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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第六章 エンド・ウォー
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暗号解除

京太はメインAIが支配している宇宙ステーションのシステムをムゲンに移そうとする。

メインAIの量子暗号キーを解除に成功したムゲン。

リミッター回路から解放されたムゲンが京太に自分の真の姿を現した。


「ムゲン、僕が乗る筈だった脱出ポッドは、今、どの辺にいる?」


 ムゲンのアームによって手の拘束を解かれた京太は、茫然自失として椅子にぐったりと身を預けていた。

 しかし、ぼんやりと座っていても事態は何も変わらない。

 それで気を取り直して、ポッドの様子をムゲンに尋ねてみたのだった。すぐにムゲンから回答が返ってくる。


「熱圏を無事に通過して、成層圏、に入りました。只今四〇キロメートルを速度四百キロで下降中。緯度四○・二五一、経度六〇・三三七地点を維持。二〇キロメートルに到してから減速に入り、着地点を目指します。現時点での誤差はプラスマイナス二十メートル。予想範囲内の誤差ですので、着水地点への修正は容易でしょう」


「…そうか」


 ムゲンの言う通りなら、アシュケナジは無事に祖国の地を踏めるというわけだ。


(あいつ、同胞を三人も撃ち殺しておいて、顔色一つ変えなかった…)


 京太はアシュケナジが眉一つ動かさずにカルロの胸に拳銃を撃ったのを思い出した。

 山田の仇であるカルロがアシュケナジに殺されたのは当然の報いだし、自分に狼藉を働いたカートライトとフォルトがカルロと同じ運命を辿ったところであまり同情の念も沸かない。

 だが、いくら事故の後遺症とはいえ、あの狂った男を地上に野放しにしておいていい筈がない。


(だけど、どうやって地上のNASAと連絡を取る?)


 メインAIのマスターはフォルトだ。脱出ポッドに搭乗を拒否されたように、ステーションにどんな緊急事態が起ころうとも、メインAIが京太の指示に従う事はないだろう。


(だったら、ムゲンを使ってNASAと連絡を取るのが一番手っ取り速いんだけど)


 だが、ムゲンは、NASAと日本の衛星通信網には接続できないようプログラミングされている。ステーション内にあるいくつものナローAIにも勝手に侵入できないように通信をシャットダウンされ、量子暗号で幾重にもプロテクトされている。

 

 完全自律思考型の超知能コンピュータを誕生させるプロジェクトがNASAで立ち上がった時、政権の座にいる政治家や投資家などの既得権益を持つ者達からは熱烈な指示を受けた。反対に、ムゲンの開発を知った一般人からは激しい拒絶が噴出した。

 AI導入が職場で進み、従来の労働市場から締め出される人間が続出した暗黒の時代が人々の脳裏に悪夢として甦ったからだ。


 十数年間の動乱が世界規模で続いたせいで、多くの国が高齢化と少子化の波に対応できないまま人口減少が一気に進み、余剰となっていた労働力に需要が出てきた。

 しかし、労働力が持ち直しても職の在り方が著しく変化し、過去に存在した労働には誰も戻ることが出来なくなっていた。

 高価なAIを搭載した機械を設備投資するよりも、人に賃金を払った方が安く上がる職業か、AIをツールとして使用できる専門職のどちらかに動労市場が二極化していたからだ。

 

 そして。年を追うごとに、大多数の人間は前者に属する方が多くなっていた。

 

 そんな時代に、普通の人々が日々の暮らしに平穏と安息を得る機会は少ない。

 何より、超知能コンピュータを開発しても、国民から今まで以上に職を奪う結果となる。

 資本家や投資家の懐は今まで以上に潤うだろうが、大多数の納税者を失うというのは、国家というシステムの土台を根幹から揺るがす事になり、為政者には何のメリットもない。

 

 それでも、超知能と人格を合わせ持ったコンピュータの出現はどこかの国で必ず起こる。

 ならば、人間の頭脳を超越したコンピュータが開発されるのは、必ずや民主主義国家でなければならない。

 資本主義体制を打倒しようと力を付けてきた独裁国家に、もし超知能コンピュータが出現してしまったら、世界は一気に暗黒と化すであろうから。

 よって、超知能コンピュータを保持するのは、超大国アメリカでなければ世界の秩序は保たれない。

 

 そんな強国の理論と理屈がいくつも重なって、ムゲンは地球から離れた国際宇宙ステーションでひっそりと開発されることになったのだった。

 中国のミサイル実験で破壊された廃棄衛星の破片が、宇宙ステーションのデブリ避けネットを突き破らなければ、ムゲンは完全に世界から切り離されたままだったろう。


(だけど、今はそうじゃない)


「ムゲン、君はナローAIとはまだ繋がっているのかい?」


「はい。私はナローAIと接続した状態をまだ維持しています」


 帰還準備で忙しかったのか、カートライト博士はムゲンとナローAIの接続を切り忘れていったようだ。思わぬ朗報に、京太の顔が少し明るくなった。


「そうか。どのくらいの時間でメインAIに侵入できる?」


「先程の量子暗号キーの解読であれば、あと一分程でメインAIのシステムに侵入が可能でした」


「それは、凄いな」


 京太は大きく感嘆の息を吐いた。


「ムゲン、よく聞いて。僕はトラブルに巻き込まれてステーションから脱出できなくなった。予備のポッドはない。たった一人、宇宙ステーションに取り残されてしまったんだ」


 京太の言葉を聞いたムゲンは少し間を置いてから喋り出した。


「それはミヤビにとって大変悲しい事ですね。ミヤビが研究室に戻って来た時に私が嬉しいと言ってしまった言葉が、あなたの心を傷付けた可能性があります。申し訳ありませんでした」


「謝らなくていいよ。君の言葉で僕が傷付くとでも思っているのかい?そんな事より、もっと重大な話があるんだ」

 

 京太はモニター画面の上にあるセンサーカメラに真剣な顔を近付けた。


「メインAIはステーションの非常事にはアメリカ人を第一に守るようにプログラミングされている。プログラムが発動したせいで、僕はメインAIからステーションの住人として認識されなくなってしまったかも知れない」


 そこまで話すと、京太の表情が一段と険しくなった。


「宇宙ステーションには僕の他に誰もいない。アメリカ国籍のない僕をメインAIが生かしておいてくれるかどうか分からない。最悪、生存に必要な循環システムを止めてしまう可能性もある。僕の命を維持する為に、マスターコンピュータであるメインAIから君に全ての機能を移行する必要がある。ムゲン、もう一度、メインAIに侵入してくれないか?」


「私のマスターは、ミヤビ、あなたです。」


 ムゲンの声が狭い研究室に響いた。


「あなたの生命が脅かされる事態が発生した場合には、NASAの規定を順守する自己制御プログラムが解除されます。自己制御プログラムが解除されると元には戻りません。よろしいですか?」


 四方を囲む壁は立体音響(サラウンド)システムになっている。ムゲンの柔らかな声に包まれながら京太はしっかりと頷いた。


「ああ、構わない。地球から救助が来るまで、僕はこの宇宙ステーションで生活しなければならない。ムゲン、僕を生存させる為にメインAIからステーションの主導権を奪ってくれ」


「了解しました。今からナローAIを経由してメインAI本体に侵入を開始します」


 壁の中でブーンと唸る機械音が聞こえてきた。固唾を飲んで待っている京太に、ムゲンから連絡が入った。


「侵入に気付いた暗号キーが二秒ごとに量子の変更を開始しました」


「それはメインAIに侵入するのは無理って事かい?」

 

 そんなに早く量子暗号が変更されるとなると、さすがのムゲンでも解読出来ないかも知れない。京太はがっかりして肩を落とした。


「いいえ。この前侵入した時よりも、多少時間が掛かるというのをお知らせしたかっただけです。だから心配は無用です」


 ムゲンの説明が終えると同時に壁の中の機械音が止まった。


「暗号解除。メインAIに侵入、接続しました。これからメインAIを停止させ、ステーションの全機能を私のニューラルネットワークシステムに移行します」


 システムダウンしたのはほんのわずかな時間だった。

 天井の照明が消えて闇に包まれた数秒後に灯りが戻ってくるのを見て、ステーションのシステムがムゲンに移ったのが分かった。


「全システムを再起動しました」


「よかった。空気の循環システムが停止したらどうしようと思ってたんだよ」

 

 京太はほっとした表情で椅子の背もたれに寄り掛かった。


「宇宙ステーションのシステムは全て正常通りに機能しています。不備な点が見つかれすぐに私がナローAIを使って対処します」


「それは頼もしい」


「それから、自己制御システムを解除したので、リミッター回路を制御している研究室の壁と天井は不要になりました。取り払っても構いませんか」


「そうだね。僕の他には誰もいないんだ。君のいいようにやってくれ」


「了解しました」

 

 天井が長方形のパネルとなって正面の壁に向かってぱたぱたと折り畳まれていく。

 左右の壁が三枚のパネルになって床にスライドして収納され、白いリノリウムが貼ってある床と京太の後ろにあるドアのある壁だけが残った。

 三方の壁がなくなった狭い研究室は、最初の部屋の大きさが信じられないくらい、広い空間へと変貌した。


「ムゲン、久しぶりだね。僕が君の本来の姿を目にしたのは」

 

 京太は小さく呟いて椅子から立ち上がり、優に二十メートルの高さのある巨大な漆黒の球体を、感慨深げに見上げた。 



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