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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第六章 エンド・ウォー
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砂漠への着陸

ニドホグの背から弾き飛ばされて墜落するフェンリルだが、咄嗟に機転を利かせる。

着地した衝撃で、ケイは気を失ってしまう。



 モニターに表示された数字に、ケイが目を見張る。


「上空、八百メートル!フェンリル、落下の衝撃に耐えられる方法はあるか?!」


『我ニ案ガアル。任セロ』


「きゃああああ!」


 フェンリルとの通信中にも、少女の悲鳴が続いている。


「これ、フィオナの声だよな?」


 ケイは急いで画面を切り替えた。

 フェンリルの首に爪を引っ掛けるような格好でぶら下がっているフィオナの姿が、モニターに映った。

 

「フィオナの奴、フェンリルの喉に鉤爪を突き刺したはいいが、抜けなくなってしまったみたいだ」

 ケイは急いでヘッドセットディスプレイのモニターの右半分の画面を切り替えた。

 雲に見え隠れしながら遥か上空を飛んでいるドラゴンの姿をフェンリルの頭部カメラが捉える。


「ニドホグめ。フィオナが俺達と一緒に落ちたことに、まだ気付いてないようだ」


『十二秒後ニ地面ニ衝突スル。ケイ、今カラ着地態勢ニ入ルゾ』


「フェンリル、お前の首にぶら下がっている女の子を、落下の衝撃から守ってやってくれ」


『了解シタ』


 フェンリルは自分の首に右胸の外核プロテクターをスライドさせて、人工筋線維を直接覆っている外骨格複合金属プロテクトカバーの内側にフィオナを囲うと、すぐさま身体を大の字に広げた。


『アト七秒デ、地表ニ到達スル』


 ケイに送信してから、フェンリルは即座に人型から狼へと身体の形態を変化させた。

 形態変化中の強靭な外殻プロテクターが開き切ったところで変形を停止する。

 両脇腹に開いたプロテクターと左右の腕のプロテクターを水平になるように合わせて、両手両足の角度を同じになるように調整した。

 途端に、落下していた身体に空気抵抗が生じる。

 フェンリルは空中にふわりと浮いた。


「外殻プロテクターを開いて比翼代わりにしたのか!凄いぞフェンリル!」


 ケイがコクピットの中で興奮しながら叫ぶ。

 フェンリルは上手に風に乗りながら、空中を燕のように滑空し始めた。


『只今、地表二百メートル地点ヲ飛行中。着地準備ニ入ル』


 フェンリルは身体を地面と水平にした。

 落下で生じる風圧を上手くコントロールしながら風を切る。


「その調子だ。頼むぞ、フェンリル。失速しないでくれ」


 モニター画面に大地が迫って来る。ケイは息を詰め、歯を食いしばりながら赤茶けた地面を凝視した。


『着地マデ十五メートル。胴体着陸スル。衝撃ニ備エヨ』


 ケイにナレーションすると同時に、フェンリルは全開にしいていたプロテクターを素早くスライドさせて身体を人の体形に戻した。

 首を胸まで深く折り曲げると、コクピットのケイと、胸元のフィオナを防護するように両腕で足を抱えた。


『着地』


 滑空で落下速度はかなり減速できた。それでも、八百メートルもの上空から、パラシュート無しで着地する衝撃はすさまじいものだった。

 フェンリルが大地に激突した瞬間、激しい衝撃がケイを襲った。


「う、くぅ…」


 コクピットの中が、想像を絶するほど大きく揺れる。

 インナースーツを覆っている保護ベルトが機能しなければ、身体がピンポン玉のように跳ね、全身の骨がへし折れて死に至るだろう。

 肉弾戦時の衝撃からスーツパイロットの身体を守るベルトはガグル社が開発した複合素材を元にミニシャが開発したものだ。

 その高性能な緩衝材でも、八百メートルもの上空から落下した全衝撃は吸収し切れない。

 フェンリルもかなりのダメージを受けたらしい。

 着地後、極度の激痛に見舞われたのだろう。大地に叩き付けられた生体スーツの人工筋線維が強い収縮を繰り返し始めた。

 繊維の収縮は激しい顫動(せんどう)となって、スーツの操縦席で人工筋線維を全身に纏ってフェンリルと同期しているケイの身体を容赦なく締め上げる。


「ぐ…」


 身体がバラバラに引き千切られそうで、ケイの喉元に悲鳴がせり上がってくる。


(今、口を開けたら、舌を噛み千切ってしまう)


 ケイは、奥歯が砕けるほど下顎に力を込めて口元を引き結んだ。

 身体は未だ操縦席で上下に激しく揺さぶられている。フェンリルが、トラックから外れたタイヤのように派手にバウンドしているのが分かった。


(衝撃を少しでも和らげる為に、受け身で着地したのか)


 コクピットの中で様々な異音が鳴り出した。自分の代わりに計器が至る所で悲鳴を上げているのだ。

 一際(ひときわ)強い衝撃が襲ってきた(あと)、フェンリルの回転が止まった。

 ケイは、きつく閉じていた瞼をそっと持ち上げた。ヘッドセットのバイザーディスプレイに映し出された大地の映像が停止している。


「何とか、着地に成功したようだ。…良かった」


 全身の痛みを散らそうと浅い呼吸を何度も繰り返してから、ケイは顔を覆っているヘルメットバイザーを額の上にマウントさせた。

 フェンリルの状態をコクピットの計器で確認しようと計器に顔を近付ける。

 あまりに回転したせいか、頭がくらくらして、視界に入る計器やパネルのデジタル数字がひどく滲んでいる。


「くそ、数字が見えない」


 目を擦ろうと顔まで持ち上げた手から力が抜け、膝に落ちた。


「フェン、リ、ル」


 スーツの名を呼びながら、ケイは意識を失った。





 受け身で落ちた地面をどこまでも転がった。

 きつく丸めた身体が何か硬いものにぶつかって止まった瞬間、フェンリルは漆黒の闇の中に放り出された。

 激痛に呻きながら、黒く塗り潰された空間に四肢を投げ出した。


『ココハドコダ』


 身体の下に、己を支える地面がある。まだ生身の狼だった頃の自分をフェンリルは思い出した。この漆黒の場所が、真冬の夜の森の静寂に似ていたからだ。

 凍てついた地に身を横たえ、遥か昔に思いをはせながら、フェンリルは自分の荒い呼吸を闇に響かせた。

 身体から、いくらか痛みが引いた。

 フェンリルは前後の足をふらつかせながら立ち上がった。

 無限に続く暗闇の中で、フェンリルは微かな幼子の泣き声を耳にした。


『誰カイル』


 用心深く辺りを見回すフェンリルの前に、突然、子供が現れた。


「寒いよう。寒いよう」


 小さな男の子だった。一糸纏わぬ姿で哀れな嗚咽を繰り返している。

 華奢な両肩を激しく震わせながら、子供は俯いた顔を両手で覆っていた。

 身体が冷え切っているからか、幼子の皮膚は青白かった。血の気を失っている身体が放つ淡い光で、地面が薄い氷のように反射する。

 子供から少し離れた場所に、膝丈までの人の足が現れた。

 足は、泥のように静かな暗闇の中で火を灯した古いランプのように、ぼんやりと浮かんでいる。茶色のズボンと大きな靴に、足が成人した男性のものだとフェンリルにも分かった。

 自分の傍らに足の存在を感じた子供が顔を上げた。

 泣き濡れた子供の顔が露わになった。それは、ケイのものだった。


「パパ!」


 ケイの叫びと共に、どこまでも漆黒の闇だった天井から一筋の光が差した。

 煌々(こうこう)と輝き出した光が、ケイの周りから闇を払っていく。

 白い光の中で、ケイは顔に弾けるような笑みを浮かべていた。大きな茶色の瞳を輝かせたケイは立ち上がるのももどかしく、男の膝に抱き着こうと走り寄った。

 小さな手がズボンを掴もうとした瞬間、足は蜃気楼のようにケイから遠ざかった。

 自分の手が何も掴まなかったのを知ったケイの目に、絶望の色が浮かんだ。


「お願い!パパ、ぼくをここに置いてかないで!」


 呼び止めようと必死に声を絞るケイから、無情にも足は遠ざかっていく。


「パパ!パパ!」


 声を嗄らして泣き叫ぶ幼子を照らす光が、天上から消えた。

 世界は再び闇に塗り潰された。

 その中心に、ケイは力なく身を横たえた。腹の上に折り曲げた両足を両腕で抱え込んでから、硬く目を瞑る。


『ケイ』


 フェンリルは優しい唸り声で喉を震わせながら幼子の名を呼ぶと、ゆっくりと近付いた。

 両手両足をきつく折り畳んだケイの背後に腰を下ろした。

 前足でケイの身体を引き寄せて灰色の獣毛でその身をそっと包み込むと、その泣き腫らした目と涙に濡れた頬を優しく舐めた。

 苦しげに歪むケイの表情が次第に和らいでいく。

 自分の胸に頭を預けたケイが穏やかな寝息を立て始めたのを確認してから、フェンリルも眠りに落ちた。





「…う、ん」


 ゆっくりと顔を上げると、操縦席の前にある大型のモニターパネルが目に入った。

 電源が切れているらしく、画面は真っ黒だ。その両隣に隙間なく並んだデジタル計器類も停止していた。緊急用の計器だけが音もなく点滅している。

 赤く光る計器をぼんやりと見つめていたケイの頭に、記憶が甦ってくる。


「気を失っていたのか!まずいぞ!」


 操縦席から飛び上がるように腰を浮かしたケイの身体が、右を下にしてずり落ちた。


「うわっ」


 慌てたケイだったが、全身に纏っているスーツの人工筋線維に寄って操縦席に引き戻された。操縦席に後頭部をぶつけたケイははっきりと意識を取り戻して、もっと重大な事を思い出した。


「フェンリル!無事か?」


 大声でスーツの名を呼んだが、応答がない。

 メインモニターの画面にはヘルメットのバイザーを下ろしてフェンリルの名を連呼した。

 やはり反応はない。ヘッドセットディスプレイの画面もパネル同様、何も映らなかった。


「どうした、フェンリル?!」


 ケイが装着しているヘルメットは、フェンリルの人工脳と直接繋がっている。

 大声を上げながら叩いたり揺さぶったりしてみたが、フェンリルが再起動する様子はなかった。

 落下の衝撃はケイの想像以上に大きかったようだ。


「フェンリル、人間みたいに気を失っているのかな。どうやったら人工脳の意識を取り戻せるんだろう?…ミニシャさんじゃないんだから、俺に分かるわけないよな」


 ケイは力なくヘルメットを脱ぐとインナースーツに纏っている人工筋線維を外して、横倒しになっている操縦席から腰を上げた。

 それから操縦席の右側の計器を壊さないように、慎重に身体を横たえる。

 生体スーツの操縦席はかなり狭い。

 ケイは横に寝そべったまま腰を九の字に屈めると、手動用の脱出フックを力いっぱい手前に引いた。



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