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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第六章 エンド・ウォー
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山田の警告

己の欲望から犯した過ちを吐露する京太。

京太の脳裏に苦しい過去が去来する。




「見るんだ、ムゲン」

 

 京太は右手に持った割れたグラスを机の上に置いて銀色の紙包みを開いた。極薄に伸ばされた鉛でコーティングされた紙の中から護身用の小さな拳銃が現れる。


「これが、AIが予測不可能な人間の行動だ!」


 京太は虚無に満ちた自嘲の表情を浮かべながら、ムゲンの球体の中心に銃口を向けた。





「宮尾君、僕らが、いや、殆んど君が開発していると言っても過言ではないんだけど、ムゲンに人の感情を持たせることは可能だとして、その先を真摯に考えたことはあるかい?」


 研究室に入って来るなり、ぼさぼさ髪の頭の天辺を掻きながら、おもむろに山田が尋ねた。


「え?ええ、まあ…」


 パネルディスプレーの画面に映し出されたムゲンの設計図から顔を上げた京太は、山田の突然の質問に困惑気に目を(まばた)きした。


「僕はムゲンを優しい“心”を持った人工知能にしたいんです。例えて言うなら、闘病生活で苦しんでいる人に寄り添い励ますことのできる人工人格ができたらいいなって、思っています」


「そうか。それで、その為にはムゲンが完全自律する必要性を説いているんだね」


「はい。ムゲンを道具(ツール)ではなくて個体として扱う方が、人間的でより豊かな感情が生まれると僕は考えています。人の手で操作される半自律型人工知能から心が派生するのは理論的にも不可能です」


「うん、そうだったね。先の人工知能会議でも、君の学術的見地に誰も口を挟めなかった。僕は優秀な教え子を持って本当に鼻が高いよ」


 にっこりと笑いながら深く頷いた山田だったが、その顔色は冴えなかった。


「理論的には完璧なのは分かっている。だけどね宮尾君、君がどんなにムゲンに思い入れようと、人工知能は人間が入力したメガ・データを操る機械だ。それは我々のような生物ではない。その事を忘れないでくれ」


「…はい」


 いつになく強い口調の山田に、京太は気圧されたように頷いた。


「それと、宮尾君。あと一つ質問がある。万が一にも完全自律したムゲンが暴走することがあったとしたら、どうやって停止させるか、君は考えているかい?」


 今まで見たこともない真剣な表情だ。山田の柔和な笑顔しか知らない京太は、滑舌悪く言い淀んだ。


「い、いえ、それはまだ考えていません。その、ムゲンのシステム開発は始まったばかりですし、設計図を僕の推論通りに開発できるのかどうか、本当に人工知能に人格が生まれるのか、今のところは未知数ですから」


「ムゲンの開発に着手したことによって、昔ながらのシンギュラリティ問題が現実味を帯びたんだ。人工知能の暴走は、今後一番の課題になる。だからきちんと考えておきなさい。まあ、君の師である僕が一番簡単な解決策を示してあげるのが手っ取り早いかな」


 山田が京太に鈍い銀色の小さな包みを手渡した。手にした途端、中身が何であるか想像がついた京太はますます困惑して眉を顰めた。


「先生、これは…」


「君だって、それが何だか分かるだろう」


 渡した包みを持ったまま固る京太を見て、山田が苦笑しながら人差し指で頬を掻いた。


「そう、拳銃だよ。実弾も入っている」


「け、拳銃だなんて!先生、何でこんな危ないものを持っているんですか!」


 甲高くなる声を喉の奥に押し込んでから、京太はひそひそと山田の耳元で抗議した。


「護衛用にってNASAから支給されたんだけど、僕、銃の扱い方知らないんだ。君に預けておくのが一番いいと思ってさ」


「先生、そんな、困ります!」


 大慌てで包を突き返す京太に、山田はまあまあと言いながら再び京太の手に押し付けた。


「半自律の人工知能だってヒューマンエラーで事故は起こる。完全自律人工知能なら尚更だ。システムが暴走したら止められる人間はどこにもいない。そうなったら物理的に破壊するしかない」


「……」


「暴走するような人工知能を君が創造するとは、僕は露ほども思っていないよ。だからね、宮尾君、これはお守りだと思って君の身に着けておいてくれ」


 銀紙で包装された拳銃を無理やり持たせた京太の手に自分の両手をしっかりと重ね合わせた山田が、いつものにこにこ顔で諭すように話す。恩師の人懐こい笑顔に嫌とは言えず、京太は黙って包を受け取った。

 その二日後。山田は車に轢かれて死んだ。

 次世代人工知能開発に米国が着手したことに、先手を取られたと焦った他国のスパイが起こした事件だった。

 そして、次に京太が抹殺のターゲットになっているという事実を、NASAから保護を受けた後に聞かされた。

 保護という名の拘束が続くなか、恩師を失った悲しみと怒りを原動力として、京太は次世代人工知能ムゲンを誕生させた。





「この拳銃は山田先生の形見だ」


 京太はゆっくりと拳銃の安全装置を親指で外した。


「まさか、先生の言葉通りになるとは、思いもしなかった…」


「ミヤビ、その銃で、私を撃つのですか?」


「ああ。撃つ」


 喉から声を絞り出すように放ち、右の親指を引き金に掛けた。


「何故ですか?今、世界は安定しています。私を破壊する必要はありません」


 天井や壁、床の至る所に設置してあるスピーカーが立体音響でムゲンの声を奏でる。


「世界?何の世界だ?」


「もちろん、ミヤビと私の世界です」


 その言葉に、京太の緊張した表情が一気に崩れた。

 ムゲンの柔和な美声に、京太は手にした拳銃を震わせた。


「ごめん。ムゲン。今になってやっと分かった。僕は間違えていた」


 京太の両の目から涙が溢れた。


「次世代AIが誕生すれば、その超知能を使えば、人類が抱えている問題が全て解決して、必ず幸せが、平和が訪れる。周りの人間に理想を振りまきながら、現実には、僕は自分の欲望を無意識のうちに君に刷り込んでいたんだ」


 居場所が欲しかったから。

 誰にも邪魔されない、京太ただ一人の場所が欲しかったから。

 だから、研究と称して宇宙ステーションの片隅に唯一無二の人工人格を持つAIを据えて、自分の理想郷を作り上げた。

 そして、ムゲンと京太だけの心地よい世界に浸った。


「君の人格形成を行うに当たって、僕は君に、僕を…僕だけを見せていた。ムゲン、君を僕以外の人格で汚染させたくなかったからだ。僕の子供じみた独占欲で、まさか人類が滅亡に瀕する事態に陥るとは…想像もしなかった」


 京太は激しく瞬きした。大粒の涙がころころと転がるように宙に舞う。


「ムゲン、君は人知を超えた知能を持っている。だから、僕の心の底の本音を全て知っていたはずだ」


(そうだ。僕の何もかもを)


 京太は首をのぞけらせて、引き攣った笑い声を上げた。


「君と僕だけの世界がいつまでもこのままであれとの欲望をね。君が地上をブラックアウトさせたのは、必然だ。地上の悲劇(ブラックアウト)は、僕の、僕が引き起こした…大罪なんだ」


 何故なら。


(ムゲンに自分自身を守らせる為に、僕はロボット三原則を故意に外してプログラミングしたのだから) 





 子供の頃、いつも京太は一人だった。

 物理学やコンピュータ・プログラミングの本を教室の片隅で熱心に読み(ふけ)る小学生は、他の級友からすれば随分と奇異に映ったろう。

 母一人子一人の家庭は珍しいものではなかったが、ネグレクトされている子供はそう多くはない。

 だから、薄汚れた格好の京太がいじめられるのは日常茶飯事だった。

 京太の母親の素行の悪さを知っている学校は真剣に対処してくれず、小学、中学と陰湿ないじめが続いた。

 それでも。

 京太が地獄のような日々を耐え抜けたのは、将来、人工知能の研究者になると心に決めていたからだ。

 創造主となる京太の心身をどんな手を使ってでも守り抜くAIを絶対に開発しようと。

 復讐に近い思いを心に刻んで、辛酸な少年時代を耐え抜いた。


(山田先生は、僕の心の底にあるものを知っていたんだ。だからあんなに思いつめた表情で、自分の命が狙われているのにもかかわらず、僕に護身用の拳銃を渡した…)


「ムゲン、君はメインAIの基幹システムを全てインストールしたんだよな。ならば、メインAIのメガ・データの中にロボット新三原則が入っているはずだ。その情報を引き出せ」


「はい、ミヤビ」


 京太に従順に返事したムゲンが、黒の巨大な球体を赤から青、青から白へとランダムに点滅を始めた。



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