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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第五章 武器を抱いて炎と踊れ
219/303

桜並木・1

アシュケナジを待ち受けるユーリーは、自分の少年時代を回想する。

プロシアの地にアメリカ軍のミサイルが迫っていた。


 目の前に広がるAR(拡張現実)の世界は圧巻だった。

 どこまでも続く満開の桜並木の道に、ユーリーは立っていた。


〖ソメイヨシノ。サクラの一種。オオシマサクラとエドヒガンの雑種…〗


 右から左へと流れていく画面下のテロップを消して、視野を埋め尽くす花に見入った。

 頭上高く伸びた枝から薄桃色の花びらがひらりひらりと舞い落ちる。

 実物と寸分違(すんぶんたが)わず再現された映像に息を飲む。その儚さを一片でも掴もうと、ユーリーは落ちてくる花びらに顔に向け、腕をまっすぐに伸ばして両手を開いた。

 薄い花弁はユーリーの掌に行く手を阻まれて消えたと思うと、すぐに手の甲から現れた。

 花弁を追って下を見ると、道は桜色でびっしりと敷き詰められている。


「僕、こんなに綺麗な風景、初めて見ました」


 ユーリーは自分の後ろに立っている男を振り向いた。

 感動で頬を赤く染めながら目を輝かせるユーリーに、男は苦虫を潰した表情をした。


「くだらん。お前にこんなものを見せるつもりはなかった。どこから紛れ込んだやら」


 アシュケナジが指をぱちんと鳴らすと桜は消え、辺りは闇に包まれた。


「今は計算機科学の授業だ。核酸(かくさん)の構成成分となるヌクレオシドを表示した。この化合物の分子構造を立体化してコンピュータでシュミレーションしてみろ」

 アシュケナジが命令と共に、もう一度指を鳴らす。ユーリーの目に映ったのは、白い空間に漂うアルファベットの無機質な記号だった。

 ユーリーは指をスクロールさせて、四方八方に浮かんでいる記号を一つ一つ結合させていった。

 宙に浮かぶ記号が、次第に得体の知れない虫に見えてきた。虫になった記号が目の前で(うごめ)き出す。

 自分の目に飛び込んでくる感覚に襲われたユーリーは、脳の視覚野と接続する為に微弱な電流を流す接着型コードをこめかみから(むし)り取るとゴーグルを頭から外した。

 それから少し険しい表情を作って、アシュケナジの顔を上目遣いに仰ぎ見た。

 美しいと思ったものをくだらないと言われて、とても悔しかった。

 だから、ほんのちょっと抵抗して見せたのだ。

 黒いゴーグルをつけたままのアシュケナジの顔がユーリーに向いた。

 ゴーグルで表情は分からない。

 だが、薄い唇が、さっきよりもきつく引き攣れたように結ばれているように見える。

 アシュケナジの機嫌をかなり(そこ)ねたと分かって、ユーリーは恐ろしくなった。


「桜の花は…とても…綺麗だと、思いました。あれは、下らない映像じゃない」


 緊張で言葉が上手く出てこない。

 それでもユーリーは何とか反論した。自分の気持ちをアシュケナジに伝えたかった。

 美しさに感動した己の心を。

 ゴーグルを額の上へとスライドさせたアシュケナジは、自分の前で立ち竦んでいる少年に、ぞっとするほど冷たい声で言い放った。 


「そうか。桜が美しいと感じたのか」


 この私がもっとも()み嫌う土地に咲く花を、私の分身であるお前が愛でるのか、と。


「ならば、ユーリー、お前は、私が最も必要とする資質を受け継いで生まれてこなかったという事になるな」


 アシュケナジは怒りを含んだ溜息と共に、衝撃の言葉を吐き出した。


「お前は、失敗作だ」





 第四ハッチはアメリカ軍の要塞となるモルドベアヌ山の後ろに連なった峰の絶壁に作られている。

 基地中央の主要通路から最も遠く、一般住民の居住区からも離れていた。

 人の住んでいないロシア領の僻地(へきち)に向かって、たまにドローン偵察隊を飛ばすくらいしか利用することがない。


(そんな場所から侵入して、アシュケナジはどこに行くつもりなんだ?)


 ふいに逆説的な考えがユーリーの頭に浮かんだ。


(もしかして、アメリが軍が殆んど利用しないのを知っていて、このハッチを選んだのか?)


 だとしたら、アシュケナジの狙いは何なのだろう。

 ユーリーはタブレットの片面に映る赤い点滅を目で追いながら、もう片面に指を踊らせて、モルドベアヌ基地の内部を全て表記させて隈なく検索した。

 アシュケナジに攻撃されそうな基地の中枢や武器格納庫には、二足走行兵器や人パイロットが操縦する機械兵器を幾重にも配置させ、鉄壁(てっぺき)の守りを固めてある。

 プロシア軍の生体スーツによって電源を失った居住地区には住民はいない。

 通路は全て閉じたあるので軍隊を送る必要はないだろう。

 アシュケナジも居住地区に用はないようだ。時折(ときおり)監視カメラに映る姿は、ひたすらユーリーのいる通路へと向かっている。


(奴め。俺に用があって、この進路を取るのか。それとも、ただの偶然か)


 アシュケナジの姿が見えるまであと少し。

 ユーリーは装着したパワードスーツの胸を開いて内側にタブレットを差し込むと、ヘルメットのフェイスシールドを下ろした。二足走行兵器を左右に並ばせて戦闘態勢に入った。





「お前は、私の、ガグル社の後継者にはなれない」


 アシュケナジに廃嫡を宣言された少年ユーリーの絶望は、その瞬間から始まった。

 ガグル社は会社と名の付いた帝国だ。

 しかも、ヨーロッパ大陸にある殆んどの国を、農業、工業、その他あらゆる分野の基礎的技術、もちろん戦争に使う兵器をも有償で支援して、大金を稼いでいる。

 どれほど巨大な企業になろうとも、政治には一切介入せずに会社の利益を追求する。

 これこそが、最終戦争後の世界にガグル社が見出した存在理念だった。

 暴政(ぼうせい)の果てに国力が衰え国民が飢えても、反乱を起こした一般市民が独裁者に虐殺されても、革命が成し遂げられた国の王族や貴族が年寄から幼子まで銃殺刑になっても、どの国家よりも力のあるガグル社が干渉することはなかった。

 勝った者とビジネスを行い、使う当てのない内部留保(ないぶりゅうほ)を積み上げる。

 ただそれだけ。恐ろしく単純なルールだ。

 それは会社の内部でも同じだった。

 無数の胚から生まれてくる人間は、ガグル社に必要な人材だけが生き残り正社員となる。

 ある意味、大自然と同じ生存競争の原理が働いているのだ。

 そこに、アシュケナジの飼い猫だったユーリーが投げ込まれた。

 過酷すぎる環境に、心身ともに廃人となって処分されるのも時間の問題。

 誰もがそう思った。

 ユーリーの死体は実験材料として細切れにされるか、有機アンモニアや窒素化合物、骨粉(こっぷん)などに加工されて穀物の肥料にでもなるのだろうと。


「だが、俺は、生き残った」


 幸運なことに、自分の近くにニコラスがいた。

 そして、バートンも。


「あの二人と出会えたから、俺は生き残れた」


 ユーリーは機関銃を構えた。

 ゆったりとしたローブをマントに変えたアシュケナジが猛スピードで通路を走って来る。

 マントが後ろに棚引いて、アシュケナジのパワードスーツが全容を現した。

 あれは十年前にバートンがアシュケナジの為に開発した超一級品だと思い出した。恐らく、改良を重ねているだろう。

 アシュケナジの顔を覆うフェイスシールドを睨み付けた。

 複合構造強で幾層にもなっているフェイスシールドが鈍色(にびいろ)に反射して、アシュケナジの顔は見えない。


「行け。奴を殺せ」


 ユーリーの両脇に待機していた二足兵器が前方に飛び出して、マシンガンを掃射した。





「アメリカ軍のミサイルだと!」


 戦闘車のモニターに映る映像にブラウンが顔を近付けた。

 確かに数基の飛翔体がプロシア目掛けて飛んで来る。ブラウンはイヤホンに指を当ててダガーに連絡を取った。


「高度千メートル上空をアメリカ軍の音速ミサイルが数基、プロシアに向かっている。着弾地点をスーツで解析してくれ」


 了解ですとの返事の後、数秒経ってから、ダガーから解析結果の報告がきた。


「中佐、レーダーに映っているのはミサイルではありません。レーザー誘導弾です。あれを目標物に先に撃ち込んでから、ミサイル本体を誘導させて、攻撃対象物をピンポイントで確実に破壊するようです」


「だったら、誘導弾の後ろからミサイルが付いて来るはずだが。何故、戦闘車のレーダーに映らない?スーツのレーダーはどうだ?こっちのより、遥かに高性能だ」


 期待を込めたが、ブラウンに返って来たのはダガーからの悔し気な応答だった。


「リンクスのレーダーにはミサイルの本体を捕捉することが出来ませんでした。他のスーツも同様です」


「そうか」


 思案気に腕を組んだブラウンに、ヘーゲルシュタインがぼそりと言った。


「中佐、もしかしたら、アメリカの放ったミサイルにはステルス機能が付いているのではないか?」


「恐らくそうでしょう。だとすると、アメリカ軍のミサイルがプロシア上空に現れたところを、ガグル社に狙い撃ちして貰うしかありません。この戦闘は、我々の領域を完全に超えてしまっています」


「全てガグル社頼みという事か。しかし、この戦争はまるで…」


 口に出すと兵士の戦意を削ぐことになると思ったのか、ヘーゲルシュタインはそこで口を閉じてしまった。


(少将閣下、私には貴方の言いたいことが手に取るように分かりますよ)


 渋い表情でモニターを見るヘーゲルシュタインから視線を外して、ブラウンは彼の言葉を心の中で継いだ。


(エンド・ウォーの再来だと言いたかったのですね。私も同意見だ。連邦軍とロシア軍は、ガグル社とアメリカ軍の戦闘に挟まれて右往左往する哀れな子羊でしかない)


 イヤホンから聞こえたハナの鋭い声に、ブラウンは、はっとして面を上げた。


「中佐、南緯(なんい)16度から超低空飛行で飛翔するアメリカ軍のミサイルを、スーツの人工眼が捉えました!我が隊から五キロメートルの距離に迫っています」


「超低空飛行だと?!」


 戦闘車のタラップを上がると、ブラウンは天井のハッチから上半身を乗り出した。双眼鏡(ビノクラー)を両目に当てる。

 建物や樹木などの障害物を避けながら、地表すれすれを飛ぶミサイルの姿が、双眼鏡に飛び込んできた。



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