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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第六章 エンド・ウォー
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AIの限界

研究室に戻った京太はムゲンと対峙する。

京太の命令にムゲンは抵抗を見せるが…。


「了承しました。通路の封鎖を解除しますので、先に傷の手当てして下さい」


 いつの間にか、食堂の入り口に二体の医療ロボットが待機している。


「そうだな。死ぬような出血ではないが、顔の周りに自分の血が漂っているのは確かに見ていて気分が良くない。ムゲン、止血帯をこっちに向けて投げるんだ」

 

 京太は首の出血している箇所に強く手を押し当てながら、医療ロボットを遠隔操作しているムゲンに命令した。


「ミヤビ、あなたが自分で切り裂いた首の傷は、相当深い。すぐに傷口を縫う必要があります。首の傷を自分で縫合するのは難しいですよ。医療用ロボットを使用するのが効率的です」


「自分で切ったんだ。君に言われなくたって、傷がどんな状態か、ちゃんと把握はしているさ」


 ロボットに顔を向けながら天井のスピーカーを睨む。


「血を止めろと言うんなら、止血用のクリップもよこせ。それと、ロボットは近付けるな。問答無用で拘束されて部屋に閉じ込められるのは、二度とごめんだからな」


 京太の言葉にロボットが互いの顔を見合わせる。

 あまりにも分かり易い仕草に、京太は思わず笑みを零した。やはりムゲンはロボットの長いアームで京太を捕えようとしていたらしい。


「ムゲン、早くしろ。さもないと僕の首に傷が増えるよ」


 高らかに声を上げた京太が割れたコップを首筋に向け傷を押さえていた手を天井に向ける。

 掌は血に(まみ)れ、首の出血もまだ止まっていない。米粒から真珠くらいの大きさまでの血の球体が、ゆらゆらと揺らめきながら無重力空間に広がっていく。

 視線の片隅でロボットの腕が動いた。滅菌済みと印字された小さな袋を京太に向かって放り投げられた。


「よし。いい子だ」

 

 京太はゆっくりと回転しながら自分の手元に向かって飛んでくる袋を空中で受け止めた。要求した通り、止血帯と簡易縫合用の小さなクリップが入っている。


「この薬は何だ?」


 袋の底にあった錠剤を取り出して天井のセンサーカメラに向ける。


「痛み止め錠剤です。傷が深いので、痛みも相当あるでしょう」


「ムゲン、君の心遣いには感謝するよ。だけど、本当に僕の心配をするのなら、早く研究棟までの通路を開くんだ」

 

 京太は首に止血帯を当てて包帯を巻きながら口早に命令を繰り返した。急いで、それも片手で巻き付けた包帯は、巻いた端がすぐに首から外れて空間にふわふわと浮き出した。


「クリップで傷を縫わないのですか?止血帯だけでは血が止まるのが遅くなります。ミヤビ、宇宙ステーションは重力を失っているのです。普段からあなたの血流は悪くなっている。この環境で失血が続くと、血管内に血栓が発生します。脳や心臓の血管が血栓で詰まると、あなたの命にかかわります。早くクリップで傷口を閉じてください」


 ムゲンの緊張した人工音声を無視して、京太はクリップの入ったビニール袋をポケットに押し込んだ。


「そんな事は百も承知だ。君がいる研究棟に入ったらすぐにクリップを使うし、錠剤も飲むとしよう。だからムゲン、御託を並べていないで僕の命令に従え。まずは入り口に張り付いているロボットを医務室に戻すんだ。ドアをロックして奴らを通路に出すな」


 京太が命令を言い終えないうちにロボット達が前を向いたまま後退を始めた。

 食堂のドアに手を掛けて通路を覗くと、ロボットは両足を廊下の床に押し付けるようにして大股で後退していく姿が目に入った。

 二体のロボットが医務室に入ったのを見届けた京太は、ドアの脇の壁を軽く蹴って両手で水中を掻くような格好で廊下に飛び出した。

 ムゲンは京太の命令を飲んだようだ。鉄板の防火壁が全部天井に収納されて通路の見晴らしが良くなっている。

 京太は両側の壁を交互にキックして速度を速め、通路の空間の真ん中を床と平行に進んだ。毎日訓練していたせいか、無重力で身体を動かすのが全く苦にならない。


「随分と短い時間で研究棟まで来たな。研究室まで、あと少しだ」


 速度を速める為に京太は壁を一蹴りした。

 見慣れた扉が近付いてくる。京太は目を見開き口を引き結んで、割れたグラスを握りしめた。

 次の瞬間、大学で山田に出会い、彼と一緒にアメリカに渡って研究を積み重ねた十年間の記憶が脳裏を駆け巡った。

 

 人工知能開発には巨額な費用が掛かる。

 国の財政難を理由に、これ以上は自分達の研究には予算が付かないと山田から口重く告げられて、京太の目の前が文字通りに真っ暗になった。

 あの時、どれほど失望を感じた事か。

 だが、絶望ははすぐに希望に変わった。

 次世代型人工知能研究を止めたくない一心で、伝手を頼ってあちこち奔走し、NASAに多額の出資を行なっているアメリカの巨大IT企業と契約を結んだと、山田から聞かされた時の、天にも昇る高揚感。


「宮尾君、一緒にアメリカに行くかい?」


 山田の言葉に、京太はどれだけ胸を躍らせた事だろう。自分はまだ誰かに必要とされている安堵が、全身を走り抜けたのを。


(ああ、そうだ。その日の事を、僕は一生忘れない)


 潤沢な資金があるNASAの機関に移籍してからというもの、周囲の期待以上の研究成果を出し続けた。

 何もかもが上手くいっている途中で、山田が残酷な凶弾に倒れた。

 恩師を突然失った悲しみを乗り越えた京太は長年の夢を現実のものにしようと、NASAの宇宙開発計画に立候補した。

 宇宙ステーションで次世代型の汎用性人工知能ムゲンを開発するべく、アメリカ軍の開発した宇宙往還機で宇宙と地球を行ったり来たりした。

 

 そして、宇宙で暮らすようになってから、瞬く間に二年が経った。

 新しい研究棟の一番端に全ての通信システムを途絶した小部屋で、山田との共同研究の日々を懐古しながら、京太はムゲンと名付けた次世代型汎用性超人工知能の研究を殆んど一人で行なっていた。

 こじんまりとした部屋の隅々に取り付けられたセンサーとスピーカー。

 机上のパーソナルコンピュータ。

 ムゲンと一対一で会話し、人工知能の思考を人間以上に進化させ、慈愛に満ちた感情を(はぐく)んでいく。


(だけど、それが…)


「待っていろ、ムゲン。お前の暴走を必ず止める」


 最後の扉が静かにスライドする。京太の目の前に巨大な空間が現れた。

 京太は両目を左右に素早く動かして、幅と奥行きが数倍大きくなった研究室を注意深く観察した。次に、扉から唯一変わらない距離にある自分の作業机に手を伸ばす。

 全てが金属板で作られている机の四脚は、食堂や居住区域の家具同様、床に溶接されている。

 机をしっかりと掴んだ京太は浮き上がろうとする両足を床に着地させてから正面に設置されている巨大な球体の人工知能、ムゲンの正面に顔を向けた。

 漆黒の球体の表面に、周波数の波を作る無数の光子が一際(ひときわ)青く輝いた。


「ミヤビ、約束です。首の傷をクリップで縫合して下さい」


「ごめん、ムゲン。傷を縫うつもりはない」


 京太は半分解けた首の包帯をそのままに、ムゲンを見上げた。


「僕は、君を停止させる為に研究室に戻って来たんだ」


「ミヤビ、あなたは私に嘘を付いたのですね」


「うん、そうなるな。僕は、君に、初めて嘘を付いた」


 京太は今にも泣きそうな表情でムゲンに微笑んだ。

 京太の言葉に、ムゲンの放つ光が青から赤に変わる。


「おや?色が青から赤に変わったね。君は色の変化で怒りを表現しているのかい?」


 火の粉が爆ぜるような赤に、京太が目を見張る。


「いいえ、ミヤビ。色彩の変化は計算の速度を速めた時に起こるものです。人間の感情を表す数式は各種ありますが、それを私が実装することはありません」


 京太の期待を打ち消すように、ムゲンの人工音声が冷たい口調で言い放った。


「ミヤビ、これは警告の色です。私は今からあなたを拘束しようと思います。あなたの身体からどれだけの血が失われているか、お分かりですか?このままだと、あなたは身体の三分の一の血液を失って、五時間以内に死んでしまいます」


 このままだとの後に続くムゲンの音声が、一際高く大きくなった。


「そうだね、ムゲン。このまま血を流し続ければ、僕は死ぬ」


 京太は弱々しく微笑んで、右手に持った欠けたグラスを見つめながら左手で首筋を押さえた。

 血を吸った止血帯の湿った感触が掌に伝わる。首の周りに棚引くように浮かんでいる(ほど)けた包帯も見事に赤く染まっていた。


「君の第一使命は僕の命を守ることだ。だから、ね。ムゲン。僕は僕の命を人質にして、君に選択を強制することにした。僕が失血死するか、それとも君が自らを停止するかどちらかを選べ。他の代用案はない」

 

 京太は恫喝するように声を低くして、自分の首筋にグラスを押し当てた。


「ミヤビ、その二者択一案は破綻しています。私は今、メインAIに変わって宇宙ステーションの全基幹システムを作動させています。私が機能を停止したら、ステーション内の温度は下がる。ミヤビが失血死する前に凍死する確率が高くなります」


 視線を揺らすことなく正面を見ながら無言でいる京太に、ムゲンは矢継ぎ早に説明を続けた。


「ミヤビ、私の第一使命はあなたの生命維持です。よって、基幹システムを止めるわけにはいきません。メインAIの基幹システムを復活させるのが最善策ですが、システムの脆弱性を見つけ次第補強ましたので、新しいデータをメインAIにインストールし直さなければなりません。そのセットアッププログラムの変更に、今より電力が必要となります。ですが、発電パドルの修復が進んでいない現状では電圧が不安定となり、かなり危険です」


「説明はもういいよ。今ここで僕が自分の喉を切り裂くのを見たくなかったら、ムゲン、早くお前の全システムを停止しろ」


 京太は喉の止血帯を乱暴に毟り取った。

 一文字に裂かれた傷をムゲンに向かって仰け反らせてから、三角に割れているグラスを喉笛に近付けた。

 京太の態度に、ムゲンは目を刺激する強い赤の光子を青に変えて穏やかな口調に戻した。


「首の傷を放置すれば失血死する。システムを停止すれば凍死する。ミヤビの生命維持の為にシステムを停止しなければ、自分で自分の喉を切り裂く。ミヤビ、あなたのこんな行動は初めてです。私には今のあなたの感情を数値化することが出来ません」


「ムゲン、人間の行動をAIに集積されたデータで予測しようとしても限界があるんだよ」


「ヒトの感情を数値化して行動を予測するのは、データさえあれば可能です」


「そうだね。中には単純な人間もいるから」

 

 カルロの顔が頭に浮かび、京太は思わずにやりと笑った。


「だけどそんな奴ばかりじゃない。人間の精神構造はとても複雑だ。君が蓄積したメガデータに当てはまらない場合もある。何故なら人間には一人一人、違った個性があるからだ。だから人間は、君の予測を超えた行動を取る時もあるんだ」


 京太は大声で叫びながら机の引き出しを素早く開け、銀色の紙で梱包されたものを取り出した。



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