ユーリーの変心
ユーリーとニコラスの会話です。やはり喧嘩腰になる。
広い研究室の一角に人体を模した機械が五体、一列に並んでいる。
ユーリーは、全身がクロム鍍金加工されている一体の人型機械の前に立っていた。
流線を描く機械に顔を近付けて、何かを探すように熱心に視線を走らせる。
三番目の肋骨付近にある小さな丸い窪みを見つけると、指を差し入れて強く押した。
胸や腹を覆っている薄い超硬金属が身体の中心から左右に開き、古代ローマの剣闘士を彷彿とさせる肉体が現れた。
人の五十倍以上の力を発揮する人工筋肉は、苛烈な戦闘でもダメージを受けないようにミクロの合金鎖状物質で強化された不可燃性の人工皮膚で覆われている。
機械の身体の内部を覗き込んでいたユーリーはその胸の上へと視線を持ち上げた。
視線の先にあるはずの頭部はない。
「この首無しヒューマノイドは、マクドナルドが率いるサイボーグ化したアメリカ海兵隊、デビル・ドッグ五人のスペアボディだ」
説明しながら機械の背後に回る。人造機械の身体は、背中が大きな空洞になっていた。
「デビル・ドッグ隊が戦域の戦闘で損傷した時の事を考えていたバートン博士は、彼らの全身と予備のパーツを全てここに用意しておいた。彼女は本当に用意周到だったよ」
ユーリーは頭部のない人体機械兵器をゆっくりと一周し、その屈強な腕を一撫でした。
「しかし、バートンでさえ、デビル・ドッグが全滅するとは想像だにしなかったろう」
ユーリーの後ろに立ってサイボーグの身体を眺めていたニコラスが、おずおずと口を開いた。
「確かにね。アメリカ軍の中でもずば抜けて戦闘能力の高かった彼らが、生体スーツとの戦闘で全て破壊されてしまったとはね。僕だって未だに信じられないよ。それで、ユーリー、何の用があって僕をここに呼んだの?」
サイボーグの腕を重たそうに持ち上げながら、ユーリーがニコラスを正面から見据えた。
「今からこの機械の身体を人体装着型パワードスーツに改造する。手伝え」
「サイボーグの身体をパワードスーツにするって?そんなことが出来るのか?」
驚くニコラスに、ユーリーは不敵な笑みを口元に浮かべながら頷いた。
「可能だ。バートンは、敵スーツとの激戦で、サイボーグの脳が再起不能になるほど破壊されてしまう可能性も視野に入れていた。その場合には、彼らのスペアボディをパワードスーツに改造するつもりだと言っていた。兵士に装着させれば立派な戦闘兵器になるからな」
説明を聞いてニコラスが目を丸くする。
「彼女は、パワードスーツに改造する為の設計図も完成させていたのか。さすが、バートン博士だね。まるで…」
まるで、自分の命を散らすのを予期していたように。
居た堪れなくなったニコラスは、そっと目を伏せた。ニコラスの悲し気な表情に気付いたユーリーが、厳しい声を放つ。
「ニコラス、悲しんでいる暇はないぞ。俺は仲間を殺されて黙っている男ではない。憎きプロシア軍の本営と国の全土の全てを焦土にしてやる。バートンの弔い合戦だ」
憎々し気に叫び立てるユーリーに、ニコラスは呆れ顔で口を開いた。
「プロシアを焦土にするだって?!ユーリー、あの連邦国の領土は広大だ。それを君が知らない筈ないだろう?それにもしプロシア全土を焼き払ったら、一体どれだけの人間が命を失う事になると思うんだ」
「プロシアの奴らは全て敵だ。誰が死のうが俺には関係ない。プロシア国を壊滅させれば、求心力を失った共和国連邦軍は崩壊し、我らアメリカ軍の勝利となる」
恐ろしい言葉を平然と口にするユーリーに、ニコラスはかっとなった。
「バートン博士はプロシアの壊滅を願って死んだんじゃない!彼女は愛するララと、生まれてくる赤ちゃんを守る為に自分の命を投げ出したんだ!」
ニコラスはユーリーに詰め寄ると、その胸元に己の右の拳を叩き付けた。
「彼女はメイ博士とアレクサンドラを戦禍から守る為に、自分の命を懸けたんだ。それに、何だよ、我らアメリカ軍って。いつから君はアメリカの軍人になったんだ?君は軍人をあんなに毛嫌いしていたじゃないか!」
ニコラスは顔を真っ赤にして怒鳴り、ユーリーの胸を何度も叩く。その手首を掴んで動きを封じたユーリーが冷ややかに言った。
「よく聞けニコラス。俺は、ウォーカーから、軍の副総司令官に任命されたんだ」
「なん、だって…」
言葉を繋げられないニコラスの見開かれた薄茶色の瞳をじっと見つめながら、ユーリーが続けた。
「最終戦争が起きて人類が滅亡しかけても、この世界は腐り切ったままだ。ニコラス、何故だか分かるか?ガグル社がヨーロッパに君臨しているからだ。そして、ガグル社の最高権力者、ファン・アシュケナジがこの地にいる限り、何も変わらない。だから俺はあいつを殺す事に決めた」
「アシュケナジを殺すだって!」
ユーリーの放った衝撃の言葉に、ニコラスは唖然とした。
それから次第に頬を緩めると、引き攣った声で笑い出した。ひとしきり笑ってから、ニコラスは腕を掴んだまま自分を無表情に見つめているユーリーを睨み付けた。
「本気か、ユーリー?」
「本気だ」
揺るぎのない声が返ってくる。その強い口調に、ニコラスの顔が沈痛に歪んだ。
「ならば、アメリカ軍のミサイルでガグル社を直接攻撃すればいい。何も、プロシアの一般市民を戦禍に巻き揉む必要はないだろう?君の話は全く理解できないよ!」
「そうだな。お前には理解出来ないだろう。物事には手順というものがあるってことを」
「戦争の人殺しの手順なんて、僕は知りたくもないね!」
大声で叫ぶと、ニコラスは自分の腕を握りしめているユーリーの手を怒りを込めて振り払った。
「ユーリー、君は僕らの計画を忘れてしまったのか?東の果てにある日本という島国で、フィオナとニドホグを融合させる実験はどうなっちゃったんだよ!」
「俺が立てた計画だぞ。それがどれだけ壮大な実験か、お前に言われなくたって分かっているさ!」
怒鳴るニコラスに、ユーリーが怒鳴り返した。
「それを実行に移す為に必要な手順だと言っている。俺がどれだけ苦労しているか、ニコラス、お前は知ろうともしない」
怒鳴り声が、次第に低い呻き声へと変わる。ニコラスが悲し気な目でユーリーを見た。
「ユーリー、落ち着いて僕の話を聞いてくれ。戦闘強化する為にニドホグを遺伝子操作して強制的に成体にしてしまったから、時間はあまり残されていない。それは君が一番よく知っているんだろう?」
縋るような目になったニコラスを見下ろして、ユーリーがぶっきらぼうに「ああ」と頷く。
「だったら!どうして新しい世界に旅立とうとしないんだ?」
思わず声を荒げたニコラスだったが、冷静さを取り戻そうと呼吸を整える。
「ニドホグが成体になって、計画は第二段階に入った。フィオナと僕達を乗せてニッポンまで飛行するという段階にね。君が僕達の実験計画を一番に考えているならば、軍事同盟も連邦軍も、アシュケナジだってどうでもいい筈だ」
「どうでもいいわけにはいかない。ニコラス。俺は気付いたんだ」
ユーリーはニコラスの両方の二の腕を鷲掴みにして叫んだ。
「アシュケナジ。あいつは俺の計画を邪魔する為なら、どこまでも追って来る気でいるんだよ。ガグル社が所有している地球周遊ミサイルでニッポン列島を攻撃されてみろ、俺達の実験は一瞬で潰されてしまうんだぞ」
「いくらアシュケナジだって、そこまで無謀な事はしないよ。遥か彼方の島を破壊したって、彼には何の得もないだろう」
「損得じゃない。奴は、俺が…自分のクローンが、意に反する行動を取るのが我慢ならないんだ。だから、あの男はいつも俺の前に立ち塞がる。この計画を成功させるには、あいつを殺すしかないんだ」
「ユーリー…」
それは違う。
言いかけて、ニコラスはやめた。悪鬼の如き形相に気圧されて、言葉が繋げなくなったからだ。
(殺したいほど、アシュケナジが憎いのか)
長年側にいても分からなかった。ユーリーの憎悪がどれだけ根深いものか、今、初めて知った。
「パワードスーツは俺が装着する。この手でアシュケナジを八つ裂きにする為にな」
(そこまでしないと、君は、自由になれないのか…)
ニコラスは悲痛な表情で、ただ、ユーリーを見つめるばかりだった。




