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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第六章 エンド・ウォー
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心優しきAI

アメリカに渡った京太に悲しい出来事が襲う。

カルロとのやり取りに憤る京太は、ムゲンの驚異的な学習能力を目の当たりにする。




「ミヤビ、あんたには話が伝わっていないみたいだから教えてやるよ」


 カルロは天井のカメラから京太に向き直った。


「アメリカ合衆国国防総省(ペンタゴン)の決定事項だ。国際宇宙ステーションは軍事用基幹衛星基地となった。ステーションのメインAIは既に敵の監視を始めている。宇宙と地上における敵の位置を丸裸にしてやるんだ。それを阻止しようと敵の兵器衛星が攻撃を仕掛けてくるだろうから、そいつらを撃退する為にムゲンを使用するのさ」


「中尉、あんた、何を言っているんだ」


 京太は噛みつくようにカルロに叫んだ。


「ムゲンは平和利用する為に開発された人工知能だ。合衆国(ステイツ)と交わした契約書にはアメリカの軍事利用を許可する項目なんて一切なかった筈だ!」

 

 怒りで震える京太に、カルロがチッチと口を鳴らしながら、右の人差し指をメトロノームのように左右に揺らした。


「ほーんと、ジャパニーズ・ボーイは甘々ちゃんなんだから。そんな表向きの契約書なんか、我々(ステイツ)が望めばいくらでもニッポン政府は変更してくれるんだよ」


「……」


 悔しそうな顔で俯いた京太に、カルロは舌なめずりするような顔で言った。


「ムゲンのニューラルネットワークシステムの情報処理能力はステーションのメインAIを軽く凌駕するっていうじゃないか。軍事的利用に特化する為に、奴の人工人格を消去するって話だぜ」


「ムゲンの人格を消去するだって!」


 京太が顎を跳ね上げてカルロを瞠目(どうもく)した。突然頭を殴られたような京太の表情を見たカルロが嗜虐的に唇を歪める。


「これもペンタゴンの決定事項だそうだ。俺を睨んだってどうしようもないぜ」


「そんな!ムゲンは順調に穏やかな人格を構築出来ているんだ。このまま訓練を続ければ、人間を慈しむ優しいAIが誕生するのも間近だっていうのに」


「残念だったなミヤビ。今は、全面戦争が起きるんじゃないかって緊迫した世の中だ。あんたが心血を注いで開発した優しいAIなんか、誰も欲しがっちゃいないんだよ」


 カルロは大仰に溜息を吐いて肩を竦ませた。


「それにお前がどんなに喚こうと、日本から来た客員研究者の話を聞いてくれるお偉いさんなんか誰もいない。おっと、ハワードがいたか。地上に帰ってから奴のベッドで話してみるんだな。愚痴ぐらいは聞いてくれるだろうよ」


 再び下を向いてしまった京太の顔を興味津々に覗き込むと、カルロは低く笑った。打ちひしがれた京太が虚ろな瞳で床を見つめているのを目にしたからだった。

 その表情に満足したのか、カルロは口笛を吹きなが研究室から出ていった。

 カルロがいなくなった研究室で、京太は崩れるように椅子に腰を下ろした。


「まさか、そんな…。ムゲンの人格を消してしまうなんて…」


 目に浮かんだ涙をムゲンに見せたくなくて、京太はモニターパネルのカメラから自分の表情を隠すように両手で顔を覆った。



 


 日本の技術の復活を掛けたムゲンの開発がNASAに移譲されたのには複雑な事情がある。

 一つには(かね)てより囁かれていた世界金融不安が二○三〇年に現実となり、日本政府が大量の税金を投入して買い支えていた株の値が大暴落して、AI研究開発費の国家予算を投入する目途(めど)が無期限に立たなくなったこと。

 もう一つは東アジアの地政学的緊張が続くなか、自由資本主義民主国家を堅守するという理由でアメリカの庇護をこれまで以上に求めざる負えなくなった結果、一党独裁の超大国とのハイテク覇権争いで軍事応用されそうな日本の高度AIを、全てアメリカの監視下に置くという法案が成立したことだ。

 それによって最新のニューロシステムを持つムゲンは、開発機関とそれに携わる研究者がアメリカの地にそっくり移される事となった。

 

 その中に京太の恩師、山田一郎がいた。

 NASAに職を得た山田の強い推薦があって、京太も山田と共にアメリカに行くことが決まった。

 東京を一歩も出たことのない京太にとって、環境の激変は大変なストレスだった。それでも山田があれやこれやと世話を焼いてくれたおかげで、アメリカでの生活に慣れてきた。

 

 研究も順調で、全てが上手く回っていると思えた矢先、山田が交通事故に遭って死んだ。

 仕事を終えた後、山田は馴染みになった日本料理店で夕食を済ませた。店を出た直後に、走って来た車が突然歩道に乗り上げて、山田を背後から撥ね飛ばした。

 近くの電柱や電燈に取り付けられた監視カメラによると、山田を撥ねた車は完全手動で運転していたようだ。半自動運転モードになっていれば、決して起きない事故だった。

 警察は当初、ドライバーが山田を故意に撥ねようと運転を手動にしたのだと思ったらしい。

 だが、複数の監視カメラに映った映像を調べるうちに、運転席にいる筈の人の姿は全く映っていなかったことが分かった。

 車は盗難車で、取り付けられていたナンバープレートは盗まれたものだというのも判明した。

 リモートコントロールされた盗難車がNASAのAI研究開発者を轢き殺すというショッキングなニュースは、瞬く間にアメリカ全土に行き渡った。

 高度AIを危険視して研究を阻止しようとする反国家勢力組織(ラッダイト)か、敵国スパイの敵対行為ではないかと推測された。

 マスコミがそう結論付たところで、車の中に指紋や頭髪はおろか、着ている服の微細な繊維すら残して行かなかった犯人が捕まるわけでもなく、事件は未解決のまま終わりを告げた。

 

 恩師を失った悲しみに暮れる暇もその死を悼む余裕も、京太には与えられなかった。

 ムゲン開発の中心を担う研究員はNASAのすぐ近くの集合住宅に集められ、州警察と軍の監視下に置かれることとなったからだ。

 京太たちは山田のような犠牲者を二度と出さないようにするための配慮だと説明を受けた。だが、たとえその通りだとしても、誰かの視線をいつも感じるのはとんでもなく窮屈だ。

 京太は次第に建物の外へ出るのが億劫となり、NASAの敷地内にある研究棟に寝泊まりするようになっていった。

 研究棟の中には、コンビニやレストラン、理容院やシャワーも整備され、更に仮眠する為のベッドが置かれた部屋もあった。

 研究棟の施設だけを利用して生活しているヒキコモリの日本人(ジャパニーズ)研究者(リサーチャー)がいると、他の人間からは驚き呆れられたが、別に気にも留めなかった。

 京太自身、それで何一つ不自由することなどなかったからだ。 

 何より研究に熱中することで、異国の地で恩師を失った悲しみを忘れる事が出来た。


 二年後、日本の技術(オールジャパン)粋を集めた(ソリューション)ニューロシステムを搭載したAIムゲンが稼働した。

 3Dマッピングや画像認識、多言語認識などの複数の情報(データ)を一度に解析し予測するのは従来の高度AIであれば十分に発揮できる能力だ。

 だが、解析から弾き出された予測結果を説明する能力が著しく劣るのがAIの弱点だ。何故その結果に至ったのか、相手に伝えられる技術が人間の能力には到底及ばない。

 どのようにして、その結論・結果に至ったのか思考プロセスがないままでは、人はAIの導き出した手順の通りに動くことに恐ろしさを感じてしまう。

 これがAIがブラックボックスと言われる所以だ。

 ムゲンはその思考プロセスを人間の脳と同じように処理して言語化し、説明する能力が備わった初めての完全自律型AIであった。





「大丈夫ですか、ミヤビ。私はあなたが悲しんでいると推測しました。間違っていませんか?」

 

 ムゲンの言葉に京太がゆっくりと顔を上げる。


「ああ。間違っていないよ、ムゲン」


「バリオーニ中尉との会話のせいですね。彼の言葉であなたの心が傷付いてしまった」


(さっきの会話で学習したのか。僕を気遣う言葉の選択が随分と向上したな)


 皮肉なことに、カルロとの忌々しいやり取りが学習効果を生んだようだ。


「そうだよ。彼の言葉に僕はとても傷付いたんだ」


「ミヤビ、辛いのですか。あなたが辛いと私も悲しい」


 ムゲンの言葉を聞いて、京太は再び目を潤ませた。


「ムゲン、それを共感というんだ。好きな相手が喜んでいると自分も嬉しいし、悲しんでいると自分も悲しくなる。人間の感情でとても大切な部分なんだ」


「理解しました」


 AIに人のような感情を持たせても、人とは違う。

 山田の遺した言葉を戒めとして京太はムゲンを作り上げて来た。だが、ムゲンの驚異的な発達を見ていると、恩師は間違っているのではないかと最近は思うようになっていた。

 そして今、ムゲンの言葉に、京太の考えは決定的になった。


(ムゲンは人間の心を学んでいる。痛みや思いやりを。もし山田先生がムゲンと会話したら、AIの人格は人の人格と同等だという筈だ)

 

 それなのに、アメリカ政府はムゲンを軍事利用する為に今まで構築してきた人格を消去しようとしている。それは、人類の損失に値する暴挙ではないのか。


「僕は宇宙に君を置いていくことになる。ムゲン、僕は君を失うのがとても悲しいんだ」


 京太は頬を伝う涙を(ぬぐ)うことなくムゲンに見せた。


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