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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第六章 エンド・ウォー
265/303

貸し借りなし

戻って来たニドホグ。

ケイとフィオナの形勢が一気に逆転する。



 音もなく現れた漆黒の巨躯がケイとフィオナの頭上を覆う。


「しまった。いつの間にこんなに接近されていたんだ?」


「ニドホグ!良かった。無事だったのね」


 フィオナの顔が笑顔で弾けた。後ろ手に組んだ腕を解くと、両手をニドホグに向かって振り回す。

 茫然と空を仰ぎ見るケイの横で、フィオナは満面の笑みを浮かべながら地面をぴょんぴょんと飛び跳ねた。


「くそ!」


 ケイは歯噛みしながら手に持った拳銃(リボルバー)をニドホグに向けた。


「あはは!無駄よ。そんなものでニドホグを撃っても、豆鉄砲の威力もないわ」


 ニドホグに狙いを定めてトリガーを引こうとするケイに、フィオナが鼻で嗤った。


「…確かにな。弾が無駄になるだけだ」


 こんな小さな拳銃では、鋼鉄のように硬い巨獣の身体にかすり傷一つ付けられない。


(だったら、もう片方の目を狙うか)


 ニドホグの頭部に向けてリボルバーを構え直す。だが、この角度では大きな顎と太い首は狙えても、目が射程に入らない。


(まずいな。いくらインナースーツを着ていても、あのでかいガタイに踏み潰されたらぺちゃんこだ。ここはひとまず、フェンリルに避難するか)


 ニドホグに向けていた銃をレッグホルダーに戻すと、ケイはフェンリルの腕に飛び乗った。

 ケイの行動を察知したフィオナが目にも止まらぬ速さで動く。ケイの足首を掴んでフェンリルから一気に引きずり下ろした。

 悲鳴を上げる間もなく、ケイは地面に顔面を叩き付けられた。


「ぐっ」


 痛みに悶えながら両手で顔を覆うケイからリボルバーを奪ったフィオナが、勝ち誇ったように叫んだ。


「コストナー、スーツのコクピットに戻ることは許さない。お前はここであたしと一緒にニドホグが下りてくるのを待つんだ」


 そう言い放つと、ケイの背中に銃口を押し当てた。


「うう、く、そ」


「いつまで寝そべっているつもりだ。早く立て」 


 顔を手で押さえながら倒れているケイの首を後ろからむんずと掴むと、フィオナの細い腕がケイの身体を軽々と持ち上げた。


(何て、怪力なんだ)


 胴体から頭を引っこ抜かれそうな痛みに耐えながら、ケイは必死に首を捩じってフィオナを睨み付けた。


(小鳥のように細くて華奢だけど、やっぱりこいつ、普通の人間じゃない)


 自分を睨み付けるケイの視線を無表情に受け止めてから、フィオナはケイの首から手を離した。


「コストナー、両腕を頭の後ろで組め。さっきお前があたしにやらせたようにね」


 奪われた拳銃を背中に突き付けられる。

 ケイは黙って両手を頭の後ろに回した。空を仰ぐと、高度を落とし始めたニドホグの姿が視界に広がった。

 戦車の鋼鉄をも切り裂く恐ろしい羽根で覆われた両翼が大きくホバリングする。巨大な翼が風を切る度に、この世のものとは思えない恐ろしい音が頭上に響いた。

 ニドホグの翼が起こす強風で、乾ききった大地から土の粒子が空高く舞い上がる。渦を巻く土埃で周辺が砂嵐のようになり、視界が完全に遮断された。


「ダメだ。これじゃ身動きが取れない」


 フェンリルの操縦席にヘルメットを置いてきてしまったのを後悔したが、もう遅い。

 両腕は後ろに組んでいるので顔を覆えない。土を肺に吸い込まないように息を殺して目を瞑り、凄まじい強風の中、ケイは必死の思いで立っていた。

 耳にガリガリと大地を抉る音が響いた。

 着地時にニドホグの後ろ足が地面を削った音だと分かる。

 片目だけを薄く開けると土煙の間からニドホグの前足が見えた。

 大地を鷲掴みした指の先の大きな鉤爪が地面を穿つ。巨竜の降り立った距離は、ケイの場所から五メートルも離れていない。

 土埃が霧散してニドホグがケイの前に全容を表した。

 あまりの大きさに息を飲む。ニドホグもケイを見るように顔をぬっと突き出した。狂暴な色を湛えた片目がケイを見据える。

 フェンリルに入って戦っている時には感じなかった死の恐怖が全身を駆け巡った。

 威嚇のつもりなのか、ニドホグはケイに向かって口を開けた。

 赤い歯肉が覗き、その上にずらりと牙が並んでいる。大きく裂けた口は、大人を一飲みに出来るほど巨大だ。


「なんて、でかいんだ…」


 思わず呟いたケイの隣で、フィオナが勝ち誇ったように高笑いを始めた。


「これで形勢が逆転したわね」


「グルルルル」


 フィオナの声に呼応するようにニドホグが喉を震わせた。恐ろしい唸り声が大地が割れるような音に似て背筋が寒くなる。

 この絶体絶命の状況から逃れる方法はあるのか。

 必死で思考を巡らせるケイの背中を、フィオナがリボルバーの銃口で軽く突いた。


「さあて、どうしようかしら。あんたを捕虜にしてもいいんだけれど、連邦軍の戦領域からモルドベアヌ基地まで連行するのはちょっと面倒だしね。休戦も解除したことだし、この何もない荒れ地で敵の主要戦闘機である生体スーツのパイロットを撃ち殺せば、アメリカ軍にとっては多大な脅威の排除になる」


「……」


 眉間に皺を寄せて口を一文字に引き結んだケイに、フィオナは満足げに頬を持ち上げた。


「そんな怖い顔であたしを睨まないでよ。コストナー、お前には助けて貰った借りがある。だから殺しはしない。それで貸し借りは無しよ」


「俺を開放するのか?」 


 フィオナは手にしている拳銃を、草が固まって生えている土漠の一角に力いっぱい放り投げた。


「動かない生体スーツのパイロットに何の脅威もない。それに今、あたしが銃を破棄したから、あんたは丸腰なわけだし」


 フィオナは表情を曇らせた。伏せた目で地面を見つめながら話を続ける。


「あたしはニドホグとモルドベアヌに帰るわ。線戦に復帰するつもりはない。天空からのレーザー攻撃で、ウィーンの戦線は消滅した可能性が高いから」


 戦線消滅と聞いてケイの表情が険しくなった。


「あの直下型レーザー砲は、アメリカ軍が開発したのか?」


「あんな恐ろしいものを開発できるのは、ガグル社しかいないじゃない?」


 不貞腐れたように言葉を吐き出すフィオナに、ケイが畳みかける。


「ありえない。もしあのレーザー砲をガグル社が開発したのなら、敵対勢力である同盟軍、それもアメリカ軍の要塞、モルドベアヌの攻撃に使用する筈だ」

 

 怒りで顔を赤く染めたフィオナが犬歯を剥き出して叫んだ。


「知らないわよ、そんな事!あんたは動かない生体スーツと一緒に、この土漠で日光浴でもしてればいい。さあ、そこをどいて」


 フィオナはケイを突き飛ばして道を開けさせるとニドホグに駆け寄って、その前足に身体を預けるように腰を下ろした。

 ニドホグは前足に抱き抱えたフィオナを自分の胸の高さまで持ち上げた。フィオナがドラゴンの胸を撫でると、分厚い胸の中央がめくれるように左右に割れていく。

 人一人が入れる空洞を胸に開けたドラゴンの様子を放心したように眺めるケイの前で、フィオナがその空間に身体を滑り込ませた。


「じゃあね、ケイ・コストナー」


 ドラゴンの胸の穴が閉じていく。岩肌の如き皮膚が少女を完全に覆い隠すと思いきや、フィオナは顔だけを覗かせた。


「そうだ、コストナー。いい事教えてあげる。あんたにも分かっているでしょうけど、フェンリルは壊れていない」


「え?」


 目を見開くケイにフィオナが頷く。


「地面に激突する直前に、フェンリルはパイロットの身体的ショックを緩和しようと自分の人工神経とあんたの意識を強制的に切り離した。それでスーツの人工脳が活動を停止してしまったの。フェンリルの神経の最深部に同調(シンクロ)すれば、再起動するはずよ」


「神経の最奥部にシンクロだって?そんな芸当、俺に出来るのか?」


 信じられない思いで聞き返すケイに、フィオナが呆れたように息を吐いた。


「何を驚いているの?コストナー、あんた、アウエィオンとウィーンの戦闘で二度もニドホグの弾丸とシンクロして攻撃方向を変更させたじゃない?あんたにはその能力があるのよ」


「でも…」


「でもじゃない」


 フィオナが眉を顰めてぴしゃりと言った。


「少しは自分を信じてみたら?これでホントに、本当に貸し借りなしよ」


 話は終わったとばかりに、フィオナがケイから目を外す。

 ニドホグが岩の擦れ合うような音を立てて巨翼を広げ、地響きを起こしながら大地を蹴った。



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