雲の上の戦い
空中でニドホグとガグル社のミサイル戦が繰り広げられる。
ベルリンに向かおうとしていたブラウン一行に、新たな脅威が迫る。
「閣下、よくぞご無事で」
ヘーゲルシュタインが草地に足を投げ出して座る正面で、ブラウンは胸に右手を当ててうやうやしく敬礼した。
「うむ、何とかな。横倒しになった機材に身体を挟まれて全く身動きが取れなかった。この者が小銃でドアをぶち破らなかったら、もう少しで圧死していたところだったぞ」
ヘーゲルシュタインは乱れた軍服を直しながらマディに目をやった。
マディは大柄のヘーゲルシュタインを救助するのに力を使い果たしたらしく、疲れた様子で地面に胡坐を掻いて座っている。
「基地の管制室はシェルターになっていたのだが、頭上にミサイルを食らったせいで激しい揺れに襲われた。爆発の衝撃が予想以上に大きくて、瞬時にシステムダウンした」
「それで、管制室の兵士達は…」
ヘーゲルシュタインは険しい表情になって押し黙った。その様子に、ブラウンは最悪の事態が起こったのだと察知した。
「中佐、少将閣下の他に生き残った兵士達はいませんでした。管制室の中で全員死亡しています」
地面から立ち上がったマディが、ヘーゲルシュタインの代わりに重い口調で報告した。
「壁に所狭しと並べてあったミサイル制御装置の大型機材が爆発の衝撃で横倒しになって、兵士が押し潰されたのだ。狭い室内に逃げ場はなかった。神の御加護なのか、悪魔の気まぐれなのかは知らんが、私だけが奇跡的に死なずに済んだって話さ」
ヘーゲルシュタインは唇を捻じ曲げるようにして微笑んだ。
脇腹を手で押さえるしぐさに、ブラウンは眉を顰めた。息遣いも苦しそうだ。口元が歪んでいるのは、笑っているのではなくて、痛みを堪えているからだと分かった。
「閣下、もしや、お怪我をされているのではないですか」
心配して尋ねるブラウンに、ヘーゲルシュタインは即座に否定した。
「案ずるな。ちょっとした打撲だ。それよりも中佐、チームαをすぐにベルリンに向かわせろ。プロシアの首都がロシアのミサイル攻撃で陥落するのを、絶対に阻止せねばならん」
「閣下、スーツの武器は機関銃だけです。銃弾も残り少なくなっている。武器を補充しないと、ミサイルを撃ち落とせません」
思わぬ窮状を聞いて、ヘーゲルシュタインはブラウンを睨み付けた。
「スーツの火力が足りないだと?一体どういうことだ、ウェルク・ブラウン中佐!駆け出しの将校でもそんな失態はせんぞ!」
頼みのスーツに武器がないと聞かされて、ヘーゲルシュタインは珍しく顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。
「申し訳ありません」
ミサイル戦は全くの想定外だし、上層部の立てた極秘作戦が失敗したのは私の責任ではありません。そう言いたいのを堪えて、ブラウンは深々と頭を下げた。
謝ったところで事態は変わらない。既にヤガタ基地へと生体ドローンは飛ばしてある。生体ドローンの無線を傍受すれば、ミニシャはすぐにノイシュタットに向けてスーツ用の重火器を輸送してくれるだろう。
(そうなると、どんなに早く見積もっても、武器が届くのは二時間後か。いや、待てよ)
現在、ガグル社が発射した大型ミサイルがリボフ基地に向かっている。
(迎撃ミサイルでは埒が明かないと攻撃に転じたか。あの大型ミサイルがリボフに直撃すれば、ひとまず勝敗はつく。今はあのミサイルに我々の命運をかけるしかないな)
祈るように空を見上げたブラウンのイヤホンに、ダガーから通信が入った。
「中佐、プロシア上空にドラゴンが現れました」
「何だと!」
ブラウンは急いで戦闘車に戻り、ドラゴンの進路をモニターパネルで確認した。画面の中で赤く光る点滅が、矢印で描かれたガグル社のミサイルに急速接近するのが表示された。
巨大な翼を大きく羽ばたかせたニドホグは、高度九千メートル上空まで一気に垂直飛翔した。
空気は薄く、雲は遥か下にある。山も川も木々の緑も、それから戦争で破壊された街の傷跡も、全て平面にしか見えなくなった。
「行くよ、ニドホグ!」
フィオナの掛け声のもと、ニドホグが急降下を開始した。目標はガグル社の大型ミサイルだ。
全身を翼でしっかりと包むと、ニドホグの身体は先の尖った隕石となった。
ミサイル目掛けて落下速度を徐々に上げる。時速五百キロメートルを超えるスピードで、己の身体をミサイルの胴体に激突させた。
真っ二つに折られたミサイルは瞬く間に大爆発した。
無数の残骸が紅蓮の炎と黒煙を吐き出しながら、雲を突き破り、大地の上へと落ちていく。
ニドホグが翼を広げて滑るように滑空しながらその光景を眺めていると、西の空から円筒形の物体が現れた。これもかなりの大型だ。
「また来たよ。ニドホグ、あのミサイルも撃墜して」
ニドホグは一声鳴くと、さっきと同じように空を上昇しようとした。
「ニドホグ、待って!」
フィオナの叫びにニドホグが上昇を止めた。目に映ったのは大型ミサイルの後ろからニドホグに向かって飛んで来る迎撃ミサイルだった。
ミサイルは小型だが、音速に近いスピードで、それも複数だ。
迎撃ミサイルはすぐに大型ミサイルを追い越してニドホグに迫って来た。ニドホグが空を急上昇するとミサイルも後を追って来る。
「追尾式ミサイルね。あれのターゲットはニドホグか」
フィオナは声を高くして叫んだ。
「お前達、ミサイルを破壊して!」
フィオナの声に反応した弾丸が、ニドホグの背中から離れて後方へと飛び出した。
身体をドリルのように回転させながら迎撃ミサイルに襲い掛かる。弾頭部分に穴を穿たれたミサイルが爆発して粉々に砕け飛んだ。
「また来る!」
迎撃ミサイルを全滅させたのも束の間、ニドホグに第二弾が迫っていた。
「行け!お前達!」
フィオナが声を張り上げた。少女の細い喉から驚くような高音が発する。
弾丸は銃口から発射された銃弾のように迎撃ミサイルに向かって一直線に突っ込んで行く。いくつもの爆炎が高い空に立ち上り、消えていった。
「しまった。ニドホグ、あれを見て」
ニドホグがフィオナの示す方向に首を曲げた。
迎撃ミサイルを破壊している間に、大型ミサイルはウィーン上空を越えていた。
「あと少しで大型ミサイルがウクライナに到達する。ニドホグ、早くあいつを始末して」
「グアアルルル!」
ニドホグは咆哮すると、両翼を素早く羽ばたかせてミサイルを追い掛けた。
息を飲んでパネルを凝視していると、レーダーからドラゴンが消えた。
「どうなっている?」
ブラウンが通信兵に尋ねる。
「大型ミサイルの発信を、レーダー探知できなくなりました。ミサイルが撃ち落とされたた可能性があります」
通信兵の言葉の後に、空から聞き慣れた轟音が降ってきた。ブラウンが戦闘車の天井のハッチから顔を出して空を仰ぐと、雲が赤黒い色に染まっている。
タラップを降り、戦闘車の中に戻ってレーダーを見ると、ミサイル消滅の文字が浮かび上がっていた。
「やられました」
戦闘車の操縦士が無念そうに肩を落とした。
「いや、まだ終わっていない。見ろ」
ブラウンは戦闘車に備え付けられたモニターパネルを指差した。左端に再び白い光が灯っている。
「ガグル社が新しいミサイルを発射したぞ」
兵士達が息を詰めるようにしてモニターを凝視していると、白い光がいくつにも分裂した。
放射状の線が向かう先は、巨大生命兵器のドラゴンだ。
「奴に一発でも食らわせられればいいのだが」
思いも虚しく、全部の迎撃ミサイルがレーダーから消滅した。
「また全滅か」
通信兵が悔し気に呟く。その横に立ってモニターから目を離さないブラウンは、自分の後ろで兵に緊張が走るのを感じた。
振り向くと、戦闘車の後方ハッチから、ヘーゲルシュタインがマディに肩を支えられるようにして入って来た。ブラウンは自分の上官に急いで敬礼した。
「中佐、状況を報告せよ」
いつもの威厳のある声に苦し気な息が混じるのを、ブラウンは聞き逃さなかった。
だが、今、それを案じれば、ヘーゲルシュタインはさっきと同じく烈火の如く怒り出すだろう。
「リボフ基地に向かうガグル社の大型ミサイルがドラゴンに爆破されました。ガグル社はドラゴンを倒す為に迎撃ミサイルを数基発射しましたが、それも全て破壊されました」
「そうか。我が軍にとってあまり良い状況ではないが、ガグル社が参戦したからには、ロシア軍への攻撃の手を止めることはないだろう。我々は予定通り、ベルリンへ向かう。すぐに準備せよ」
ヘーゲルシュタインの号令に、戦闘車の中の兵士が一斉に敬礼した。
「全隊、ベルリンに進路を取る。急げ!」
ブラウンは部下達に命令を下した。
エリカ達親子が非難しているアムシュッテンを思うと後ろ髪を引かれる思いだが、ロシア軍戦車隊の侵攻は抑えた。多くの戦車を失った敵軍は、これ以上自国の兵士の血を流すことはないだろう。
(念のためにスーツを二体残しておくか)
生体スーツの凄まじい攻撃を受けて命からがら撤退したロシア軍戦車隊が、再びウィーンの地に踏み入ることはないだろうが、万が一という事もある。
「ロウチ伍長とコックス二等兵は、この地に残ってウィーン近辺を警護せよ。他のスーツ隊は残存する戦車、戦闘車と共にベルリンに直行する」
イヤホンの無線で命令を出すブラウンに、モニターの前に座っている通信兵が青い顔で叫んだ。
「ガグル社からミサイルが発射された模様です。ロシア軍からも、複数のミサイルを発射されたのを確認しました。双方ともかなりの数です!」
やはりヘーゲルシュタインの言った通り、ガグル社はリボフ基地の破壊を諦めていないようだ。
「そうか。雲の上でのミサイル戦に我々の出る幕はない。ガグル社に任せよう。急ぐぞ」
そう言い捨てて進軍の指揮を執ろうとするブラウンに、通信兵が追い縋るように金切り声を上げた。
「中佐!東南、五時の方向に未確認飛翔体複数発見。恐らく、アメリカ軍のミサイルです!!」
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