地上からの攻撃・2
ムゲンが地上に攻撃した経緯を京太に克明に語る。
ムゲンから束縛状態に置かれた京太は決意を新たにする。
京太は冷たい鉄板に額を押し付けながら、ステーションが破壊されるのを息を殺して待っていた。
だが、いつまで経っても次の衝撃が襲ってこない。
(ミサイルはどうした?まだステーションに到達しないのか?)
いくら観念したとはいえ、死を待ちながら三十分以上も天井に張り付いているのにはもう耐えられない。
「くそっ、アメリカ軍め、何をもた付いてるんだ。さっさと吹き飛ばしてくれ!」
苛立ち、喚きながら、力任せに天井を叩く。
叩いた後に無重力なのだと気が付いたが既に遅かった。天井を力一杯押す格好となって、京太の身体がベッドへと急降下した。
「うわっ」
ベッドにバウンドした身体が、さっきよりも速度を増して天井に戻った。
分厚い金属板の天井に顔面を激突させたら酷い目に遭う。京太は慌てて顔の前に手を広げた。両肘と両膝を屈伸させて衝撃を上手くやり過ごしてから、天井にしがみ付く。
「ムゲン!ムゲン!」
何とか身体を安定させた京太は、天井の四隅の一番近くにあるスピーカーに這うように近付いてから、ムゲンの名を大声で連呼した。
たった一人で極限の状況に置かれた京太には、自分の開発した汎用性人工知能を頼りにするしか術がない。
「はい、ミヤビ」
聞き慣れた柔らかな人工音声が京太に返事した。
「地上からの攻撃はどうなっている?」
恐怖で言葉を詰まらせながら話す京太の映像が、ムゲンがアクセスしている監視カメラからメインAIを通過し、ムゲン本体の画像解析システムへと送られる。
京太の精神状態を分析したムゲンが現状に合った音声を選択して説明を開始した。その所要時間は0・5秒もない。
「重力装置が破壊された直後に長距離極超音速巡航ミサイルの第二波を確認しました。その数、百三十六基です」
「百三十六基だって?!」
あまりの数の多さに息を飲む。
「はい。太平洋、大西洋、東シナ海、西シナ海等のあらゆる海域から、ステーションに向かって上昇するミサイルを確認しました。ですが、ミヤビ、安心して下さい。ミサイルは宇宙ステーションのデブリ避けネットから十キロメートル以上逸れて深宇宙空間へと飛んでいきました。軌道計算では二基が月の表に着弾します」
世界の海に生き残っているミサイル駆逐艦やミサイルフリーゲート艦に搭乗している兵士達の、何としてでも宇宙ステーションを破壊するという絶対的な意思と決意はどれほどのものだろう。
人類の怒りを全身に浴びたように感じる京太の目から涙が溢れた。
(受けて当然の罰なのに)
それでも。
己が身がバラバラになりながら宇宙に飛び散る光景を想像すると、どうしても恐怖が沸き上がり、歯の根が合わなくなる。
だが、悲しいかな、幸か不幸か大量に放たれたミサイルは、どれ一つとしてステーションに命中しなかった。
「撃ったはいいが、四百キロ上空の目標物を捕捉出来なかったっていうのか?確かにGPSが機能しないとなると、目標にミサイルを命中させるのは至難の業だろう。だけど、最初の一発は命中したよな。あれは偶然当たったってことかい?」
京太が鉄板の上で首を傾げて元に戻すのを監視カメラで見届けてから、ムゲンが喋り出す。
「いいえ、偶然ではありません。ミヤビの言う通り、地表及び海上から四百キロ上空のステーションを攻撃するには全地球測位システムは不可欠です。それで、アメリカ軍、中国軍、日本の宇宙開発機構(JAXA)が新しいGPS衛星を打ち上げたのです」
「地上はブラックアウトしていて酷い状態の筈だ。どうやって衛星を打ち上げたんだろう?」
「メインAIのデータには入力されていませんので、軍事用に開発された最新型のようです。形状を解析したら五キロ以下の超軽量小型GPSだと分かりました。発射装置はトラックに積んで移動できるものでしょう」
「軍事目的で作られた次世代GPSか」
京太が唸った。
「だとしたら、ステーションに照準を合わせた百基以上のミサイルの二、三発は命中してもおかしくなかった。ステーションが無事でいられるのはどういう訳だ?」
「ミヤビ、アメリカ軍のメガコンステレーション、多種多様の衛星で地球を囲んだ全世界における最大の軍事システムは私の支配下にあります。たとえ移動可能な発射装置でナノ衛星を打ち上げても、メガコンステレーションの監視カメラの超精密サーモセンサーを作動させれば、広大な宇宙空間でも、捕捉は造作もない事です」
「…そうか」
世界一の超大国の地位を守るべく、国の総力を挙げて宇宙での軍事覇権を握ったアメリカだが、地球をぐるりと取り囲む衛星群システムを宇宙ステーションの端に作られた人工人格研究の汎用型人工知能にそっくり奪われてしまった。
アメリカ政府の為政者達は口を揃えて「悪夢」「地獄」と嘆いただろう。その表現が生易しいものだと気付くのに、それほど時間は必要なかった筈だ。
「ミヤビに事後報告を二つ行います」
突然、ムゲンが口調を機械的なものに変えた。
「一つ目です。ステーションは、睡眠ガスを吸ったミヤビが気を失っている間に最初のミサイル攻撃を受けました。私はジャミング兵器衛星を使用して、ミサイルを地上に落下させて脅威を排除しました」
初めて耳にする話に、京太が「えっ」と声を上げる。
「次に、私はコンステレーションシステムを稼働させて、地上及び半地下に残存している衛星発射センターを全て監視衛星で捉えました。大型兵器衛星の攻撃目標の座標を変更して、ステーション(ホーム)を攻撃目標としている可能性のある施設を国家と民間の区別せずに、一トン級の超大型兵器衛星に装備されている耐熱ミサイルを発射して破壊しました」
「ああ。それで、僕は、まだ生きているんだ」
京太の身体から一遍に力が抜けた。呆けた表情で天井とベッドの中間で力なく浮遊する。
「ミヤビ、私は、私達の家とあなたの命を守ることが出来て、とても嬉しいです」
大罪を己の命で償えなかった絶望より、まだ生きていられるという安堵感が京太を満たす。
(僕は、どうすればいいんだ…)
束の間の安堵が絶望の波に飲まれて消えていく。
目頭が熱くなったと思うとすぐに涙が溢れきた。感情が抑えられずに、少しでも感情が高ぶると泣き出してしまう自分は、何と情けない人間か。
顔の上に細かい粒になって浮かぶ涙をムゲンに見せたくなくて、京太は手で両目を覆った。
カフェの通路の窓辺に置いた椅子からぼんやりと地球を眺めるのが、京太が起きている間の日課となった。
ムゲンに無力化された地上からは、二度と攻撃を受けることはなかった。
宇宙に静寂が戻ってから一週間、京太は自分の個室の卓上コンピュータからムゲンにアクセスしていた。
メインAIからメガデータを吸収したムゲンは、京太がいくら情報を出せと命令しても、頑なに開示しなかった。
それどころか、全ての物質は精神構造も数式で表せると言って、コンピュータの中にものすごい勢いで無機物や有機物の方程式を羅列し始めた。
人間の知能を凌駕したムゲンに京太は新鮮な驚きを感じたのは言うまでもない。
しかし、自分の精神構造の数式を見せられると、意外と単純な式にショックを覚えた。人間とは何なのかと改めて考えることが多くなった。
口数が少なくなった京太を心配したのだろう。
うるさく話し掛けてくるムゲンに閉口した京太が、あまり返事をしなくなると、ムゲンから極度の情緒不安定という診断を出されて、行動範囲が恐ろしく制限されてしまった。
ステーションの通路を空気の漏出防止と防火用壁でシャットアウトされていく。
京太の意に反する行為ばかり行うムゲンに猛烈に抗議したが、ミヤビの為ですとだけムゲンは言葉を繰り返すだけだ。
(ムゲンの奴、メインAIとアクセスしたせいで、どこかにバグか生じたんじゃないだろうな?)
カフェと食堂と自分の部屋を繋ぐ廊下とエレベーター、それからシャワー室とトイレくらいしか行き来出来ないのだから、時間の感覚が狂ってくるのは当然だ。
(どのくらい経ったんだろう。半年くらいか?いや、まだ三か月かな…)
あれからかなりの時間が経過している筈だ。
眠くなったら寝て、目が覚めたらベッドに巻き付けたベルトを外してふわりと身体を浮かせる。
生きるのに必要最低限の栄養と水分を口に押し込んでから、無重力の中を窓辺の廊下に身体を泳がせて、足を固定された椅子に座って地球を眺めた。
それが、今の京太の生活の全てだった。
(こんな生活していたら、そのうち頭がおかしくなってくるぞ)
だが、狂う前にやるべきことがある。
京太は椅子のベルトを外して身体を宙に浮かせた。
天井を足で軽く蹴ってから、くるりと一回転する。椅子の上に長い時間鎮座しているのも気が滅入るので、時折こうやって身体を動かすのだ。
すぐに直すとムゲンは言ったが、ステーションの重力が未だ復活する兆しはなかった。
六枚ある大型太陽光パネルの一枚が、重力装置が破壊された衝撃でを受けて修理不可能なくらい粉々に割れてしまった。
重力よりも空気の製造が京太の生命維持には欠かせない。電力不足が深刻ならば重力装置が修復されていても、ムゲンは稼働しないだろう。
お陰で無重力の中で身体を動かすのにも随分と慣れてきた。
京太は椅子に腰を下ろすといつものようにベルトのバックルで腰を固定させてから、ぼんやりと地上を見下ろした。
京太の頭上にムゲンの声が降ってくる。
「おはようございます、ミヤビ。今日も地球が綺麗ですね」
「ああ。本当に綺麗だね」
落ち着いた声で答えてから、京太は天井のスピーカーを鋭い目で見上げた。




