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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第六章 エンド・ウォー
268/303

悲憤と報復・1

子供時代の苦悩をブラウンに語るヘーゲルシュタイン。

ノイフェルマンの心変わりに失望したヘーゲルシュタインは、ある人物と接触していた事実をブラウンに明かす。

今回、区切りの良いところまで書いたら、少し長くなりました。



 

 戦闘車が幹線道路を爆走する。

 ミサイルが飛び交ったにもかかわらず、奇跡的にも広い幹線道路には一つの穴も開いていない。

 滑らかな路面とは対照的に、道路脇から黒い煙が立ち上っているのが目に入る。地面に穴が開き、ミサイルの残骸があちこちに散らばっていた。

      

(さすがだな。軍事連合軍の多連装発射ロケットシステムから発射されたミサイルを、全て迎撃したのか)


 ガグル社の軍事技術の高さを改めて思い知らされる。

 それにしても、ガグル社が幹線道路をここまで防御した理由は何なのだろう。

(連邦軍から造反したヘーゲルシュタインを首尾よく逃亡させる為なのか?しかし、それだけの理由で、大量の迎撃ミサイルを放ったとは考えにくい)


「ブラウン、運転中に考え事をするのはよくないぞ。事故の元だ」


 見透かされたように、ヘーゲルシュタインの脅し声が頭上から落ちてくる。


「たらたら走るな。もっとスピードを上げろ」


  首の後ろに銃口をに押し当てられた。

 鉄の塊の冷たい感触に、ブラウンの足がアクセルを踏み込む。戦闘車のエンジンが唸り声を上げて加速した。

 途中、主戦闘地域となったオーストリア市街に向かうプロシア軍の戦車隊とすれ違う。


(今頃になって援軍を送るとは。呑気なものだ)


  戦地から反対方向へ走行する戦闘車を不審に思ったのか、縦一列になって走行する戦車の最後の一両が速度を落としたように見えた。


(お願いだ。気が付いてくれ)


 ブラウンの願いも虚しく、戦車隊の姿はバックモニターからあっという間に遠ざかった。


(仕方がないか。プロシアの軍旗が横っ腹にでかでかと描かれている戦闘車にミサイルの起爆スイッチを持った軍高官の反逆者が乗っているなど、誰が想像するものか)


 戦車対とすれ違ったのは一回きりだった。

 戦闘が始まると知った民間車両が走行してないのは言うに及ばずだが、敵の侵入を防ぐ為に幹線道路を封鎖する戦車が一両も配置されていないのは、あまりにも不自然だ。


「ブラウンよ、随分と腑に落ちない顔をしているな」


 ヘーゲルシュタインの言葉に、ブラウンは首を横に振った。


「いいえ閣下、逆です。少将の貴方が率先して前線の戦闘指揮を執った理由が、今になって分かりました」


「そうさ。戦線から離隊するのに、通り道に邪魔なものを置いておくわけがない」


 侮蔑の籠った含み笑いが、ヘーゲルシュタインの口から漏れ出した。


「だがな、こんなに広い幹線道路に戦車や重火器を配備しない作戦などあるものか。まともな将校は、ブラウン、君と同じ表情をしていたよ。それでも私に異を唱えようと度胸のある奴はいなかった」


「そうでしょうね」


 頷いたブラウンの口から小さな溜息が漏れた。


「いくら国土を侵略されたとしても、所詮、オーストリアはプロシアの属州だ。貴方に代わって死地となる最前線に赴き指揮を執ろうとする上級貴族将校は、誰もいないでしょう」


「ウェルク、作戦会議の場に君がいなくて本当に良かったよ」


 ブラウンの後ろでヘーゲルシュタインがわざとらしい高笑いを放った。


「意気地のない上級貴族どもが連邦軍の中枢にいるお陰で、私の計画は至極順調だ。彼らには感謝しないとな」


 ヘーゲルシュタインの笑い声と共に銃口が首筋を上下する。ブラウンは口を一文字に引き締めて正面のモニター画面を睨んだ。

視界にはアスファルトの一本道が果てしなく続いている。

 隣国からの物資を運ぶのに使われているこの幹線道路はプロシアの重要な大動脈だ。お陰で舗装状態はすこぶる良好である。戦域の道なき道を走ってきたブラウンには、気抜けするくらいに楽な運転となる。


(地図は見せられたが、一体、どこに行くつもりなんだ?)


 このまま走ればフランス国境だが、途中にある立体交差の分岐点からスイス、またはルクセンブルク方面に方向を変えろと命令される可能性もある。

 どの国境に向かうにしても、五百キロ以上の距離を走らなければならない。戦闘車の百キロ前後の走行スピードでは、かなりの時間を要するだろう。


(その前に燃料が切れる。どこかで補給する必要があるな)


 どうせ長い道中だ。打開策が頭に浮かぶまで、ヘーゲルシュタインに長話をさせるのも一手と考えた。


「ところで、少将閣下、貴方はプロシアの貴族統治を終わらせる為に最終戦争も辞さないと仰ったが、それは本心なのですか?」


「本心だ」


 ヘーゲルシュタインが憎悪に満ちた声を腹の底から押し出した。


「しかし、貴方も男爵の爵位を持つ身。何故(なにゆえ)、そこまで貴族を憎むのです?」


「ブラウン、その話は以前にもした事があるぞ。勝ち戦だと信じていたアウェイオンで惨敗した時だ。」


 ブラウンの問いにヘーゲルシュタインが鼻で嗤うのが分かった。


「オークランドのような身分の高い貴族が大多数を占めている高位軍人の無能を罵る私に、お前は同じ貴族を(なじ)るのはどうかと私を諫めたのだ。その時、ヘーゲルシュタイン家の男爵の爵位は材木で財を成した祖父が金を山と積んで没落貴族から買い取ったものだと、お前に話したではないか。忘れたとは言わせぬぞ」


 ブラウンの背後で銃を構えているにも飽きたのか、ヘーゲルシュタインは喋りながらブラウンの隣の座席に腰を下ろした。

 ブラウンは顔は正面を向けたまま、ヘーゲルシュタインの横顔を一瞥した。

 ベレッタを持つ手は膝に置いてあるが、銃口は脇腹を向いている。未だ予断を許さない状態だ。ヘーゲルシュタインが話を続けた。


「祖父から継いだ貴族の地位を、父は余すところなく享受した。森林ばかりで耕作地が少ない領地の民に重税を掛けて、彼らの僅かな財産を徹底的に毟り取ったのだ」


 ヘーゲルシュタインは憎々し気に鼻を鳴らした。


「そんな父の性格に、母も犠牲になった。フランスの地主の娘を見初めて強引に妻に向かえたくせに、数人の子を()しながら年を重ねる母に飽きて、若い女をとっかえひっかえ屋敷に連れ込んだ。…兄達は父の機嫌を損ねるのが怖くて見て見ぬふりだ。屋敷には幼い私以外、母の味方は誰もいなかった。心労が重なった母は私が七つの時に病死した。そんな幼い時の体験で、貴族嫌いの下地が出来たってわけだ」

 

 そこで話が途切れた。

 ブラウンが目を向けると、ヘーゲルシュタインは自分の膝を睨んでいた。ベレッタの銃口が僅かに下を向いている。


「父は恐ろしく野卑(やひ)な人間でね、恫喝(どうかつ)や暴力で領民を支配するのがヘーゲルシュタイン家の繫栄になると信じ込んでいる。自分の息子に必要なのは腕っぷしの強さだけで、学問は一切無用というのが持論だ。…私は唯一父に反抗する息子だった。それで下僕同然に働かされた」


 少年の頃の辛い記憶が鮮明に甦ったのだろう、ヘーゲルシュタインがブラウンに虚ろな目を向けた。


「だから私は、父の支配から逃れるには軍人になるしかないと考えた。力を妄信する者は、もっと大きな力の前には簡単に平伏するからな。思った通り、父は、家から軍人を輩出できるのは大変な名誉だと喜んだ」


 その時の父親の様子が目に浮かんだようで、鼻と眉間に盛大に皺を寄せる。


「よほど嬉しかったのだろう、吝嗇家(りんしょくか)の父は、私をベルリン士官学校に入学させようと大枚の金を出してくれた。皮肉にも、毛嫌いしている父の財力のお陰で、片田舎の新興貴族の少年は、階級の高い貴族の士官候補生達に陰で悪口を叩かれる事はあっても、大して虐められずに済んだという話だ」


 ヘーゲルシュタインがブラウンの横顔に暗い視線を当てた。

 心の傷をこじ開けるような昔話を、ブラウンがどんな顔をして聞いているのか興味があるようだ。もしかしたら、ブラウンの瞳に憐憫の色が浮かぶのを待っているのかも知れない。

 だが、表情一つで激情家のヘーゲルシュタインに銃をぶっ放されては堪らない。

 ブラウンは顔から一切の感情を消して、モニター画面から目を離さずに運転に集中した。


「ベルリンに行けば、父のような野蛮な人間とは縁を切れると思っていた」


 ブラウンから顔を背けたヘーゲルシュタインが、独り言のように呟いた。


「ベルリンのプロシア国立士官学校に集う士官候補生の殆んどは、名門貴族の子弟だ。国の中心で高度な教育を受けている彼らは当然思慮深く、人への思いやりに溢れている気高き人間ばかりなのだと。…私は期待を込めて彼らと接した」


 とんだ勘違いだったと、ヘーゲルシュタインは言葉を吐き捨てた。


「奴らの傲慢さ強欲さは、父を遥かに上回るものだった。この国の全てが貴族の保身で回っているのだと理解するのに、それ程時間はいらなかった」


(国の制度上、無能でも、位の高い貴族出身というだけで政治や軍の中央の椅子に座るのを許されるのだ。ならば、保身にひた走るのが一番楽な道。知らなかった筈はないだろう)


 ブラウンは心の中でヘーゲルシュタインに言い返した。


「どんなに有能な政治家や軍人も、上級貴族でなければ出世の壁に突き当たる。この国の統治機構に失望した。そんな時、一人の士官候補生と出会った。それがハインリヒだ」


 ハインリヒ・フォン・ノイフェルマン。


 その名を聞いて、ブラウンは微かに眉尻を持ち上げた。

 プロシアの名門であるノイフェルマン侯爵家の当主で、共和国連邦軍副参謀であった人物。

 アウェイオンで大敗した責任をオークランドに負わせて辞任に追い込み、連邦軍の頂点にのし上がった。

 同時に戦域消失の窮地に追い込まれたプロシアの権力奪取にも動いた。

 ロシアの支配者ウォシャウスキー将軍の要求に屈してポーランド全土移譲を無条件で承諾したハインラインに反発し、議会開催中の議事堂で軍事クーデターを起こして彼を首相の座から追い落した。

 現在のプロシアで、どれほど地位の高い貴族であっても、ノイフェルマンの名を「陛下」()しくは「閣下」の称号無しに口にすることは出来ない。

 竹馬の友であるへーゲルシュタインただ一人が、ノイフェルマンのファーストネームを口にするのを許されている。

 少年時代から固い絆で結ばれた二人。よく知られた美談では、ある。

 だが。


(敗戦のごたごたを利用して連邦軍とプロシア軍の両方の最高指揮官となり、最後にプロシア国を手中に収めて一気に共和国連邦の支配者に上り詰めた。英雄と呼ぶよりは、とんでもなく奸計に秀でた男だ)


 そんな計算ずくの人間が、成り上がりの新興貴族出身のヘーゲルシュタインを損得無しで、無二の親友と持ち上げるとは思えない。


「ハインリヒは身分制で硬直したプロシアを根幹から変えようしていた」

 

 昔を懐かしむようにヘーゲルシュタインの口元が緩んだ。


「あらゆる技術をガグル社に依存し、故に経済を支配されている我が国は長年の戦争で疲弊の極みにある。彼は拳を振り上げて、国家体制を批判した。貴族制から共和制に移行するのだと息巻いていた。

 私は彼の考えに大いに賛同した。だから、ノイフェルマンにこの国を変えて貰おうと彼の直属の部下になって、血みどろの限定戦域戦争に身を投じたのだ」

 

 ヘーゲルシュタインの肩が、がっくりと落ちた。右手に銃を携帯したまま両手で顔を覆う。


「なのに、奴は権力の頂点に立った途端、国の変革など最初からなかったようにふるまい始めた。ウォシャウスキーのような独裁者に変貌してしまった。奴もただの強欲な一人の人間のだったのだ!!」


 絶望の呻きと共に、ヘーゲルシュタインの両腕が腰から下にだらりと落ちた。

 ブラウンは冷静さを装ってモニター画面を見ていたが、自分の中で怒りの炎が大きくなるのを感じていた。


(ヘーゲルシュタイン、お前は何をそんなに嘆いている?権力者に清純さを求めるなど、絵空事しか頭に描けない理想主義者か、権力と金から遠く離れた非力な人間くらいなものだ。それに、ノイフェルマンを独裁者と(なじ)るお前は、彼とどこが違うというのだ)


 入隊してからというもの、命を賭して戦えと兵士に叫ぶヘーゲルシュタインの声を嫌と言うほど聞いてきた。それこそ、感覚が麻痺して何も感じなくなるくらいに。

 そして、将校となったブラウンも、同じ言葉を口にした。


(我々の命令で、血塗られた土漠の限定戦域にどれだけの兵士の命を散らせたと思う?)


 戦争という大義名分で人を死に追いやる方が、保身で政治を司る貴族よりもずっと傲慢な行為ではないのか。

 遠い昔の約束を反故にした友人を非難するヘーゲルシュタインに呆れながらも、ブラウンは感慨を覚える自分に心の中で苦笑した。

 ヘーゲルシュタインと同様に、幼い時代の記憶に(から)め捕られて抜け出せない自分の存在の大きさを理解したからだ。


(人間の記憶から創造される世界は、彼らの感情でいかようにも変容する)

 

 それがどれだけ危ういものか。ブラウンは今、身をもって知らされている。

 ヘーゲルシュタインが頭を持ち上げた。充血した目がブラウンを睨む。


「だがな、私もノイフェルマンの人形で終わるつもりはない。少将になると、私に接触してくる人間が増えたのだ。互いに利益を供与しようとな。その中にはガグル社の人間もいた」


「ガグル社の人間、ですと?」


 思わぬ告白に、声が震える。

 ブラウンの様子に、ヘーゲルシュタインが満足げに口角を上げた。


「それも中枢にいる人物だ。彼は私に保険を掛けろと提案してきたよ。裏切りに対する報復と言う名の保険を自分に掛けよとな。当時は半信半疑だったが、今なら理解できる。ノイフェルマンがどのように行動するのか、彼は全て把握してたのだ」


「彼とは誰です?」


 もしや。まさか。


「遠慮はいらんぞ。ウェルク、頭に浮かんだ名を言ってみろ」


 突然、ヘーゲルシュタインがブラウンの操縦席に身を乗り出した。

 横からハンドルを奪うと、ブラウンの脇腹に突き付けているベレッタの銃口を顎に押し当てる。驚愕に見開いた目でヘーゲルシュタインを凝視しながら、ブラウンが口を開く。


「ファン・アシュケナジ、ですか?」


「正解だ。彼が私に報復を勧めたのだ!」


 ヘーゲルシュタインは咆哮すると、ベレッタの銃床をブラウンの頭に向かって振り下ろした。


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