ユーリー出撃
生体スーツ、Gー1に乗ったアシュケナジが、モルドベアヌ基地に迫っていた。
ユーリーはアメリカ軍の全権をニコラスに託し、アシュケナジを迎え撃つ決心をする。
「何故、奴がここにいる?!」
画面に顔を擦り付けるように近づけて、モニターの中のアシュケナジを睨み付けた。
アシュケナジがモニターに映ったのは一瞬で、すぐに針葉樹の幹に隠れて見えなくなった。
小さな木は巨体で薙ぎ倒し、大木であればその脇をしなやかにすり抜けていく。
時速六十キロの速さを保ちながら走るスーツに、空を飛ぶのに特化した鷹ドローンで追跡するのが難しくなってきた。長い翼を木の枝に引っ掛けそうになるからだ。
ユーリーは生体ドローンを操作して、森の上へと上昇させた。
鷹ドローンを生体スーツの真上で飛行するように固定し、腹に装置されているカメラでアシュケナジに焦点を当てて、一気にクローズアップする。
生体スーツの太い首に軽く手を添えるようにしたアシュケナジが、纏ったローブの裾を風にたなびかせながら、生体スーツの肩の上に立っていた。
「アシュケナジめ。ローブの下にパワードスーツを装着しているな」
ユーリーは、白いローブをしっかりと身体に巻き付けたアシュケナジをモニター越しに睨み付けた。
自分の頭の上をアメリカ軍のドローンが追跡しているのはとっくに気付いているのだろう。
ドローンのカメラを通常のものから赤外線カメラに変えてパワードスーツのフォルムを確認しようとしたが、ローブに金属を線維化したものが織り込んであるのか、何も写らない。
突然、アシュケナジが上を向いた。
自分を追って来るドローンを見つめながら、余裕の笑みを浮かべた。
「奴め、俺を挑発しているのか?」
自分が最も嫌悪する表情を見せつけられて、ユーリーは危うくモニター画面を力一杯殴り付けるところだった。
「せ、生体スーツがモルドベアヌに向かってきている」
背後から怯えた声がした。振り向くと、ユーリーに席を奪われた若い兵士が、自分の背中に縋りつくようにしてモニターを覗き込んでいた。
「どうしよう。これ以上破壊されてしまったら、基地が機能しなくなる」
ユーリーは後ろにいる兵士の肩を掴んで自分の脇に立たせた。兵士の顔は蒼白で、呼吸も荒くなっている。
(まずいぞ。こいつ、戦意喪失している)
兵士の顔を見てユーリーは舌打ちした。
生体スーツに自国軍の機械兵器がいとも簡単に破壊されていく映像に、若い兵士の心に恐怖が刷り込まれてしまったようだ。
(仕方ないな。俺だって、バートンが機械兵器もろとも爆死したショックから冷めていないんだ)
だからと言って、兵士の恐怖が他の兵士に伝播したら、指令室は目も当てられなくなる。
(アシュケナジを前にして、アメリカ軍が総崩れになるのだけはご免だ)
ユーリーは立ち竦んでいる兵士をモニター前の椅子に座らせると、そっと耳打ちした。
「安心しろ。俺が奴を倒す」
「ええっ!副司令官殿がですか?一体、どうやって…」
兵士が呆れた顔でユーリーを見た。
「いいか、よく聞け。デビル・ドッグ、サイボーグ部隊のスペアボディを戦闘用パワードスーツに改造した。それを装着してスーツを迎え撃つ」
パワードスーツと聞いて少しは希望が持てたのか、青かった兵士の顔に赤みが差した。
「敵は一体だ。お前は、生体スーツとスーツの上に乗っている人間を監視カメラで追跡して、俺に逐一報告しろ。奴らを絶対見失うな」
「イエス・ゼネラル!」
兵士が椅子から立ち上がって敬礼する。ユーリーは踵を返すと、副司令官の席に寄り掛かっているニコラスに大股で歩み寄った。
「どうしたんだ?」
ニコラスは、恐ろしい形相をして近づいてくるユーリーにぎょっとしながらも、落ち着いた声で問うた。
「アシュケナジを乗せたスーツがモルドベアヌ基地に接近している」
手短に説明した後、ユーリーはニコラスが驚きのあまり叫び出そうと開きかけた口を、己の掌で素早く押さえた。
「俺はマクドナルドのパワードスーツで、奴と一戦交えるつもりだ。ニコラス、お前は俺に代わって、指令室で作戦の指揮を執れ」
「ええっ、ちょっと待ってよ!無理だよ、僕に戦闘の指揮なんか…」
執れないと、辺り構わず叫びそうなニコラスの口を、ユーリーは再び手で押えた。
「ニコラス、忘れたとは言わせないぞ。俺達はガキの頃から学業とは別に、武器の扱いと戦闘指揮の基礎をガグル社から叩き込まれている事を。今、お前が俺の前に立っているのは、ガグル社の厳しい審査に合格したからだ」
そう言ってユーリーはニコラスの口から手を外した。その手をニコラスの肩に持っていき、軽く揺さぶる。
「そうじゃなければ、お前のこの身体はガグル社社員不適格者として、とっくに処分されているはずだからな」
「そうだったね。会社で戦闘的非常事態が起きたら、ガグル社の研究員はいつでも兵士に早変わりするんだったっけ。特にヒラ研究員は消耗品だからね」
俯いて自虐的に笑うニコラスの顔を、ユーリーが下から覗き込んだ。
「指揮が嫌だと言うなら、お前がパワードスーツを着てアシュケナジと戦うか?」
「君は本当にずるい言い方をする。僕がアシュケナジに敵うはずないじゃないか」
(あと三分もすれば全てが決着する。そう思った矢先に、こんな受難が待ち受けているなんて…)
両肩を少しばかり上げ下げしてから、ニコラスは中央モニターを見た。
モルドベアヌから放たれたミサイルは座標から外れくことなく正確に飛んでいる。
「ユーリー、本当に僕でいいんだね?」
「ああ。お前にアメリカ軍の全指揮を委ねる」
煌々と光る藍色の目でニコラスに強い視線を送ってから、ユーリーは広い指令室に大きな声で命令を放った。
「聞け!所属不明のスーツが一体、モルドベアヌ基地に接近している」
指令室に低いどよめきが起きる。ユーリーは表情を引き締めて兵士を見渡した。
「敵かどうか確認する為に、俺がパワードスーツを装着して出動する。よって、今から我が片腕であるニコラス・スタングレイが、副司令官として俺の代理を務める事となる。皆、彼に忠誠を誓え!」
「了解しました!」
兵士達が迷うことなく返答する。彼らがユーリーに向ける瞳には、畏敬の念が溢れていた。
(これは…)
執務室から殆んど姿を現すことのないウォーカーから、モルドベアヌ基地の支配権がユーリーに移っていたのを、この時ニコラスは悟った。
(ならば、僕も腹を括るよ)
「分かった。ここは任せてくれ。ユーリー、君はアシュケナジを必ず倒すんだぞ」
ニコラスが別人のように表情を引き締めたのを見て、ユーリーは目を見張った。
それから、うっすらと口角を上げてニコラスを見つめ、深々と頷いた。
「行って来る」
それだけ言い残すと、ユーリーは指令室を飛び出して行った。
「上空からアメリカ軍の鷹型ドローンが追跡して来ます」
チンパンジー型生体スーツG-1の操縦者、ブラン・オーリクから通信が入ったので、アシュケナジは顔を上に向けた。
確かに、針葉樹の枝の重なる隙間から、茶色い鳥が忙しく羽ばたくのが見え隠れしている。
アシュケナジは、右目の目尻近くの眼窩を一回、軽く押した。
上瞼の内側から望遠レンズが下りてきて眼球を覆い、鷹の姿を大写しにした。目尻をもう二回押すと、生体ドローンの腹に仕込まれたカメラが赤外線を放つのを捉えた。
「パワードスーツの装備に探りを入れてきたか。どうやら、ガグル社からの逃亡した者が、アメリカ軍の指揮系統にいるようだな。ドローンの操作を見れば分かる」
アシュケナジはにやりと笑って、ドローンのカメラを眺めた。
「どうします。破壊しますか?」
「構わん。そのまま追跡させておけ」
「はっ」
G-1は偵察機に目もくれずに広大な針葉樹森を抜けると、モルドベアヌ山の袂を一気に駆け上がった。
リンクス達がアメリカ軍のレーダーに捕捉されるのを恐れて急峻な絶壁をよじ登ったのとは対照的に、起伏の少ない中腹からアメリカ基地を目指す。
起伏が少ないとは言っても、崖と谷が交互に現れる険しい山脈には戦車や戦闘車を配置するのは不可能だ。
そして、山の全ての岩肌に自動小銃やレーザー銃を備え付けるのも。
恐らく、一番厄介なのは攻撃用ドローンだろう。しかし、まだ、アシュケナジのレーダーにその陰影は現れていない。
「二百メートル前方に機械兵器を発見」
G-1の報告を受けて、アシュケナジは右目に装着している望遠レンズをレーダー探知に切り替えた。
岩肌のくぼみに身を潜ませた機械兵器がこちらにロケットランチャーを向けて待機している。
「オーリク曹長。G-1で、あいつを谷底に落としてやれ。武器を使わずにな」
アシュケナジは命令を下すと、G―1の肩から近くの岩に飛び移った。
「了解しました。アメリカ軍に、野生のサルの人工脳を持つ生体スーツの恐ろしさを、嫌と言うほど分からせてやります」
オーリクはアシュケナジの意図を即座に理解して、G―1を崖から岩肌へと跳躍させた。




