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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第六章 エンド・ウォー
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地上からの攻撃・1

混乱した京太をムゲンが介抱する。

落ち着きを取り戻した京太に新たな危機が迫る。


「…頭が、すごく痛い」


 目を覚ました途端に割れるような頭痛に襲われて、京太は顔を顰めた。


「頭痛がするのは、ミヤビの体内に睡眠ガスが残っているからです」


「ああ…」


 京太は一瞬で気絶したのを思い出した。

 自分の行動を止める為に、ムゲンはエレベーターの中に軍事用の睡眠ガスを噴射したようだ。

 軍事訓練を受けている敵対的勢力の人間が宇宙ステーション内に侵入した時を想定して、侵入路となる箇所に配置されている。

 京太が吸ったガスは手術用の麻酔に使用されているものだった。

 ガスの主成分は濃度の高い亜酸化窒素系の強力な揮発性麻酔薬だ。

 ステーション内部に攻め込んで来た敵を眠らせるだけの平和的な武器と思うのは大間違いで、一呼吸で成人男性をも気絶させる。

 数分間吸い込んでいたら、脳と呼吸器が完全に麻痺して死に至る代物(しろもの)だ。


「点滴に入れた浄化剤でミヤビの血中に入ったガスの成分を薄めています。一時間ほどすれば頭痛も収まって動けるようになります」


 あまりの痛みに喋ることも出来ない。

 京太は返事をする代わりに、「ううう」と苦し気な呻き声を上げた。


(バカなことをやらかした)


 京太は激しい自己嫌悪に陥っていた。

 ムゲンの暴走を止めようとした結果がこれだ。医療ベッドに仰臥してフックに吊るされた点滴の袋を睨み付けた。

 京太の破壊衝動とやらを学習したムゲンが取る手は一つ。

 京太が意識を失っているうちにメインAIに繋がる通路を全て閉鎖することだ。


(メインAIのシステムを手動に切り替えてムゲンから切り離すのは絶望的になってしまった…)


 京太は弱々しい溜息を付いて、ムゲンが遠隔操作する医療用ロボットに目をやった。

 ロボットの身長は一メートル五十センチと、それほど大きくはない。

 身長の三分の二は胴体で、作業の安定性を保つ為に前後左右に突き出たX型の太い金属の短い足に四本のタイヤを履いている。

 横幅の広い寸胴の躯体に三百六十度回転する首があり、その上に球体をした頭部が乗っている。太くて長い腕は七つの関節を持ち、人間の指の機能を精巧に模した手が器用に動いていた。

 ベッド脇のロボットが、顔の中央にある一眼カメラで京太の顔を覗き込んだ。


「ミヤビ、要望があればこのロボットに命令して下さい」


 耳障りな電子音が頭に響いて、京太は顔を歪ませた。


「うるさいな。放っておいてくれ」


 苛立っている京太がムゲンに投げやりに答える。


 思春期真っ只中の少年みたいな態度でしか反抗を示せない自分があまりに情けなくて、京太は一層落ち込んだ。

 コンピュータを操作していたロボットが京太の(かたわ)らにいるロボットに顔を向けた。情報の共有を行なっているらしく、互いの黒いカメラアイの中で青い光が点滅する。

 ベット脇からロボットが動き出した。

 壁の棚から薬の小瓶と注射器を取り出すと、素早く京太のベッドに戻って来る。

 ロボットは小瓶の中の薬品を注射器に移すと、注射針を点滴袋の繋目に刺した。

 薄赤色に染まった液体が、透明な点滴液に広がっていく。


「ムゲン、僕に何の薬を打った?」


 問答無用で新たな薬が自分の身体に注入されたのに怒った京太は、拘束された身体で唯一動く手と足首から下を必死で動かした。


「心音、脈拍、呼吸の数値が正常よりも三十パーセント上昇しています。ミヤビの感情が高ぶったままだと、頭の痛みが治まりません。興奮を抑える為に睡眠を促す精神定剤を追加します」


「嫌だ。眠りたくない。点滴を止めろ!」


「それは出来ません。ミヤビの身体(しんたい)及び精神を守ることが私に課された第一の使命です」


 (あらが)いも虚しく、次第に京太の意識が薄れていった。





 京太が再び目を開けると、そこは自分の部屋のベッドの上だった。

 仰向けに寝ている身体をゆっくりと起こし、頭にそっと手を当ててみる。頭の内側を針で突き刺すような酷い痛みは嘘のように去っていた。

 音を立てずにベッドから降りた。歩いてみると、身体はふらつくこともなく前に進んだ。

 壁に掛かった時計を見ると、経過した時間は一時間四十二秒。秒の時間は京太が起きて部屋を歩いた時間だろう。


(薬の効き目は時間通りか。あの調整力は人間には到底真似できない。さすがはAIだ)


 今までの京太ならムゲンの超越した能力に純粋に感心して、無邪気に喜ぶだけだったが。


「ミヤビ、目が覚めましたね。調子はどうですか」 


 ムゲンの電子音声が京太の頭上から滑らかに話しかけてきた。

 その人工音声は、どんな生身の人間の声よりも、美しく穏やかだ。


「…頭痛は収まったよ。身体の状態もまあまあだ」


 そう答えると、京太は天井の四隅に取り付けられているスピーカー付きカメラをぐるりと見渡した。


「痛くはないど、疲れた。もう少し横になって休んでいる」


 わざと疲れた声を出して、京太はベッドに寝転がった。

 監視カメラの方に顔を向け、組んだ腕の上に頭を乗せて目を瞑る。


「ミヤビ、ゆっくり休んで下さい」


 そう言った後、ムゲンの声が途絶えた。


(さて、何をどうしたらいいんだろう)


 京太は目を閉じたまま、ぐちゃぐちゃになった頭の中を整理しようと思考を巡らせた。


 ここは宇宙だ。

 何らかの事故が起きて、それが最悪の場合、宇宙ステーションの乗組員(クルー)は一瞬で死ぬ。

 そんな環境ではプライベートなど二の次だ。だから、彼らの部屋には当然の如く監視カメラが取り付けられている。

 

 クルーが脱出する前は、メインAIが全てのカメラを管理していた。

 開発者のフォルト博士と彼の部下の管理下の元、クルーの動向を記録した映像データをNASAの解析ルームに送るのが、メインAIの仕事の一部であった。メインAIが何らかの異常を見つけたとしても、監視システムを管理している地上の人間に判断が委ねられる。

 メインAIには、ムゲンのような人工人格はプログラミングされていない。

NASAの誇るビッグ・データ駆使して、宇宙ステーションの内外で作業する多くのナローAIが受け持つ自動化ソフトのバグを防いでいる。その知能はより機械的で、緊急事態が起きない限りクルーに自ら音声を発することはない。

 自らデータを探しアップロードして自分を改造していくムゲンの機能とは、構造が根本的に違うのだ。

 それを知っているステーションの乗組員は、メインAIの存在もカメラもあまり意識しないで済んでいた。


(だけど今、メインAIの基幹システムは完全にムゲンに移行した)

 

 ステーション内に張り巡らされた監視カメラの映像から、ムゲンが独断で答えを導き出す。

 メインAIに接続(アクセス)してその情報(データ)を全て取り込んだムゲンは、実験室と同様に、どこからでも京太に話し掛けてくるだろう。

 人工人格、気障(きざ)っぽく言うのなら、自我を持った完全自律型の超知能AIが、これからステーション内の全ての監視カメラを京太に向けて、その動向を逐一探ってくるのだ。


(想像しただけでも息が詰まるな) 


 それもこれも、全システムをムゲンに取り込ませたのは他でもない京太自身だ。

 そして、人類に最悪の事態を引き起こした。


(だって、仕方がなかったんだ)


 クルーが一斉退去したステーションにたった一人取り残された挙句に、地上で核戦争が始まったのを宇宙で目撃することになった。

 あまりの恐怖と絶望感で、京太の精神は一時的に錯乱したのだ。


(あんな極限状態の中でまともでいられる奴なんかいるもんか!僕は漫画のヒーローじゃないんだ!)


 ムゲンがいなければ、京太は発作的に自死していただろう。

 危うい状態に陥った京太に、ムゲンは己が何を成すべきか計算に計算を重ねたはずだ。

 結果、京太の生命維持を第一目的とし、その方法を量子計算によって導き出し己の存在理由とした。

 京太を守るのを唯一の使命としたムゲンがこの先、どんな行動を取るのか予測も付かない。ステーションの外で何らかの異常事態でも起きない限り、ムゲンを止めるのは難しい。


(外部からだけ、か…。何か良い方法はないものか)


 突然、ゴウンと音がしたかと思うと、大きな衝撃が京太を襲った。

 跳ねた身体がベットに落ちずに宙に浮き出した。


「なんだ?」


 浮いた身体を落ち着けようと、慌ててベッドに手を伸ばす。

 ベッドのスプリングの端を掴もうとして反対に押してしまい、京太は忍者のような格好で天井に張り付いた。


「ムゲン、何があった?!」


 思わず叫ぶと、すぐにムゲンが状況の説明を始めた。


「アメリカ大陸近海から巡航ミサイルの攻撃を受け、宇宙ステーション(ホーム)の重力装置が破壊されました」


 ミサイルと聞いて、京太の顔が青くなった。


「ムゲン、君はGPSを全て破壊したんじゃなかったのか?」


「はい。破壊しました」


(なのに何故、地上から攻撃を受けている?)

 

 それは、攻撃者がミサイルを手動に切り替えて望遠レンズで宇宙ステーションを狙い撃ちしているということだ。


(ミサイルを宇宙に撃てるだけの戦艦がまだアメリカに生き残っているのか)

 

 それも、全世界のGPSが破壊された原因が宇宙ステーションにあると知っている人間だ。


(もしかして、アシュケナジが指揮しているのか?)


 誰でもいい。

 あと一発、ミサイルを受ければ、宇宙ステーションは機能不全に陥り地球の引力に捕まって、徐々に降下を始めるのだから。


(地球に火炙りにされるのか。なかなかきつい死に方だ。木っ端微塵に爆破される方がマシだ)


 しかし、もし神が存在するのなら、人類の文明を崩壊させた京太を、楽に死なせるだろうか。


(ないよな。恐怖の中でのた打ち回って、じりじりと死んでいけって、思うだろうさ)


 京太は口元に微かに笑みを浮かべながら、観念したように目を閉じた。


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