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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第六章 エンド・ウォー
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使命

地上で核戦争が起きたことにショックを受けた京太は気を失ってしまう。

意識が戻った後、ムゲンの取った行動を聞いて愕然とする。

 波の音が聞こえる。


(ここは、どこだろう?)


 辺りは黒一色に塗り潰されていて、何も見えない。

 それは自分が目を閉じているせいだと気が付いて、京太は己の瞼をゆっくりと持ち上げた。

 薄く開いた目に映ったのは、海を見つめる女の後ろ姿だった。

 女は、足を踝まで砂に埋めて砂浜に立っている。大きなひまわり柄のワンピースが、青い空と海に映えていた。

 海風に煽られて舞う長い黒髪が煩わしいのか、首の付け根で纏めて押さえている。

 気配を感じたらしい。後ろを振り返ると、女は京太にっこりと微笑んだ。


「起きたのね、京太」


 名前と呼ばれて京太は目を見開いた。


(かあ、さん?)


 京太はパラソルの下から這い出ると、母の顔を凝視した。いつもの濃い化粧はどこへやら、女は全くの素顔だった。

 眩しい太陽の下、鼻の上に薄く散らばるそばかすが女の表情をやけに幼く見せている。


「波が荒れてきたみたい。京太、お家に帰るよ」


 女が京太に歩み寄る。幼い息子を抱き上げようと、砂の上に敷いたビニールシートの上に腰を屈めて華奢な両腕を伸ばした。

 その腕に、首に肩に、京太は視線を走らせた。

 母の身体はどこもかしこも折れそうなくらいほっそりとしている。


(母さん、こんなに細かったっけ?)


 首の付け根から鎖骨にかけて、深いくぼみが白く薄い肌にくっきりと浮き上がった。

 それを見て、母の頼りない肉体に京太は怯え、酷く不安になった。

 それでも。

 京太は両手を母親の胸元へと広げた。


「ママ、抱っこ」


 意図せずに口から出てきた言葉は口足らずな幼児のものだった。母は幼い京太を自分の胸にしっかりと抱き留めて持ち上げた。


「海、楽しかった?来年もまた来ようね」


 母が愛おしそうに幼い京太を頬ずりする。


「うん!また来る!」


 母の頬に自分の頬を無邪気に擦り付けてから、京太は母の肩越しに海を見た。


「あれは…」


 突然、水平線から巨大なキノコ雲が立ち上った。

 空と海から青が消え、紅蓮に染まる。

 赤い波が大きくうねり、激しい熱風と共に母の背後に迫って来た。

 このままでは母子共々、大波に飲まれて死んでしまう。


「ママ、早く逃げて!」


 京太は母の腕の中で大声を上げた。

 だが、母は微動だにせずに、京太の身体にしっかりと両腕を回して抱き込んでいる。


「ママ?」


 恐怖に震えながら京太は母の顔を覗き込んだ。

 母の顔からは目も鼻も、柔らかな微笑みを湛えていた唇も全て消えて、ぽっかりと黒い穴が開いていた。


「ひっ」


 息を飲んで身体を硬直させる京太に、空を覆い隠す程に成長した高波が襲ってくる。波は炎となって母と京太の頭上に降り注いだ。





「うわあああっ」


 自分の放った悲鳴と同時に、ドンという衝撃を全身に受けて、京太は目を覚ました。


「何だ?どうしたっ?」


 最初に高い天井が目に映った。さっきまで煌々としていたライトの光が全て落ちて辺りは暗闇に包まれている。


「ミヤビ、良かった、意識を取り戻したのですね」


 ムゲンの嬉しそうな声が闇の中で響いた。


「ムゲン?」


 京太は仰向けになったまま不安げに両目をきょろきょろと左右に動かした。


「僕は、気を失っていたのか?」


 意識がはっきりして来ると背中に硬くてひんやりとした感触を覚えた。闇の中で、自分が床に四肢を投げ出して仰臥しているのが分かる。


「ああ、そうだ。思い出したぞ」


 ありったけの声を張り上げてムゲンに叫んだ。その後、立っていられないような眩暈に襲われたのだ。


「ミヤビ、あなたは二百八十五・三秒間、意識を失っていました。私は非常に心配しました」


「五分近くも気絶していたのか」

 

 宇宙ステーションに一人取り残された挙句に地上の核戦争を目撃することになって、心身共にストレスの限界を超えたのだろう。

 それにしても随分と呑気に寝そべっていたものだ。京太はゆっくりと上半身を床から起こすと、後頭部に鈍痛がある。


「倒れた時に床に頭を打ったみたいだな」


 京太は痛む頭を擦った。


「ミヤビ、安心してください。腰を落としてから後ろに倒れたので、頭部は左程強打していません。すぐに頭部をスキャンしましたが、どこにも深刻な異常は見られませんでした」


「そうか。ありがとう」


 動悸している胸に手を当てながらムゲンに礼を言った。

 精神的なショックから抜け出せない己の身体に舌打ちする。ショックもさることながら、一センチ先すら見えない暗闇も、不安を増大させる原因になっている。


(これじゃ本当に石棺の中みたいだ)


 ムゲンが格納されている実験施設に窓はない。

 万が一、超人工知能が暴走して他のAIシステムが汚染される可能性を考慮して、すぐに電源から切り離せるように、新研究棟の一番端に取り付けられている。

 鉛と鉄骨とコンクリートで作られた巨大な箱は、他のクルーから“石棺”と呼ばれていた。

 からかわれる度に、京太は顔で笑いながら腹の中でかなりムカついていた。

 

(もし、あの時に戻れるなら、何を言われたって耐えられるな…)

 

 京太は深々と溜息を付いた。

 それにしても、ムゲンのコンピュータ・マシンの点滅まで消えているのは明かに異常事態だ。

 自分が気を失っていた五分間に緊急を要する事態が起きたらしい。

 だが、このまま真っ暗闇の状態が続けば、京太の感覚がおかしくなってしまう。正しい判断が下せなくなるのはまずい。


「ムゲン、早く照明を付けてくれ。こんなに真っ暗じゃ、また気分が悪くなる」


 京太の言葉にムゲンが球体を点滅し始めた。小さな光を中央に集合させて、京太の足元を照らす。


「只今、故障個所の修理中です。ステーションの電力が回復するまで、もう少し時間が掛かります。私の微発光で我慢して下さい」


「電力の回復だって?」

 

 京太は足先に落とされた青白い光から顔を上げた。遅ればせながら、さっきの衝撃を思い出す。


「もしかして、地上から攻撃を受けたのか?」


「はい(イエス)。ミヤビ、あなたが気を失う直前に、私が使用しているイギリス軍監視衛星の通信電波を敵対する軍事AIに察知されました。中国大陸から発射されたミサイル一基に、ステーションの太陽電池パドルを三分の一程、吹き飛ばされました」


「そうか。それで、ミサイルの第二波はまだ来ていないのか?」


 京太は緊張でごくりと喉を鳴らした。太陽電池だけの破壊では、地上からの攻撃が止むとは思えなかったからだ。


「既に、第二波は阻止しました」


 ムゲンは穏やかな口調で京太に告げた。


「地表に残存している敵対的移動軍事施設が、再び宇宙ステーションに直接物理攻撃を行う前に、アメリカ軍が地球の低軌道に配備した小型衛星の大群メガコンステレーションを管理している、軍事AI搭載衛星に侵入しました。ハッキングした兵器衛星で、レーザー兵器を装填されている敵対兵器衛星及び、GPS衛星を全て破壊しました」


「全てのGPSを破壊したって?」


 京太は信じられない思いで、ムゲンの言葉をゆっくりと反芻した。

 漆黒の闇の中で、その意味を悟るのにあまり時間はかからなかった。


「地球上の通信網を、一瞬で途絶させたって事か…?」


はい(イエス)。イギリス軍通信衛星の写真とメインAIの情報を解析した結果、米中両軍とも衛星ネットワークに依存した戦闘行為を行っているのを突き留めたので、量子超越における基本的な計算を忠実に実行しました。

 地球上の通信を全て麻痺させれば、ステーションへの脅威は排除できる。これが最も優れた方法(ルート)です。殆んどの国家が衛星機能を失ったので、宇宙及び地球的規模での軍事展開は不可能となりました。地球上から私達の宇宙ステーション(ホーム)に向かって長距離ミサイルを発射する軍事大国は消滅しました」

 

 気を失っていた五分の間に超大国を破滅させたと淡々と話すムゲンに、京太は息を飲んだ。


「ミヤビ、新しい報告があります。たった今、全地球規模で展開している米中両軍のメガコンステレーションシステムの変更が完結しました。米中の超高速通信システムをメインAIと同期させたので、三万基の各種衛星は私の意のままに動くようになりました」


「…君は、地球を回っている全衛星を支配したって、そう言っているのか?」


はい(イエス)ミヤビ(マスター)


「ムゲン!お前は、なんてことをしてくれたんだ!」


 恐怖で慄きながらも、京太はムゲンに怒りの声を上げた。


「軍事衛星だけじゃない。地上の人間は、生活に不可欠な通信システムまで、丸ごと失ったんだ!すぐに通信システムを元に戻せ。人類の文明が崩壊してしまうじゃないか!」


「申し訳ありませんが、その命令には従えません」


「何、だと…?」


 ムゲンに命令を拒否された京太は、あんぐりと大きく口を開けた。


「ミヤビ、あなたは気を失う前に、恐怖で人類を支配しろと、私に言いましたね」


 いつもの柔らかい声が今まで聞いたことのない冷徹なもの変わっている。ムゲンの口ぶりがカルロと同じになっているのに気が付いて、京太は肝を潰した。


(何で急に脅迫めいた口調になったんだ?ああ、そうか。バリオーニの言葉を聞いていたからだな。とんでもないものを学習してくれたもんだ)


 ムゲンの激変に、頭が追い付いて行かない。

 京太は口を陸に上がった魚の如くパクパクと開けたり閉じたりしていたが、ようやく声を喉から絞り出した。


「あ、あれは、本心じゃない。核ミサイルを撃ち合うのを見て頭に血が上って思わず口走ってしまったんだ。だって、罪のない市民を大量殺りくした上に放射能で地球を汚染するなんて、あまりに愚かな行為じゃないか。だけど、ムゲン。人類を滅ぼせなんて、僕は一言も言っていないぞ」


「私の使命は、ミヤビの身体の安全と保護です」


 語気を強めたムゲンに、京太は茫然とした。


「メガコンステレーション及び地球の全軌道上の衛星を私の支配下に置いたのは、ミヤビの命を守る為です。近道は、ミヤビが示してくれました。私はそれを実行したまでです」


 言葉を失って巨大な球体のコンピュータを仰ぎ見るだけとなった京太に、ムゲンは慈愛に満ちた声で付け加えた。


「私の行動がミヤビの心を不快にさせる場合があるかも知れません。ですが、どうかご理解下さい。全てはミヤビを守る為です」

 


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