン発射施設の機材を潰し始める。
「まずい。この揺れは…」
「どうやら基地のメイン動力、地熱発電所辺りで大爆発が起きたようだな」
アシュケナジの冷酷な笑い声にユーリーの表情が引き攣った。
「これだけの衝撃だ。基地内で連鎖爆発が誘引されるのは必至。最悪、山が吹き飛ぶぞ。難攻不落と謳われたアメリカ・モルドベアヌ基地も、遂に終焉を迎える時が来たようだ」
割れていく床にブレードを立てて両膝を付いているユーリーを見下ろしながら、アシュケナジはパワードスーツの右手を覆っていたナノ金属をマントに変えて身体を覆った。
「さらばだ、ユーリー。また会う機会もあるだろう。お前が生きていればの話だが」
突然、大型ディスプレイが設置されていた岩盤に巨大な亀裂が入った。
「何だ?」
異変を感じたユーリーが亀裂に顔を向けた刹那、ユーリーに向かって岩壁が弾け飛んで来た。衝撃でユーリーのパワードスーツが宙に吹っ飛び、反対方向の壁に叩き付けられる。
「くっ!敵襲か!」
背を壁に付けたまま下へとずり落ちる。瓦礫だらけになった床の上で、何とか足場を確保した。
攻撃態勢を整えたユーリーの前に、破壊された岩壁から巨大な銀色の生体スーツが現れた。
「お迎えに上がりました」
アシュケナジの前でブラン・オーリクがG-1をうやうやしく跪かせた。




