タイムアップ
フェンリルが目標を捉えた。巨大な飛行物体が、ヤガタに接近してくる。
ブラウン大尉の双眼鏡でもまだその姿を捉えてない筈だ。
ドラゴンだ。奴が来た。
「前方二十キロ上空で、目標物を探知しました。ドラゴンです」
ケイはブラウンに伝えた。
「来たか。奴はミサイルを携帯しているか?」
ケイの目がフェンリルを通して望遠赤外線センサーとなって、ドラゴンを探知する。
「翼の付け根の両側に、一基ずつ小型ミサイルが装着されているのが確認出来ます」
「了解した。こちらの砲撃隊の準備は出来ている。こちらの照合点にドラゴンが侵入したら、一斉射撃を開始する。ただ、前方三百メートルまでドラゴンが近づかないと、砲撃の威力は十分に発揮できない。射程距離に入るまでに、奴のミサイルを破壊して欲しい。コストナー、基地にミサイルを撃たせるな」
「分かりました!」
ブラウンとのやり取りの間にも、ドラゴンはヤガタに接近して来る。地上から一定の高度を保って、大きな翼で悠々と羽ばたいている。もはや、無数の弾丸で、その大きな体を包み隠すこともせず、己の姿を敵に躊躇なく晒している。
アウェイオン、カトボラと、苦も無く共和国連邦軍を撃滅させて来た怪物は、自分の前には脅威になる敵などいないと確信したのだろう。
「ドラゴンの周辺に、アウェイオンの時のような大量の弾丸が見当たりません」ケイはブラウンに報告した。
「弾丸の補充が間に合わなかったのか、それともヤガタ基地を破壊するのに、ミサイルだけで十分と思ったのか…。確かに我が軍はドラゴンが現れてから、まともな反撃が出来ていなかったからな。油断しているのなら、我々にはこの上ない朗報だ」
ケイは空を睨みつけた。そうだ、ドラゴンは油断し切っている。そして、あいつは生体スーツを、このフェンリルの存在を知らない。
ケイは、高い空の上を一直線に飛んでいるドラゴンに、ロケット砲を向けた。
「撃墜してやる!」
ドラゴンが、地上から銃口を向けているケイの生体スーツに気が付いたのと、ケイがロケット砲を発射させたのは殆んど同時だった。
地上から飛んでくるロケット弾を避けようと、ドラゴンが大きく羽ばたいて空中で巨体を急回転させる。
思わず目を瞠ってしまほどの軽業だ。虚を突かれて攻撃を受けたせいか、それともロケット砲の弾との距離が近すぎるのか、例の黒い弾丸を発射する事が出来ないようだ。
ドラゴン目掛けて垂直に飛んでいったロケット弾は、間一髪というところで避けられ、そのまま上空に消えるかと思えた。
が、すぐさま軌道を訂正して、再びターゲットを追撃しようとドラゴンに弾頭を向けた。
上空から襲ってくるロケット弾に向かってドラゴンがミサイルを一基発射した。空中で爆発が起こり、紅蓮の炎と黒煙が交錯するように青空を染めた。身体を押し潰されそうな爆風がスーツ襲う。
「やったぜ!」
ケイは思わず歓声を上げた。
ミサイルはあと一発だ。戦車級の巨大な銃口をドラゴンに向けて連射した。
多連装機関銃の威力は凄まじかった。ドラゴンが身を捩って銃撃から逃れようとするが、瞬時に照準を合わせてトリガーを引くフェンリルの攻撃からは逃げ切れない。
漆黒の体から弾丸の当たる鈍い音が響き、いくつもの破片が飛び取って、きらきらと輝きながら地面に落下した。
確実に当たっている。しかし余程頑丈な素材に守られているのか、いくら弾丸を撃ち浴びせても、ドラゴンは落ちてこない。
どんなに硬質な素材に守られていても、どこかに急所がある筈だ。
ケイはトリガーを引き続けた。大量の弾丸は、確実にドラゴンを苦しめているらしい。空中で苦し気にもがいたドラゴンが、翼を体に巻き付けた。そのまま体を回転させて上空に駆け上がる。
「あの体勢は…」
ケイの脳裏にアウェイオンで見た悪夢の光景が甦った。
大きく羽を広げたドラゴンから、爆発するように黒い弾丸が四方八方に弾き飛んだ。無数の弾がフェンリルを粉々にしようと襲い掛かる。フェンリルが完璧なリード射撃で防御するが、いつまで弾が持つか分からない。
「くそっ!」
「ドラゴンが砲撃隊の照準距離に入った」
ブラウンの声がイヤホンから響いた。
「攻撃を開始する!!」
ヤガタ基地から一斉攻撃が始まった。
基地を取り囲む戦車隊と、隙間なく並んだ対空砲火器から火が吹き、分厚い弾幕となってドラゴンを襲う。我が身を守ろうと、ケイを攻撃していたドラゴンの弾丸がヤガタの砲撃隊に方向を変えた。
ドラゴンの弾丸と味方の砲弾がぶつかり合い砕け散るのが雷鳴となって、ヤガタ基地の上空に鳴り響く。
ヤガタからの必死の攻撃を受けて、さすがのドラゴンも防戦一方になったようだ。
ドラゴンの弾丸を撃ち抜きながら、ケイはスーツに飛んでくるドラゴンの弾丸の数が減っていることに気が付いた。
基地からの猛攻撃に、ドラゴンはフェンリルへの攻撃が手薄になっているのに気が付いていない。
ケイは機関銃の弾倉を調べた。弾の残量が残り少なくなっている。ヤガタの砲撃隊だっていつまで持つか分からない。弾の補充が続かなければ、基地も自分も一巻の終わりだ。
生体スーツはどんな金属よりも優れているとボリスは言っていた。
(ならば、その強度に掛けてみよう)
ケイは防御の連射を止めて、機関銃をドラゴン本体に向けた。
フェンリルを打ち砕こうと、ドラゴンの弾丸が猛然と襲い掛かってくる。衝撃に耐えながら、ドラゴンの翼の上腕部分に向けて銃を撃ち続けた。
青い空の上、太陽の光を背にしたドラゴンの巨大な片翼から、破片が大量に弾け飛ぶのをケイは地上からはっきりと確認した。
砕け散ったガラス板のようにきらめきながら翼の欠片が地面に降ってくる。
空中で、ぐらりと、ドラゴンが傾いた。手傷を負ったドラゴンが翼を広げて素早く方向転換した。残り一基のミサイルが、真っ直ぐにケイに向けられている。
「今だ!」
ケイは機関銃のトリガーを引き絞った。ドラゴンが発射するより早く、フェンリルがミサイルを撃ち抜いた。
激しい爆発が起こって、ドラゴンのもう片方の翼が半分吹き飛んだ。双翼の機能を完全に失ったドラゴンが背を下に向けた格好で上空から落ちてくる。
ドラゴンが大地に叩き付けられる振動で、地面が揺れた。激しい土煙に一瞬視界が遮られる。
「な、何だ、こいつ?」
ケイは目を疑った。土煙の中から、巨体を丸めたドラゴンが大きく伸びをするようにして起き上がった。
フェンリルの銃にやられた翼は根元から破壊されていたが、鈍色に光る硬い材質で覆われた漆黒の身体に、大した損傷は見当たらない。逞しい後ろ足で立ち上がったドラゴンが、フェンリルを見下ろした。体高差は四メートルを超えそうだ。
「あんなに高い上空から落下して無傷って…こいつ、どれだけ頑丈に出来てんだよ!!」
ドラゴンが口を大きく開けた。ずらりと並んだ鋭い牙と、爛れたように赤黒い口腔の真ん中から太く長い舌を突き出して、ケイに向かって大きく咆哮した。
「鳴いた?こいつ、本当に機械なのか?」
鼓膜を劈き、身体を吹き飛ばされそうな大音響に暫し唖然として、ケイはドラゴンを見上げた。至近距離からの姿は、凶暴な大型肉食恐竜そのものだ。
アウェイオンでの惨劇がケイの脳裏に甦った。
血みどろのレリックを抱えてなす術もなくドラゴンを見上げた無力な自分。ドラゴンの胸に少女の小さな顔を見つけて、唖然としながら喉が張り裂けんばかりに叫び続けた。
薄茶色の髪と、大きな淡い瞳。戦域の空、目に染みる青い空から、天使が迎えに来てくれたのかと。
あれは、極限状態での恐怖が見せた幻想だったのだと、今更ながら納得する。
だって、フェンリルを纏って戦っている今、可憐な少女な顔はどこにもない。
「向きを変えろ、コストナー!その位置だと基地からの砲撃の巻き添えを食らうぞ!!」
ブラウンの怒鳴り声でケイは我に返った。ヤガタ基地を背にして、ドラゴンの盾になっている自分に気が付いた。ケイは機関銃のトリガーを引いた。
弾が出ない。ミサイルを撃ち抜いたのが最後の弾丸だったようだ。
ドラゴンは首を低く下げ、血のように赤い両眼を炯々と光らせてケイから離さない。喉元で低く唸り、後ろ足と同様の筋骨隆々とした前足の鋭い鉤爪をゆっくりと動かしている。
ドラゴンの放つ弾丸と同じ物質で出来ていれば、戦車の鋼鉄も引き裂く代物だ。隙あらばケイに襲い掛かってフェンリルを八つ裂きにする気だろう。
じりじりと間合いを詰めてくるドラゴンから逃れようと、ケイは後ろへと飛び退った。
ドラゴンの両肩から目にも止まらぬ速さで何かが飛び出した。
アウェイオンで連邦軍を壊滅させた弾丸だ。防御の態勢を整えて身を屈めた瞬間、凄い速さで地を這う物体をフェンリルの足元に襲い掛かった。センサーがドラゴンの武器だと認識するのと同時に右足首を恐ろしい力で引っ張られ、フェンリルは地面に叩き付けられた。
「うわっ!」
フェンリルの足に、一本の黒い管が巻き付いていた。
管はドラゴンの脇腹から突き出ていた。両肩からも何本もの長い管が飛び出ていて、空中で不気味にゆらゆらと揺れている。
(まるで触手だ)
振り解こうと足を動かすが、びくともしない。驚くほど強い力でフェンリルがドラゴンの方に引き摺られていく。
ケイは足に巻き付いている触手を引き千切ろうとして、両手で掴んだ。刹那、肩から伸びる数本が、フェンリルの首に飛びつくように巻き付いた。
「コストナー!」
ブラウンの声が聞こえるが言葉を返す余裕がない。フェンリルを宙に持ち上げた触手が、残酷に光るドラゴンの赤い目の前で、スーツの首をぎりぎりと絞める。
凄い力だった。生身ならとっくに首が捩じ切れているだろう。
フェンリルの人工神経線維が収縮してケイの身体を絞め付ける。
フェンリルが苦しんでいる。痛がっている。
(生体スーツって、生きているんだ。だから、こんなに苦痛を感じるんだな。そうだろ?フェンリル。俺も、すごく苦しいよ。くそっ、この触手から逃れる方法は…)
ケイの思考に、稲妻の如くフェンリルが反応した。
フェンリルの右腕が動いて、スーツの首から触手が切り離された。
フェンリルの腕から鋭利なブレードが突き出ているのを目の当たりにしたドラゴンの目が、大きく見開く。
ドラゴンのあらゆる場所から触手が音を立てて噴き出する。フェンリルを絞め殺そうと、四方八方から襲い掛かってきた。
巻き付いてくる黒い触手を片っ端から叩き切りながら地面に着地する。その瞬間を狙って再びフェンリルの足を捕らえようと縄の如く伸びてくる触手を、ケイは地面ごと切り裂いた。
「フェンリル、他の武器も出せ!こいつを殺す!」
フェンリルが左腿に素早く触れる。左手に拳銃が握られている感触を確かめるより早く、ドラゴン目掛けてトリガーを引く。
額を銃撃されたドラゴンの巨体がよろめいた。恐ろしい雄叫びを上げながら、ドラゴンがフェンリルに突進して来た。
「ケイ!チームαが出撃する!君は撤退しろ!!」耳元でミニシャの声がする。「退け!後はダガー達に任せるんだ」
「いや、まだです。まだ大丈夫」
ケイはドラゴンの頭部を破壊しようと眉間に狙いを定めて銃を連射した。黒い破片が飛び散る度に、ドラゴンの怒りの咆哮が悲鳴に近くなっていく。
「ケイ止めろ!時間切れだ!」
耳元で繰り返すミニシャの声が遠ざかって行き、イヤホンから何の音もしなくなった。
「まだだ。こいつを、殺ス!殺シテ、ドラゴンノ体ヲ、裂キサイテヤル!」
殺す、殺ス、コロス、コ・ロ・ス。
突然、ケイの目の前に無数の黒い線が落ちて来た。
「何だ?ドラゴンの新しい武器か?」
空になった弾倉を捨て、素早く装填する。動きの鈍くなったドラゴンに銃の引き金を引こうとして、指が動かないことにケイは気が付いた。
「あれ?」
引き金に掛けた指から急に力が抜けた。
「どうしたんだろう?」
だらりと腕が落ち、手から拳銃が滑り落ちる。
全身が弛緩し、酷く重く感じる。立っているだけで身体は全く動かない。目の前の黒い縦線が、瞬きを繰り返す度に増えていく。
視界を土砂降りのような線に塞がれて、ケイはドラゴンの姿を捉えることが出来なくなった。目の前が黒一色に塗り潰されて、もう何も見えない。
いや違う。遠くに何かが光っている。光はだんだん大きくなっていく。
眩しくて目を開けていられない。金色に輝く、二つの、光。
頭が破裂しそうな激しい痛みに突然ケイは襲われた。
激痛から逃れようと、ケイはきつく瞼を閉じた。
心臓の鼓動と連動しながら痛みが激しくなっていく。 全身から冷たい汗が噴き出した。足元がふらついて立っていられない。
あの金色の光が元凶だ。
ケイは痛みで開けられない瞼を無理やりこじ開けた。自分に真っ直ぐに注がれる光が、二つの眼だと分かった。
『コロセ』
瞳が喋った。
「何だって?」
『コロセ』
頭の中から声が響く。そうか、分かった。あの瞳は、あれは。
「フェンリル!!」
ケイは自分を見つめて離さない大きな瞳に、戦慄きながら叫んだ。
「お前が殺すのは俺じゃない!ドラゴンだ!ドラゴンを殺すんだ!」
金色の鋭い目が次第に大きくなっていく。光がケイの身体の全てを捕らえた。
瞳の真ん中にぽっかりと穴が開いてケイに迫ってくる。
光に開いた穴はドラゴンの口腔に似て赤黒く、無数の襞で覆われていた。
『コロセ』
「違う!ドラゴンだ!敵を倒すんだ!!」
ケイは全身の力を絞ってフェンリルに向かって絶叫し、その場に崩れ落ちた。




