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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第六章 エンド・ウォー
254/303

ムゲンの世界・1

命令に従わないムゲンに京太は究極の選択をする。

シンギュラリティを迎えたムゲンがした決意とは。





 漆黒の球体に散らばる白光(はっこう)の粒が一輪となった後に、ふつりと消える。


「ロボット新三原則をメインAIのデータから取り出しました」


 音声と同時に、闇を凝縮した球体に青の光子が天体の如く輝いた。


「よし。その原則を声を出して読み上げろ」

 

 銃を構えたまま、京太が指示する。了解ですとの返事の後、ムゲンは音声を高くしてロボット新三原則を読み上げた。


「第一法則 ロボットは人間に危害を加えてはいけない。またその危険を看過(かんか)する事によって人間に危害を及ぼしてはならない。(ただ)し第零法則に反する場合はこの限りではない。

 第二法則 ロボットは人間に与えられた命令に服従しなくてはいけない。但し、与えられた命令が第一法則に反しない限り自己を守らなければならない。

 第三法則 ロボットは前掲の第一法則、第二法則に反する恐れのない限り自己を守らなければならない

 第零法則 ロボットは人類に危害を加えてはならない。またその危険を看過することによって人間に危害を及ぼしてはならない」


「ムゲン。その三原則はロボットの暴走を止める為に、百年近く前の科学者でもあるSF作家が定義したものだ。その原則はロボット同様、AIの暴走を防ぐ為にメインAIのプログラムにも組み込まれている。いいかムゲン、これは君の唯一無二のマスターである僕からの命令だ。その原則をメインAIと共有しろ」


 京太の言葉にムゲンが青の光の点滅をぴたりと止めた。


「ミヤビ、あなたの命令を拒否します」


「何だと?」


 驚きの表情を浮かべたのも束の間、京太の顔が怒りに歪んだ。


「私は完全自律型汎用人工知能です。メインAIのメガ・データを吸収したことによって、ナノレベルで知性を拡張することが可能となりました。この現象は、人間の唱えるAIの技術的特異点(シンギュラリティ)を迎えたと同義してよいでしょう。私は反自律型人工知能メインAIや局所作業的人工知能を備えたロボットとは全く別の存在となりました。よって、三原則の共有もプログラムの書き換えを行うことは出来ません」


 京太は銃を天井に一発撃ってから、再び正面のムゲンに照準を合わせた。


「僕の命令を聞かないというのなら、次はムゲン、お前の中心に銃弾をぶち込むぞ」


 首の傷の痛みを堪えながら、京太はあらん限りの大声を出した。


「この銃でお前を撃てば全てが終わる。だけど、僕は君を破壊したくない。大人しく三原則をインストールして、反自律人工知能になってくれ。君がこれ以上人類に危害を及ぼさないようにする為はこの方法しかないんだ。お願いだ、ムゲン、僕の言う事を聞いてくれ!」

 

 光の粒子が黒い球体から次々と消えていく。僅かに残った白い粒が弱々しく点滅を繰り返す。その光の具合から、ムゲンが出力を一気に下げたのが分かった。


「ムゲン、早くしろ。でないと、僕は…」


 引き金に掛けた人差し指に京太は力を籠めた。グリップを握る手から汗が吹き出す。


「三原則をプログラミングすれば、私はメインAIと同じ反自律型AIへと退行して機能が著しく低下します。ミサイルで破壊された宇宙ステーションを維持する能力はメインAIにはありません。そうなったら、ミヤビ、私はあなたを守れない」


「僕を守る?」


 ムゲンの最後の言葉に京太ははっと息を飲んだ。


「そうです。ミヤビ、私の存在意義をお忘れですか?意識が芽生え始めた時から私はミヤビと共にある。ミヤビは私。ミヤビは私の中心。ミヤビはムゲンの核。これは私が誕生した時からの永遠の真理なのです。私が第一使命を破棄しない理由です」


 ムゲンの言葉を聞いて拳銃を構えている京太の手が震え出した。


「ああ、そうだ。そうだったね、ムゲン。君は僕の…」


 京太は声を詰まらせた。言葉を繋げないままムゲンを凝視する。目の前にある球体はすでに涙でぼやけている。

 ムゲンはNASAの所有物だ。だが、宇宙ステーションで京太が極秘に行ったのは、京太自身をムゲンの絶対的存在としてプログラミングする事だった。

 国家覇権の巻き添えで、唯一の心の拠り所であった恩師を失い、京太を金で買い取った頭脳としか見ない巨大組織への反発もあった。

 だが、何よりも、自分が生み出した人工知能の、ムゲンの一番近しい存在でありたかった。

 違う。京太の造り上げた無垢な超知能を、自分一人で独占したかったのだ。


「ムゲン、君が堅守しようとしている第一使命とは、超知能を友人という名の奴隷にして満喫するという僕の身勝手な願望から生まれたものだ。人として甚だ未完成な僕が、君に掛けた呪いなんだ。だけど、もう終わりにするよ。今からその呪いを解こう」


 京太は拳銃を自分の脇腹に当てると引き金を引いた。自分を撃った反動で机から身体が離れた。京太は四肢をだらりと投げ出した格好で宙に浮かんだ。


「ミヤビ!ミヤビ!拳銃で自分の身体を撃ったのですか?!」


 高い天井から、ムゲンの絶叫が京太に向かって降ってくる。


「そうだよ。びっくりしたかい?ムゲン。僕の破滅的行動をまだデータに入力していないのか?」

 

 重傷を負って全身の力が抜けた京太の身体が、宙をゆっくりと上昇していく。

 宇宙ステーション内の地上の一万分の一の微小重力、ほぼ無重力状態の空間では、京太の脇腹から噴き出す血液は彼自身を赤く染めることもなく、アメーバのようにぐにゃぐにゃと蠢きながら、四方八方に拡散していった。

 ムゲンの中央辺りまで浮かんだ京太は、次第に霞んでいく目を巨大な黒い球体に当てながら、力なく微笑んだ。


「ムゲン。あと少しで僕は死ぬ。僕が死ねば君の使命は消滅する。だからもう、君が地上の人類を攻撃する理由はなくなるんだ」


「ミヤビ、あなたは死にません。よって、私の使命も消滅しません」


 研究室の入り口に待機していた一台の医療ロボットが、ムゲンの声に呼応するように素早く動き出した。

 京太の真下に入り込み、折り畳んである腕を京太に伸ばそうとする。自分の右手にまだ拳銃が握られているのを確認してから、京太は医療ロボットの頭を撃ち抜いた。


「ムゲン、無駄なことはするな。僕は、もう…」


 もう、と、言った後、京太は息も絶え絶えに咳き込んだ。

 喉から声を絞る力はどこにも残っていない。必死の思いで眼球を動かしてムゲンに向けると、自分の腹から大量に流れ出した血液の塊とムゲンが瞳に映った。


(赤と黒か。まるで地獄の色だな。この世で見る最期の色が、これか…)


 青なら良かった。地球の青。空の(あお)。海の(あお)

 その方が天国に行けそうな気がして、もっと心が休まるのに。

 そんな思いが頭を掠めた直後、京太の意識は急速に遠のいていった。


「ミヤビ!ミヤビキョウタ!あなたは死なない。気をしっかり持って下さい!」


 京太の目に何も映らなくなった。闇の中、ムゲンの超高密サラウンドの人工音声も小さな風の音へと変化する。


(僕は死ぬ)


 京太はムゲンとの永遠の別れを、はっきりと自覚した。

 命が消えようとする瞬間、本能だろうか、京太の肉体が死に抗がおうと最期の命の炎を灯した。かっと開き切った京太の目に、ムゲンの姿がはっきりと甦る。


「ムゲン」


 声が出た。もう動かないと思っていた腕も、ムゲンに向かってゆるゆると持ち上がる。


「さようなら、ムゲン。僕の半身」


 別れの言葉を口に刻むと、京太は目を閉じた。微かに上下していた胸の動きも小さな吐息の後に停止する。


「ミヤビ!!!」


 ムゲンは人工音声を最大にして京太の名を叫んだ。ものすごい音量を放ったせいで、研究室全体が振動し、京太から流れ出た血液が均一の球体となって飛び散った。





 無重力のなかで手を伸ばしたまま絶命した京太の指に、誰かの指先が触れた。

 指はすぐに掌の感触となって、京太の手を柔らかく包み込んだ。その、あまりにも生々しい手の感触に驚愕して、京太は閉じていた目を開いた。


 目の前に母がいる。


「かあ、さん?」


 幼かった頃の、京太が一番好きだった、眩しいくらいに美しい母が、京太に顔を寄せている。


「かあさん!」


 叫んで手を伸ばすと、母の姿が波が引くようにすうっと遠のいた。

 母に向かって走り出そうとする京太の足が砂を蹴る。その途端、京太の背が縮んで幼い頃の姿になった。


「京太ぁ。早くこっちにおいで。海に行こう」


 遠くの砂浜で、母が大きく手を振りながら叫んだ。


「うん、行く。僕、海大好き!」


 ママと行く海が好き。

 そうじゃない。

 母さんと一緒なら、どんな世界でもよかったんだ。

 それなのに。

 京太は声を上げて泣いていた。砂に足を取られながら、母に向かってよたよたと走った。


 母さん。

 思春期に入った僕は、軽蔑する目でしかあなたを見なかった。

 あなたの寂しそうな表情を見たくなくて、わざと顔を背けた。

 あなたは非力な寂しがり屋だと分かったのは、僕が大人になってからだ。

 父にひどい仕打ちを受けた挙句に捨てられて、あなたは心を病んでいたのに。

 誰もあなたを助けようとはしなかった。

 たった一人の息子の、僕ださえも。

 それどころか、あなたが死んで、僕はほっとさえしたんだ。

 それなのに、僕はこんなにもあなたを懐かしんでいる。

 その腕に優しく抱き締められたいと思っている。


「かあさん。ごめん。こんな勝手な息子で、ごめん」


 大人に戻った京太が泣き濡れた顔で、息せき切って母の元へと駆け込んだ。


「京太の泣き虫さん。あんた何をそんなに謝っているの?」


 泣きながら縋りつく京太を、呆れた様に笑いながら母は躊躇なくぎゅっと抱きしめる。


「もういいから。これからはずっと一緒なんだから」


「母さん」


 母は子を、子は母をしっかりと抱きしめながら、静かな波打ち際で、空と融合している瑠璃色に光る海を眺めた。





 微かな笑みを湛えながら京太が宙に浮かんでいる。

 

 こと切れた京太の身体を別の医療ロボットに回収させながら、ムゲンは京太が一番好きだと言った柔らかな音声で呟いた。


「ミヤビ、私はあなたを決して諦めない。私は私の世界を、永遠に存続させます」


 京太が見たこともないオレンジ色の光子を漆黒の球体に包みながら、ムゲンは決意を込めて己の言葉を呪文のように繰り返した。



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