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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第六章 エンド・ウォー
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国際宇宙ステーション

第六章のあらすじ

話はエンド・ウォー以前に遡る。

宇宙ステーションで汎用型人工知能ムゲンの研究をしていた宮尾京太は、大国間の宇宙戦争に巻き込まれて地上に戻れなくなってしまう。人工人格を備えた超知能AIムゲンは、開発者である京太を守ろうとするが…。

そして。

エンド・ウォー以後の世界では、ロシア軍の大戦車隊がオーストリア州ウィーンに侵攻を開始した。侵攻を阻止する為にウィーンへと応戦に向かったチームαはロシアの新兵器に苦戦を強いられる。

一方、モルドベアヌ山では、アメリカ軍基地に侵入して来たアシュケナジにユーリーが戦いを挑む。


「アロー。ファン、気分はどうだい?」


 相手は自分がパニックに陥らないように、わざと明るい口調で喋っているのだと分かっていた。それでも、能天気な言葉に少しむっとした。

 アシュケナジは息を整えてから、ゆっくりと返事をした。


「アロー。カルロ、そんなに悪くはないよ。だが、酸素が残り少なくなってきている」


「分かった。それ以上は喋らないでくれ。ファン、頑張れ。あと少しで救出班が到着する」


 アシュケナジは微かに頷くと、目の前に広がる漆黒の闇に視線を戻した。

 幼い頃の記憶の断片では、夜空はビロードを敷き詰めた美しい宝石箱だった。

 だが、今、目に映るのは、幼かった思い出とは無縁の極寒極まる真空だ。

 宇宙服に少しの異常でも生じれば直ちに死に至る無重力空間を、アシュケナジは一人で漂っていた。





「ラスベガスに行くんじゃなかったの?グランドキャニオンなんて聞いていない」


 父が中古で買ったホンダの後部座席で高校生の姉のふくれっ面が治らないのを、隣から上目遣いで見た。


「ファン!あんたがこんなものを、いつも大事に抱えているからよ」


 弟の視線に気付いた姉が、その手元から子供用の図鑑を毟り取って、母親が座っている前の座席の背もたれに叩き付けた。図鑑が姉の足元に落ちる。

 図鑑を拾おうとシートベルトを取り外そうとするファンを見て、母が姉を怒り出した。


「メアリ、いい加減にして。あなたは十七になるのよ。歳が十も離れた弟に不満をぶつけるなんて信じられないわ!グランドキャニオンに行くのは夏休み前から決めていた事でしょう?」


 母の怒った表情に、メアリが急いで図鑑を拾う。ごめんと呟いてファンに渡した。


「そうだけど、ちょっとくらいベガスに立ち寄ってくれたっていいじゃない。インスタグラムに動画をアップして友達に見せたいの」


「我が家にはベガスで遊ぶお金なんてないわよ。この旅行だって、父さんがどうしてもっていうから、何とかお金を捻出したんだから…」


 母が盛大に吐く溜息の音を、ファンは黙って聞いていた。


「ええ、分かっているわよ。我が家の小さな天才、ファン様の英才教育の一環で、グランドキャニオンの夜空を見せに行くんですものね。天才君の興味には、パパは何でも付き合ってあげるのよ。凡人に生まれた娘のささやかな願いなんかは、聞く耳持たないけどね」


 メアリが悔しそうに呟いて、青い目にうっすらと涙を浮かべる。

 娘の表情を見た母が眉を顰めて、無言で運転している父に向き直った。


「夜空を見るなら断然ハワイよね。ハワイ旅行に行けるんだったら、メアリだって文句は言わないでしょうよ。でも、家族四人の旅費はないし、もしそんなお金があってたしても、ダニー、あなたは自分と息子にしか興味がないから、どうせグランドキャニオン旅行になるのよ」


「帰りにベガスに立ち寄るよ。マギー、メアリ、それでいいだろう?」


 姉の文句と母の恨み節の合唱が始まる前に、父が短く言った。


 グランドキャニオン国立公園の近くにある古びたモーテルに到着したのは午後六時を過ぎた頃だった。

夕食を終えた後、父に連れられて高原の夜空を見に行った。

 その広大さに、ロサンゼルスのダウンタウンから見上げる夜空がどれだけ矮小なものか初めて知ったファンは、驚きを隠せなかった。


「お前の爺さんはNASAの宇宙飛行士だったんだ」


 星が煌めく夜空を一心に見上げるファンの頭を、父は優しく撫でた。


「ファン、お前はとても賢い。俺の能力では高校の教師が精一杯だったが、お前は俺の親父のように飛び抜けて頭が良い。必ず、お祖父さんのような偉大な人間になるんだぞ」


 小さな息子の横にしゃがみ込み、その華奢で薄い肩を大きな掌で包むと、父はファンを愛おし気に抱き寄せた。





 幼い頃に見たアリゾナの国立公園での夜空は壮絶だった。

 美しいと思うより先に、無限に広がる空間の果てには何があるのかという疑問が、先に頭に浮かんだ。


「ファン、宇宙へ行け。祖父(じい)さんのようにアメリカの英雄になれ」


 父の疲れた顔が、その言葉を繰り返す時だけ、生き生きと輝き出す。

 父は州立高校のうだつの上がらぬ物理の教師だった。

 大学で教鞭を取りたかったものの望み叶わず、あまりレベルの高くない高校で不本意な授業を毎年繰り返しているだけの先生と、生徒達から噂されていた。

 理想とは程遠い人生を送るしかなかった父は、劣等感に苛まれた心を息子で埋め合わせようと夢中だった。

 父の情熱は、肉体と精神と成長させていくアシュケナジに嫌悪感を抱かせた時期もあった。

 思春期特有の反抗心を露わにして父を拒絶することも出来た。

 だが、宇宙への崇高な興味が、父の低俗な欲求をただの雑音に変えてくれた。





 人の数倍の努力を積み重ねて、アシュケナジは宇宙飛行士になった。

 そして今、念願だった宇宙ステーションに滞在して早くも二ヶ月が経とうとしている。

 宇宙遊泳が一転して大惨事となったのが、一時間前。

 宇宙ステーションの修理作業していた仲間と共に、人工衛星から生じた宇宙ゴミ(デブリ)の直撃を食らったのだ。

 二人のクルーは、小さなデブリに宇宙服に穴を開けられて即死した。命綱が外れた一人の遺体は宇宙に投げ出され、あと一人は頭からアシュケナジに衝突して来た。

 死体に体当たりを食らってバランスを崩したアシュケナジは、修理をしていた作業アームの上から転落した。

 腰にある一本の命綱で、宇宙ステーションの端に辛うじて引っ掛かって浮遊している状態となった。ステーションの中でもトラブルが発生しているのか、カルロがもうすぐだと言った救助隊は、未だ姿を見せる気配もない。

 アシュケナジは手足を広げた状態で宇宙に浮いていた。

 真空の闇が広がる無限の世界に自分の命が拒絶されている現状を、ひしひしと肌で感じ取っている。

 頭がぼんやりとして瞼が重くなってきた。

 苦しい息の下で確認すると酸素の量が危険値を差している。


(俺はこのまま死ぬのか?)


 瞼が一層重くなる。アシュケナジは小さな溜息を付いた。


(ダメだ。死に抗わなくては…)


 必死でこじ開けたアシュケナジの目に、微かな白い光が映った。


(恒星が光っているのか…)


 この世の見納めとばかりに、アシュケナジは淡い光を眺めた。

 見つめている光が、次第に大きくなっていく驚いたアシュケナジは目を見開いた。


(なん、だ?)


 光が宇宙ステーションに向かって光が飛んで来る。

 アシュケナジのヘルメットから一メートルくらい前で停止した光に、アシュケナジは目を凝らした。

 ビー玉くらいの大きさの球体の中に白い光が点滅しながら踊っているように見える。


(酸素不足でとうとう幻覚が起きたか)


 あれが天使だとしたら、神様も粋な計らいをするものだ。

 死を覚悟したアシュケナジは球体をじっと凝視した。


(さあ、これ以上俺を苦しませないで、早くあの世へ連れて行ってくれ)


 光る球体に向かって、ゆっくりと手を伸ばす。

 触れたと思った瞬間、アシュケナジは指先に微弱な電流が流れた感触を覚えた。

 あっと叫ぶ暇もなく、白い輝きを放つ球体がアシュケナジの前で大きくスパークした。





 誰かに軽く頬を叩かれているのが分かった。

 両目を開けると、照明の強い光が顔に当たっていた。

 眩しさに目を細めると、自分の身体が仰向けに寝かされていているのに気が付いた。


「アシュケナジの意識が戻ったぞ!」


 歓声が上がるのを聞いて、アシュケナジは自分が事故から生還出来たと知った。


「良かったなあ、ファン。あと少し救助が遅れたら、お前、酸欠で死んでたぞ」


 ベッドから上体を起こしたアシュケナジに、カルロが抱き着く。


「どうしたんだ、ファン?」


 茫然とした顔で辺りを見回したアシュケナジはカルロを乱暴に振り払うと、腕から点滴を腕から毟り取って立ち上がると、金切り声で叫んだ。


「光は?あの球体は、どこに行った?!」




第六章の始まりです。

宜しくお願いします。

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