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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第六章 エンド・ウォー
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憎しみ

休戦を受け入れたフィオナ。

休息を取るフィオナを見て、ケイの脳裏にアウェイオンの惨劇が甦る。


一日早めの投稿です。来年も宜しくです。

良いお年をお迎え下さい。コロナよ、早く終息せ――い!!!



 戦っている相手が動けないほど空腹だと知った途端、ケイの緊張が一気に解けた。

 腹も空いているが、先に喉の奥が痛むほどの乾きを何とかしたい。


「フィオナ、お前の体力は限界を超えているんだ。戦おうったって、身体が動かないんじゃどうしようもないだろう?ここで休戦するのはお前にとって好条件の筈だ」


 ケイの提案を聞いても、地面に這いつくばったままのフィオナから返答はなかった。

 休戦に同意しないどころか、敵意剥き出しの視線を向ける少女に隙は見せられない。ケイは、自分から三メートルの距離を開けて倒れているフィオナを用心深く見回した。

 フィオナには人間離れしたスピードと攻撃力が備わっている。

 こんな距離など(わず)かな隙を見せたら最後、猛獣の如き跳躍で地面を一蹴りして瞬時に間合を詰められる。

 防御の構えを取るより早く、急所に鉄拳を叩き込まれるだろう。

 ケイはフィオナから目を逸らさないで、()り足で後退しながらフィオナとの距離を広げた。予想に反して、フィオナが動く様子はない。


(やはりな。あまりの空腹に精も根も尽き果てたか)


 フィオナに顔を向けたまま、ケイは腰に装着してあるファーストラインギアのジップ式のポーチを開けた。腰の中央に装備してあるポーチを後ろ手でまさぐり、いくつかの携帯食を取り出す。


「フィオナ、休戦に同意しろ。同意すれば、これをお前にやる」


 ケイはジェリー状になった栄養補給パウチやチョコレートの入った小袋を摘むと、フィオナが良く見えるように頭上に掲げた。


「う、うう」


 携帯食に目を止めたフィオナの口から呻き声が漏れた。

 握りしめた手が地面の上で震えている。食べ物は欲しいが、ケイにイエスと返事するのが悔しくて堪らないようだ。


「声が聞こえたぞ。それは休戦承諾の返事と取っていいんだな?」


 ケイは携帯食を空中でぶらぶらさせながら、語気を強めて聞き返した。

 フィオナは形の良い唇を噛みしめて無言でケイを睨み付けていたが、やはり空腹には勝てないようだった。

 地べたに視線を落とすと、小刻みに首を縦に振りながら声を絞り出す。


「…分かった。一時、休戦する」


「よし。携帯食を分けてやる」


 数歩近付いたケイに、フィオナが威嚇の唸り声を上げた。


「あたしに近寄るな、ケイ・コストナー!敵とはこれ以上、馴れ合うつもりはない!」


「お前、動けないんだろう?携帯食を持って行ってやろうとしただけだよ」


 呆れ顔のケイに、フィオナは盛大な顰め面を作って怒鳴った。


「だったら、食べ物をこっちに投げろ。それで事足りる!」


「分かったから、そう怒鳴るなよ」


 歯を剥き出して猫のようにふうふうと唸る少女の態度に辟易しながら、ケイは携帯食をフィオナの顔の前に投げてやった。

 フィオナは地面に腹這いになったまま手を伸ばして、ゼリーのパウチとチョコの袋を空中で器用にキャッチした。

 上体を起こして両脚を外側に九の字に広げて地面に座る。土埃に塗れた顔そのままで、破いた袋に直接口を付けると、中のチョコを一度に口に放り込んだ。

 荒々しく噛み砕いたチョコを、ゼリーで喉に流し込む。

 何とも鬼気迫る食べ方だ。

 ケイは水筒の水で喉を潤した後、口元に持っていった乾パンをそのままにして、フィオナの様子を眺めていた。

 空になったパウチをちゅうちゅうと未練がましく(すす)るフィオナの目がケイに向く。

 フィオナの視線が乾パンに縫い留められたように動かなくなった。


「…これも、食うか?」


 大きな目で哀れっぽく見つめられ、口に運ぶことのできなくなった乾パンを、ケイは袋ごとフィオナに投げてやった。

 へたり込んだままの格好で袋を胸の前で受け止めたフィオナが、口いっぱいに乾パンを頬張る。


「おい、そんなに乾パンを口に入れたら喉を詰まらせるぞ」


 警告も虚しく、目を白黒させたフィオナが胸を激しく叩き出した。


「ああ、もう。言っている側からこれだ」


 顔を真っ赤にしながらぽろぽろと涙を零すフィオナを放っておけなくて、ケイは水筒を投げてやった。


「こんな()(ばく)じゃ水は貴重だ。少しは残しておいてくれよって…もう全部飲んじまったみたいだな…」


 フィオナは、華奢(きゃしゃ)な首を折れそうなほど()()らせて、(むさぼ)るように水を飲んでいる。

 自分の言葉が全く届いていないのを知ったケイは、力なく溜息を付いた。


「ぷはぁ」


 大きな息を満足そうに吐いてから、フィオナは水筒から口を離した。

 無言で水筒を投げ返してくる。案の定、空になってしまった水筒に、ケイは小さく舌打ちした。

 自分のお人好し加減に腹を立てながら水筒を仕舞うケイの目に、くたり、と、地面に上半身を突っ伏するフィオナの姿が映った。


「フィオナ!どうした?お前、怪我しているのか?!」


 手と足を投げ出して地面にうつ伏せで横たわる少女に、ケイは慌てて駆け寄った。

 上半身を抱き起してフィオナに目を走らせる。

 擦り傷は多いが、大した負傷はしていない。力が抜けたフィオナの身体が、ケイの腕の中でぐにゃぐにゃと崩れ落ちる。動かす度に大きく頭が揺れるが、目はずっと閉じたままだ。

 やけに穏やかな表情になっているフィオナに、ケイは嫌な予感を走らせた。


「おい、フィオナ。もしかして、お前」


「ううう。眠い、眠すぎる。もうダメ、動けない。目が開かない」


「……」


 腹が満たされたフィオナは、今度は耐え難い睡魔に襲われているのだった。


「敵の前で寝落ちするなんて、どんな神経しているんだ?どうなったって知らないぞ」


 フィオナは瞼を必死で持ち上げた。半眼状態の目でケイを見る。呆れ返るケイに、息も絶え絶えに言った。


「殺したいなら殺せばいい。だが、今は休戦中の筈だ。休戦は、お前から持ち掛けた…」


「ああ、分かっている。卑怯なマネはしない」


 自分に言い聞かせるように低く呟くケイの腕の中で、フィオナは首を横に落とすと、すうすうと寝息を立て始めた。


「信じられない。敵に抱っこされておねんねかよ」 


 このまま地面に投げ出してやろうかと思ったが、フィオナのあまりにあどけない寝顔に思い留まった。

 ケイは、自分の腕に上半身を抱かれながら前後不覚で寝入っている少女の顔を、改めて覗き込んだ。

 大きな瞳と同色の、薄茶色の長い睫毛。肌の色は抜けるように白く、頬はほんのりとした薄桃色だ。唇は筆でさっと()いたような薄い紅色に染まっている。小さな顔の上にはらりと薄茶色の髪が落ちると、息を飲むほど(はかな)げな印象になった。

 フィオナの全てが淡い色で彩られている。

 その寝顔に、土漠特有の強い日差しが容赦なく照り付ける。


「…ここに置いといちゃ、干からびるな」


 ケイはフィオナの身体を抱え直して立ち上がった。

 戦いの最中(さなか)にも感じたが、やはり驚く程軽い身体だ。ケイは、横倒しになっているフェンリルが作る影の中へと歩いて行った。

 動かない大きな腕に背中を沿()わせるようにフィオナの細い身体を横たわらせてから、自分も少女の右脇に片膝を立てた格好で地面に座る。

 ケイは横に首を曲げて爆睡中のフィオナを見下ろした。

 随分と幼い寝顔だった。格闘戦時の表情とは全くの別ものだ。


「折れそうなほど華奢な身体で、寝ている時はこんなにあどけなくて…。なのに…」

 

 この少女が悪魔の化身の如き飛行兵器ニドホグを駆り、アウェイオンで連邦軍を全滅させたのだ。

 ニドホグの弾丸に身体を穿(うが)たれ、血を、内臓を、そして折れた骨を背から腹から突き出して死んでいく無数の兵士の断末魔が、ケイの耳の奥に甦った。


「あの地獄の光景を、俺は死ぬまで忘れない」


 違う。

 己の脳、否、身体の細胞の全てが完全に死ぬまで、記憶に刻印された絶望の奈落、あの生き地獄を抱きしめていなければならない。


「エマ」


 思わず、愛しい少女の名がケイの口から零れた。

 ヤガタ基地の奥にある病室のベッドにひっそりと横たわるエマの姿が脳裏に浮かぶ。途端にケイの腹の底から憎しみの炎が燃え上がった。


「エマの意識が戻らないのは、こいつのせいだ」


 身体を焼き尽くす激しい憤怒は濁流となり、瞬く間にケイの全身を巡った。

 ケイの右手が腰を滑り降りた。レッグホルダーに指を這わせ、ホルダーから覗いているグリップを掴むと、音を立てずにリボルバーを引き抜いた。

 ケイは深い息を一つ吐くと、眠っている少女の側頭部に狙いを定めた。


(今、ここで、俺が引き金を引けば、エマの仇が取れる)


 それだけじゃない。

 レリックの、曹長の、トゥージス部隊の、アウェイオンで死んだ連邦軍兵士全員の恨みを晴らすことが出来る。


「だから、これは、正義だ」


 ケイは、トリガーに掛ける人差し指に力を込めた。





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