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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第六章 エンド・ウォー
261/303

ケイvsフィオナ・2

ケイとフィオナの格闘が続く。



「これで終わりだ、コストナー!」


 フィオナの鉤爪は鋼も破るほど強力だ。ニドホグの骨と同質の素材で出来ている。ユーリーの施術(せじゅつ)で、フィオナは猫のように指先から複合超金属の鉤爪を出し入れできるようになった。

 対峙(たいじ)する少年のインナースーツを薄紙(うすがみ)の如く切り裂き、露わになった生身の肩の肉を抉り取るのは造作もない。それに、コストナーの動きを見る限り、自分の方が格段にスピードが勝っている。


(一撃でこいつを(ほふ)れる)


 フィオナは右手の爪を立てて勢いよく振り下ろした。

 哀れな獲物を造作なく捕らえたと思った瞬間、少年がフィオナの目にも止まらぬ速さで身体を捩じる。

 鉤爪がコストナーの身体に食い込むより先に、フィオナの目前でナイフが煌めいた。

 あっと声を上げる暇もなく、爪の裏側に衝撃が走る。

 ナイフで削がれた四本の鉤爪が宙に弧を描くのを、フィオナは驚愕の表情で仰ぎ見た。


「まさか…」


 想定していなかった事態に、フィオナの頭の中が真っ白になる。

 それでも、いつもの訓練で染みついているせいか身体が思考より先に動いて、フィオナの左手がケイの顔面に攻撃をかけていた。

 目の前に迫る凶器に、ケイが高く上げ切った右腕を顔へと戻して防御しようとする。

 だが、フィオナには、己のスピードの方がケイを凌駕(りょうが)しているのが完全に見て取れた。


(今度こそ)


 そう思った瞬間、フィオナの目の端に一筋の白銀が(きら)めいた。


(しまった!ナイフがもう一本あったか)


 気付いた時には左手にも右手と同じ衝撃を感じていた。

 フィオナは鉤爪を削ぎ落とされた手を(こぶし)に変えて、ケイの腕を思い切り殴り付けた。


「うぁっ」


 ケイの身体が十メートル後方に吹っ飛んで、地面を転がって行く。

 軽やかに地面に着地したフィオナが両手を開いて交互に目をやった。右手の爪の四本が半分に切断され、左手は全ての爪が指先すれすれで切り落とされている。


「ファーザに貰った大切な爪が!このハゲ、殴り殺してやる!」


 鉤爪を失って激高したフィオナは犬歯を剥き出した。

 唯一の武器である鉤爪を失った両手にありったけの力を込めて拳を作る。


(この手に銃があれば、コストナーを一発で撃ち殺せるのに)


 拳銃を欲しがったこともある。だが、ユーリーは、決してフィオナに銃を携帯させなかった。(よわい)十三の娘に拳銃を持たせるのを嫌がるニコラスに配慮したからだ。


「フィオナ、君の身はニドホグが必ず守る。だからニコラスの言う通り、拳銃なんか持つ必要はないんだ」


 そうユーリーに(さとさ)れて渋々承諾した。

 だが今、その配慮は、ニドホグから落ちたフィオナを不利な状況へと追い込んでいる。


(だけど、あたしは負けない。あたしはコストナーよりずっと早く動けるから。その筈だ)


「けえぇい、こすとなあぁぁっ!!!」


 ケイのフルネームを咆哮したフィオナが拳を振り回しながら激走を始めた。

 華奢な身体から凄まじい殺気を発するフィオナに、地面に這いつくばったままのケイが目を剥いた。


「あんな人間離れした怪力女にタコ殴りにでもされたら、いくら頑丈な生体スーツでも持たないぞ」


 ケイは地面から痛む身体を引き剥がして立ち上がった。

 ナイフの柄を握りしめようとして手の中が空なのに気付く。地面に叩き付けられた時に、両方とも手から離してしまったようだ。


「拳闘と行くか」


 ケイは腰を低い位置に落として両足を広げると膝を屈伸させた。両腕を胸の前に突き出して左右の腕と拳に力を込める。


「バカが!普通の人間のくせに、殴り合いであたしに勝てるとでも思っているの?!」


 口の両端の口角を思い切り引き上げたフィオナが、あっという間にケイの間合いに飛び込んだ。身長差のあるケイの(あご)に狙いを定めたフィオナの拳が唸る。

 フィオナの鉄拳がケイの顎を捉えようとしたコンマ一秒前、ケイは僅かに腰を後ろに反らしてフィオナの攻撃をやり過ごした。

 ケイの鼻先を掠めるだけになったフィオナの拳が(くう)を切り裂く。その直後の鋭い音に、少女のパンチがどれほど重いものか容易に想像出来た。


(ヤバい。直撃だったら、顎どころか顔の下半分が潰されていたぞ)


 真っ直ぐに天へと突き上げたフィオナの腕が次の攻撃を繰り出す前に、ケイは後ろに上体を反らした体勢のまま、両脚に思い切り反動を付けて素早くバク転した。


「ふん?」


 自分の豪速拳が何故命中しないのだという顔で小首を傾げるフィオナから距離を取って、ケイは再び拳を構えた。


(確かにスピードはある。だけど、攻撃の仕様がハナさんと比べるとかなり未熟だ)


 チームαとの、特にハナとの訓練を、ケイは思い出していた。いくら防御しても執拗に迫って来るハナの戦法に、どれだけ苦しめられ痛めつけられたろう。

 だけど。それで、肉弾戦のバリエーションが身に沁みついた。

 お陰でフィオナの攻撃の先手が読めるのだ。


(ハナさんには随分ボコられたよな)


 思い出した途端に引き結んでいた口元が緩んで笑みが漏れた。ケイの表情を見たフィオナが両の目尻を吊り上げて、尖った犬歯を剥き出した。


「随分、余裕があるようね。笑ったのをすぐに後悔させてやる」


 フィオナの足元から土埃が上がった。高速で跳ねたフィオの拳がケイの腹部へと飛んでくる。避ける間もなく鳩尾に一発食らう。


(くっ。油断した)


 インナースーツを装着していなければ腹に大穴が開いていただろう。

 激痛に息を詰めながらも、ケイは腹を抉るように当たっているフィオナの右の拳を掴んだ。

 腕を引こうとするフィオナの動きを封じ込め、その手首を鷲づかみにすると、思い切り捩じ上げた。


「ぎゃっ」


 フィオナの顔が痛みに歪む。即座に左からパンチが飛んで脇腹を直撃したが、捩じられている右手首のせいで、鉄拳の威力は格段に落ちている。

 ケイは脇腹を何度も殴り付ける左手首も掴むと、フィオナの身体を放り投げようと両腕に力を込めた。

 ふわりと、フィオナの身体が羽のように空中に持ち上がる。


「へ?」


 フィオナのあまりに軽い身体に仰天して、ケイは思わず口から素っ頓狂な声を出した。

 同時に振り上げた両手を離す。フィオナは空中で見事な円を描いてから、ケイから五メートル程離れた地面に着地した。

 フィオナの広げた両腕がゆっくりと腰の両脇に下ろされる。大地に降り立った天使が背中の翼を畳んでいるように錯覚するほどのフィオナの優雅な動きに、ケイは目を見張った。


「うらああぁぁ!」


 天使とはおよそ似付かわしくない金切り声を発しながら、フィオナがケイに向かって激走して来る。現実に引き戻されたケイが攻撃の構えを取った。

 大地を飛ぶように走るフィオナが、突然地面に突っ伏した。

 勢いが付いた身体は急には止まらずに、乾いた大地を派手にスライディングする。

 所々に突き出た岩と草がまばらに生える他には何もない大地に、ずざざざざと、フィオナが全身を地面に擦る音だけが聞こえてくる。


「え、え?はぁ?」


 攻撃態勢のまま、ケイは、ぱちぱちと目を何度も瞬いた。


「なんだ?石にでも躓いたのか?」


 攻撃態勢を取ったまま、地面に突っ伏しているフィオナを凝視する。

 十秒ほど経過して、フィオナがゆっくりと(おもて)を上げた。

 驚いたことに、フィオナの大きく見開いた薄茶色の瞳からケイを睨み殺そうとするような気迫は完全に消えていた。

 鋭い犬歯を剥き出した鬼のような形相も、普通の女の子の表情に戻っている。大人しくなった表情の額から鼻、そして両頬が酷く土塗(まみ)れになっていた。

 目の前にいるのがフィオナではなくダンであったなら、ケイは腹を抱えて大笑いしながら地面を転げ回っていただろう。

 だが、いつ立ち上がって襲って来るか分からない敵の失態を笑っている余裕はない。

 改めて攻撃態勢を取り直したものの、フィオナが地面から起き上がる様子はなかった。


「ええと…」


 調子の狂ったケイは攻撃の姿勢を固まらせた。倒れている少女に攻撃をしかけるような卑怯な真似はしたくない。

 ケイは構えを取ったままフィオナが起きるのを待った。

 突然、フィオナから、ぐうう、という音が鳴り響いた。


「この音って…」


 唖然とするケイに、今にも泣き出しそうな顔でフィオナが言った。


「お、おなかが、空き過ぎて、うごけない」


「はああ?」


 ケイはフィオナの言葉に呆れ返った。


「戦闘中だぞ。おまえ、何、言ってるん…」


 ぐううう。フィオナの腹に連動して、ケイの腹が盛大な音がを立てた。


「う、俺もか…」


 恥ずかしさで顔が熱くなる。急速にケイから戦闘モードが萎えていく。


「フィオナ、お前、動けない程、腹減っているのか?」


 屈辱に赤く顔を染めたフィオナが無言で頷く。


「携帯食をやるから休戦を受け入れろ」


 そう宣言すると、ケイは脚を伸ばし両腕を腰に落として攻撃の構えを解いた。


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