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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第六章 エンド・ウォー
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おかえりなさい

京太は脱出ポッドに乗り込もうとするが、銃を持ったアシュケナジに阻まれる。

京太に残された道は一つだけだった。

「脱出ポッドの起動まで、あと十分を切りました。国際宇宙ステーションに残っている方は、速やかにポッドに搭乗して下さい。これがステーションを脱出する最後のポッドになります。繰り返します」


 メインAIの電子音声がステーション内に響き渡る。京太は床にへたり込んだまま、アシュケナジの顔に視線を張り付かせていた。


「立て」


 アシュケナジは銃を持った手を下から上に振り上げた。

 京太は立ち上がろうと床の上で必死にもがいた。

 両手を後ろで一纏めにして縛られいるので、容易に立つことが出来ない。両足を踏ん張って上半身を持ち上げるしかないのだが、恐怖に震えている足に力が入る筈もない。


「早く立て」


「僕を立たせたいのなら、手の拘束を解いてくれ」


「それは出来ない。お前に暴れられるのは困るからな」


「体格差を考えろ。僕はあんたとやり合うつもりは全くないよ」


「それでも、ダメだ」


アシュケナジがベルトの後ろに拳銃を差し込んだ。床の上でもがいている京太の両腕をむんずと掴んで、一気に引き上げる。

 足の裏が床に着くと、京太の後ろで仰向けに倒れて死んでいるカルロの表情が視界に飛び込んできた。

上半身を己の血で染め上げているカルロの目は引き攣ったように見開かれ、口は半開きになっている。

 今にも「何故だ(ホワイ)」と叫びそうな死顔に、京太は身を竦ませた。

 あとの二人の様子を知ろうと、京太はタラップに目を向けた。

眉間を撃ち抜かれたカートライトが血だらけの頭を一段目のタラップに頭を乗せて横たわり、フォルトはタラップの中央で脱出ポッドに右手を差し伸べるような格好でこと切れていた。

 

 死んだ三人の身体から未だ夥しい血が流れ続けているのを見た京太は、自分の胃が激しく波打つのを感じた。


「う、ぐぅ」


 腹から喉にせり上がってくるものを我慢できずに、京太は腰を折り曲げて嘔吐した。

 宇宙から地上に降下する為に、五、六時間前から固形食を取っていない。胃液を白い床にぶちまける京太に、アシュケナジが穏やかな声で言った。


「ムゲンの元に戻れ。ミヤビキョウタ」


「は?」


 京太が驚いて顔を上げる。目に映ったのは、自分を置いて脱出ポッドに向かって走り出すアシュケナジの姿だった。


「あと五分で脱出ポッドのエンジンが起動します。エンジン作動三分前にポッドの搭乗口がロックされます。乗り遅れのないよう、お気を付け下さい」


 巨大な鉄骨がアーチ状に張り巡らされた高い天井から、メインAIの音声が降ってくる。


「待ってくれ、アシュケナジ!あんた一人で地上に帰る気か?!」


 京太は後ろ手に拘束された状態のまま、死体を跨ぎながらタラップを一足飛びに駆け上がっていくアシュケナジの後を追って、よたよたと走り出した。

 直径五メートル、高さ三メートルの円盤状の脱出ポッドの真上まで伸びるタラップの一段目に足を掛ける。 

 先にポッドの入り口に到達していたアシュケナジがくるりと後ろを向いた。右腕を真っ直ぐに伸ばし、手を京太に差し伸べているようにも見える。

 ほっとしたのも束の間、その手に拳銃が握られ、銃口が自分を向いているのを見た京太は、タラップを登ぼる足を止めた。


「タラップから降りろ、ミヤビ」


 アシュケナジが京太に怒鳴った。


「俺の言葉を忘れたか。お前はステーションに残るんだ。」


「何故だ?どうして僕だけステーションに残らなければならないんだ?」

 

 恐怖と憤りが混ざった声で、京太はアシュケナジに叫んだ。

 取り乱している京太を冷徹に見つめながら、アシュケナジが大声を放つ。


「それがお前に定められた運命だからだ」


「一分三十秒が経過。あと二十八秒でポッドの搭乗口が閉まります。搭乗者は所定の位置に着席して下さい」


 アシュケナジとメインAIの声が重なり合って京太に届く。


「定められた運命だって?あんたの話はさっぱり理解出来ないよ。時間がないんだ。早く僕をポッドに乗せてくれ」


 京太が再びタラップを上がろうと足を上げた瞬間、アシュケナジの拳銃が火を吹いた。


「ひっ!!」


 自分の足先から十センチも満たない場所に銃弾を撃ち込まれて、京太は短い悲鳴を上げながらタラップから降りた。


「搭乗口がロックされるまで一分を切りました。カウント開始します」


 メインAIの無情な通達に京太は息を飲んだ。


「カウントを中止しろ!脱出ポッドに乗り遅れている人間がいるんだ!」


 ありったけの声で叫ぶ京太にメインAIから返事があった。


「カウントを止めるにはフォルト博士のパスワードとIDが必要です」


「それは…紛失した。別の方法はないか?」


 京太が藁をも縋る思いでメインAIに尋ねると、電子音声がすぐに返答した。


「カウント停止の機能を音声認識装置に切り替えます。メインAIにマスター登録されているフォルト博士が“アメリカ合衆国万歳”と言えば、カウントが停止します。音声がフォルト博士本人の肉声と認識されない場合は、脱出ポッド放出の時刻までカウントは止りません。音声認識を開始します。フォルト博士、五秒以内に声を出して下さい」


「そんな…」


 もはや打つ手はない。既に絶命しているフォルトを見て、京太はがっくりと項垂れた。


「フォルト博士の肉声を確認できませんでした。カウントに戻ります。六十秒、五十九、五十八…」


 ポッドの入口で京太に銃口を向けているアシュケナジの口が開いた。


「ミヤビ、もうすぐ脱出ポッドのエンジンが点火する。エンジンの真下ににあるハッチが開けば、ポッドと一緒にここの空気も宇宙に放出される。宇宙に放り出されたくなかったら、早くステーションの中に戻れ」


「アシュケナジ!置いて行かないでくれ!僕を一人にしないでくれ」


 京太がどれだけ叫んでも、アシュケナジは眉一つ動かさなかった。


「ミヤビ、お前は一人ではない。お前にはムゲンがいる」


 そう言い残すと、アシュケナジは脱出ポッドの中へと姿を消した。


「待て!」


 もう一度タラップを駆け上がろうとした次の瞬間。


「搭乗口をロックします」


 メインAIの人工音声が京太に無慈悲な宣言をした直後、脱出ポッドの扉が閉じる音がた。


「ああ、そんな…」


 後方にゆっくりと移動していくタラップに乗ったまま茫然としている京太に、メインAIの音声が矢継ぎ早に注意喚起を行った。


「今から百二十八秒後にポッド下の脱出用ハッチを開きます。カウントを終えた二秒後にハッチが全開し、脱出口施設内部が真空状態になります。まだ施設内に残っている方は直ちにステーションの内側に避難して下さい。皆さんが無事に地球に帰れることを祈っています。それではカウントを開始します。百二十、百十九」


「おい、メインAI!僕は帰還番号三十二の宮尾京太だ。まだポッドに乗っていない。カウントを中止して扉を開けてくれ!」


「帰還番号を認識できませんでした」


「どうしてここに一人残っているのが分からないんだ!」


「ステーションに非常事態が起きたのでプログラムの変更が行われました」


 京太はメインAIのセンサーが設置されている天井を見上げて怒鳴り声を上げながら必死で飛び跳ねた。メインAIは京太の動きに全く反応を示さずに淡々とカウントを進めていく。


「ああ、くそっ!なんだよ、プログラムの変更って?もしかすると…」

 

 京太は両手を広げて仰向けになっているカルロの死体に駆け寄り、急いで顔と手に視線を走らせた。すぐにカルロの右手の甲の中央に目当てのものを見つける。縦に一センチほど、細い線を引いたような傷だった。


「やっぱりだ。ICチップを埋め込んだ跡がある。メインAIはこのチップでアメリカ人と他の人間を区別しているんだ」


 メインAIはステーションに非常事態が起きた場合、アメリカ人の救出を最優先するようにプログラムされているのだろう。

 万が一の場合に備えてチップが埋め込まれているアメリカ人と、そうでない京太の命が選別されたのだ。

 だから、ポッドに乗せてくれと泣き叫んだところで、メインAIが京太の意思を尊重することはない。


「そうだ。これこそが機械知能だ。プログラミングに沿って行動するだけ。人間のような優しさも慈悲もない。だから僕は…」


 ムゲンを生み出した。


「六十秒経過。ご注意ください。一分以内に脱出口が開きます。五十八、五十七」


「くそ!もう、間に合わない」


 カルロのチップを取り出そうにも後ろに回っている手ではどうしようもない。

 アシュケナジが京太の拘束を解かなかった理由がやっと分かった。


「ここにいれば確実に死ぬ」


 ならばムゲンの元に戻るしかない。選択の余地などなかった。

 京太は立ち上がると、エレベータに向かって走り出した。

 扉を閉めるボタンを肩で押す。ユニバーサル仕様が義務付けられた最新式のエレベータには腰の下の高さに音声認識機が付いている。

 そのスイッチを後ろ手になった指でオンにすると、京太はエレベータに向かって声を出した。


「ミヤビ研究室の階まで高速モードで上がってくれ」


 了解ですとの電子音が発せられ、エレベータが動き出す。

 京太はエレベーターのスピーカーからメインAIのカウントを聞いていた。


「三、二、一、脱出口オープンします」


 エレベーターの窓に額を擦り付けて下を覗いた。

 全開したハッチから宇宙に放出される脱出ポッドが京太の目に映る。ステーションの下にはデブリ避け(ネット)は張っていない。

 ぽっかりと空いた巨大な円の下に地球が浮かんでいる。

 ムゲンの計算した座標に向かって噴射口から火を吹きながら脱出ポッドが降下していくのを、京太は無言で見送った。


 



 研究室のドアの前に立つと、京太はいつもの口調で語り掛けた。


「僕だよ、ムゲン。今手が使えないんだ。ドアを開けてくれないか」


「了解しました」


 軽い空気音を立ててドアが開くと、いつもの風景が京太の前に現れる。


 白い壁。白い天井。机の上に置かれたパーソナルコンピューターの脇には画像モニターが並んでいる。

 この部屋で毎日繰り返していた超知能の開発は、アメリカ軍の敵国の攻撃で、永遠に終わる筈だった。

 だが、狂った男の出現によって、京太の実験はこれからもずっと続く事になった。

 たった一人でムゲンと向き合い、会話を重ね、学習させ絶えずアップロードを繰り返し、ニューロコンピュータを進化させる。その生活は今迄と何も変わらない。


(僕は人と接するのがとても苦手だ。だから、一人取り残されたステーションで、十分やっていける。だって僕にはムゲンがいるんだから)


「お帰りなさい、キョウタ。あなたが戻って来てくれて、私はとても嬉しいです」


 ムゲンの柔らかな声が京太を迎える。


「ただいま、ムゲン」


 京太は口元に笑みを作りながら、自分の研究室にゆっくりと足を踏み入れた。


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