戦闘開始
スーツが急上昇し、ケイの身体に重力が圧し掛かる。
内臓が圧迫される苦痛に堪えようと、腹に力を入れたのも束の間、ふわりと身体が軽くなった。目前に大空が広がる。ゼロ・ドックから地上に吐き出されて、宙を舞っているのが分かった。
無意識のままケイは身体を捻った。空中で大きく一回転させてから、両足の膝を折り曲げて地面に着地した。
地面を見下ろすと、足が地面にめり込んでいる。かなりの高さから落下したのに、身体に感じる衝撃は少なかった。スーツとリンクして動く自分の手足に、何の違和感もない。
驚きと躍動感がケイを包み、思わず武者震いが起きる。
(凄い。これが生体スーツか)
「コストナー、敵の動向はどうだ?」
耳元でブラウンの声がはっきりと聞こえる。ヤガタ基地を背にして立ち、ケイはぐるりと辺りを見渡した。人間の肉眼ではおよそ届くはずのない遥か遠方を、いとも簡単にスーツは捉えている。が、まだ何も映らない。空を見上げても、雲が流れていくばかりだ。
「目視では、まだ何も確認できません」
「耳を澄ませてご覧。生体スーツは並外れた聴力を持っている。何か聞こえるかもしれない」
「了解しました」
ケイは自分の耳に神経を集中させた。
基地の徹底守備を固める戦車のキャタピラ音。防衛準備に必死な砲撃隊の兵士の怒声。鳥の鳴き声。虫の羽音。ヤガタを吹き抜ける風まで、あらゆる音がケイの鼓膜を震わせる。
その中から今まで聞いたことのない、変則的な機械音が微かに響く。音の方向にケイは顔を向けた。
「僅かですが、テミショア方面から機械音を捉えました」
「来たか。恐らく二足走行兵器だ。君は見たことがあるね」
「はい」
アウェイオンでダガー隊の一斉射撃を受け、ばらばらになった機械兵器を思い出して、ケイの身体に緊張が走った。
「ケイ。私だ、ボリスだ」
ハスキーだが意外と甲高い声がイヤホンを通してケイの耳に響く。
「フェンリルは一度、二足走行兵器と戦った経験がある。彼は二足兵器を見れば敵とみなして戦闘モードに入る。君はフェンリルに身を任せて、スーツの動かし方を身体に叩き込め!」
「分かりました」
カチャリ、カチャリと微かに聞こえていた音は、ミニシャとの会話の間に大地をざくざくと踏みしめる重い金属音に変化していた。はっきりと姿が見える。双眼鏡でその姿を確認したらしい味方の兵士達の切迫した騒めきが、ケイの背後から湧き上がる。
「すげえ」
ケイは喉を鳴らして唾を飲み込んだ。
複数の二足兵器が走行して来る。その数八体。戦車とは違う機械音が威圧感を伴って辺りに響く。
攻撃目標のヤガタ基地の前に立ちはだかるケイに気付いたらしく、生体スーツを遠巻きに取り囲むようにして足を止めた。アウェイオンで見たものより一回り以上大きな走行兵器だ。
ヴゥン。
ケイの脳内で鈍い音が響いた。
自分の意思とは関係なく、生体スーツが動き出す。
大きく一歩前進する。また一歩。右手のマシンガンがゆっくりと持ち上がり、敵機に照準を合わせた。
「戦闘モードに入ったぞ!」ミニシャが叫んだ。「行け!ケイ、武運を祈るよ」
「うおおおおぉ!」
獣のような咆哮が喉を突いて出た。
自分の足を動かすと、スーツが大地を蹴って走り出す。
二足兵器も両脚を跳ね上げながら、ケイに銃口を向けて突進してくる。瞬く間に、互いの距離が縮まった。
ケイの視界に銃の発射を示す表示が現れた。二足走行兵器の何処を狙えば一撃で仕留められるか、記号付きの数値が現れる。ケイの眼球が己の意思とは関係なく動き出し、迫りくる二足走行兵器の俊敏な動きの、次の一手を探り当てようとする。
『攻撃地帯に入った』
ざらついた音声が内耳に響く。
(誰の声だろう?ブラウン大尉、それともボリス少尉のだろうか)
レーダーと化したケイの目が、突撃してくる一体の二足兵器をロックオンした。
右手が勝手に機関銃のトリガーを引く。兵器は胴体を一文字に撃ち抜かれて大破した。爆発して炎が吹き上がる両脇から二体の兵器が飛び出してくる。そう見えた瞬間、敵は二体ともフェンリルの機関銃の弾丸に撃ち抜かれて、後ろに吹っ飛んでいた。
(早い。早すぎる…)
ケイの目が敵の微かな動作を捉えた瞬間、己の目の瞬きよりも早くフェンリルは反応して銃を撃った。その恐るべき速度に唖然としながらも、ケイの眼球が次の敵の行動を捉えた。瞬く間に三体を破壊された残りの二足兵器は、距離を詰めるのを止めて、フェンリルに一斉に銃弾を浴びせた。
フェンリルは弾丸を受ける直前に大地を蹴って宙に飛び、二足兵器の頭上から機関銃の弾丸を弾倉が空になるまで浴びせ続けた。五体の機体がぐらりと傾く。
敵機のすぐ後ろに着地するや否や、フェンリルは片足を伸ばし、もう片足を屈伸させた格好で思い切り姿勢を低く保って、二足歩行兵器の足に左手を大きく一振りした。
フェンリルの腕から白い稲妻が走ったように見えた。
直後、走行兵器の三体の足と胴体が分離して、派手な音と共に地面に崩れ落ちた。二足兵器の両足が切断されて地面に転がるのを見て、ケイは左腕に視線を滑らせた。
青白く光る長いブレードが、フェンリルの腕から突き出ている。
(時間がなくて説明できなかった武器っていうのは、これか)
頭部を破壊されて立っているのがやっとの二体の銃身を根元から切り離すと、機体の真ん中で光っているレンズにブレードを突き刺した。機体の背中まで刃を貫かせる。内部のモーター音が停止して、二足走行兵器は動かなくなった。ブレードを引き抜くとへたり込むように地面に崩れ落ちた。
短く息を吐いてケイは周りを見渡した。
敵の二足走行兵器は全て破壊され、ケイの周りに残骸となって散らばっていた。
「やったね、ケイ!第一陣を全滅させたぞ」
イヤホンからミニシャの歓喜の声が響いた。
「およそ五分か。こんなに短い時間で、あの二足走行兵器を八体も倒したなんて!凄いぞ!次の敵機が現れないうちに、早く弾倉を入れ替えようって…え、なに?何だって!!」
ミニシャのはしゃぎ声が、急に悲鳴のような叫びに変わった。
「ケイ、たった今、テミショア上空を飛行しているドラゴンを確認した。あと少しでヤガタに現れるぞ!」
「ドラゴンが!」
とうとう来たか。背筋が震えた。武者震いだ。
「ボリス少尉、空を飛んでいる奴と、どうやって戦えばいいんですか?」
「そりゃあもう、飛んでるものは撃ち落とすしか手はないだろう!すぐに多連装機関銃と全方位追尾型ロケット砲をフェンリルに装備させる。スーツ用に開発されたの超最新型の銃器だぞ。威力は抜群だ。だから、基地が爆撃されるのを何とか阻止してくれ!」
「あの…」
「何だい?」
「経験値ゼロの敵とはどう戦えば良いんですか?二足兵器とは勝手が違いますよね?」
「そうだ。今度は、君に主体が移動する。自分で考えて行動しろ。君がフェンリルに学習させるんだ。さっきの戦いでコツは掴んだろう?後は任せたよっ」
プツンと音声の切れる音がした。耳元が急に静かになる。
「任せたって…えええ?ミニシャさん!」
ケイは思わず叫んだ。
「作戦とか、ないんですか!返事してください!」
「聞こえるか、コストナー。ブラウンだ。ボリスはチームαの最終調整に呼ばれて席を離れた。今後は私が指揮を執る」
「大尉!」
ヘルメットの中で響く低い声に向かって、ケイは切迫した声で叫んだ。
「俺はドラゴン相手に、どう戦えばいいのでしょうか?!」
「ヤガタの砲撃隊と君の生体スーツで連携して、ドラゴンを撃ち落とす。他に手はない。ドラゴンは上空からカトボラをミサイル攻撃で破壊したようだ。君にはその爆撃を防いで欲しい。アウェイオンと同じように例の黒い弾丸でも攻撃してくるだろうから、こちらも砲撃隊の砲弾をドラゴンに大量に浴びせてやる。基地から派手に攻撃を仕掛けて奴の気を逸らせるから、ドラゴンを撃墜してくれ」
「分かりました。やってみます。あのドラゴンを、空から叩き落してやります!」
そうさ、フェンリルは無敵だ。ガス曹長。レリックさん。小隊の皆の仇を取ってやる。
新しい武器を乗せた軍用トラックが二台、ケイに向かってくる。ケイはフェンリルの両脇に停車したトラックから、生体スーツ用のロケット砲と機関銃を持ち上げた。
「頼んだぞ!」
トラックの若い兵士がケイに大声で叫んで手を振る。
自分と年齢があまり変わらない若い兵士が高揚した表情で、生体スーツを見上げている。ケイはゆっくりとフェンリルの頭を上下させ、兵士に頷いた。
兵士は口元に笑みを浮かべ、すぐに基地に引き返した。
逆転に次ぐ逆転で、大敗してしまったアウェイオンの決戦の行方がここ、ヤガタで決まる。
基地の目前で繰り広げられた二足兵器との戦いは、フェンリルの圧勝で終わった。
これから始まるだろうドラゴンとの激戦に、彼は希望の片鱗を見出せたろうか。ヤガタの兵士は、機械兵器を次々と倒したフェンリルの雄姿を目の当たりにして、勇気を奮い立たせてくれただろうか。
確かにこの刹那、フェンリルはヤガタの命運を握っているといっても過言ではない。生体スーツ一体に一個中隊の威力があるというのは、自分がさっきの戦いで体感を持って経験した。
ミニシャが必死になってケイにフェンリルを着せようとした訳が、今は痛いほど理解できる。
「来い。ドラゴン。お前を撃ち落して地面に這いつくばらせてやる!」




