ブロードAIムゲン
ムゲン開発の経緯と人工知能の歴史&解説(大したことは書いてませんw)
京太の生い立ち。
ムゲンは、日本政府が自国の産業技術の威信をかけて立ち上げたプロジェクトである。
第五世代移動通信システム(5G)で、先進数か国から後れを取った日本は情報通信分野技術での後塵を余儀なくされていた。
そこにアメリカ・EU・中国が研究開発を進める電気自動車の完全自動化が現実のものとなれば、日本の基幹産業が大打撃を受けるのは免れない。
危機感を抱いた政府は人工知能開発を国家プロジェクトの一環として位置付けた。
新たに開発したAIをロボットや機械に組み込むことによって、斜陽となった電器・運輸産業の復活を掛けたのだ。
世界に再び日本の名を轟かせようと、完全自律型汎用人工知能「ムゲン」の開発を国策としてぶち上げた。
日本の高度技術の復活を掲げた政府は、内閣府が厳しく選抜した企業や大学の研究所と情報通信機構がタッグを組んで、世界で類を見ない人工知能開発に血道を上げる研究が開始された。
人工知能という概念は一九五〇年に生まれた。
夢の技術としてブームの到来が二度あった。
だが、当時は機械化学習の精度が未発達だった為に学者の掛け声ばかりだとして、人々は期待も興味も失い、人工知能は世間一般からは顧みられない時代が続いき、国や企業から支援を打ち切られて研究を止める学者も少なくなかった。
そんな長き冬の時代を経て、二〇一二年、深層学習という機械学習技術を獲得した人工知能は一大ムーヴメントを起こした。
センサーカメラを通して、世界を認識させる画像認識技術の精密且つ飛躍的な進歩に乗って、驚異的な発達を遂げたのである。
これはのちに生物進化に例えられ、「AIのカンブリア爆発」と呼ばれる重大な出来事となった。
そして、二〇一五年。
人工知能開発は新たな段階に入り、初期のマルチモダールAIが誕生した。
マルチモダールAI。
それは、囲碁を打つ、画像認識する、自動翻訳する商品の統計データを取り売上高の予測に使うなど、あらかじめ決まった一つの目的に分析や作業を行う特化型AIから、画像、音声、匂い、味、文章などの入力情報の種類を意味する“モダール”を同時に複数取り込んで、高度な判断ができるようになった人工知能のことを指す。
例えて言うなら、目だけ耳だけという、一つの機能で一つの情報を処理していたAIが、目と耳の二つ以上の機能を持ち、複数の情報処理を一気に行えるようになったのだ。
それから二十五年が経過した。
途中、国家破綻した日本に、東アジアの地政学的緊張を回避するべく、アメリカの超巨大企業や財団からの資金が投資という形で数千億円規模で投入され、狭いAIから広いAIへの開発が滞りなく行われた。
ブロードAIを搭載した自動運転車や工業用補助ロボット、介護用補助ロボット等が次々と誕生し、革命的と言えるほど人々の生活を大きく変化させた。
その成功は出資者であるアメリカの巨大企業を益々潤し、日本企業の関連株を取得していた複数の財団にも巨万の活動資金を提供するに至った。
人工知能に人間らしい感覚を与えて進化させた開発者達の手は、そこで止まることはなかった。
視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚という人間に備わっている五つの感覚を持ったブロードAIを次の段階に進化させ、人知を超える高度な判断を備え付けようと研究がつづけられたのである。
だが。
AI開発の最終目的である人間の脳神経を完璧に模倣したニューラルネットワークの開発があと一息のところで足踏みし、未だ完全な汎用型人工知能は登場していなかった。
ムーアの法則を拡張して予測された人工知能の技術的特異点は未だ訪れる気配を見せず、人知を超えるAIはこの先暫くは現れないだろうと世界中で騒がれたその年に、京太は山田一郎教授のゼミに入った。
ムーアの法則とは、インテル社の共同創業者であるゴードン・E・ムーアが一九六五年に提唱した概念だ。
コンピュータの処理能力やメモリーチップの集積度が短期的に指数関数的に増えて半導体の集積率が十八ヶ月ごとに二倍になるとされる。
その経験則を人工知能開発に当て嵌めると、人知を超えた汎用型コンピュータが二〇四五年に登場している筈だった。
京太が小学校三年生の時、母と同棲していた男性が突然アパートから出て行った。
男に依存していた京太の母は家賃を払えないくらいに経済的に困窮した。精神が不安定になり、京太はネグレクト寸前の状態になった。
異変を察知したクラスの担任が学校と相談し児童相談所に連絡して、京太は養護院に一時的に保護された。
養護院の食堂の椅子に一人でぽつんと座っていた時、退屈しのぎに置かれた古いテレビのスイッチを入れた。たまたまテレビに映った映像を見たのがきっかけで汎用型コンピュータの存在を知り、興味を持った。
汎用型コンピュータへの興味は、小、中学校時代に苛められることの多かった京太にとって唯一の憧れとなり、開発に関わりたいという希望が生まれた。
それは、店の客に入れ上げて、度々家を空ける母との絶望的な生活の中で、明日を生きる唯一の原動力となった。
日本におけるAI研究の第一人者の山田一郎博士が籍を置く関東第一大学に十七歳で飛び級入学が決まった時、夢が現実になると京太は胸を躍らせた。
年上の同級生に混じって死に物狂いで勉強した京太は、十九歳で大学院に進んだ。
「本当かい?!宮尾君が僕の研究室に残ってくれるって!感激の極みだよ」
就職せずに大学に残ると報告しに来た京太を、山田博士は青白い細面の顔に弾けるような笑みを浮かべて出迎えた。
「君の頭脳に目を付けていたのは僕だけじゃないからね。国内外の企業から随分と引き合いが来ていたと随分耳にしていたよ。君は奨学金とアルバイトで生活費を賄っているんだろう?…経済的な事は大丈夫なのかい?」
最後は口を濁すように喋る山田に、京太はしっかりと頷いた。
「院の学費は大学から無償の奨学金を頂ける事になりましたので、自分の生活費だけ工面すれば何とかなります」
家庭の事情はあえて口にしなかった。
京太の母は肝臓癌が全身に転移して末期の状態にあった。本人も死期が近いのを悟っていて、残された僅かな時間を総合病院のホスピスのベッドの上で送っている。
「それに僕は山田先生の教えを仰ぎながらAIの研究をしたいんです。行く行くはムゲン開発の一端を担いたい。だから日本を離れるつもりはありません」
「…そうか」
京太の言葉に著しく感激した山田は、目にうっすらと涙を浮かべた。
「僕の研究室の他の学生達は、国外の大企業から高額な給与を提示されてね。君を除いた全員が日本を出て行ってしまうんだよ。頭脳流失は日本国家の損失なのだが、最先端の高度教育を受けた未来ある若者に、経済力の落ちたこの国に残れと強要するのは酷だしね」
それにさ、と、山田は自嘲気味に付け加えた。
「関東第一大学の理工系学部には、アメリカの企業から大量の資金がつぎ込まれている。今の日本には本当に金がない。だからアメリカ企業からの資金援助が止まれば、日本の最高学府と言われているこの大学ですら、すぐに経営破綻してしまう」
「研究成果を上げて特許取得できれば、少しは恩返しが出来るかも知れません」
はにかむように笑う京太の肩を、山田は涙を流してがっしと掴んだ。
「…本当に君は、苦学生の鏡だよ」
そんな経緯があって、京太は世界の頭脳がしのぎを削る過酷な開発競争に飛び込んだ。
山田の指導の下で、京太は寝食を惜しんで次世代型ブロードAIに搭載するニューラルネットワークシステムの研究に身を投じた。
その集大成としてアメリカの科学雑誌「サイエンス」に発表した共同論文が世界で注目されるまでになった。
論文がNASAの目に留まり、山田が大学からNASAに引き抜かれる事となった。
この事態に一番驚いたのは山田だった。
「何でNASAが僕を欲しがるの???宮尾君なら分かるけど。あ、そうだ!宮尾君も一緒にNASAに行こうよ。僕が推薦状を書けばばっちりOKじゃないか。ムゲンの開発研究機関も情報漏洩を防ぐという名目で、アメリカに移されることになっちゃったしさ」
変な日本語と共に両手でOKマークを作る山田に京太は承諾の相槌を打った。
NASAに就職できれば奨学金も楽に返済できるだろう。
母は一年前に鬼籍に入っていた。
(日本にはもう、何のしがらみもない)
やっと自由に羽ばたける時が来た。
京太はそう思っていた。




