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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第五章 武器を抱いて炎と踊れ
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フィオナの願い

フィオナとニドホグの束の間の休息シーンです。


「うわあっ」


「こら、大人しくしろって、こ、こっちにくるな!」


「ひゃあ、助けてくれぇ!」


 緊急事態発生との報告を受けて格納庫に呼ばれたフィオナが目にしたのは、ニドホグが広大な格納庫の中を逃げ惑う三人の兵士を追いかけている姿だった。

 

 新しい巣穴に入らないニドホグに業を煮やした一人の兵士が、その尻を棒で何度も引っ叩いた。成体になったドラゴンの体長は、三十メートル近い。岩のような身体が小さな棒で叩かれたくらいで痛みを感じる筈もないのだが、その行為に腹を立てたらしい。

 ニドホグは大きな牙を剥き出すと、恐ろしい咆哮を喉から迸らせた。三人の兵士が悲鳴を上げて、今にも腰を抜かさんばかりに、よたよたと走っていく。

 そんな兵士の恰好が面白いのか、ニドホグは兵士達をしつこく追い回した。

 ニドホグが逞しい後ろ足を動かす度に格納庫の床が振動する。

 その衝撃で兵士が転び、床にうつ伏せになって倒れた。兵士の背中に、ニドホグが鼻を押し付ける。

 遊んでいるのは間違いなかったが、兵士はかなりの恐怖を感じたらしい。ぎゃっと悲鳴を上げると気を失ってしまった。

 フィオナは巨大格納庫のドアの前に立って呆れた表情でニドホグを眺めていた。

 棒で突かれたのだから怒るのは当然だ。だけど、これはさすがにやり過ぎだ。


「ニドホグ、いい加減にして!早く寝床に入って休息を取りなさい。その巨体になってから、モルドベアヌから戦域までの距離を飛んだの、初めてでしょ。それに生体スーツとの戦闘もあったし。かなり体力を消耗している筈よ」


 足を開き、両手を腰に当てて、フィオナが怒った声で叫んだ。


「ぐるる」


 ニドホグが低い唸り声を上げて、兵士から鼻を離した。首筋のうろこが数枚逆立っている。それを見て、ニドホグがかなり機嫌を損ねているのが分かった。


「ねえ、ニドホグ。何でそんなに駄々っ子になってるの?あたしがあんたの面倒を見ないで、格納庫から出て行っちゃったから?」


「ぐぅろおおぅ」


 ニドホグはゆっくりと首を横に振った。


「違うの?じゃあ、いつものように鼻の頭を掻いてあげなったからかな?」


「くぉるるおぅ」


 一オクターブ高い音で(さえず)るように鳴くと、ニドホグは首を縦に振り出した。


「そうだったの。ごめんねニドホグ。メイ博士に赤ちゃんが生まれたの。それで、すぐに会いに行かなくちゃって、そればかり考えていて、あんたへのご褒美忘れてた」


 フィオナはニドホグに近付いて手を伸ばした。フィオナの手が自分の鼻に届くように、ニドホグは首と頭を床まで下げた。


「全く、甘えん坊さんなんだから」


 フィオナは右手を一振りして指の爪をシュッと伸ばした。尖った爪の先をニドホグの鼻の頭に垂直に突き立てて、上下に動かす。

 もし、フィオナの伸ばした爪が人に触れたなら、いともたやすく皮膚は裂かれ、その下にある肉と内臓は骨まで届くくらいに深く抉られるだろう。

 だが、溶岩のような頑丈な皮膚を持つドラゴンの鼻には、その恐ろしい爪の先が心地良く感じるのだ。


「ぐるるるる」


 ニドホグはうっとりとした表情で、格納庫に大音響を響かせた。

 百匹の猫が一斉に喉を鳴らすような音が振動となって兵士を襲う。耐えられなくなった兵士は、耳を塞いで格納庫から逃げ出した。


「これで満足した?」


 ニドホグの鼻から手を離したフィオナは、爪を指先に収めた。


「さあニドホグ、お家に入って」


 巨大な四角い穴の横に立って、フィオナはニドホグを手招きした。

 ニドホグはくるりと後ろを向くと、最初に尻尾を差し入れるように後退りしながら、身体を穴の中に入れた。前と後ろの足を折り曲げてから、顎を床に下ろす。

 床と天井、右左の壁はすべてコンクリートで覆われた、(せき)(ひつ)のような長方形の空間がニドホグの寝床だ。中は電球の一つも灯っていない。フィオナがニドホグの顔に全身を預けると、ドラゴンは満足げに息を漏らした。


 フィオナは半眼になったニドホグの瞼を優しく撫でた。


「そう。リラックスしなさい。暗室の中で眠って体力を回復させるのよ」


 まだ戦争は終わっていない。ニドホグはフィオナと共に、すぐに戦場の空へ戻ることになるだろう。


「時間がある時には必ず休息するのが戦士の務めなんだって。ファーザがそう言っていた。ねえ、ニドホグ。あたし達はニコとファーザの守護戦士なんだよ。力一杯戦えるように、今はゆっくり休もうね」


 フィオナはニドホグのごつごつした顔に自分の頬を押し付けて呟いた。密着した場所からフィオナの白く薄い頬に、ニドホグの体温が伝わってくる。


「この戦争が終わったら、あたし達、ニコとファーザと一緒に、新しい土地に行くのよ。そこは、北から南へと四つの島で構成されているんだって。島の名前、何て言ったかな?ニコに教えて貰ったんだけど思い出せないや」


 やんなっちゃうと独り言ちて、フィオナは口を尖らせた。


「その島には人間が一人も住んでいないらしいの。それでね、春になると、木にピンク色の花が咲いて、それはすごく綺麗なんだって。ファーザが言うには、その島でニドホグとあたしで、新しい世界を作るんだって」


 フィオナは顔を薄く赤らめながら、消え入りそうな声で囁いた。


「あんたとあたしの子供を繁殖(はんしょく)させるって。ハンショクって意味、あたしにはよく分からないんだけど…。あたしがメイ博士のように、赤ちゃんを産むってことらしいんだよね。赤ちゃんって、パパとママがいないと生まれないからさ。アレクサンドラのパパはバートン博士、ってことは…。あんたがあたしの赤ちゃんのパパになるってことなの?!」


 フィオナは「きゃん」と恥ずかしそうな悲鳴を上げた。

 真っ赤になった顔を俯かせて、ニドホグの顔をバンバンと叩いた。ニドホグからは全く反応がない。フィオナが見上げると、大きな瞼は完全に閉じられていた。


「…眠ったんだね」

 

 フィオナは、ほっと溜息をついて、ニドホグの手の上に腰を下ろした。その大きな顔に背中を預けて両足を投げ出した。


「ニコもファーザも、早くその島に行きたいんだよ。だけど、その島はアメリカの所有地なんだって。軍事同盟が共和国連邦軍に勝てばその島を貰えるって、ファーザがアメリカ福大統領とケイヤクしたんだ。だから、絶対、絶対、連邦軍との戦争に勝たなくちゃ。そうしたら、ニコは、また、前のように明るく笑ってくれると、思うんだ」


 フィオナはニコラスの寂しそうな顔を思い浮かべた。

 アメリカ軍の基地に来てから、ニコはあまり笑わなくなった。それどころか、ファーザ、ユーリーと喧嘩することが多くなった。


 フィオナには、昨日のように覚えていることがある。

 ニドホグを戦闘用に造り替えたユーリーをニコラスが酷く(なじ)ったことがあった。

 ニコラスの反対を無視したユーリーが、改造を強行したからだ。

 激怒したニコラスにフィオナは(おび)えた。あんなに怖いニコラスは初めてだったから。

 それから。詰りながら詰め寄るニコラスを、フィオナが一度も見たことのない恐ろしい形相でユーリーが殴り倒した。

 立ち上がったニコラスは、鼻と口から流れる血を拭おうともせずに、フィオナが一度も聞いたことのない怒りの声を上げながら、ユーリーに殴りかかった。

 目の前で起こる激しい殴り合いに、フィオナは恐怖のあまり泣き叫んだ。

 バートンが止めに入らなければ、あの二人はどちらかが気を失うまで殴り合っていただろう。

 あの喧嘩の後、ニコラスとユーリーは、にこやかな表情で喋らなくなった。

 互いにぎこちない言葉を掛け合うだけ。

 そんな二人を見る度に、フィオナは胸が張り裂けそうになる。

  

 二人の仲が戻るには、連邦軍を潰すしかない。


「だから、絶対に勝つんだ。勝たなくちゃ」


 ニコとファーザ。


(あたしの一番大切な、二人)


 彼らの為なら、ヨーロッパの都市を、国を破壊し尽くし、この地にいる全ての人間を殺したって、構わない。


「戦争が終わったら、ニドホグ、あたし達は東へ東へと飛んで行くんだよ。そして、東の果てにある島で、あんたとあたしで作った新しい世界を、ニコとファーザにプレゼントするんだ」


 新しい世界。

 口遊(くちずさ)むだけで、フィオナの胸に希望と勇気が湧いてくる、魔法の言葉。

 暗闇の中でニドホグの規則正しい呼吸音を聞いているうちに、フィオナも眠くなってきた。背中がニドホグの体温で温まってきたせいもある。目を瞑ると一気に身体が重くなった。


「そうだ、島の名前を思い出した。ニッポンって、ニコが言ってた。変わった名前だよね。ねえ、ニドホグ。早くその島に行きたいね」


 数分後、ニドホグに寄り掛かりながらフィオナは寝息を立てていた。

 うっすらと目を開けたニドホグは無防備に寝ているフィオナを一心に見つめた。


「にいどおおほぐうう、ふぃおおなぁ、をを、ひがあしの、しまぁぁに、つれていくうう」


 人の言葉を、大きく裂けた口で発音するのはとても難しい。

 それでも半分以上口を閉じて舌の先を動かすと、人の発音に近い音が出た。

 一生懸命練習して、ここまで喋れるようになった。

 あと少し練習すれば、フィオナの耳に人の言葉となって届くようになるだろう。

 ニドホグは自分に寄り掛かって寝てしまったフィオナを起こさないように目だけを動かして、少女の柔らかな薄茶色の髪を眺めた。


「ふぃおな、いっしょに、しんせかい、つくろう」


 ドラゴンの巨大な瞳は、愛しい人を守ろうとする決意で満ち溢れていた。


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