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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第六章 エンド・ウォー
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囚われの身

京太はムゲンの動きを阻止しようと、ある行動を取るが…。

 

 床から引き剥がすように身体を起こすと、京太はムゲンの実験室には戻らずに、新ステーションの終着点である一番下の実験棟までエレベーターで降りて行った。


「ミヤビ、どこに行くのですか?」


 エレベーターの天井にあるスピーカーから、ムゲンの優しい声が降ってくる。


「ミヤビ?返事をして下さい」


「旧ステーションだ」


 京太は乱暴な口調でムゲンに行き先を継げると、新ステーションのエレベーターから旧ステーション行きのエレベーターに乗り換えた。

 新型ステーションの中心の空洞部分には巨大な金属ベアリングが取り付けられ、特殊な強化プラスチックで作られた透明な菅が複数連結されている。管と同じ素材で出来た透明エレベーターが、絶えず新旧ステーションを上昇下降していた。


「何故、旧ステーションに行くのですか?」


「うるさいな。用があるからに決まっているだろ!」


 京太は、まとわりついてくるムゲンの声を振り払おうと、声を荒げた。

 ドーナツ型の新ステーションは乗組員の生活空間が面積の半分を占めている。

 過酷な宇宙空間で長期間暮らすクルー達の身体の負担をいくらかでも和らげるよう、ドーナツの中央に縦に伸びた軸型の遠心力装置にステーション本体を連結させてゆっくりと回転させ、地球上の四分の三ほどの重力を生み出している。

 そういう事もあって、年代物の旧ステーションは無重力専用実験棟として活用されるようになった。

 全ては新旧ステーションから人が消える前の話だ。


「旧ステーションに何の用があるのです?」


 しつこく聞いてくるムゲンを無視して、京太は鋼鉄よりも硬い特殊なプラスチックで作られた透明のエレベーターに乗り込んだ。

 デブリ避けネットの張っていない京太の足下から地球を背景にした旧型ステーションが見える。


「ミヤビ?」


「……」


「ミヤビ」


 ムゲンの二度目の応答にも答えずに京太が旧ステーションを見下ろしていると、エレベーターが急停止した。


「ムゲン!何故止めた?早くエレベーターを動かせ」


 ムゲンは怒りに任せて怒鳴る京太の姿にカメラの照準を合わせた。


「了解しました」


 天使の(さえずり)りのような人工音声で承諾したムゲンは、エレベーターを上昇させた。


「何で上昇するんだよ?!ムゲン、僕は下に、旧ステーションに行くと言っているだろう!」


 自分の命令とは逆の行動を取ったムゲンに驚いた京太が、自分を乗せた透明な箱を叩きながら大声で喚いた。


「ミヤビ、あなたは何故、旧ステーションに行こうとしているのですか?」


「…何故って、その…」


 ムゲンに質問されるとは思ってもみなかった。


(メインAIの動力を強制的に切ってムゲンの出力を落とす、なんて言えるか)


 上手くムゲンを言い包めようにも何の言葉も見つからない。

 元々、嘘を付くのが苦手なのだ。京太の額に粟粒のような汗が浮かび、頬が引き攣ってくる。

 そんな窮した表情をエレベーターのカメラアイでムゲンが観察しているのも忘れて、京太は必死で言葉を探した。


 京太の表情をカメラアイに収めたムゲンは、自分の持つ膨大なデータから一瞬で回答を導き出した。


[嘘を付くのが下手な人間が無意識に行う動作及び表情]

 

 それがカメラの下で俯き加減の京太と九十八・五パーセントの確率で一致する。

 そして、もう一つ。


「旧ステーションにはメインAIの本体があります。それからミヤビ、あなたはNASAのクルー、特に、カルロ・ガリバーニとファン・アシュケナジから理不尽な行為を立て続けに受けた。そのせいでパニック障害に陥り、破壊衝動を抑えられない状態になっている。私がどれだけ重要で緊急を要する話をしているか分かりますか?」


「…さあ?君が何を言いたいのか、僕にはさっぱり分からない」


 京太はこれ見よがしに、口をへの字に曲げた。肩を竦めながら上目遣いでエレベーターの天井を睨み付ける。


「結論から言いましょう」


 清らかな音声でムゲンが喋り出した。


「ミヤビ、あなたが旧ステーションに行こうとしたのは、メインAIの本体にある主電源を手動でオフにする為ですね」


「そ、そうだよ。だって、太陽光パドルが数枚イカれているんだ。メインAIより君の電力を優先しなきゃと思ったから…」

 

 何をしようとしているのかムゲンに見破られまいと、京太は努めて冷静な態度を取った。


「今、メインAIの出力を落とされると、メインAIのコンピュータを同化させた私にも少なからず影響を及ぼします。システムが誤作動を起こせば、宇宙ステーションの環境が悪化してミヤビの生命が脅かされる可能性もある。(みずか)らを死に至らしめる行動を取ろうとしているミヤビは精神に障害を起こしている可能性が非常に高い」


「何だと?」


 京太はカメラを見上げたまま、エレベーターの壁を思い切り殴り付けた。

 特殊プラスチック製の壁は弾力性がある。顔に向かって跳ね返ってくる己の拳を京太は慌てて避けた。


「ムゲン、お前は、僕の頭がおかしくなったとでも言いいたいのか?」


「ご安心ください。精神の混乱は一時的なものです」


 ムゲンは、激高した京太に声音を変えることなく説明を続けた。


「ミヤビ、あなたはアシュケナジ中尉の虐殺行為を目の当たりにした後に、たった一人で国際宇宙ステーションに残されてしまいました。その怒りと絶望から、体内でストレスホルモンが形成され分泌された。精神のショックを緩和させるホルモン物質の一部が、ミヤビの大脳皮質に悪影響を与えています。それが理性を失わせ、ヒトの根源的な攻撃欲求を活性化させて、ミヤビを物理的破壊行動へと向かわせるのです」


「極度のストレス過剰から、僕がサルに退化したって言いたいのか。ふざけるな!」


 京太は乾いた喉から濁声を絞り出してムゲンを(なじ)った。最後には言葉も失い動物の唸り声のようになった。

 ムゲンがこれほど醜く知性の欠片もない京太の声を聞いたのは初めてだろう。

 声だけではない。

 態度も表情も、穏やかで物腰の柔らかな京太の全てが消えてしまった。

 怒りで我を忘れて叫び、感情に任せてムゲンに罵詈雑言をぶつけるのは何故か。

 自分の言葉が地球を滅亡させた事実から目を背ける為だ。

 

(信じたくない)

 

(全てをリセットしたい)

 

(狂えるのなら、いっそ狂え)


 (わめ)き散らす京太に、ムゲンは無言だった。

 おそらく、半狂乱で叫んでいる京太をデータの一部として取り込んで解析している最中なのだ。狂人一歩手前の人間の感情など、何の用も成さない屑データとなるのは間違いないのだが。


「ミヤビ・キョウタ」


 突然スピーカから大声で名前を呼ばれて、京太は喚き声を喉に引っ込めた。


「あなたのホルモンの数値が上昇し過ぎています。血圧も異常に高くなっている。これ以上興奮すると、心身が持たなくなります。私の使命はマスターであるミヤビの身体及び精神を守る事です。よって、直ちに精神を落ち着かせる処置を行います」

 

 穏やかだが有無を言わさぬムゲンの言葉に京太は口を(つぐ)み、身体を硬直させた。


「処置だって?それってまさか!ムゲン、ちょっと待っ…」


 頭の上からシュッという微かな音が聞こえた。すぐに瞼が重くなる。


(くそ、睡眠剤を噴射したな)


 意識が恐ろしい速さで遠ざかっていく。

 完全に意識を失った京太は、楕円形のプラスチックの箱の中で、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。 





 京太が一日の大部分を地球を眺めるのに費やすようになってから、早くも一か月が経とうとしていた。


「ミヤビ、地球が綺麗ですね」


 天井に設置されているスピーカーからムゲンが話し掛けてくる。


「ああ、綺麗だな」


 確かに地球は美しい。

 だが、「美しい、綺麗だ」を、毎日何度も繰り返しているうちに、京太の心は次第に擦り切れていった。

 実際は、感動も感銘も、全く感じていない。


(はあ)


 声に出ないように、京太は深く息を吐いた。

 計画などなかった。ただ直情的に動いただけだ。それですぐにムゲンに行動の先を読まれた。

 結果、宇宙ステーション内での行動を著しく制限されてしまった。

 許されたのは、自分の部屋と食道、最上階の居住区域にあるカフェと、カフェのエレベーターを繋いでいる「最高の地球」が見える廊下の往復だけだ。





 京太が意識を戻すと、医務室の医療ベットに寝かされていた。

 両手両足と胸を柔らかな素材のベルトで拘束され、腕に点滴のチューブが繋がれている。

 京太の身体から睡眠剤を抜く為の処置だと分かった。医務室には医療用の人型ロボットが二体いた。


(あのロボットで僕を運んだのか)


 一体は卓上コンピュータを操作し、もう一体はベッドに寝ている京太の前で直立している。その様子は京太を監視しているように見えた。

 薄目を開けている京太にロボットが声を掛けた。


「ミヤビ、気が付きましたか」


 その雑な電子音声がムゲンのものだと、京太はすぐに気が付いた。

 


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